96エピローグ 続いていく軌跡
――かつて魔王という存在が世界にいた。
彼は精霊の愛し子と呼ばれる存在だった。
世界に愛され、世界を愛する精霊。星を守るドラゴン。彼らは、けれど人類が生み出した濃密な瘴気に堕ちた。
自然をつかさどる精霊は消えた。星を守るための力は失われた。
人間を恨みながら瘴気にのまれた精霊は、世界にとっての毒である人間を殺すためにその存在を人類の敵――魔物へと変えた。
ドラゴンもまた、星を破壊する怪物に、あるいは人類を殺す怪物になり果てた。
自然をつかさどる精霊を失い、世界の守護者であるドラゴンを失い、世界はどうしようもない滅びに向かって歩き出した――はずだった。
かつて、そんな世界でもがく者たちがいた。
精霊に愛された非力な人間は、瘴気に抵抗する道を行った。最後のドラゴンに愛された彼女は、瘴気によって侵される世界を愛し、変わりゆく世界の中でもがく方法を模索した。
世界最後の守護者、精霊の愛し子であったドラゴンは、大切な少女を守るために瘴気にあらがう道を行った。瘴気に汚染された魔物を――同胞であるドラゴンを、精霊を殺すことで、人類の延命のために死力を尽くした。それでも変わらぬ未来に嘆き、少女を失い、けれど彼女の血族を守るための守護者として瘴気に耐え続けた。
死してなお精霊に愛されていた非凡な人間、魔王と呼ばれていた存在は、瘴気から民を守ろうとした。
瘴気を克服する研究を模索し、あるいは失敗して滅亡を加速させながらも、彼はついに人類を守る大結界を生み出すに至った。
瘴気から隔離されたその世界で、人類は少しずつ復興を始めた。
濃密な瘴気を阻む巨大な結界を作ると同時に、魔王は負の情念を宿した魔力――瘴気を人間が生み出すことのないように、魔法を使えないようにした。
支配者階層である魔法使いたちが魔力を失って魔法を使えなくなれば、国家が転覆するのは当然のことだった。
魔王が魔法を使えなくした――その事実は魔王の直系にのみ伝えられ、彼らはいつか訪れる結界の崩壊という滅びにあらがうために、魔王の遺言を胸に行動を開始した。
魔王の結界は、完璧なものではなかった。
人は、魂から魔力を放出する。
魂を覆う結界があってなお、一部の者はその結界からにじみ出るほどに魔力が圧を増し、魔法を使える個体が現れた。
ワルプルギス王国の王侯貴族たちは、それらの異常な人類を魔女、あるいは呪術師として弾圧した。
魔女たちが魔法を使うほどに、魔力の一部、微弱な瘴気が大気中に放出される。それを繰り返していけば、結界内はいずれ瘴気に飲まれる。
正しく、魔女たちは人類にとって悪だった。だから、王国は魔女狩りを続けなければならなかった。
けれど魔女狩りは諸刃の剣だった。怒りのままに死んでいく魔女が生み出した瘴気は、あるいは魔女が普通に魔法を使って死んでいくよりもずっと膨大なものだったかもしれない。
そして魔女たちを撲滅させたとしても、人類は緩やかに滅ぶ運命だった。死の瞬間、怨嗟の声を、悔恨の声を上げた魂が、魔王の施した結界を壊して莫大な瘴気をまき散らすこともあった。
瘴気という危機を前に、人類は何もできずにゆっくりと滅びへと歩いていく。
けれど、その時間には、その延命には、確かな価値があった。
生きとし生ける者たちは、時に魔女であると捕らえられて処刑されながらも、悲喜こもごものドラマを繰り広げた。
時には幸福を胸に死んでいく魔女もいた。
魔女でも呪術師でもなく、ただ死んでいく者がいた。
確実に訪れる人類の滅亡を阻止する方法を見つけられず、無力感をかみしめながら死んでいく王族がいた。
そうして、人類は滅びる――その、はずだった。
魔王が施した結界。その、向こう。
滅びたはずの大地から、人が現れるまでは。
魔王が命を懸けて行った延命は、確かに意味があった。あるいは、魔王が失敗してもあらがう別の者がその未来をつなげた。
時計の針は今日も進み続ける。
分かたれていた道が交わり、人類社会がつながった。
その道の先、闇ばかりだった未来に希望を見出し、時に絶望しながらも、今日も人々は世界を生きていく。
そんな世界の片隅で、あるいは今日も死ねない戦士は、秘めた思いを胸に戦い続ける。
これにて『白百合の涙』は完結になります。
楽しんでいただけたでしょうか。
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