第9話
「……ひとまず、できることはやってみました」
私は、ルイスの看病をしていた使用人の女性の容態を確認しながら、小さく息をのんだ。
彼女の顔は蒼白で、額にはじっとりと汗が浮かんでいる。
「今朝から、熱が上がり始めました」
カテリーナ夫人が、心配そうに彼女の髪を撫でた。
黒死病は、完全な空気感染ではない。
それでも、長時間接触していた者には一定の確率で発症するらしい。
「……もし、黒死病にかかったと判明したら?」
「本来なら、収容所に送られるわ」
「収容所……?」
私は、カテリーナ夫人の言葉に眉をひそめた。
ヴィクトールが、呟くように声を漏らす。
「黒死病の患者は、基本的に収容所へ送還される」
「収容所って……病院みたいなものですか?」
「いや、むしろ“死を待つ場所”だな」
「……!」
彼の声には、冷たい現実を突きつける重みがあった。
「ロストンの郊外には、“ペイルグレイブ収容所”という施設がある。
元は監獄だったが、黒死病の感染拡大を防ぐため、患者を隔離する場所として転用された」
監獄。
その単語が、どす黒い重みとなって私の胸にのしかかる。
「収容所では……治療は行われているんですか?」
「形式上はな。しかし、実際には病人を閉じ込めるだけの施設だ」
私は息をのんだ。
【ペイルグレイブ収容所の実態】
・監獄跡地を利用した隔離施設
・患者は収容されるが、治療はほとんど行われない
・最低限の食糧と水だけが支給される
・家族との面会は禁止され、最期を誰にも看取られることなく迎える
・ごくまれに回復した者もいるが、生きて戻ることは許されない
「そんな……それって、ただ死を待つだけじゃないですか!」
思わず声を荒げた。
患者を生かすための場所ではなく、感染の拡大を防ぐために閉じ込めるだけの施設——。
それを“医療”と呼べるのか?
「……だが、それ以外に手はないのだ」
ヴィクトールの言葉に、怒りとも悲しみともつかない感情が湧き上がる。
それが、この世界の現実なのか——。
でも——。
「私は、それでも“見捨てる”なんて絶対にイヤです」
私は強く拳を握った。
「だから、ルイス君と使用人さんを収容所になんて行かせません!」
ヴィクトールは、しばらく私を見つめた後、静かに頷いた。
「この屋敷にいる限りは、大丈夫だ」
「…そうですか」
「…しかし、感染が広がってしまわないかと、心配していてね」
「なるほど…」
「しばらく、診て頂けないだろうか?」
「……え?」
「君がしばらくこの屋敷で看病してくれるなら、感染が広がらずに済むかもしれない。
……ただ、君自身が感染するリスクがあるが…」
「大丈夫です!」
「しかし…」
「できる限りのことはしてみます!」
私は拳を握りしめて、決意を固めた。
「私がいる限り、ルイス君も、使用人さんも、収容所には行かせません!」
「……ありがとう、オリカ様」
カテリーナ夫人は私をじっと見つめ、静かに頷いた。
「それならば、君の部屋を用意しよう」
「えっ?」
「ここで患者を看病する以上、君もこの屋敷に住むべきだろう」
「……マジですか!?」
「マジだ」
こうして私は、アレクシス家の屋敷で寝泊まりできることになった——!
「さて、もうひとつ大事なことがある」
翌日、ヴィクトールは私を ロストンの中心街 に連れて行った。
私たちが向かったのは——
ロストン商人ギルド「金色の獅子」
「商人ギルド……?」
私は、ギルドという単語に少し驚いた。
てっきり 冒険者ギルド みたいなものを想像していたけど、これは明らかに違う。
「ロストンは交易都市だ。
ゆえに、この街の経済は 商人ギルドによって管理されている」
「へぇ……」
「ギルドに登録していない者は、正式な商取引ができない。
それは医療業も例外ではない」
なるほど、つまり 私が“医者”として活動するためには、ギルドの認可が必要 ってことか。
「……ってことは、登録料とか、いるんです?」
「私が払う」
「マジですか!? いいんですか!?」
「お前の力を、この街のために使うのだろう?」
「……ええ、もちろん!」