第8話
遠くから聞こえる演奏に合わせてステップを踏む。彼女の動きに合わせるようにボクはリードすると、彼女は驚いたようにボクを見上げた。
「ジェット、ダンスが上手なのね」
「こう見えて長生きしているからね」
三十年そこそこと十四歳だからクリスティーナのお父さんよりは年上だ。しかし、人生一周目のボクは社交界なんて滅多に出てなかったから、人並みの腕前だった。人生二周目のダンス練習相手はもっぱら姉と小さな妹に付き合わされてるから、ちょっとは上手くなったかな?
「なんで人の姿になれることを早く言わなかったの? ダンスの練習相手になってもらってたのに」
「それは光栄な話だけど、ボクっていい男だからドキドキして練習にならないんじゃない?」
「貴方、意外に言うわね」
こう見えて、両親のいいとこ取りした容姿だからね。兄や姉もモテるし、顔は悪くないと思っているつもりだ。
「でも、今日の君には負けるよ……本当に、綺麗になったね」
その美しさは、彼女の努力の賜物であることは知っている。
初恋の相手の為に、研鑽を積んで誰よりも素敵な淑女になることを目指してきた。
その頑張る姿をボクはずっとそばで見て来た。好きな人の為に美しくなっていくクリスティーナを見るのが、ボクは好きだった。
いつも違う人を映している深紫の瞳には、ボクの姿だけが映っている。それがたった短い間でも。彼女を独占できるのはこの時だけだ。
「ありがとう。貴方も素敵な紳士よ」
彼女が照れくさそうに言い、ボクは小さく俯いた。
言わなくちゃいけない。ボクはそのためにここに来たんだ。
遠くから聞こえていた演奏が終え、ボク達は足を止める。彼女の瞳がどこか不安げにボクを映していた。
「ねぇ、クリスティーナは知ってる? 幽霊ってね、子どもの頃にしか見えないんだって……」
「……え?」
驚きのまま彼女はボクを見上げ、ボクはそっと微笑んだ。
「もう、さようならなんだ」
「………………っ!」
彼女が口元に手をやり、その手が小さく震えていた。その様子にボクは悲しんでいいのか、喜んでいいのか分からない。とても複雑な気分だ。
「十四歳は昔の成人。明日になったら、ボクの姿はもう見えなくなる」
この国の社交界デビューの年齢は、昔、十四歳が成人だったことから始まっている。それを理由に、ボクは彼女の前から姿を消すことを決意した。
悪魔ジェットは、もうお別れをしないといけない。それは誰の為でもない。ただボクの勝手な我儘だ。
彼女が震えた手でボクの服を掴んだ。
「う、嘘でしょ……ジェット……」
懇願するようにボクを見上げる瞳は、大きく揺れていた。
彼女を抱きしめたくなる衝動を抑えて、ボクは言う。
「クリスティーナ……ボクはね。君に出会えて本当に嬉しかったんだ」
人生二周目、退屈だったボクの人生に新たな彩を加えてくれた一人の少女。
何もかもが初めてだった。
「友達を作ったのも、君が初めてだった。一緒に笑ったり、はしゃぎながら遊んだりしたのも全部」
初めてみた彼女の心も、恋を覚えて変わってしまった心の色も、彼女は綺麗だった。誰よりも負けない輝きを放ち、決してボクの手に届かない場所にあった。
そして今、彼女は好きな人の婚約者候補となり、社交界デビューを経て人生の岐路に立たされている。
「悪魔なんて名乗っているのが馬鹿馬鹿しいくらい、ボクは幸せな時間をたくさんもらったんだ……」
きっと彼女は大好きな人の婚約者となって結婚するだろう。
それでもボクは、ずっと…………。
「どうか幸せに、クリスティーナ」
ボクがそう告げると、ぽつぽつと小さな雨が降り出した。
「ジェット……」
「何?」
震える唇で彼女は言った。
「私……ジェットが大好きよ」
「え…………」
ボクは思わず言葉を失った。
深紫色の瞳から零れ落ちる光を静かに見つめる。
「貴方が悪魔でも、見えなくなっても、私はずっと大好きよ」
絞り出すように告げられた言葉に、ボクは笑顔を必死に作った。
「ああ、ボクもだ。ありがとう、そしてさようなら、ボクの初めての友達……」
ボクの声をかき消すように終わりを告げる鐘が鳴る。
部屋の中に彼女を残し、ボクは自国へ戻った。
自室へ戻り、姿見を見ると涙を流す憐れな男が映っていた。
なんて情けない顔だ。
ボクはその姿見に手をついた。
「本当に、ボクは馬鹿だなぁ……」
その男の胸元には淡く光るものがあった。ずっと怖くて見ることが出来なかった男の心に、ボクは弱々しく毒づいた。
「人生二周目だっていうのに……笑っちゃうよ」
さようなら、クリスティーナ・セレスチアル。
ボクの初めての友達、ボクの大好きな人。
◇
きっと彼女は好きな人と結ばれる。
あの国はボクの国と違って、国内の政が荒れているわけでもないし、他国から多くの打診が来るわけでもない。何事もなければ、彼女が婚約者に選ばれる確率が遥かに高い。
あの第三王子だって、もう少し大人になればクリスティーナが素敵な女性だと気付くだろう。
もし、彼女が王族に嫁ぐことがあれば、ボクと顔を合わせる機会があるかもしれない。
彼女はボクの正体を知って、きっと驚くだろう。もしかしたら、怒られるかも。
それでもいいんだ。
ボクは幸せそうにしている彼女に向かってこう言うんだ。
『おめでとう』
たとえ、クリスティーナが彼と結ばれなくても、彼女の未来に陰りがないことには変わりはないだろう。
彼女が幸せになってくれれば。
彼女が笑っていてくれれば。
ボクはそれで良かったんだ。
それなのに、どうして?
どうして、こんなことになってしまったんだ!
第8話 夢の終わり