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白百合の涙  作者: 雨足怜
魔女編

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86/96

86師弟

 痛みが全身に走る。脳の許容値を超えた激痛に意識を失って、けれどすぐに覚醒する。


「が、ぁあッ」


 焼けるように痛い喉を振るわせて悲鳴を漏らす。痛みが伝えてくる生の感覚のままに、キルハはゆっくと指を動かす。触れる大地に爪を立てる。

 閃光にのまれた目を開く。白く染まっていた視界は、ゆっくりと元の色を取り戻す。

 真っ黒な頭上。渦巻く煙に飲まれた世界は、もはや遠くまで見通すこともかなわない。

 咳き込む。血の味が口に広がる。

 乱雑に殴った手の甲にべったりと赤黒い血が付き、キルハは思わず乾いた笑い声をあげていた。

 がれきに手をつき、ゆっくりと体を起こす。

 そうしてようやく、汗が吹き出すのを感じる。

 背後へと振り向いて、もう一度乾いた笑い声が漏れる。

 つい先ほどまでキルハを阻んでいた木々が、燃えていた。鮮やかな橙色の炎を燃やし、黒煙を立ち上らせながら生木が燃えていた。

 渦巻く炎の壁が、キルハの頬に熱を届ける。揺れる光をしばらくじっと見つめていたキルハは、その奥の大きな影へと焦点を合わせる。

 がれきを砕く足音が聞こえた。巨大な物体が、地面を揺らしながら近づいてくる。

 それからは、殺意や敵意は感じられなかった。近づいてくるほどにはっきりしてくる影は、炎の光を反射して無機質な表面を示す。


「……魔具」


 こんなものが魔具であるはずがない。そう祈るように、けれど確信をもってつぶやく。

 夢に、見たことがあった。考えたことがあった。魔具には、無限の可能性があった。人を救うための道具にも、人を殺すための道具にもなりえた。力なき民に武力をもたらし、魔物はもはや脅威にならない可能性があった。人々が死におびえずに生きる世界への道標にもなりえた。

 その、魔具が。キルハにとっての希望の光が。けれどおぞましい発展を遂げてそこにあった。

 巨大な、金属の球体。無数の多脚と触腕を伸ばす人工の怪物。

 それが、燃える樹木を踏み砕いて炎の中から現れた。


「……あん?こんなとこに生きてる奴がいるのかよ」


 声が聞こえた。それは、高さ五メートルほどはありそうな球体の魔具の最上部あたりから聞こえていた。

 ゆっくりと、顔を上げる。黒煙に満ちた視界不良の世界では、互いの顔は見えない。ただ、煙の先にぼんやりと互いの人影を見ていた。

 ズキン、と頭の奥が痛む。ふらつく体を支え、影をにらむ。

 何とか言ったらどうだよ――魔具に乗る男が問う。その声が、キルハの脳を、心を揺らす。

 かつての苦渋を思い出した。

 怒りと絶望と、諦観の中にいた己を。そんな状態につなげた敵のことを、思い出した。

 ともに歩いた男の顔が、キルハの脳裏をよぎる。そんなはずがないと、そう思った。思って、けれど、それを否定するだけの材料が、キルハにはなかった。

 前例を知っている。知りすぎてしまっている。

 この場に()()が現れても全くおかしくないと、そう理解してしまえる。

 血反吐を吐き出し、怒りのままに喉を震わせる。己の敵の名を呼ぶ。


「クソ弟子(ガルダーク)ッ」

「……………………あぁ?……キルハ、か?」


 呆然と、けれど喜悦を込めて影が問う。その答えによって、キルハの確信は肯定された。

 かつて、王国で魔具を研究していたキルハは、一人の弟子を持っていた。自分より少しだけ若い男は、キルハにないものを持っていた。

 魔具のためならどんな無茶だって息を吸うようにこなし、研究に腐心した男。

 魔具の可能性を声高に語っていた彼は、キルハに隠れて殺しのための凶悪な魔具を研究していた。それは、キルハの研究の一環にあった魔物を殺すための道具ではなく、人を殺すための道具だった。

