1.加賀優地
20××年
現在のかつて1億と言われていた日本の人口は4000万人を切った。もう日本から人がいなくなることは時間の問題だろうと誰もが傍観していたところに一人の救世主が現れた。
彼の名は加賀優地。
この物語は、天才加賀優地の苦悩と葛藤の物語である。
「えぇ!ゆうぢ君ってもう5か国語もしゃべるの!?」
「そうなの。英語、スペイン語、フランス語、中国語、ドイツ語!特に教えたわけじゃないんだけどね、たまたまユーチューブに流れた外国人の言葉を聞いて覚えちゃったみたい。今は文字にも興味が湧いいててさ、漢字はもう小学生で習うのはほとんど読めるんじゃないかな」
母親が3歳の優地を見せびらかすように抱き上げた。
父は銀行員、母は事務員。築15年のマンションで3人暮らし。優地はそんな一般庶民の間から生まれたとは思えないほど、誰もが認める天才だった。
3歳で5か国語を話し、6歳の時には8桁の暗算ができるようになった。小学校に入るころには高校の勉強までは完璧に頭に入っていたので、代わりに古代文字や暗号の解読に勤しんだ。中学で発表した自由研究は日本中、いや世界中に衝撃を与えた。ノーベル賞がもらえると誰もが確信するほどの研究を2週間でつくりあげたのだ。高校に入るとすぐに「うちの学校に入学しないか」と、日本中の大学教授が優地の元に訪ねてきた。
さんざん悩んだ結果、優地は「病気の人たちをあなたの力で治してあげなさい」という親のすすめで、偏差値が一番高い国立大学の医学部を受験することにした。とはいっても小学校で終わらせた勉強内容を今更しても仕方がないので、同級生が必死に勉強している横で医学書を読み漁った。
大学入学時にはもう医学部で勉強することのほとんどが頭に入ていた。
「加賀君!」
大学の昼休み。優地が、横にまっすぐ切りそろえられた髪を無造作に掻きながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「君のレポート、ほんっっっとうに素晴らしかった。大学中が君のレポートの話題で持ち切りだよ」
小崎教授だった。教授は腹に抱えた脂肪を揺らし、ふぅふぅと荒い息を漏らしながら優地のもとへとやってきた。
「あ…ども」
その誉め言葉は耳が痛いほど言われ続けていたので、優地にとってはちっとも嬉しくなかった。教授は優し気に垂れ下がった目と、脂ぎった額をきらりと光らせ、優地を無視するようにつづけた。
「君はきっと立派な医者になるだろうね。楽しみだな。いろんな生徒を見てきたけど君ほどの天才は見たことがない。きっと君はこれからの未来、たくさんの人に救いの手を差し伸べることができる、いわゆる…救世主になるんだろうな」
小崎教授はがんばれよと優地の背中をたたくとスキップをしながら自分の研究室に戻っていった。
優地は頭をかかえた。正直なところ医者になれる自信がなかったのだ。彼はレポートの作成は睡眠時間を忘れるほど夢中になって取り組めるが、人と接することは大の苦手だった。
(医者って簡単に言うけどさ、患者や…わ、若い看護師さんとも上手くやんなきゃいけないわけだろ?こないだの研修だって、上手に受け答えできなくて医者や看護師さんに変な目で睨まれたし、糖尿病のじいさんに怒鳴られた…)
それでも時間は待ってくれない。ここを卒業したら医師免許を取ってすぐに研修医として病院で働かなければならない。いっそのこと国家試験に落ちれば…と思ったこともあったが、それは天才と言われて育った優地のプライドが絶対に許さなかった。
(ずっとずっと大学で勉強や研究だけ出来たらいいのに…)
優地はため息をつき、枯れ木の隙間から覗く夕日の光をぼんやりと眺めた。
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いよいよ卒業まで1カ月を切ったころ、小崎教授から呼び出しを受けた。夕方恐る恐る研究室をノックすると、「どうぞ」と声が聞こえた。中に入ると、教授のほかに、さわやかなイケメンが座っていた。
「渡辺…巧?」
イケメンは優地をみると白い歯をちらつかせ、さわやかに微笑んだ。
「え?加賀くんって俺のこと知ってるの?うわー…嬉しいな」
