87燃やし、焦がして
魔物の因子が頭の中で叫ぶ。敵を滅ぼせ。人間(敵)を目の前から消せ。
その言葉に従うように腕を伸ばす。鞭のようにしなる腕を振りぬく。
「アアアアアアアアッ」
光線が発射される。キルハの体に穴が開く。
代わりに、光線を発射する触手の二つが鞭によって壊される。
足を地面に突き刺し、地中から根を伸ばす。触手を一本串刺しにして破壊する。
だが、灼天が光線を発射できる触手はまだ数えられないほどに存在した。
殺意の高い魔具が目の前にあるということに、それを仇敵が作ったということに、さらに怒りが増す。キルハの精神に魔物の因子の声が同調する。
「ははははは!最っ高だな!魔物に堕ちたのか、なぁッ」
灼天の上で笑うガルダークが腕に刻まれた魔紋を光らせる。魔紋を通じで送り込まれた命令によって、灼天が無数の触手の先端をキルハへと伸ばす。
足で地面を掘り起こし、分厚い土砂を盾にする。
乱射される光線によって土砂は勢いよく溶かされていく。白煙が立ち上り、異臭が立ち込める。
「どこへ行きやがったッ」
怒りのままに灼天を乱射する。ガルダークの声に、攻撃に答えるように、キルハが地中から飛び出して灼天を襲う。
体の一部をドリルのようにして穴を掘って進んだキルハは足元から灼天をひっくり返そうとする。
「灼天を舐めてるんじゃねぇぞッ」
「おおおおおおおおおおおおおッ」
このままひっくり返すと裂帛の気合を叫んでキルハは灼天を持ち上げて。
その視界の端を、何かが高速で飛翔する。それは先ほどからキルハを襲う光線ではない。
――円盤。
そう理解したと同時に、チャクラムのようなそれが、四方八方からキルハに襲い掛かる。
空を飛ぶそれは、灼天を壊そうとする敵に自動で迎撃するように仕組まれている。
高速回転する円形の刃が、キルハの体に無数の傷をつける。
片腕が切り落とされる。
とっさに地中に潜って円盤から逃れる。
「モグラごっこなんてしている場合かよ、なぁッ!?」
あざ笑うように、ガルダークが灼天に新たな命令を下す。
膨大な魔力が吹き荒れる。それは天へと上り、灼天の名にふさわしい空を焦がすような炎を作り出す。小さな炎。けれど、そこに注ぎ込まれる燃料は、魔力が終わりを見せない。
魔具「灼天」最高の一撃。あらゆる魔物を一撃で葬り去ると考えられるそれが、王都のど真ん中で放たれようとする。
その狂気への怒りを、奥歯をかみしめてこらえる。
怒りのままに、キルハは地中から飛び出して握る魔具の剣で灼天を止めるべく触手を切り飛ばして。
「おおおおおおおおお――」
声が響いた。キルハと同種で、けれどどこか虚ろな声。そして、キルハの何倍も大きく鋭い枝の束が灼天へと叩きつけられた。
大樹になって大地に根を張るのは、変わり果てたアベル。それが何を考えているのか、今もアベルの意識が残っているのかはわからない。
ただ、動き出したアベルは、まるでキルハと共闘するようにガルダークと灼天へと攻撃を始める。
それは、燃えながらも滅んでいなかった周囲の木々も同じだった。
無数の枝が灼天へと延びる。大地を這う蔦が、根が、灼天を絡めとる。
灼天から放たれる光線が次々と木々に穴をあけていく。
「まずはお前から落ちろッ」
「やらせるかッ」
灼天が束ねた触手の先端をアベルに伸ばす。急速に集まる膨大な魔力を危惧したキルハとアベルが動き出す。
だが、遅い。話にならない。
束ねられた光線がアベルだった巨木の幹に大きな風穴を開ける。
無数に乱れ飛ぶ光線がキルハの両足を焼き尽くす。
地面を転がり、すぐに足を再生させながら立ち上がろうとして。
触手で殴られたキルハは水切りの石のように地面を水平に跳ねて転がった。
黒煙が増している。熱のせいか体が異様に乾いていた。
ピシ、と肌が割れるような音が聞こえた。
樹化呪術薬によって樹木になった体は再生を可能とする。だがそれは無限ではない。水やエネルギーが必要で、けれどそれらに底が見えていた。
「はははははッ」
「ぐ、こ、のッ」
転がるように触手を躱す。いたぶるように乱れ飛ぶ触手が大地を穿つ。キルハの関節があらぬほうに折れ曲がる。体を衝撃が走り抜ける。腕が折れる。魔具の剣が折れる。
こうしている間にも、上空に作られた灼天の炎は成長を続けている。太陽のごとき輝きは、濃密な黒煙を通過してキルハたちの肌を焼く。
時間がなかった。けれど灼天に近づくこともままならない。穴を掘って地下に潜ろうにも、光線が飛んできて妨害される。
アベルは動かない。動けないのか、それとももう死んでしまったのか。
見ている余裕もなく、キルアはただひたすらに嬲られ続けた。
――おかしい。
そう、考える。
度重なる再生のせいか、体から呪術薬の力が失われようとしていた。
