第6話
それからというもの、彼女はいつも以上に熱心にマナーの授業を受けていた。浮かべる笑顔も表情もさらに洗練されて、そこには誰もが称賛する小さな淑女が誕生した。
その小さな淑女の誕生のきっかけが彼女の初恋だと知っているのは、きっと本人とボクだけだろう。
彼女は自分の兄を通じてシヴァルラスと友人となり、彼の従兄弟とも交友するようになった。
今日もお茶会に呼ばれ、彼女が嬉しそうにしている姿を見ると、どこか寂しい気持ちに襲われる。
(ボクは彼女の友達……彼女の恋を応援しなくちゃ……)
ボクはシヴァルラスの方を見ると、彼の心は暗い色に沈んでいた。それは決して悪い色ではない。しかし、それは彼女に対して苦手意識を表すものだった。
(彼には優秀な兄達がいるからな……それがコンプレックスなのかも……)
もしかしたら、完璧な淑女を目指すクリスティーナに引き目を感じているのかもしれない。
兄弟というのは、常に比べられるものだ。それが王族ならなおさらのこと。優秀な兄達とクリスティーナを重ねているのかもしれない。
(こっそり教えてあげようかな)
しかし、好きな相手に苦手意識を持たれていることを知った時、彼女はどう思うだろう。
(なんだろう、胸が痛い)
この胸の痛みは良心から来るものなのか、はたまた別のものかは、ボクには分からなかった。
そんな思いを抱えたまま、時は流れて、彼女はもうすぐ十四歳になる。
その頃には、ボクは公務や自国の学校に通うようになり、彼女の下へ向かえなくなっていた。
(そろそろ、お別れの時期かな……)
約一か月ぶりにセレスチアル家に足を運ぶと、浮かない顔をした彼女がウサギの人形を握りしめていた。六年も共にした人形は彼女が何度も手入れをしてくれているが、たいぶ古びてきた。
「クリスティーナ!」
ボクがそう声を掛けると、浮かない顔だった彼女がぱっと明るくなる。
「ジェット! 最近話しかけてくれなくて寂しかったわ!」
「ごめんごめん。ボクも寂しかったよ」
久しぶりの再会に喜んでくれる彼女の様子にボクは少しだけ喜んでいると、彼女は声を弾ませて言った。
「ねぇ、聞いて! 私、貴方に言いたいことがあったの!」
一体なんだろう、そう思ったのも束の間だった。
「私、とうとうシヴァルラス様の婚約者候補になったのよ!」
ずきり、またボクの胸が痛んだ。
花が綻ぶような笑顔を向ける彼女に、ボクは声を明るくする。
「本当⁉ やったね、クリスティーナ!」
「ええ! まだ正式な婚約者ではないけれど、来週社交界デビューすればパートナーに選んでくれるかもしれないわ! ライバルも多いけど、私、頑張る!」
そう無邪気に言う彼女はもう幼い少女ではない。背もぐんと伸び、とても綺麗になった。社交界デビューをすれば、式典やパーティーに参加する場面が増えて、彼女の魅力に惹かれる男が多く現れるだろう。
しかし、彼女はきっと、第三王子の婚約者として選ばれる。
(でも、社交界デビューか……)
綺麗に着飾った彼女と踊れるなんて、どんなに幸せだろう。
「いいな……楽しそうだな」
「残念だけど、さすがに人形は連れていけないわよ?」
「……分かってるよ」
ボクは少し拗ねて見せると、彼女は苦笑する。
「貴方が人の姿になれるなら、一緒にダンスを踊れたのにね」
彼女はそう言うと、思い出したように「あ」と声を上げる。
「そうそう、ジェット! 来週はね、社交界デビューの次の日が私の誕生日なの!」
「そうなんだ。催し物がいっぱいだね」
「ええ、貴方も私の誕生日を祝ってくれるでしょ? 貴方も私の大事な友達だもの!」
再び、ボクの胸に痛みが走る。それでもボクは精一杯、明るい声を出した。
「ああ、もちろんさ。ボクも大事な友達だよ……クリスティーナ」
第6話 初めての戸惑い