第十二話
❀亡人と呼ばれるもの❀
……炎估、知らんぷりしてないで、さっさと出てきてなんとかしろ。おれには、なにがなんだかさっぱりだ。
これまでどおり、炎估が対処するだろうと考えたが、螢介の呼びかけに無反応を示す。……おい、炎估?
クククッ、ククッ!
なにかにおびえていた少年が、急に笑いだす。着物の胸ぐらを掻きむしり、螢介に向かって、ウロコをよこせという。やはり、目的はおれなのか……。
「おまえ、まさか亡人ってやつか?」
亭主いわく、タマシイのない連中をそう呼ぶらしい。十翼や化生は、タマシイを持っている。そのちがいを区別できない螢介は、目のまえの少年に対して、あまりにも無防備だった。白い腕がのびてきて、細い指に首を絞められる。……苦しい。
躰つきは華奢なのに、ものすごい力で圧倒される螢介は、このままでは死んでしまうと思った。少年は、螢介のタマシイの在処を知っている。ウロコを奪うだけでは喰い足りず、螢介の息の根を絶やそうとした。
「……やめ……ろ!」
だめだ……力が……ちがいすぎる。……おれには、抵抗できねぇ。……くそっ。……だれかいないのか? ネコ、亭主、えん……こ……
螢介が湯殿に倒れこむと、少年は腰のタオルを剥ぎとって、きわどい部位に封じてある三枚のウロコを見つけた。あった、これだ。ウロコだ。やっと見つけた。よほどうれしかったのか、万歳をしてはしゃぐ。子どもらしい反応のおかげで、ウロコを奪われるまえに助け舟が到着した。
……全裸で力つきているおれとしては、恥を捨てるしかない。浴室へひょこっと顔をだした黒猫は、瞬時に状況を理解したようすで少年に飛びつき、こんどはちゃんと物理攻撃がヒットした。猫パンチを喰らってよろめく少年は、ドボンッと湯船に尻ごとつかり、烟のように消えてゆく。黒猫は、すぐさま女の子の姿になって螢介に人工呼吸した。やわらかい唇が、何度も重なりあった。遅れてやってきた亭主は、かすかに眉をひそめたが、螢介を抱きあげて部屋まで運んだ。
……炎估、なんで返事をしねぇんだ。おれは、あやうく死にかけたぞ。
風呂場で襲われるのは、さすがに勘弁してほしい。ネコにも亭主にも素っ裸を見られたが、彼らは家族だから問題ないと割り切った──。
「おい、亭主、もっとわかりやすく説明してくれ。あの亡人も空蟬も、なんでそんなにウロコをほしがるんだよ。おれのウロコは、そんなに希少なのか?」
だいぶ呼吸はおちついたので、枕もとに坐る亭主にたずねた。起きあがる気力はないため、顔だけ横向けた。ネコもいる。螢介の頭上で、ニャアと鳴いた。……サンキュー、ネコ。助かったぜ。
亭主はそこにいて、螢介の質問には答えず、「きみには働いてもらうと云ったはずだよ」と念をおす。
「そのつもりなんだけど……」
さくや亭に住みこんで働く螢介は、仕事のたびに危険にさらされるわが身を恨めしく思った。ウロコなんて人間には必要のない代物だが、ほしがる連中が多すぎる。なにも知らないまま争奪戦に巻きこまれるのはごめんだし、味方を把握しておくべきだろう。
〘つづく〙