渡辺巧は6年連続で大学のミスターコンで大賞をとり、テレビや雑誌の取材も受けた経験があり、2年の時にイケメンという理由だけでSNSでバズり、違う学校の女の人が巧を一目見ようと殺到するほどの有名人だった。優地は正直なところ巧みたいなヘラヘラするだけで人が集まり、勝手に過大評価されるタイプの人種が大嫌いだった。
「…」
大人げないことはわかっていたが優地はふんっと鼻を鳴らし、巧みに見せつけるように顔をそむけた。
「なんか俺、嫌われてる?」
巧は優地の態度を見てへらへら笑った。俺に嫌われたところで他にも自分を愛してくれる人がいる。それを確信しているような笑顔だった。優地はますます巧が嫌いになった。
「さて、卒業前で忙しいだろうに来てもらってすまないね」
教授はコーヒーを一口すすった。
「実は二人を呼んだのはね、えー今度僕は食事会に行くんだけど、その主催者に君達のことを話したんだよ。そしたらぜひ連れてきてほしいと言われてね」
「食事会に?ちょっとちょっと先生~、何勝手に俺らのこと話してるんすか。プライベートの侵害っすよ」
陽気な巧とは裏腹に、優地は唇を尖らせ顔を少しゆがめた。巧のような顔だけの男と一緒にされたことが不服だったのだ。巧はそんな優地の姿には気づく様子もなく、教授に話の続きを促した。
「すまんすまん。渡辺君はもしかしたら会ったことがある人かもしれない。君のおじいさまの病院に通われているそうだよ」
巧は一族全員が医者だった。
「え…誰ですかそれ」
巧がソファの背もたれに体を預けてけらけら笑った。カップに手を伸ばしコーヒーを口に含む。
(それ絶対吹き出すなよ)
小崎教授が手を顎にあてて、うーんと唸った。
「それは当日言おうと思ったが…誰にも言わないと約束できるか」
教授の目がおよぎ、額からは尋常じゃないほどの冷や汗が噴出していた。教授は誰にもこの話を聞かれたくないと訴えるように、二人を手招きし思いっきり顔を近づけて続けた。
「青野総理だ。青野秀一郎総理大臣」
「えっ!」
思わず優地は巧にどうする?と目で合図を送った。巧はにっとわらうと
「行きます!」と元気に言い放った。
「優地は?行くだろ?」
優地は頭の中で青野総理と小崎教授と巧と…それからきらびやかな男女が高級ホテルの会場で優雅に食事や会話を楽しむ姿を思い浮かべてげんなりした。どうせ相手にされるのは巧のほうで自分は蚊帳の外だと思った。
「お断りします」
優地は逃げるように立ち上がりドアノブに手をかけた。
バンッッッ!!!
テーブルをたたいたのは小崎教授だった。教授は普段は垂れ下がっている目じりと口元を吊り上げ、全身を身震いさせていた。優地と巧はまた顔を見合わせた。いつも穏やかな教授の鬼のような顔を見るのは初めてだった。
「いいや、加賀君には絶対に来てもらう。これは総理が私にわざわざ頭を下げてお願いしに来たんだ。彼の思いを無下にすることは出来ない」
「あの…どうしてそんなに」
「優地がこの間だしたレポートがあっただろ?あれをみて総理が感銘を受けたそうなんだ」
ピクリ
優地がドアのぶから手を離した。。
「あれか!覚えてる覚えてる!ニュースでも少し取り上げられた奴だろ?同い年なのにすげぇって思ったからさ、すっごい印象に残ってるわ!」
ピクリ
優地が扉から一歩下がった。
優地の気持ちが嵐の海のように大きく揺れ動きだす。
「それに、総理は国民からはひどい言われようだが滅多に会える方じゃない。ただの学校教授や生徒を食事会に誘うなんてもってのほかだ。いい経験になると思うぞ」
とどめを刺すように教授が言った。
優地は顎を手に当て目を泳がせる。どうしたいかはもう決まっていた。
「わ…わかりました。行けばいいんでしょ」
優地は帰りにショッピングセンターでワックスと一番安かった黒のジャケットを購入した。
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食事会の二日前
小崎教授から連絡があった。
『優地くん、巧くん
実は本日の夕方熱が出ました。お医者様に食事会は、行かないほうがいいだろうと言われてしまいましたので、
欠席させていただきます。総理には、私のほうから、連絡を入れています。これ、詳細のURLです。
楽しんで。
小崎より』