魔物因子の狂気から解放されつつあるキルハは、冷静な思考の一部で灼天の異常性について考える。
灼天は強い。強すぎる。
現在も火力の強化が続いている炎は、この街を焼き尽くして余りあるほどの熱を秘めている。
そんな火力を出せるほどの魔力が、用意できるとは思えなかった。実際、キルハの感覚はそれほど膨大な魔力は灼天の中にもガルダークにもなかったと伝えてくる。
では、どうしてそれほどの魔力が炎に注ぎ込まれているのか、今もなお膨大な魔力を湯水のように使って光線を飛ばしたり大量の触手を動かしたりしているのか。
(どこからから、魔力を供給しているのかッ)
そこまで気づけば、すぐに答えは見つかった。
灼天の触手の一部、それが、燃える木々の先に向かって伸びていた。
ゴウゴウと渦巻く炎、触手による破壊音、無数の悲鳴――悲鳴。
絶叫が、煙の先で響いていた。狂ったように、無数の声が折り重なって響いていた。
それに、キルアは激しい恐怖を覚えた。今すぐに何とかしないといけない――根拠もなくそう思って。
「ぐ、おおおおああああああああッ」
再生した三本の手足で地面を踏み、触手の攻撃をかわして前に進む。
避けようのない触手は、噛み締めた折れた魔具の剣で切り払う。
前へ。ただ前へ。
焦燥に背中を押され、キルハは地面を疾走する。
灼天の周囲を回りこみ、地面を這う細い触手を踏み潰す。
あああああぁぁぁぁ――悲鳴の一つが、小さくなる。
「はは、ようやく気づいたか……だが遅いんだよなァッ」
ガルダークは知っている。
キルハは甘い。甘ちゃんだ。クソなほどに正義感を胸に抱いている。人が魔物という障害を乗り越えて平穏な日々を送るための魔具を――そんなことを素面で言えるような人間だと知っている。
だから、ガルダークは確信する。灼天の本性を見せれば、キルハは絶望すると。怒り狂うと。かつてオレを殺しそこねたことを後悔するだろうと。
そうして激しい絶望の中でキルハを殺したかった。
だから、ガルダークは触手に命じる。その先につながれたモノを引き寄せろと。
細い、けれど魔具として十分な膂力を持っている触手たちが、長さを縮め、炎の先からソレを引き寄せる。
怨嗟が、呪詛が、キルハの耳に飛び込む。絶叫の津波が襲う。
ゆっくりと、足が止まる。縫い付けられたように止まった足は、その場から一歩も動かない。
黒い煙の中、触手によって持ち上げられた者たちが揺れる。
それは人だった。人であるはずの存在だった。
触手につながれたそれらは、白目をむき、開きっぱなしの口からよだれを流し、流し、声がかれようとただただ悲鳴をほとばしらせていた。
痛みに体を震わせる彼らは、魂から無理やり魔力を引っ張り出される、灼天の燃料。
つながれた人から触手へ、そして灼天へと流れる魔力に、気づけないはずがなかった。
ガルダークが嗤いながら解説する。師匠がたどり着けなかった頂きに弟子はいるのだと嘲笑う。
「誰もが魔力を有しているんだ。ただ、それが魂から出てこないだけでな。……まるで魔力を封印されているみたいだな?」
――キルハは、すべてを理解した。
目の前にいる彼らはもう助からない。心が壊れた彼らから魔力を徴収することで灼天は魔力を得ている。
彼は魔女でも呪術師でもない。捕らわれる者たちの半数ほどが騎士だ。そんなに多く、騎士に魔女や呪術師が紛れているはずがない。
すべてのものが、魔力を持つ。そして、多くのものは魔力を放出できないようになっている。その壁をぶち破って、魔力を取り出す。それは、魂を壊す行為に他ならない。
禁忌監獄にいた多数の魔女と呪術師を使いつぶすことで、人から魔力を吸い出す術は完成し、灼天という魔具がこの世に生まれた。
その狂気は、悪逆は、己が弟子を止められなかったからだと、キルハは理解した。
絶望し、己の失態を嘆き、怒り、許さないと心が叫ぶ。
自然と、涙が頬を伝う。
それは燃えるように熱かった。
パキリと、体のどこかから音が鳴り、体表が欠けて地面に転がる。
「ガルダァァクゥゥゥゥゥゥゥッ」
「ひゃはははははははははははッ!いい、いいぜ、その顔が見たかったんだよッ」
喉が破れんばかりに吠えて、キルハはふらつきながらもガルダークに向かって歩き出す。
まっすぐ、わき目も降らずに前へ。
そこへ、灼天の火球が降る。
太陽のごとき極限の熱。
大気を焼き焦がす業火が、熱波をまき散らしながら王都に降る。
キルハの姿が、その炎の向こうに消える。
ガルダークの体を、灼天から伸びる無数の触手が防御のために包み込む。
ハハハハハハハハハハハハ――――
響き続けていたガルダークの笑い声が、掻き消える。
瞬間、王都の中で閃光が弾けた。




