9変態たち
ようやく落ち着きを取り戻したマリアンヌは私の腕から解放されるなり、素早く乱れた髪を整え、服を払ってしわを伸ばした。いつでも美を忘れないマリアンヌの行動に、私は少しだけ感心した。もっとも、感心したからと言ってマリアンヌに倣って美しさを保とうとは思えないけれど。
何しろ、いくら美のための行為を積んでも、死とともに私の肉体はそれらの研鑽を忘れて、十五歳の状態に戻ってしまうのだから。あるいはこんな私の状態は、いつまでも美しくいられる祝福としてマリアンヌに評価されるのかもしれない。そう思えば、マリアンヌに魔法の詳細を告げるのはためらわれた。
私が魔法によって記憶を喪失していくことを知っているのは、今も生きている者ではキルハとアベル、ディアン、そして裁縫師の女性だけのはずだ。私が話したことを覚えている他の者は、魔法の師匠をはじめ、皆が死んでしまっている。最も、私が忘れているだけで、実はマリアンヌも私の記憶の喪失のことを知っているかもしれないけれど。
まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも今気にするべきは、どうしてここにディアンがいるのか、どうして戦闘になりそうなほどにマリアンヌが怒りを見せていたかだ。
「で、何があったの?」
「あの変態がわたくしたちに共闘しようと言い出したのよ」
私が聞けば、マリアンヌがディアンを指さしながら吐き捨てた。あまりマナー的によろしくないはずなのに、様になっているから人を指さすなと言い難い。
いや、そもそもこんな狂った場所にいてマナーを求めるほうがどうかしているか。
ちらとディアンを見る。ディアンによる共闘の申し込み。それが事実だとすれば、戦力増強としてはありがたい話だった。
「……ディアン、本当なの?」
「ちょっと、わたくしの言葉が信じられないっていうの⁉事実よ、事実!そこの弩級の変態下種野郎はわたくしたちに協力をしたいと言ってきたのよ!間違いなくどさくさに紛れて靴下を盗むもうとしている畜生の顔だったわ!そんな奴の協力なんてこっちから願い下げなのよ!」
「ちょ、いきなり怒り出して何かと思ったら、そんな風に考えてたんすか⁉おみ足を包む靴下を愛でるかどうかはともかく、いくらなんでも仲間の靴下を盗むなんて下劣な真似はしないっすよ」
「いや、靴下を愛でるって……」
もはや顔が引きつるのを抑えられなかった。この期に及んで、ディアンは極度の靴下への愛を抑えきれないらしい。最近はアヴァンギャルドの女性陣の警戒レベルが上昇していたため、彼は自分の欲求を満たすことができなくて溜まっているのかもしれない。そのせいか、彼の性癖も脱ぎたて靴下の臭いを嗅ぎ、舐めるという行為に、脚を包んでいる状態の靴下を足ごと愛でるというものが加わったらしかった。
後者の方がよほど変態じみた光景だと思うのは私の気のせいだろうか。
「ほら、聞いたでしょう⁉靴下を盗まれた経験があるわたくしもあんたも、この変態にとっては仲間ではなかったってことよ」
「いや、待ってほしいっすよ。言い換えるっす。共闘者の靴下は盗まないっすから!」
「そんな言葉をわたくしが信用するとでも?」
「だから盗まないって言ってるっすよ。最近は足を包み込んでいる状態の靴下も愛せるようになったんすよ」
「「…………」」
つまり、盗まなくても情欲を満たせるから盗まない、ということだろうか。
ディアンが傅き、私の足に頬をこすりつけているところを不覚にも想像してしまった。
正直、吐きそうだった。これほどまでに変態的な行為をするから靴下は盗まないと宣言する、変態行為をレベルアップさせてみせたディアンという存在が恐ろしくて、私は思わず一歩後退りした。
マリアンヌもまた私と同様の光景を思い浮かべてしまったらしく、両手で強く体を抱きながらじりじりと背後へと下がっていた。目に涙を浮かべ、頬はやや赤く、さらには腕によって二つの双丘が持ち上がったその姿は、同じ女性であっても目を奪われる姿だった。さすが、こんな危険な場所でも美しさをおろそかにしていないだけのことはあるなと思いながら、私はちらとキルハへと――男性陣へと視線を向けた。
そこには、マリアンヌの美しさなどまるで意に介さない男たちがいた。自分の性癖に邁進する変態が二人と、マリアンヌに反応しないキルハ。ともすれば枯れているのではないかという無機質なキルハの顔に、少しだけ不安を覚えた。
キルハは、女性に一切興味がないのだろうか。まさか、男性の方が好ましく思っているとか――
