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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

緑川律樹シリーズ

首絞め人形と僕

作者: 深山瀬怜

 離島と言っても、一日に船が三往復している。島の北と南にあるスーパーとコンビニの間のような商店が生活の基盤になっていて、学校もある。生活するにはあまり不便を感じないだろう。私が乗った船にも、おそらく島の子どもたちと思われる五人組がいた。聞くとはなしに聞いた話によると、彼らは五人だけで遊園地に行った帰りらしい。


(イメージとは違うけれど、最近はどこもこんなものか)


 閉鎖的で、因習にまみれた小さな村なんて、この令和の時代にはほとんど残っていない。今あるのは、かつてそこにあった伝統などの残り滓だけ。けれど気を引き締めなければならないのは確かだ。

 船は島の北側の海岸に到着し、私達は桟橋を渡って島に降り立つ。話ではここまで迎えに来てくれるということだったが、迎えの人はどこにいるのだろうか。見回していると、白いワイシャツにターコイズブルーのカーディガンを羽織った黒髪の男性が私を見つけて駆け寄ってきた。


緑川(みどりかわ)さん、ですか?」

「はい。私が緑川です」


 男は私を見て意外そうな顔をした。私の姿を上から下まで不思議そうに眺めている。別におかしな格好をしているつもりはない。背中までの茶色の髪は一つにまとめ、長袖のシンプルなシャツに動きやすい黒のズボン。それとも私の顔に何かついているのだろうか、と思ったところで、私は両手を打った。違う。彼は勘違いをしていたのだ。


「今まで電話でやりとりをしていたのは、私の助手です」

「……あ、ああ! そういうことですか! てっきり男性が来るものとばかり!」

「電話に出るのが女性だと色々面倒なことがあったので助手に任せていたんですが、こういう欠点もあるのですね」

「いえいえ、こちらこそ失礼しました。改めて、僕は上原(うえはら)悠一(ゆういち)と申します」

緑川(みどりかわ)律樹(りつき)です」


 名前も男女どちらでも通りそうなものだから、余計に上原の勘違いを誘ってしまったのだろう。上原は周囲を見回して、人がいなくなっているのを確認してから言った。


「それでは、緑川さん。早速ですが」

「はい。例の倉庫のところまで案内をお願いします」



 上原が運転する軽トラックに乗って、目的地を目指す。その間に上原は私を呼び出した理由を説明し始めた。大体のことは電話を受けた助手に聞いている。けれど改めて本人から直接聞くのも大切なことだ。どこに情報が転がっているのかわからないのだから。


「この島では昔から続く祭がありまして。外の人たちは鳥祭と呼んでいると聞きますが、僕たちは単に『祭』と呼んでいます」


 それ自体は珍しくもない。ここに祭が一つしかないのなら、単に祭といえばその祭を指すことはよくある。問題はその鳥祭に使う二体の人形だ。


「祭では鬼の人形と神様の人形を使います。最初は鬼の人形が舞います。炎を使った鬼の演舞は夜通し続けられて、夜があけるころに神様の人形が現れて、炎を鎮める水の演舞をします。それで日が昇りきると祭は終わりです」

「鬼が人々を苦しめているところに神がやってきて、鬼を倒して人々を救う、という筋書きですか?」

「そうです。その神様の人形が鳥に似ているので、鳥祭と」

「その鳥のような神様がこの島で祀られているわけですね」

「そうなります。といっても、そこまで強い信仰はもうないですね」


 令和にもなって、土着の強い信仰が残っているところのほうが珍しい。しかし神頼みをするときにイメージするのがその鳥の神ならば、それは立派な信仰だと言える。祭がしっかり残っているところから見ても、本土の人間の弱い信仰とは比べ物にならないだろう。


