青野秀一郎総理大臣
国会が終わるとすぐに報道陣が青野総理を取り囲んだ。質問内容はただ一つ。
深刻な少子化問題についてだった。
「総理、総理が公約に掲げていた少子化対策についてですが――」
「総理、今年の出生率が昨年に比べ過去最高に下がっています。そのことについて一言 ――」
「総理、国民の不満が高まっていることはご存じだと思いますが、今後の少子化について具体的な策をお聞かせください――」
一斉に向けられるマイクと、フラッシュの存在を一切無視し、検討中ですと軽く会釈し車に乗り込んだ。車が発進すると、もうこれ以上撮るものは無いと報道陣が一斉に散らばり消えていった。
あほの総理
それが、若い国民を中心につけられた青野秀一郎総理大臣のあだ名だった。プライドだけはすこぶる高い彼はこのあだ名が大嫌いだった。
総理は、車内の後部座席に取り付けてある、ナビに手を伸ばした。この時間は総理が大好きな、動物とのふれあいを題材としたバラエティー番組が放送されている。
「ん~やっぱり動物は素直で無垢でかわちいなぁ。うっとおしい議員も舐めくさった国民もみーんなこんなんだったらいいのになぁ」
ねぇ~、と猫なで声をだし、総理は画面に映し出されたコロコロと動き回る猫に口づけをした。
「ちょっと総理!そんな気色悪い声出さないでください!それと、そのナビも消毒しといてくださいよ。汚いから」
助手席に座っている20代後半の、背が高く人形のように整った顔の女性が、上半身を後ろに向けて顔を大げさにゆがめて言い放った。
「それに、あなたの猫になるなんて、国民全員が日本を引退しますよ」
彼女の名前は姫路ゆり子。青野総理の秘書官を務めていた。
「相変わらずゆりちゃんの言葉は辛らつだな」
ゆり子は聞こえていませんと言わんばかりに鞄から鏡を取り出した。そして、化粧が落ちていないか入念にチェックし、リップを塗った。総理もこれ以上話しかけても無駄だと悟り、ナビに視線を戻した。
『みなさーん!今日はなんとですね…』
進行役の人の良さそうな若い男性アナウンサーがカメラに向かって笑う。
『犬の赤ちゃんがいーっぱいあそびにきてくれました!』
出演者がわざとらしく驚いた声を出す。画面の端から黄緑の番組オリジナルTシャツを着たスタッフが、ゴロゴロと子犬が入った台車を運んできた。かごの中には、15匹ほどの子犬が入れられており、かごから出されるとタレントの足やカメラのにおいをかいだり、ころころと走り回ったりして遊びだした。
『この黒い子と白い子と、背中にぶちがあるわんこは兄弟なんですよ』
タレントがカメラに向かって子犬の紹介をする。
(きょうだいなんてワード久しぶりに聞いたな)
総理は先ほどまでのテンションと打って変わって、深いため息をついた。
何となく今日は、どんな形であっても、”赤ん坊”という存在を見る気にはなれなかった。SNSで投稿される不満、報道陣の試すような質問が頭の中を駆け巡る。
総理は窓から見える東京の夜景を眺めた。
総理が子どものころと比べると、東京という街は年々小さく、寂しいところに変化していた。
(人間もこうやって、一度に何人も産むことができればいいのにな)
総理はしわしわの指で疲れた目をもみほぐすように抑えた。
その時、頭の中に稲妻のような衝撃的なアイディアが飛び込んできた。
「「「「「「「これだぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!!」」」」」」」
キキィィ!
総理の突然の絶叫に驚いた運転手が、道の真ん中で急ブレーキをかけた。連鎖するように後ろの車、さらにその後ろの車がブレーキをかける。危ないぞと、怒りのこもっったクラクションが鳴り響いた。
ゆり子が獲物を借る蛇のように鋭く睨みつけた。
「なんなんですか今日は。ほんっとにうるさい。次叫んだらその場におろしますからね!」
「ゆり子、来週の日曜日、日本中から優秀な学者と医者を集めろ。それからテイ国ホテルの一番いい会場を抑えろ。食事会を開く」
「な…どうしたんで「返事をしろ。いいな?」
総理が貧乏ゆすりをしながらゆり子の返事を求めた。これは総理よからぬことを考えているときの癖だった。こうなったら大人しく言うことを聞いておかないと面倒くさくなることを、ゆり子は知っていた。
ゆり子はすぐにスマートフォンを取り出しホテルに電話をかけた。