じりじりとこちらに詰め寄ってくるディアンから距離をとる。気のせいか、ディアンの息が荒くなっている気がする。まさか、この期に及んで新たな性癖の扉を開いたのだろうか。
これは共闘の拒否もやむなしか――そう思ったところで、キルハの声が割って入った。
「なんで逃げようとするんすか⁉ああ、ロクサナさんまで逃げようとしないで下さいよ。これでも真面目に戦いに参加しようと思ってるんすよ?」
「……なぜかな?」
まったく感情を感じさせないキルハの声が、とても怖かった。まるで仮面のように顔に笑みを張り付けたキルハの異常な雰囲気に気づいていないのか、ディアンは強く拳を握り、高々と宣言して見せた。
「まだ見ぬ靴下たちが待っているからっすよ!」
「「「…………」」」
その瞬間、場の空気が凍り付いた。周囲の音が消えて、ただ流れ落ちる滝の音だけが耳朶を揺らした。吹き抜ける風が、ディアンの短髪を軽く揺らしていった。
あれ?とディアンが首をかしげながら私たち三人を順に見まわす。マリアンヌ、私と見ていくうちに頬が小さくひきつっていく。そして、最後にキルハを見て、ディアンの額からどっと汗が噴き出した。せわしなく視線をあちこちに行き来させ、指を絡め、それからディアンははっと目を見開いて背後を向いた。
そこには、無言で滝行を続けているアベルの姿があった。そこだけ見れば精神の修行に熱心な者のように思えるが、アベルの内心では痛みへの歓喜があふれていると思うと、途端に目の前の光景がみだらなものに思えてきた。額を流れる水滴は、歓喜ににじむ汗ではないか。冷たい滝にあたり続けてなお体が寒さでがちがちと震えていないのは、全身が痛みに喜んでいて、興奮により熱を発し続けているからではないか――そんな馬鹿な考えが脳裏をよぎった。
このままでは、今後滝行している者を見た際に「ああ変態がいる」などと言ってしまいそうで、私はあわてて自分のおかしな考えを振り払った。
庇護を求める捨て犬のような顔でディアンがアベルを見て叫ぶ。
「アベルさん!なんとか言ってほしいっすよ!新たな夢のためなら全力で臨むって、アベルさんならわかってくれるっすよね?」
「他者に迷惑をかけないでこそ、変態は変態として社会にあることができるんだ。お前の在り方はまるでなっていないな。俺は痛みを好むが、自分に痛みを与えてくれと周りに俺の価値観を押し付けたことはない。夢を追う前に現実を直視しろ」
いや、お前が言うな――変態でない私たち三人の心が見事にシンクロした気がした。それぞれ同じことを思ったのか、確認するように顔を見合わせて、苦笑を浮かべて肩を竦める。まあ、マリアンヌの顔にはさらにわずかな嫌悪もにじんでいたが。
そんな私たちをよそに、アベルとディアンの変態に関わる意見交換は進んでいく。
「いいか、俺たちは自分がおかしいという自覚がある。それはお前もそうだな」
「はいっす。靴下に愛を見出す存在は自分以外に知らないっすよ」
「だろうな。だからこそ、俺たちは自分が排斥されないように気を使う必要がある。異物というのは、気持ち悪く見えるものだからな。まぁ、俺もお前の性癖は気持ちがわる……ちょっとおかしいんじゃないかと思うぞ?」
「今気持ちが悪いって言いかけたっすよね⁉ボクからしてみれば、アベルさんの性癖の方が異常っすよ。痛みが好きでたまらないって、人以前に生物としてどうなんすか?危機感を抱くための信号であるはずの痛みが何の意味も持っていないじゃないっすか。そんなんだと人類なんてとっくの昔に絶滅してるはずっすよ」
「俺に言わせれば、生物でもなんでもない靴下に愛を捧げるというのはおかしくないか?足を愛するというんだったらわかるんだけどな」
……足を愛する気持ちはわかるのか。さすがは変態。シンパシーを感じるということだろうか。変態同士が信号を交換しているような光景が脳裏によぎった。アホ毛を揺らし、そこから変態光線を飛ばすディアンとアベル……ああ、変態的だ。
他にもツッコミどころは多かった。おかしいという自覚があるなら治す努力をしてみたらどうかとか、痛みを愛するのも非生命を愛するのもどちらもおかしいとかとか。
まあ正直、ツッコミを入れたら負けだと思っている。だって、それは変態たちのサバトに足を踏み入れるという自殺行為であり、変態たちを理解するための第一歩だから。私は、アベルとディアンの性癖を理解したくない。それはもう、心からわかりたくないと叫びたい。
本音を言うのなら、少しでも耳に入る二人の言葉を少なくしたい。耳に毒だし、そうして無意識のうちにアベルたちの価値観が植え付けられて行っていそうで嫌になるからだ。
