第五十九話
❀雨がもたらすもの❀
……容赦ねぇな。あやうく、火傷するところだった螢介は、靴を脱ぎ捨てて尻もちをつく。足首に絡みついた木蔦に火を点けたのは炎估だが、螢介のからだがいっしょに燃えてもかまわないといった、知らん顔ぶりである。書棚の陰にひそむ気配を見据え、警戒を怠らない点は評価できる。……くそ、結局、十翼の世話になってるだけじゃねぇか。おれ。
螢介はこげた靴下を脱いで裸足になると、文鎮を手に身がまえた。……この気配は亡人とはちがう。たしか化生ってのは、変身するンだっけ。
雨がふきこむ暗がりに、身をかがめて動かない気配は、ふたたび植物をあやつって、攻撃をくり出してきた。さきほどより太い木蔦が、螢介に襲いかかる。こんなとき、火穂の使い手がいっしょなのは助かる。炎估は呪文を唱えず、手のひらをさがした方向へ力の影響をおよぼす。赤く燃える火で木蔦を灼きはらうと、「生きたままつかまえるか」と訊く。
「できれば、そうしたい。聞書が必要なら準備するけど、あの化生の正体は、やっぱり、この家の主なのか?」
「正しくは、雨賀佐源のタマシイを喰らった鬼だ」
「鬼? 角がある、あれか?」
「怨念が鬼の姿に変わった人間自身だ」
他者からの仕打ちにたいして、非常に強い不満や憤りがあって憎む気持ちや、非業の最期を遂げた人間は、ふくれあがった増悪のもと理性をうしなって鬼人と化す。
「つまり、今回の相手は人間なのか?」
いま、螢介が対峙している鬼は、雨賀佐源そのものであり、生身の人間だった。……待てよ、源は、死んだはずじゃ? 炎估が灼きつくした老婦人いわく、うちのひとは亡くなっている。
「それじゃあ、いったい、だれなんだ?」
「あの鬼は雨賀佐源だ」
「そんなばかな……、生きているとしたら、何歳になるンだよ。いくら鬼人とはいえ、この家に、そんなに長くとどまる理由があるのか?」
螢介は室内を見まわして、どこにそんな未練が残るのかを探した。……もしかして、写真か? 来たときは座敷にあったはずだ。どうして消えた? だれが写ってる?
「フッチ、いないのか? フッチ!」
室内から聞こえた猫の声は、まちがいなくフッチである。しわがれた鳴き声は特徴的で、螢介はフッチの安全確保を優先した。なにより、鬼の近くにいては危険だ。猫鬼という凶悪な怪異は、多くの伝承を残している。以前、テレビ番組で正史に基づいて再現された事件を見たことがある螢介は、甘い考えでフッチを巻きこんだつもりはない。かならず無事に帰す。炎估は、そのための護衛役だ。雨をきらって姿を見せない鬼は、書棚の影から出てこないため、螢介は、じりじりと室内へ踏みこんだ。
机の下に、小さな丸いものがある。椅子をひくと、フッチが飛びだしてきた。「フッチ!」螢介の脇をすり抜けて走り去ってしまう。夜行性動物のため、闇夜でも視界を保ち、俊敏に動きまわる。ふたたびフッチを見うしなった螢介は、書棚に隠れている鬼を、じっと見つめた。床は雨にぬれている。風が強いため、窓をしめようと腕をのばすと、突然、体当たりを喰らった。暗がりから姿を見せた人物は、予想外の見た目をしていた。
「あ、あんたが、鬼……なのか……」
六十代の初老に見える雨賀佐源はふんどし姿で、異様にふくらんだ腹をしている。裸足でベタベタと歩き、螢介に向かって生臭い息を吐いた。「うっ!」思わず鼻を圧えると、つかみかかってきた。文鎮をふりまわして応戦する。しばらく押したり引いたりをくり返す。黙って見ている炎估は、まるで命令を待っているかのようであり、螢介は指示をだした。
「おい、ひまなら、フッチと写真を探してきてくれよ」
炎估は、なんの写真かを問わず、廊下へでると、階下に向かった。……あとは頼んだぞ。
螢介が対処すべきは、目のまえの鬼と化した人間である。ことばが通じる相手ならば、語りかけるのみだ。
「なあ、あんた、なんでそんな醜い鬼になっちまったンだよ。そうまでして晴らしたい恨みがあるなら、おれが協力してやるぜ!」
〘つづく〙




