第12話
「うーむ、これは困ったぞ……」
クリスが高熱を出した翌日、ボクは城の中庭で読書のふりをしていた。
(クリスの様子が、明らかにおかしい)
昨晩、彼女はボクに三つだけ質問をした後、すぐにボクを帰らせた。まだ体がだるいからと建前では言っていたが、何か悟ったような顔をしていた。
(顔に出してないつもりだったみたいだけど、ボクにはお見通しだよ)
一体、どれだけ幼少期の彼女と過ごしてきたと思っているんだ。
ボクは彼女の様子が気になって、魔法で彼女の部屋を覗き見た。案の定、彼女はじっと鏡を見つめたり、一心不乱に紙に何かを書き散らしたりしていた。
(あとで調べる必要があるな……今度の夢の内容も気になるし)
「にーちゃっ!」
舌足らずな言葉で呼ばれ、ボクは顔を上げた。
小さな女の子がこちらに向かってきていた。ようやく生えそろってきた癖のある金髪を揺らしながら上手に小走りをして、ボクに抱き着く。
「にーちゃっ」
「ルビー、走るのが上手になったね」
ボクより六つ下の妹、ルビーの頭を撫でてやると、天使のような柔らかな笑みを浮かべた。ボクが顔を上げるとルビーの散歩に来ていた侍女たちと目が合い、一瞬だけ顔をこわばらせた。
(まあ、しょうがないか)
ボクの赤い目は、この国では不吉の象徴だ。できれば、近づきたくないだろう。
「おはよう。今日はいいお散歩日和だね」
ボクは当たり障りのない挨拶をすると、彼女たちはハッとして頭を下げた。
「おはようございます。ジェ、ジェット殿下も、ご機嫌麗しく……」
完全に委縮している。別にとって食いはしないのに。
まだ二歳のルビーはボクと侍女たちの顔を交互に見ながら、ボクの袖をぎゅっとつかんだ。
「にーちゃ?」
まだ何も分からないルビーは綺麗な碧い瞳でボクを見上げる。人生一周目の最期の姿と重ねてしまい、ボクはそっと彼女の頭を撫でた。
「ルビー。君はいっぱい遊んで、いっぱい笑って、素敵な女の子になるんだよ。分かったひとー?」
「あーいっ」
ボクの言葉の意味も分からずルビーは手を上げる。それが微笑ましくなったボクは「いい返事だねー」と褒めてあげ、ルビーは侍女たちに任せて中庭を後にした。
人生一周目の世界を知る人は誰もいない。そして、またあの悲劇は二度と繰り返させない。そう決めた人生二周目のボクは、確かにその未来を阻止した。
(そうだ。一度は成功したんだ。だから、彼女の未来だって……)
「ジェット殿下ぁ~!」
中庭から温室へ移動しようと思っていたボクは、後ろから聞こえる情けない声と慌ただしい足音に、そっとため息をついた。振り返ると、半泣きになりながらボクを追いかける少年の姿があった。
「なんだ、今日は来てたのか、ウォルター」
「ひ、ひどいっ! 今朝、お会いしたばかりじゃないですかーっ!」
琥珀色の瞳が涙で揺らぐ。その瞳はダークブルーの髪色に相まって、夜空に浮かぶ月のようだった。
彼はウォルター・モルガナイト。ボクより二つ年下で、子爵家の三男坊だ。ボクの友達としてあてがわれた子で、何度人生をやり直してもボクの部下として傍に居続けた。
人生一周目の彼は上辺では平気な顔をしていたけど、心の奥底ではボクにひどく怯えていた。強い魔力や人の心を暴くような目を持っていれば、そりゃそうだろう。人生二周目からは人の心が見えることは隠し通しているけど、やっぱりボクのことが怖いらしい。
いつもボクの姿を見るたびに、泣き。
いつもボクの声を聞くたびに、泣き。
いつもボクと食事をするたびに、泣く。
しまいには「殿下はいつもいつもなんで逃げるんですか!」と逆切れをする。
そして、今日も──
「なんで殿下はいつも逃げるんですかーっ!」
(ボクを怖がる相手と一緒にいて、気分がいいわけがないだろ、ウォルター)
これはボクの優しさだ。それに、彼は将来かなり有能な男に成長する。できれば、国王となる兄の力になって欲しかった。
どの未来でも兄が王太子になるのだが、ボクの魔力が強く、魔法学院に入学する前まで兄達に引けを取らず優秀だったせいで、派閥が生まれてしまうのだ。最初から落ちこぼれを演じたかったけど、この不吉の象徴である目を持つボクを理由に王家を陥れようとする輩がいたからね。ある程度の優秀さが必要だったのだ。
そしてボクは、魔法学院ではわざと落第ギリギリの成績を保ち、辺境の地の領主になることで「王位継承にはまったく興味がない」という意思を示すことにしたのだ。
もちろん、ウォルターはボクの部下として一緒についてくることになる。せっかく王子の部下になったのに、主が辺境地の領主になるなんて可哀そうだ。
「ねぇ、ウォルター? 別に父親の命令だからって、ボクについて回らなくていいんだよ?」
「命令じゃないです! ぼくが殿下と一緒にいたいんです!」
(なぜ……?)
ボクはそっと彼の心の色を覗き見た。
(うん、やっぱり怖いって色をしてるな……)
ボクの目は心の色だけが見える。決して心が読めるわけでなく、色から感情を予測していた。彼の心の色は『恐怖』の色が滲んでいる。やはり、ボクに嫌々ついてきているのだろう。
「……分かった。まずはその目と鼻から垂れ流しているものを引っ込めてくれる? 十秒で」
「ひぇっ、そんな!」
「ほら、いーち……」
「で、でん……」
「にぃー……」
「殿下ぁ~~~~っ」
ボクがたっぷり間を持たせて数え終わるうちに、ウォルターはどうにか涙と鼻水を引っ込めた。そして、ボクの服の裾を掴んだまま、ボクの後をついて来るのだった。
第11話 手に入れた平穏




