第十七話
❀流言は知者に止まる❀
ウロコを狙ってあらわれるものは、この世に未練のある亡者だけとはかぎらない。石づきなめこの主人で、十翼のひとり風估いわく、「護身用」にさしだされた文鎮は、うけとった瞬間、ずっしり重たく感じた。
「浮かない顔だな」
帰り道、ならんで歩く炎估がしれっと声をかけてくる。なんとなく腹がたつ螢介は、わざとらしく「ふんっ」と鼻息を吐いた。
「おい、炎估。おまえ、もしかしてあの雨の日、おれが川に落ちたところを見ていなかったか?」
何日も雨がふりやまず、増水した川にのみこまれそうになっている高校生は、濁流の水面に顔だけ浮かせ、呼吸をするのもやっとの状況だった。水底にあるなにかの塊に片足がはさまって、すべり落ちた斜面をのぼることもできない。自力では助からない状況だが、螢介は、泣きもわめきもしなかった。
「助けてほしかったのか」
「質問に質問で返すな。……炎估、おまえは、なんのためにおれのそばに」
ことばのとちゅうで鳩尾に打撃を喰らった螢介は、意識が飛んだ。ドサッと、炎估の足もとに倒れると、草履で軽く肩を足蹴にされた。大の字でからだをさらす。……このやろう、ぜってぇ、あとで殴り返す(意識はない。無意識に悪態づいた)。
『ふぅむ、ふぅむ。ざっかしょうのしゅじんから、じゅぐをもらってきたのか。よかったな、けいすけ。これで、すこしはたたかえるな』
炎估に気絶させられた螢介のまえに、ひょこっとネコが姿をあらわす。小さな女の子は、なにも身につけておらず裸足でペタペタと歩き、螢介の脇へしゃがむと、つんつんと頬を指で突く。螢介もネコも、人間のかたちをしている。体温もある。怪我をすれば、血も流れた。もちろん痛みも感じる。
「なにしに来た」と、ネコを見おろしてきく炎估は、眉間に皺を寄せた。ネコは螢介の前髪をひっぱりながら、『はらがへったのだ』という。彼女の朝食は、螢介が台所に用意してある。炎估がそうおしえると、ネコはうれしそうに笑い、学ランのズボンを脱がそうとする手をとめた。螢介のウロコは、股のあいだの裏庭に封じられている。三枚あるうちのひとつは、ネコがもっていた。どうやって剥がしたのか、それは本人がいちばん気になっていたが、ウロコを剥がした張本人は、他にいる。
『けいすけ、おきろ。いっしょにごはんをたべよう。よいはなしを、きかせてやるぞ』
螢介の肩をゆさぶるネコに向かって、「さきに行け。このあほうが目を覚ますまえに、おまえは服を着ろ」という炎估は、ネコのうなじをつかんで強引に吊りあげた。
『むむっ、なにをするのだ』
「べつになにもしない。ところで、ウロコはどうした?」
ネコのからだを見たところ、とくに変わったようすはない。ストンと地面に降ろされたネコは、黒猫へ姿をうつし、ニャアと、鳴いた。炎估の質問には答えず、タタッと[さくや亭]のほうへ駆けてゆく。螢介のウロコには、ふしぎな力が宿っている。それを証すことができるのは、手にいれたものだけである。ネコはまだ、ウロコをじぶんのために使っていない。螢介と同じく、からだの一部に隠していた。
〘つづく〙