「祭はこの数年ずっと中止されてきました」

「それは、コロナの影響で?」


 今の世の中の、一番現実的な祭の中止の理由だ。実際事前に調べたところでは「新型コロナウイルスの感染状況を鑑み中止」となっていた。しかし上原は首を横に振る。


「それは表向きの理由です。そうしておけば詮索はされないだろうと、村長が判断したんです」

「まあ確かにコロナの影響で、と言われたらそれ以上は調べませんね」

「でも本当は……事件が起こったんです。祭が中止になる前、三年前の祭の夜のことでした」


 私は事前に調べた資料を頭の中で確認する。三年前に祭がらみの事件が起きていたのなら、当然私は把握しているはずだ。けれど心当たりはなかった。


「鬼の人形を操っていた海老名という男が、急に踊りながら島の人たちに危害を加え始めたんです。松明で燃やそうとしたり、首を絞めたり」

「そのような事件は、記録には残っていませんね」

「幸い、全員軽い怪我で済んだので……隠すことにしたんです」


 あまり感心はできないが、死人が出なかったのならと片付けられることは確かにあるだろう。


「その海老名さんはその後どうなったんですか?」

「彼はどうも祭の前から様子が変だったというのもあって、本土の病院に入院していたのですが、その二ヶ月後に自ら命を……。海老名さんが起こした事件は、海老名さん自体の心の病によるものだ、とそのときは片付けられたんです」


 呪いだなんだと言うよりは、その方がよほど納得ができる説明だろう。けれどそれで終わっていたのなら、上原が私を呼んだ理由がない。話には続きがあるのだ。


「しかしそれから暫くして次の祭の準備を始めたときから、奇妙な事件が起こるようになったんです」

「奇妙な事件、ですか」

「鬼の人形がひとりでに動いて、人に危害を加えるようになったんです。髪が伸びて人の首を絞めたり、祭のために用意していた小屋が燃えたり。幸い死者は出なかったのですが、みんな怯えてしまって。中にはその前の祭で事件が起きたせいで、神様の舞ができなかったから、鬼がずっとここにいるんだという人もいたり、海老名さんが鬼の人形に取り憑いたという人もいたり」

「前者の場合は、その年に神様の舞をやったら解決したのでは?」

「できなかったんですよ。祭そのものが中止になって」


 変な話だ。それこそ死人が出なかったという理由で事件をうやむやにする人たちなら、そのまま祭を強行しそうなものだが。上原は暗い声で私の疑問に答えた。


「一人だけ、死人が出たんです。ただ、誰もその様子を見ていないから鬼の人形が関係しているかはわからないんですが」

「……その時期には女性が一人、亡くなっていますね」

「よく知っていますね」

「記憶力がいいんです。助手に集めてもらった資料はだいたい覚えています。何が関係するのかわからないので、持っている情報は多いほうがいいんですよ」


 宮本(みやもと)珠里(じゅり)という名前の女性だった。しかし彼女は病死で、死因におかしなところはなかったという。元々心臓が弱い人だったらしく、警察も念の為にしっかり検死をしたけれど特におかしいところはなかったという。


「それは祭の二ヶ月ほど前で、宮本さんが亡くなって、鬼の人形をしまってからは鬼の人形が動いたとかそういう話はぱったりとなくなったんです」

「それで祭を中止に……。しかし、そのときはどうして鬼の人形をしまったんですか?」

「宮本さんのお父さんがその年の鬼役だったんです。それで、人形は普段は宮本さんの家に置いてあった。けれど喪中の家は人形の操り手にはなれないので、返却されたんです」


 それで、一旦リセットするためにしまわれたということか。そして新しい操り手の選出が大変だったというのもあるのだろう。事件が起きなくなったこと、そして世間的には新型コロナウイルスが猛威をふるい、祭を中止にする言い訳には事欠かなかったこともあり、中止にしてしまったということだろう。


「それから二年は、本当にコロナが流行していたというのもあって、祭はそのまま中止とされてきたんです。しかし、今年はやはり祭をやろうということになって、先月から練習が始まったのですが――」

「再び、人形が動き始めた?」

「そうです。ですから、緑川さんには人形が動く原因を突き止めて、解決してほしいんです」


 上原が一瞬私を見る。その瞳に赤黒い何かが見えた気がして、私は軽く目をこすった。



 私は怪異の専門家ではない。本業はただのオカルト雑誌のライターだ。しかもその記事も自分では全く信じていないものをまことしやかに書いていたりする。未確認飛行物体自体は存在するかもしれないが、宇宙人がいるとは思えない。幽霊も信じてはいない。けれど、取材を続けているうちに、一部は説明できる怪異が存在することに気がついた。


 それは人間の思いが作り出すものだ。それは死んだ人間の怨念などではない。生きている人間が、恨まれているかもしれないと恐れることで、その思いが奇妙な現象を起こすことがある。私はそれに気がついてから、取材がてら様々な怪異の正体を見破ってきた。そうしているうちにいつの間にか霊媒師のような扱いを受けるようになってしまった。私自身には何も霊的な力はないので、結構迷惑な話なのだが。


