77業火の先に
わずかに感じる振動の中、ロクサナは苦痛にうめきながら焦点の定まらぬ目で揺れる大地を見ていた。
振動による痛みをこらえようとするも、激しい戦闘による衝撃は確実にロクサナの意識を苛み、食いしばった歯の間から苦悶の声が漏れるばかりだった。その声がキルハの動きを悪くしていることに気づく余裕はなかった。
体から力が消えていく。もう何度経験したかわからない死が迫っていた。
それにあらがうこともなく、ロクサナは静かに息を引き取ろうとして。
『――なんだ、戦わねぇのか?』
声が聞こえた。それはロクサナだけに聞こえる声。アンデッドだとのたまう防具、ドラゴンの皮で作られたリビングウェポンが落胆をあらわにしていた。同時に、怒りがロクサナの精神を揺さぶる。所有の関係による精神的なつながりを通して、アンデッドドラゴンの感情がロクサナに伝わる。
材料になったレッドドラゴンは吠える。俺の主人はこの程度だったのかと。そんなはずはねぇと、勝手に結論を出す。
それにこたえる余裕はロクサナにはない。ただでさえ死の瀬戸際で意識がもうろうとしていたロクサナは、もう考える力さえなかったのにアンデッドドラゴンによる攻撃を浴びたのだから。
脳を揺さぶるような思念の衝撃に、ロクサナはその体から力が抜ける。
死が、訪れる――その瞬間、ロクサナは激しい怒りに包まれた。
アンデッドドラゴンの思念に飲み込まれながら、ロクサナの時間は巻き戻す。
虚無の空間。死を概念化したようなその場所で、ロクサナはあふれた膨大な魔力に包まれて蘇生しようとして。けれど、ロクサナではない何かへと湯水のように魔力が流れていく。蘇生が、完了しない。
ロクサナの蘇生には膨大な魔力が必要だ。その魔力がたまるよりも早く、何かが――アンデッドドラゴンが、ロクサナから魔力を吸い取っていた。それは両者の間に精神的なつながりがあり、なおかつアンデッドドラゴンが肉体を持たない防具に宿った思念体だったからこそなしえた干渉だった。
アンデッドドラゴンは、受け身で蘇生に臨んでいたロクサナを笑う。その声が虚空を、空気がないはずのそこで空間そのものをびりびりと震わせる。
『どうだ?ようやく理解したか。お前の蘇生は完璧なものじゃねぇんだよ。こうして俺に干渉されるだけで、お前は少なくとも蘇生することができず、この空間に居続けることになる。そうして魔力が尽きた瞬間がお前の終わりだ』
アンデッドドラゴンは嗤う。無力なロクサナを笑う。力を持ちながらそれを腐らす女を笑う。ロクサナが魔力を制御できれば、もっと他に戦い方があったかもしれないのだ。魔力を認識できれば、避けられる死があったはずなのだ。
けれどロクサナは成長しなかった。記憶の喪失におびえながらも、死なないからと心のどこかで死を受け入れていた。
――それではいけねぇんだよ、とアンデッドドラゴンは吠える。
『それじゃあ、俺の主人には相応しくねぇんだよ』
『死ねば肉体の鍛錬はなかったことになるのに、どう成長しろっていうの!?』
ロクサナもまた吠える。肉体を失い、精神だけになった状態で、それでもこの激情を叩きつけなければならないとばかりに声を張り上げるように思念をばらまく。
『わかってるよ。私の魔法が絶対とは限らない。でも、私にはこれ以外存在しない。死なずに戦えることだけが私の力なんだから、この魔法がなければ、私は少し戦闘経験がある程度の、村娘程度の力しかない非力な存在なんだから!』
『ではなぜ、その唯一の力を有効に使おうとしない?戦いを選んだのだろう?一度は逃げ出した戦場に戻る決意をしたのだろう?あの男を――恋人を死なせないために、己の身を盾にすると誓ったのだろう?ならばなぜ、死を前提にしてでも戦おうとしない!?』
ドラゴンの体には、魂には、戦いが染みついている。それがなぜかはわからない。一度死ぬことで狂おしいまでにあった人間への怒りが消えたものの、それでもアンデッドドラゴンは戦いを求めた。勝利を求めた。装備(自分)の主人が、強者であることを求めた。
それはアンデッドドラゴンの勝手な思いだった。ただ、自分を防具として使うのであれば戦えと、戦って勝利をおさめろと求めた。だから、ブラックドラゴンとの戦いの際には高揚した。己のすべてをなげうってでも目の前の存在に勝利してみせると、そんな覚悟を見せたロクサナに、アンデッドドラゴンは力を貸した。
それは間違いだったのかと――いや、間違いにしてくれるなと、アンデッドドラゴンは吠える。
『いかに蘇生魔法が大切か、思い直しただろう?戦うと決めたのなら、すべてをなげうって勝利して見せろ。でないと、あの男は死ぬぞ?』
瞬間、煮えたぎるような怒りが、焦りが、ロクサナの体から衝撃を伴って放たれる。強烈な感情の波は、そこにあった魔力に干渉し、アンデッドドラゴンに引き寄せられていた魔力を自分の体へと集め始める。
それは拙くも、初めてロクサナが魔力を制御した瞬間だった。
『さあ見せてみろ!俺の所有者が最強であることを証明して見せろッ』
