78禁忌監獄
騎士の死体をクッションにして数メートルの高さから飛び降りる。アヴァンギャルドの一員であったトロージャンは、少しふらつきながら地面に足をつけ、大きく背筋を伸ばした。カワセミのように美しい翠と青のドレスが揺れる。
「久しぶりだねぇ、ロクサナちゃんにキルハちゃん。元気だったかなぁ?」
「……ええと、まあ元気だったよ」
「私も。トロージャンは?」
「見ての通り絶好調だよぉ?」
ゆらゆらと体を揺らすトロージャンは、困惑に気づかぬままずんずんと二人に歩み寄り、キルハに支えられて立つロクサナの周りをぐるぐると回る。ふんふんとひとしきり頷いた彼女は、ロクサナの体に――身にまとう防具に触れる。
「いやぁ、使い込んだねぇ。でもすごいじゃん。まさかレッドドラゴンちゃんと使いこなすとは思わなかったなぁ。ねぇ、どういう心境の変化があったのかきいてもいいぃ?」
「……えーと?」
「あ、ロクサナちゃんに言うったんじゃないよぉ。この子に聞いてるのぉ」
『ふん。お前とは違い、こいつは強者としての資格を有していた。だから力を貸したまでだ』
「へぇぇ?なるほどぉ、まあロクサナちゃんはアヴァンギャルドの中でも特異な子だったからねぇ」
つんつん、とロクサナの胸元に触れながらレッドドラゴンのアンデッドと離している様子のトロージャンに、ロクサナは大きく目を見開く。だが、考えてみればおかしなことではなかった。ロクサナが身に着けているリビングウェポンは、何を隠そうトロージャンが作った物なのだ。であれば、トロージャンがレッドドラゴンの意識の存在を知っていてもおかしくはない――わけがない。おかしいに決まっている。
これまでロクサナは、レッドドラゴンの思念は偶然この装備に宿ったと思っていた。けれどレッドドラゴンのアンデッドと離せるトロージャンの存在は別の可能性を示唆していた。
すなわち、トロージャンは意図してこのリビングウェポンを生み出したのではないか――
その可能性に思い至ったキルハは、悲鳴をあげるように叫んだ。
「まさか、アンデッドを生み出したのか!?」
「せいかーい。いやぁ、優秀な弟子たちを持つと鼻が高いんじゃなぁい?」
「……ここで儂に話を振ってくれるな」
トロージャンが振り返った先、いまだに空間に開いたままになっていた異界へとつながる穴の先から不機嫌そうな声が響く。のっそりと姿を現した老人を前に、今度こそロクサナとキルハは絶句した。
長い白髪と白髭が特徴的な枯れ木のごとき姿をした老人。杖を突きながらゆっくりと穴の出口から上半身をのぞかせた男は、窪んだ眼でロクサナとキルハの姿をとらえ、気まずげに笑った。
「……嘘」
「嘘じゃないんだよぉ?ロクサナちゃんだって嘘みたいなことをしているんだしぃ、きにしちゃやーよぉ」
けたけたと笑うトロージャンの言葉は、ロクサナの耳には入ってこなかった。
嘘だと、目と耳を疑っていた。記憶に残るその男は、何しろ死んだはずなのだから。異界魔法を操る老齢の男。アヴァンギャルドの生き字引のような男であり、唯一老衰によってその命を散らしたはずの人物。
ロクサナの魔法の師匠であり、キルハに多くの知識を授けた死者、ネルンストがそこにいた。
キルハは何かを口にしようとして、けれど煙のせいでいがいがした喉に感じた違和感にせき込む。その音が、止まっていたロクサナの時間を動かした。
「……蘇生したの?」
「いいや、儂はもう生きてはおらん。そこの阿呆に捕らわれた哀れな死者だ」
阿呆と呼ばれたトロージャンは体を揺らしながら笑う。そのトロージャンを守るように、気づけば黒づくめの影がぴったりと背後に張り付いていた。