 上原も私の噂を聞きつけて依頼してきたのだろう。そして私は最近記事のネタがなかったのもあって依頼を受けた。しかしこの事件が私が看破できる類のものかはまだわからない。


「明日の夜に、実際に火を使った練習があります。それまでは鬼の人形はしまっておくことにしたんです」

「これがその鬼の人形ですね」


 人間がすっぽりと入ってしまいそうな大きさの木箱にしまわれていたのは、鬼の面を着けた女をかたどった人形だ。長く黒い髪の毛は絹糸で作られているらしい。人毛を使っているという人形の怪談はよく聞くが、これはその類ではないようだ。人形の着物は白いが、光が当たる角度によって、着物の美しい模様が浮かび上がる。着物の柄には特に呪術的な意匠はないようだ。しかしとても繊細な仕事だ。おそらくこの人形とその着物だけでもかなり文化財的な価値があるものだろう。


「何か感じますか?」


 私は霊能者ではないので、そんなことを尋ねられても困る。しかし依頼を受けた以上は、きっちりと調べなければならない。私は改めて人形を見た。けれど特に変わったところは見受けられない。


「人形が動くのは夜、でしたよね?」

「そうですね」

「では夜中にまたここに来ましょう。実際に動いているところが見られれば何かわかるかもしれませんから」



 夜、私は鬼の人形が置かれている倉庫で寝ることにした。人形が本当に動くかどうか、この目で確かめてみる以外に方法はない。けれど他の人に被害が出るのも問題だ。人形は箱の外に出ることはないと聞いていたので、私が箱に近付くしかない。


「こんなところで寝ていただくのは申し訳ないんですが」


 上原が言ったが、正直粗末な場所で寝るのは慣れていた。これまで、オカルト雑誌のライターとして、何がいるかもわからない森の中で一晩過ごしたこともある。それにこれが私の睨んだ通りの事件ならば、ここで眠るのは今日一日だけで終わるだろう。


 一人になっているうちに準備を進めなければならない。私が用意するのは御札などではない。ただ一回、薬を飲まないでいるだけだ。最後に飲んだのは昼食後、この島に渡る船に乗る前だったから、そろそろ効き目も切れてくるはずだ。


 確認のために倉庫の外に出て、電話を掛ける。相手は東京にいる私の助手の一倉(いちくら)(けい)だ。


『――あ、緑川さん。そっちはどうですか?』

「まあ普通の離島だね、今のところ。今から本格的に調査を始めるよ」

『ってことは今は薬抜いてる感じっすか?』

「うん」


 手に持っている携帯電話を耳から離して、画面を見つめた。目を凝らすと、ぼんやりと靄のように漂う水色の傘が黒っぽい画面に重なる。これだけ見えれば十分だろう。


「心配してくれてるの?」

『まあ一応……一回くらいならいいですけど、三回連続で薬抜くと大変なことになるって自分で言ってたじゃないですか』

「大丈夫。朝と昼はちゃんと飲むよ。夜しか動かないらしいし」


 朝は必ず薬を飲むようにと念押ししてくる景を適当にいなして、私は電話を切った。これで準備は完了だ。この目は人の強い思いを色のついた靄として見ることができる。けれど普通に生活するのにその靄は邪魔だ。人が多いスクランブル交差点だと、その靄のせいで信号の色がわからなくなることすらある。だから普段は薬を飲んで、この力が使えないようにしているのだ。


 けれど一度、都市伝説を取材しているときにたまたま薬を飲み忘れた。すると、遭遇したその怪異に沢山の靄が集まっているのが見えたのだ。その後、取材を通した実験によって、私の目が色付きの靄を見ることができるのは生者のものだけだということがわかった。彷徨う浮遊霊を見てもどんな色も見えない。けれど人々の間で噂になり恐れられている怪異にはそれが見える。要するに、生きている人間の思いが怪異を太らせていたのだ。実際、人の関心がその怪異から別のものに移ったあとは、靄は徐々に薄くなり、最終的には怪異はそこにいても何もできないほどに小さいものになってしまった。


 私は霊能者ではない。だから怪異そのものをどうにかすることはできない。けれど生きている人間の思いによって肥えたものに対処することはできる。だから見極めなければならない。この事件がどちらに分類されるものなのかを。死んだ人間の思いか、生きている人間の思いか、この目があれば判断できる。