蘇生が完了する。目を見開いたロクサナは、空中を舞うキルハに迫るトレントの枝を見て、その先に手を伸ばした。
「ああああああああああああああッ」
その手が燃え上がる。身にまとうレッドドラゴンの防具からあふれた手が体を焼く。肉体の強化どころか自壊するレベルの力。それに絶叫しながら、ロクサナは迫るトレントの枝を引きちぎり、その先にある幹へと全力で拳を振りぬいた。
空気が弾ける。火花が散る。行き過ぎた強化によって、たった一撃でトレントの幹が砕け、その反作用を受けてロクサナの片腕もへし折れて。
蘇生に使われるはずだった膨大な魔力の一部を吸収したアンデッドドラゴンは、その魔力によってロクサナを超強化していた。体を焦がす強化の炎が、かすめたトレントの枝に火をつける。
振るう拳が、足が、トレントを砕き、吹き飛ばす。
『さぁ、もう一度だッ』
アンデッドドラゴンは、ロクサナの体内で魔力を暴走させる。過剰な強化によって肉体を自壊させられたロクサナは死に、蘇生によって五体満足の状態に戻る。
痛みに零した涙が瞬時に炎によって蒸発する。飛び散った血が、地面を転がっていたキルハの頬を濡らす。呆然と目を見開いていたキルハだが、無数の枝をまとめて振りかぶるトレントを目にとめて、ロクサナを守るために動き出す。
生木に分類されるであろうトレントは燃えにくい。だが、レッドドラゴンのアンデッドが生み出した強力な炎はそんなトレントに火をつけた。何より、二人を取り囲む若木のトレントは非常に燃えやすかった。
それは、果実によって急成長したトレントの弱点の一つだった。大地から栄養を吸収して急成長したトレントだが、この場には豊富な水がなかった。だから若木たちは通常のトレントに比べて火に弱かった。そして、大地の栄養と水の不足のために、若木たちの生産が止まったのだった。
燃えて、燃やして、殴って、死んで、燃える。
痛みに狂ったように声を上げながら、ロクサナは戦い続けた。止まることは許さないとばかりに、アンデッドドラゴンが強化を続けるから、止まることができなかった。何しろアンデッドドラゴンは、敵を滅ぼすまでロクサナの強化をやめない姿勢だったから。
いずれ魔力が尽きるとしても、それまでに何度自壊させられるかわからない以上、ロクサナは一刻も早く敵を倒しきる必要があった。
若木たちに成熟したトレントたちが合流する。迫る枝や根の密度は驚異的で、けれど今のロクサナを止めるには至らなかった。
倒れたトレントたちが燃え続け、煙が充満する。その煙と炎から逃れるように、二人はトレントたちの群れへと突撃する。
ロクサナが迫る枝葉を燃やし尽くし、キルハがロクサナに迫る太い枝や根を切り払う。
立ちはだかるトレントの幹に、ロクサナが渾身の拳を叩きこむ。
吹き飛んだトレントが、味方を巻き込んで道を作る。開いたそこに、二人はどちらからともなく飛び込んで。
「む?」
「は?」
「ッ!?」
トレントたちの包囲網から飛び出した二人の先、トレントと交戦していた男たちが驚愕の声を漏らした。
金属の全身鎧と槍。統一された装備が告げる。目の前の男たちが、この国においてもっとも組織だった武力を持つ集団――騎士であるということを。
体を包む炎によって死に至ったロクサナが倒れこむ。騎士たちの出現に気づいたレッドドラゴンが魔法を中断する。だが、それは何の意味もなかった。
炎の消失と同時に、ロクサナの魔法が発動する。その身に膨大な魔力があふれ、肉体が瞬時に癒える。
地面に倒れこむロクサナを支えるキルハが、その身を守るように前に出る。
「魔女だッ」
壮年の騎士の叫びに、騎士たちは反射的に槍をキルハとロクサナに向けて突撃する。彼らの視界には、すでにトレントは映っていなかった。魔物よりも魔女を殺すことを優先する。そんなゆがんだ人間たちを前に、キルハはロクサナを守るためにその身を盾にする覚悟をして。
「いやぁ、使いこなしているねぇ」
場違いに間延びした声とともに、騎士たちが血しぶきをあげて倒れこむ。決死の覚悟をしていたキルハは一瞬思考を止め、それから慌てて声の主の姿を探した。その姿は、空中にあった。いや、空中にぽっかりと開いた穴の先にあった。
その穴を、キルハは知っていた。見たことがあった。それは、アヴァンギャルドに所属していた、キルハとロクサナの師匠である魔女が使っていたものだった。
異界魔法――異なる世界一つを生み出し、そこへと続く道を作ることができるという破格の魔法を有していた男は、けれど老衰で死んだ。アヴァンギャルドで唯一戦死しなかった男が使っていた魔法と全く同じ現象がそこにあった。
だが、その魔法で続く異界から現れたのは別の女性だった。思考停止に陥ったキルハに代わって、どこかぼんやりとした様子でロクサナがその名を呼ぶ。
「……トロージャン?」
長い青髪を揺らしながら異界へと続く穴から飛び降りたのは、アヴァンギャルドにて服飾を一手に引き受けていた裁縫師の女性だった。




