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第20話

 ヴィンセント・レッドスピネル。それがこのちびの名前である。


 王弟(今は公爵)の息子、つまりシヴァルラスとは従兄弟にあたる。二年後にシヴァルラスから紹介される友達がヴィンセントだった。


 そして何より、コイツも友達がいないのである。その理由は見ての通り、公爵家の嫡男として舐められないためにでかい態度を取っていたせいである。おまけに思った事を素直に口にできず、悪く言ってしまう癖もあった。なんとも難儀な男だ。


「な、なんだこの人形!」

「あーん? 誰が人形じゃ。オレにはジェットっつー名前があるわ! テメェこそ、人に名乗らせておいて自分の名前は言わねぇってか? お前の名前は知ってて当然ってか? 自惚れんな、ばーか!」


 しかし、コイツも悪いばかりの男ではない。根は優しく世話焼きな所があるヴィンセントは、どの世界線でもクリスの良き友人となってくれた。素直になれない性格もからかいやすくてボクのお気に入りの玩具だったが、ボクは一つだけ許せないことがある。



 実はこの男、六年後にクリスを傷つけるあの女を好きになるのだ。



(忘れもしないぞ、三つ前の世界線!)


 ほとんどの世界線ではヴィンセントはあの女に振られて終わるのだが、あの女と両想いになった三つ前の世界線では、家の事情でクリスと喧嘩別れをするのだ。


(クリスを捨ててあんな田舎のジャガイモ娘を選ぶなんてどうかしてるよ!)


 おまけにクリスは唯一の友人を失くして、口さがない令嬢達から「王子の婚約者にもなれず、田舎娘に友人を取られた負け犬」なんて言われる始末。


(ヴィンセントなら、あの女よりクリスを取ってくれるって信じてたのに!)


 この世界線のクリスはシヴァルラスとも深い関わりがなく、彼からヴィンセントを紹介されることはない。つまり、ここでクリスと盛大に喧嘩をしてしまえば、ヴィンセントと友達にならず、未来で友人を失くして心を傷つける要因もなくなる。おまけにクリスと二人で過ごす時間が増える。


(よし、いいこと尽くめだ!)


 お気に入りの玩具を手放すのは悲しいが、それは仕方ない。

 三つ前の世界線の恨みを込めて、カーッ、ペッとボクは唾の代わりに綿を吐きつけてやった。


 ヴィンセントの拳がなわなわと震えている。いいぞ、そのまま怒ってクリスのことを嫌いになれ。


「セレスチアル家……そういえば人形使いの家系だったな……」

(よしよし、クリスが二号を操ってると思ってるな)


 思うようにことが運びそうでボクは「うけけけけ」と笑ってみせる。

 さっきクリスが強く抱きしめたせいで、首の糸が緩んでぐらぐらする。威嚇ついでに首でも振り回しておこう。


「んだよ? セレスチアル家にいちゃもん付けようってか? 家名も名乗れねぇようなちび助だ。小さいテメェの家なんざァ程度が知れるなァ!」

「だ、誰が小さいだ!」

「身体も器もちいせぇだろうが! このおチビさんよォ!」

「こ、このっ!」


 びしっと額に青筋が浮いているヴィンセントがとうとう拳を振り上げた。


(おう、殴れ殴れ! こっちは痛くもかゆくもないから!)


 ボクが内心で煽るが、なぜかヴィンセントはその拳を振り下ろさなかった。ぐっと口を歪ませ、その拳をゆっくりと下ろした。


(ん? なんだ?)


 首を揺らして挑発していたボクから、クリスに視線を移す。そして、恨みがましい目で睨みつけるとクリスを指さした。


「よく聞け! クリスティーナ・セレスチアル! オレはレッドスピネル公爵家の嫡男! ヴィンセント・レッドスピネルだ! お前がオレの家の名前を聞いて、怖がらないように言わなかっただけだからな!」


 顔を真っ赤にする彼の心情を理解できたボクは、呆れて内心で頭を抱える。


(さっき名前を言えなかったのは恥ずかしかったからじゃなくて、自分の家が公爵家だから相手が委縮しないようにだったの? …………バカなの?)


