第十一話
❀亡人と呼ばれるもの❀
さくや亭でのアルバイトは、人でないものを相手にする必要があるため、いかなる場合においても危険がつきまとう。
「ちょっと語弊があるな。きみが魅力的だから、亡人が集まってくるのだろう」
「魅力って、ウロコのことか? きわどいところに封じてくれたおかげで、奪われそうもないぜ」
「それはよかった」
「そうじゃなくて、……もうけ?」
(この人と話をすると、次から次へと知らないことばが出てくるんだよな)
「亡者のことだよ。タマシイのない連中さ」
つまり、死人ということか。消滅した空蟬は、極楽へ逝けたのかどうか気なった。亭主とネコとの三人で夕食をとる螢介は、二杯目の白米を茶碗にもりつけた。台所に炊飯器はないので、時間をかけて釜で炊く。まわりにこびりつくおこげは、乾燥させたほうがパリパリしてうまい。飯時のネコは黒猫の姿に変わるので、魚の缶詰にグリーンピースやにんじんなど、茹でた野菜を添える。
室内干しの竿に、螢介のトランクスとネコのパンティーが吊りさがっている。ピンクの無地と、レモン色とオレンジ色のチェック柄だ。亭主がそれを買いものカゴにいれて会計する姿を思い浮かべた螢介は、高校生と小学生の子どもがいる父親には見えないなと、小さく肩をすぼめた。実際の年齢はわからないが、亭主は独身で、子どもはいない。正確には、見たことがない。
「わたしの息子はきみだよ」
……はいはい。ネコもそうだけど、おれの考えは、全部お見とおしなんだよな。なんて云ったっけ? テレパシー? エスパー? まあ、気味悪いというより神秘的かもな。こわいと思わない。そこそこ便利だし、ないよりはマシだ。
食事の準備や片づけは、アルバイトの内容に含まれない。だが、ほかにすることもない螢介は、すすんで台所にたつ。午后十一時、風呂にはいった。亭主は、日付が変わるころに湯をあびる。螢介よりさきに、つかることはない。まだ外では小雨がふっている。湯船でぼんやりしていると、磨硝子の戸があいた。ハッとして視線を向けると、白い着物姿の少年が近づいてきた。……こんどはだれだ?
真夜中の来訪者である。時代をさかのぼった風情のある顔だちで、お背中をお流ししましょうと、か細い声で話す。むろん、螢介に対して発したことばではない。少年は湯殿に膝を折りまげて、だれかの背中を洗い始めた。空間で手のひらを動かしているだけなのに、その自然な動作は、まるでほんとうにだれかの背中を洗っているように見えた。
……無言劇?
少年の身ぶりは妙な具合になる。見えないだれかに乱暴されているのか、やめてくださいとわめき、腕をふりまわす。……な、なんか、やばそうだな。助けたほうがよくないか? でも、どうやって? ぼんやり湯船につかっている状況ではなくなり、螢介は腰にタオルを巻いて少年に近づいた。
「おい、どうしたんだよ」
横から声をかけてみたが、少年は青ざめた顔で空間を見すえ、首をふった。なにかにおびえているようだ。そのなにかとは、たったいま、少年が背中を流していた相手だろう。いったいどんな姿をしているのか、螢介には見えなかった。
〘つづく〙