もう、ロクサナたちは驚くこともできなかった。その男もまた、アヴァンギャルドに在籍していた人物だった。気づけば姿を消しており、おそらくは魔物に死んで食われたと思われていた一匹狼。だがトロージャンに付き従うその在り方は二人が知る彼とは異なっていて、彼もまた生まれ変わった――否、すでに死人であると二人は悟った。
ずずん、と地面が激しく揺れる。背後で、あれだけいたトレントたちが幹を中ほどで両端され、体を地面に落下させた。
それをなしたのが誰なのか、問うまでもなかった。
「さぁて、こうして再び顔を合わせることになったのも何かの縁だとおもうしぃ、わたしが協力してあげるよぉ?」
「協力……?」
「そうだよぉ。禁忌の牢獄、襲撃するんでしょぉ?」
ぴくり、とキルハが眉尻を痙攣させる。ロクサナは何度も瞬きしながら、なぜトロージャンがそのことを知っているのかと視線で問う。ただ、彼女は二人の疑問など捨て置き、くるくるとその場で回って笑う。
ドレスの裾がはためく。その様はまるで妖精が踊っているかのようだった。
情報源がどこにあるのかはともかく、ひとまずは協力をわけを問うべく、ロクサナは唇を震わせる。
「どうして、協力してくれるの?」
瞬間、先ほどまでのふわふわとした空気を金繰り捨て、トロージャンはロクサナに背中を見せまま、首を折るように背後へと向ける。底なしの闇を孕んだ瞳がロクサナをじっと見つめる。ごきり、と音を鳴らして首をかしげたトロージャンは、異様なものを見るような視線を送りながら告げる。
「なぜ?決まってるでしょぉ、そんなの復讐以外にありはしないってぇ」
それは、考えてみれば真っ先に思い浮かぶことだった。アヴァンギャルドに所属していた者たちは、強制的に過酷な戦場に送り込まれたのだ。王を、貴族を、騎士を、王国を、恨んでいないわけがないのだ。罪の有無はともかく、志願したアベルを除く誰もが、腹に一物を抱えていた。ただ、ロクサナたちは幸福かつ平穏な日常を得たことで王国への思いがマヒしただけだった。
理不尽だと憤ったのだ。どうして自分がこんな目に合わなければいけないのかと呪ったのだ。であれば、アヴァンギャルドから解放されて何をするかなど考えるまでもなかった。
再びくるくると回りだしたトロージャンは、やがてぴたりと動きを止め、空に向かって手を伸ばす。太陽を透かし見る彼女は、輝かしい光を握りつぶすように虚空をつかんだ。
「本当はぁ、王国が一人で踊り狂って滅びるのを見るのもよかったんだけどねぇ。やっぱり自分の手で壊してあげたいよねぇ。わたしたちの理不尽が返ることがなくてぇ、このまま相手の自滅で終わるなんて許さないんだよねぇ」
伸ばした手を黒衣の男が恭しくつかむ。抱き上げられたトロージャンは、ちらりとロクサナたちを見る。
「さぁて、行こうかぁ?ああ、ロクサナちゃんとキルハちゃんに拒否権はないよぉ?」
おかしそうに、楽しそうに告げるけれど、その目は少しも笑っていなかった。王国への復讐に燃えていない二人は、トロージャンにとって今、限りなく路傍の石に近い存在になった。ただ、二人が踊ることで王国がおかしな方向へ向かうのならば手を貸してあげるというだけ。
その瞬間、ロクサナとキルハは背後から首に一撃をもらい、地面に倒れこんだ。
キルハが消えゆく視界にとらえたのは、トロージャンを抱える男と全く同じ姿をした二人の人物が、倒れた自分たちに手を伸ばす様子だった。
分身魔法――思い出した男の魔法を口にすることはなく、キルハはその意識を闇に沈めた。