 けれど彼には、キルハほどの才能はなかった。けれど承認欲求だけは人一倍にあった。

 彼は許せなかった。こっそりと隠れるように魔具を続けるキルハの在り方を疑問視した。キルハの才能に嫉妬した。いつしか、彼はゆがみ切っていた。

 師匠(キルハ)がいなければ、その発想はオレがもたらしていた。キルハがいなければ、その魔具はオレが完成させていた。

 そんなゆがんだ怒りをなだめるように、あるいはバカなキルハを笑うために、彼はキルハに背を向けた。

 彼は、己の研究が世に知られることを求めた。名声を望んだ。地位を求めた。富に手を伸ばした。

 彼は、魔具の情報を暴露した。

 キルハが完成させた魔具を、人殺しの道具として売り払った。

 そして、殺戮が行われた。

 危険な代物を作成して多くの民を殺した罪によって、キルハはアヴァンギャルドへと入れられた。

 その、少し前。魔具による事件と弟子の凶行を知ったキルハは、怒りのままに、人を救う道具になるはずだった魔具を汚した弟子を殺した――はずだった。


「うれしいな、ああ、うれしいぜ!まさか本当に、今度こそこの手で殺せるなんてなぁ、クソ師匠!さすがだぜ。このオレの最高傑作『灼天』の炎から脱兎のごとく逃げ出したってわけかッ」

「灼天……炎、まさか、そうか!お前か。お前がアヴァンギャルドに向かってあの太陽のような炎を叩き込んだのかッ」


 すべてが、つながっていく。これまでのキルハの軌跡が、死に満ちた世界でのあがきが、地獄が続く道が、一人の男によってもたらされたものだったのだと、心からそう思った。

 ガルダーク(こいつ)が、魔具を人殺しの道具にした。

 ガルダークのせいで、アヴァンギャルドへと入れられた。

 ガルダークのせいで、アヴァンギャルドの同胞たちが炎に飲まれて死に、自分たちも死にかけた。

 ガルダークのせいで、魔具が王国の手にわたって、魔女狩りが加速している。

 ガルダークのせいで、仲間たちが捕らえられている。アベルが危険な状況にある。ロクサナが無茶をしている。

 すべては目の前の男のせいだと、キルハはそう断言する。

 怒りのままに、走り出す。


「ガルダークッ」

「く、ははははは!来て見せろよ!そしてオレに証明させろ!オレこそが魔具の父、偉大なる魔具の発明家だとなッ」


 灼天の頭頂部に乗っていたガルダークが服を破る。あらわになった体、その胸元には黒々とした金属が存在した。

 かつてキルハに貫かれた胸部は、魔具に置換されていた。それこそが、ガルダークの傑作のひとつにして、彼の執念が生んだ魔具。

 頭上へと手を伸ばしたガルダークの腕、袖がずり落ちてあらわになった肌には複雑な入れ墨が描かれていた。

 魔紋――己の体を魔具に見立てる狂気がそこにあった。

 悲鳴が轟く。

 魔紋が光る。ガルダークの命令に従って、巨大な金属の球体、一つ目のタコのようになった「灼天」が動き出す。

 地面を這う金属の触手が、キルハに向かって振るわれる。

 回避、止まるどころかさらに加速して、キルハはがれきと煙と炎と死に満ちた世界をかける。

 精神をさいなむ痛みはどこかへと消えていた。体は無事じゃない。無茶をすれば死にかけない。

 けれどそれがどうしたと、キルハはそう断じる。

 死ぬ?かまわない。こいつを今度こそ殺せるのであれば、何の問題もない。


「はあああああッ」


 壁のように立ちはだかる触手たち切り裂き、断たれた触手を踏みしめて灼天の本体へと迫る。

 まずはこのデカブツを処分する――そんな決意とともに剣を振りかぶって。

 感じた悪寒に、転がるようにその場を飛びのく。

 チュイン、と何かが空間を切り裂いた。それは、灼天の無数の触手の先端、その一つから放たれた光線だった。

 地面を焦がし溶かすその熱は、人間に当たればたやすくその命を奪うだろう。

 異臭に顔をしかめ、自分に向けられる無数の触手に唾をのむ。


「さぁ、踊り狂え!無様な道化師としてオレの記憶に残って果てろッ」


 無数の光線が、キルハに向かって放たれた。

 回避という選択肢は選べない。そんな時間はない。

 憤怒をその目に燃やすキルハの視界を閃光が埋め尽くす。光の先、おぞましい笑みを浮かべたガルダークの姿を最後までにらみ――覚悟を決めた。

 ガルダークと同じ、狂気に落ちる覚悟を。怪物に堕ちてでも、ガルダークを殺す決意を。

 その心には、もう大切な人のことなど存在していなかった。

 奥歯を噛み砕く。そこに隠していた奥の手を、万が一の時のために用意しておいた最終手段の袋を破る。

 光線がキルハの四肢を焼いて。


「グ、ギ、ィィァァアアアアアアアアアアッ」


 樹化呪術薬によって、キルハは魔物のごとき姿になって光の先へと手を伸ばした。


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