最も、今の私はこの場を離れることができなかった。それは、アベルに協力を頼もうとする手前、アベルという人間の全てと言ってもいいかもしれない性癖を否定してしまっては、協力を拒否されかねないと思ったからだ。理解を拒否する相手と関わりたくないと思うのは当然のことだと思う。あるいは、共闘を受け入れてくれても、無理難題を交換条件として吹っ掛けられることになるかもしれない。
そして何より、今後共に戦う仲間になるのであれば、アベルという存在についてもう少し理解しておく必要があった。例えば、どこまでの痛みなら耐えられるのか、あるいはアベルが耐えられるのは本当に痛みなのか、苦痛というもっと広い範囲の刺激なのではないか、痛みを求めるあまり自ら死地に踏み込んで仲間を危険にさらすような行為はしないか――
見て見ぬふりをしてきたアベルの性癖を、私たちは知る必要性に駆られていた。
痛みに対する耐性こそが、彼を呪術師の死と呪術からの解放を見極めるための重要な検出装置として機能させるのだから、私たちはその詳細を知る必要性があった。
――心から、知りたくなんてないけれど。
私の思考をよそに、ディアンとアベルの会話は続いていく。気づけば口論になっていた。どうやら変態の中の変態である二人は、極限までに枝分かれした分岐の先にいるからか、互いの性癖が理解できないらしい。
「まさか、アベルさんがおみ足様の何を知ってるって言うんすか?っは⁉まさかわずかに汗ばんだ足から香る仄かな汗と塩気と湿気を知ってるんすね?」
「そうだ。そんな足で頭を踏みつけられる快感といったらないぞ?俺は亡き恋人が足蹴にしてきたことで目覚めたと言っても過言じゃないからな」
……口論ではなかった。というか、アベルはしっかりディアンの性癖を理解していた。
変態たちのサバトから逃れるべく、私たちはじりじりと滝から離れた。
「え~、踏むんすか?それはちょっとなぁ」
「馬鹿が。踏むんじゃなくて、踏まれる、そしてもっと正しく言えば踏んでいただくんだよ。地面に這いつくばった状態で、大地の冷たさを感じながら頭部を踏みつけられて、頬に石が食い込むんだ。痛いと言えばさらに踏む力を強めてくれて、あるいはぐりぐりと揺らすことで一層強く石が食い込むんだ」
「いやぁ、どうせだったら頬をぐにぐにと踏まれたいっすよ。汗ばんだ靴下から香る臭いを嗅ぎながらその感触まで楽しめるんすよ?あと、靴下の素材も重要っすね。シルクか、綿か、当然、素材によって感触が変わるんすよ。麻だってありっすよ。場合によって皮素材もいいかもしれないっすね」
「頬を踏んでもらう……後頭部に石が食い込むわけか。あるいは鼻を直に踏んでもらうのも手かもな」
「それっすよ!師匠と呼ばせてもらってもいいっすか」
「いいや、俺もまだこの道を習熟しているとは言い難い。だから俺たちは共に道なき道を行く戦友だな」
がっちりと握手を交わしたアベルとディアンが、笑いながらバシバシと互いの肩を叩く。一体何を見せられているのか、よくわからなかった。逃げるように視線を彷徨わせた先には、虚無の目をしたキルハがぶつぶつと口を動かしていた。
何を言っているのかあまりよく聞き取れなかったけれど、自分はあんな変態とは違うと、そう言い聞かせていたように思う。
耳をそばだてることに集中していた私は、裾を軽く引かれて我に返り、気づけば背後を取っていたマリアンヌへと振り向いて、首を傾げる。
そこには、勝気な印象の天邪鬼なマリアンヌはおらず、まるで道に迷って途方に暮れた少女のように、涙目で小さく体を震わせる子どものような姿があった。
「マリアンヌ?」
「変態怖い変態嫌い変態なんていなくなってしまえばいいのに……」
やっぱりこちらも呪詛のようにぶつぶつとつぶやいていて、私は顔に手を当てて天を仰いだ。こんなんで一緒にやっていけるのか不安で、そしてアベルを仲間に引き入れるのが本当に正しいのかわからなくなりつつあった。
……ああ、そうだった。ようやく思い出した。私たちはアベルに協力を頼むために、ここまでやってきていたのだと。
ぐっしょりと濡れた髪を掻き上げるアベルを見て、ディアンを見て、マリアンヌを見て、私は小さくため息を吐いた。
それから再度盗み見たところ、マリアンヌだけじゃなくてキルハもまだ使い物にならない様子だった。つまり、私がアベルとディアンと交渉するしかなかった。
固く握手を交わす変態たちのもとへと、私は一歩を踏み出す――覚悟を決める……準備を始めた。