「さて、それじゃあ……とりあえず寝よう」


 起きて待っているのも疲れるだけだ。寝て、油断している方が死者にも生者にも都合がいいだろう。私は枕元に取材道具が入ったカバンを置いてから、床に敷いた布団に潜り込み、目を閉じた。



 箱がガタガタと震える音で私は目を覚ました。鬼の人形は箱からは出られない。でも箱から出ようともがいているように見えた。私はまず箱の外からそれを眺める。靄の色は黒。そもそも長年祭に使われた人形であるし、これまで起きた事件のこともあって、当然島の人たちの恐れの感情が集まっているだろう。けれど混ざり合って黒になった靄も、ひとつひとつ紐解いて見なければ真実はわからない。私は一気に木の箱を開けた。すると、中から転がり落ちるように鬼の人形が出てくる。

 人形は踊るように動く。髪の毛を模した黒い絹糸が揺れる度に伸びて、私の首に巻き付いた。


「ぐ……っ!」


 絹で首を絞められて死んだのは、楊貴妃だったっけ。そんな呑気なことを考えられたのは一瞬だった。苦しくて思わず閉じた目を必死で開く。目を開けていなければ何も見えない。人形がまとう黒い靄を集中して見つめる。黒の中に混ざる色。恐れや不安ではない何か。


(赤……!)


 乾いた血のような黒っぽい赤。私は笑みを浮かべた。これは恐れや不安などではない。もっとおぞましい感情だ。その色にさらに意識を集中させる。靄は徐々に蛇の形になっていった。


 このあたりが限界か。私は取材道具の入ったカバンに手を伸ばし、中に入っていた筆箱からハサミを取り出した。怪異だろうがなんだろうが、絹糸でできているものはハサミで切れる。私はその黒い糸にハサミを入れた。


「っ……はぁ……助かった」


 この話を景にしたら、また心配をかけそうだ。けれどおかげでこれが私向きの事件であることはわかった。人形は急に糸を切られたことでバランスを崩して倒れる。なおも動こうとするそれに、私は木箱を倒して押さえつけた。乱暴だが仕方がない。


「赤黒い、蛇か……」


 私は振り向き、倉庫の扉を見つめた。わずかにあいた隙間から、人形がまとっていたものと同じ赤黒い蛇の形をした靄が見える。私は倉庫の扉を勢いよく開け放った。



「――依頼者が犯人って、推理小説だと手垢がつくほど使われていると思うんですよね」



 これは推理小説ではないけれど。

 赤黒い蛇の靄を纏ったその人――上原悠一が、露出した自らの性器を扱きながら私と人形を見つめていた。



 生者の思いが怪異を太らせることもあれば、生者の思いが怪異そのものとなってしまう例もある。今回は後者だった。元々この鬼の人形はただの人形だった。けれど上原の思いにより動き出し、そこに島の人たちの恐れや不安の感情が集まって、成長してしまったのだ。


「海老名さんが、鬼の人形を操りながら島の人を殺そうとしているのを見て……僕は言いようのない興奮を覚えました。それまで、僕は何を見ても性的に興奮するということはありませんでした。自分はそういう人間なんだろうと思っていたんですが、違っていたんです。あれ以来、僕は毎日そのことを思い出しながら自分を慰めました。そして――もう一度同じことが起きたらいいのにと思っていたんです」


 その思いが人形を動かした。そして不幸なことに、動いた人形を見て死んでしまった人がいた。心臓が弱かったという宮本珠里は、ひとりでに動いた人形を見て、そのショックで発作を起こしてしまったのだ。目撃したのが他の人間であれば、おそらくそこで死者が出ることはなかっただろう。


「死んでしまった宮本さんを見てから、自分の欲望が膨れ上がるのを止められませんでした。この鬼の人形が人を殺すところばかりを夢に見るようになったんです。毎晩、毎晩――あなたにわかりますか、この苦痛が? 欲望には底がないんです。夢では足りなくなってしまう」

「……わかりますよ。だから、依頼をしたんでしょう?」


 上原は、自分の欲望が人形を動かしていたことには気付いていなかった。けれど人形がこのまま自分の願望を叶えてしまうことが恐ろしくもあった。だから解決する手段を探して私に行き着いたのだろう。