 クリスの方を見れば、相手が公爵家の子どもだと知って若干顔を青くしている。レッドスピネル家は有名だし、顔も青くなるか。


「ヴィンセント……レッドスピネル……」


 相変わらず淑女の顔を保っているが、声が固く緊張していることがヴィンセントにも分かったようだ。


「そうだ。やっとオレの凄さが分かったか!」


 満足げにしているヴィンセントにボクはイラっとして、持っていた棒状のクッキーを齧り、爆弾を放り投げてやった。



「はーん? 別にお前が威張ることじゃなくね?」



 ボクの一言に、ヴィンセントとクリスの動きが完全に固まり、周囲も水を打ったように静まり返る。

 ボクがクッキーを齧る音だけが周囲に木霊した。


「…………は?」


 ゼンマイが切れかかった人形のように、ヴィンセントがこちらに顔を向けた。その顔は完全に引きつっていたが、ボクはおかまいなしに言ってやる。


「偉いのはお前じゃなくて、お前の親父だろうが。親の権力で威張ってねぇでテメェが偉くなってから出直してこい、ちび!」


 ペチッと吐き付けた綿が、再びヴィンセントに当たる。



「…………」



 うつむいたまま固まったヴィンセントを放っておいて、ボクは再びクッキーを齧る。

 重い沈黙が流れる中、その沈黙を破ったのはクリスだった。


「ヴィ……ヴィンセント様……っ⁉」


 恐る恐ると言った風に声を掛けた時、ヴィンセントが顔を真っ赤にして顔を上げる。

 怒っているのか、それとも悔しいのか。彼の心の色を確認するつもりは毛頭ないが、彼の目には薄っすらと涙を浮かべている。


「クリスティーナ・セレスチアル……」

「は、はい…………」


 彼は大きく息を吸い込んだ。



「宣戦布告だ! いつか、ぜッッッッッたいにお前をぎゃふんと言わせてるからなッ!」

(よっしゃ、来たァ!)



 ヴィンセントの宣戦布告に周りがざわめく中、ボクは内心でガッツポーズを決めた。


「おうやってみろや、この……むぐっ!」

(どうしてくれるのよっ! この悪魔――――っ!)


 火に油をがっつり注いでやろうと思ったところで、クリスに口を塞がれた。いいところだったのに。

 ボクは二号の身体から出る。


「いや~、面白いことになったね!」

(面白くないわよ!)


 まあ、穏便に済ませたいところをボクが状況を悪化させたので、淑女がお怒りになるのも無理はない。ボクは彼女の後ろから近づいてくる人物に気付き、さっとその場から離れた。


「何をしているんだい、ヴィンセント?」


 クリスは後ろから声を掛けられ、目を見開いた。

 騒ぎに駆けつけてきたのは、シヴァルラスだった。


「うわっ! シヴァ兄!」

(推し~~~~~~っ!)


 彼女の喜びと驚きが入り混じった意味不明な心の声が耳元に届く。

 さっきから、その推しってなんなの……?

 やってきたシヴァルラスは呆れながらクリスとヴィンセントを交互に見やる。


「お前の声が遠くまで聞こえたよ? また御令嬢に失礼な物言いをしたのかい?」

「ち、違いますよ! どちらかって言うと、コイツが……!」


 だいたいボクのせいだが、ヴィンセントは恨みがましい目をクリスに向ける。クリスも不本意ながらも否定出来ず、静かに俯いていた。


「それでも、女性に怒鳴るのはいけない事だよ?」

「う…………はい」


 しかし、シヴァルラスは紳士としてヴィンセントを窘めると、彼はまるで子犬のようにしょんぼりとしてしまった。


「セレスチアル侯爵令嬢、従兄弟が失礼をしました」


 シヴァルラスが頭を下げるけど、王族が簡単に頭を下げてはいけないよ。クリスは頭を下げさせてしまったことに、顔を青くして首を横に振った。


「あ……その、私が先にヴィンセント様に向かって失礼な事を言ってしまったのです。そ、それに人形を使って心無い事も言ってしまいました……そ、そのヴィンセント様……数々の非礼お詫びいたします」


 クリスが深々と頭を下げ、その年齢にそぐわない謝罪を見せた。

 ヴィンセントはクリスの謝罪に驚きながらも受け入れたようだ。普通そんなあっさりと謝罪を受け取れるだろうか。


 ボクはそっとヴィンセントの心の色を覗き見る。


(なんで?)


 彼の心に浮かぶその色は──友愛、同情、そして期待だった。


 なぜ、ここまで盛大に喧嘩を吹っ掛けられた相手にそんな色を浮かべるのだ。まったくわけが分からない。心の色は分かっても、この目は内心まで正確に読むことができないのが難点だ。


(もしかしてヴィンセント……クリスと友達になりたいとか? それはまずいな……ん?)


 後ろからジュースが乗ったトレイを持った給仕がやってくる。それを見て、ボクは口元を持ち上げた。


(おお、なんていいところに来てくれたんだ、可哀そうな給仕くん!)


 ボクはシヴァルラスの背後から顔を出し、クリスに手を振る。彼女がボクに気付いて、内心でとても怒っているのがその目からわかる。そんな彼女が可愛くて笑いを押し殺すと、後ろからやってきた可哀そうな給仕に目を向けた。


(ごめんね、クリス。君はここで退場だよ)


 自然と唇が持ち上がり、可哀そうな給仕に容赦なく足を引っ掛けてやった。


「うわっ!」


 給仕の声と共に彼女の頭上でグラスが大きく傾いた。


(よし、上手くいった……ん?)

「え……?」



 ヴィンセントが庇うようにクリスの前に出た。



 ぱしゃりとジュースがヴィンセントに降りかかる。

 しかし──、


(ヴィンセント、クリスを守ろうとしたことは評価しよう……でもね……)


 クリスよりも背が低い彼が庇いきれるわけもなく、クリス諸共ジュースを被ってしまっていた。

 目をぱちくりさせながら、顔を見合わせるクリスとヴィンセント。その間抜けな光景に、ボクは肩を震わせた。


「ふふっ……あははっ!」


 自然にボクの口から笑い声が漏れ出る。



 ──ああ、本当にもったいない。なんで君はあんな女を選んだんだ。



 クリスはこの不器用でバカみたいに優しい友人が好きで、ボクも大好きだった。



第20話 不器用で優しい──大嫌いな友達

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