「海老名さんが取り憑いているんだと思っていたんだけどなぁ……違ったんですね」

「その海老名さんの感情は残念ながら感じ取れませんでした。死者の感情は私には見えないので」


 上原が自分が怪異を生み出したと自覚すれば、この騒動は終わるだろう。これまでの経験上、生者が自分の感情で生み出したものは、それを自覚した途端に力を失ってしまう。意図的に動かせるような人はごく少数だ。けれどこれで解決したと放り出すわけにもいかない。


「私は人間の精神の専門家ではないので、はっきりしたことは言えませんが、一度受診することをおすすめします」

「怪異だと思ったのに、オチが病院ですか。全く……現実的すぎますね」


 上原は笑う。再び赤黒い蛇が鎌首をもたげたので、私は身構えた。


「それで僕の苦痛は消えるかもしれない。でも、僕の、僕だけの悦びも消えてしまうんですよ。ああ……先程のあなたの姿は素晴らしかった。人形の髪で首を絞められて苦しみ藻掻く姿。あのまま死んでくれたらどれだけよかったか! いや、あなた一人では足りませんね。この島の全員が苦しんで死んでいけばいいんです! 想像するだけでほら、もうこんなに……! 僕は嬉しいんですよ! この悦びがなくなって、普通の人のように愛する人とのセックスだけに興奮するようになるなんて、それは僕が僕でなくなるのと同じことですよ!」


 欲望には底はない。上原の言うことも少しだけ理解はできる。普通から外れてしまった苦痛は、彼だけの歓びでもあるのだ。けれどこのまま放置すれば、彼の思いが更に被害を広げてしまうだろう。


「あまりこういうことはやりたくないんだけど」


 上原が再び己のものを両手で扱き始める。同時に鬼の人形が箱を押しのけて動き始めた。私は溜息をついた。


「この島の神は、『まれびと』に分類されるものですね。島の外から飛来したと信じられているから鳥の姿をしているのでしょう」


 島を荒らす鬼を鎮める、島の外からやってきた存在。今の私はそれに当てはまる。私は鬼の人形の隣にあったもう一つの木箱をあける。中にあるのは鳥の姿をした神の人形。



「この島に降り立った神は、夜明けとともに鬼を封じた。――そろそろ、祭は終わりです」



 人の心が作り出す怪異は、定められた手順を踏めば消えることがある。コックリさんにはお帰りいただき、口裂け女にはポマードと言う。祭は鳥の神の降臨で幕を閉じると決まっているなら、それを再現するのは一定の効果があるだろう。

 巨大な人形を二人羽織のような形で動かす。舞う私の姿を、上原が手を止めて呆然と見つめていた。



「……だから何でいつも無茶するんですか、緑川さん」


 東京に戻ってきた私は、助手の景に怒られていた。事の顛末を報告したらこうなることは予想ができていた。おそらく今の景は水色の傘の形をした靄をまとっているだろう。でも薬を飲んでいるから、かなり意識しなければそれは見えない。


「ちゃんと祭の映像見て、振り付けを全部覚えて行ったことを褒めてほしいんだけどなぁ」

「それでどうにもならなかったらどうするつもりだったんですか」

「そうなったら、最後は暴力だよね」

「だから言ってるじゃないですか、一人で行くんじゃなくて二人で行こうって」


 景の気持ちはわかっている。彼は私を心から心配してくれているのだ。だが、これとそれとは別の問題である。


「だからさぁ、景がいると景のせいで見えなくなるって言ってるじゃん」


 その傘に視界を遮られてしまうと、私は何も見ることが出来なくなる。怪異を生み出したり、太らせたりする人の思いが見えなくなってしまうと私ができることはなくなってしまう。だから私は景を連れてはいけないのだ。


「どうにか……心を無にするようにしますから! 最近寺に行って座禅したりしてるんですよ」

「いや、無理だと思うよ……」


 今はまだ、私を心配しているだけのその傘。でも強すぎる思いは怪異を生み出すことがある。座禅に少しでも効果があるといいなと思いながら、パソコンを開いた。東京に帰ってきたからには、ちゃんと記事にしなければならない。少しばかりの嘘を混ぜて、私は記事を組み立てる。



 島の怪異は、一度祭が途中で終わったから発生したものだった。神の人形が動き出し、伝説の再現が行われることにより島の怪異は封じられた。そんな筋書きの話だ。

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