71過去
馬車の振動が体に響く。切り裂かれた足と腕がじんじんと痛む。逃亡防止とはいえやりすぎな気がしないでもないが、魔女を相手にした行為はそのすべてが正当化される。
わたくしは、そのことを知っている。アベルやキルハよりもずっと。
平民も魔女に対して嫌悪感を持っている。けれどその強さは貴族の感情に比べれば微々たるものだ。
現代の権力者である貴族たちは、自らの地位を奪われかねない魔法や呪術という力をひどく恐れている。それは魔女たちの一部が、恨みを持つ貴族に復讐してきたからであり、歴代の魔女の行いが巡り巡って今につながっていると思うとあきれてものが言えない。呪術師の一人として、こうなることが予想できなかったのかと文句を言いたいところだ。
けれど、同時に魔女たちが貴族を一切攻撃しなくとも同じようになった気もする。貴族たちはひどく魔女を嫌い、恐怖しているが、高位貴族、あるいは王族まで行くと少し違う。魔女や呪術師の力は魅力的だ。だから彼らは、自らの権威を誇示するために魔女の力を用いた。それは例えば、未来視認の魔女に占いをさせて行動を決めたり、抱え込んだ呪術師に敵対貴族を殺させたりといった方法で。
そしてわたくしは、そんな現場を目撃した。
わたくしは貴族の一員で、貴族たちの集まりに向かうことも多々あった。呪術師であることを秘匿しながら貴族として生活する。いつばれやしないかとおびえながら、魔力を制御できるように必死で呪術を学んだ。
ある日、夜会の片隅で事件が起きた。悪逆非道を地で行くとある貴族の殺害事件が起きた。わたくしは、その犯人を目撃してしまった。とはいえ相手に気づかれたわけではなかったし、それ自体は大した問題ではなかった。
問題は、それから少しした時。息が詰まる実家を勝手に抜け出して一人王都を歩いていた際、わたくしは偶然、犯人である魔女を目撃した。当時のわたくしより、少しだけ幼い少女。彼女は、わたくしと同じように貴族社会で生きる魔女であり、わたしは事件の際に彼女が魔女であると知ってから、ひそかに同族意識を持っていた。
そんな彼女がどこか人目をしのぶようにして街を歩いている姿を見つけて、わたくしは何となくそのあとをつけた。
王都では基本的に呪術を使えない。街を巡回する騎士たちの中には魔力を感知することができる存在がいるため、わたくしは呪術という手段に頼ることなく彼女の後を追った。
慣れた様子で、彼女は尾行をまくように同じ場所をぐるぐる回ったり、人込みの中に身を滑り込ませたりした。ただの令嬢でしかないわたくしが彼女を見失わなかったのは偶然だった。
彼女が入っていったのは、街のはずれにぽつんと立つ場末の酒場だった。色褪せた看板はもはやそこが何の店かを示すこともかなわず、酒でもかかったのか、木の壁のところどころにシミのような色褪せた斑点があった。
彼女が入って行ってからしばらく、わたくしは近くの建物に背中をつけて行きかう人たちをぼんやりと眺めた。
楽しそうに笑う親子連れ、早くも酒場に向かう男たち、大きな武器を背負ったハンターの集団もいた。皆が皆、楽しそうに笑っていた。そこには平和があった。
ふと、思った。もし今、ここで誰かが魔法を使ったとしたら、この愛おしい平和はあっという間に崩れてしまうのだろうかと。
誰も、誰も、隣にいる人が、笑いあっている相手が、魔女であるとは疑っていない。けれどひとたびその人物が魔女だと判明すれば、彼らは瞬時に手のひら返しをする。たとえ高名な者であっても、それは変わらない。
魔法や魔術に頼らずに築いてきた功績が、魔法によってなされたものだとみなされて、過去の努力のすべてが否定される。魔女は悪だ。呪術師は悪だ。それが、この社会にはびこる風潮で、魔女や呪術師にはまっとうな人間として生きる権利が存在しない。
心の奥で己が笑う。魔女たちを踏みにじって生きる平和は、さぞ生きやすいのだろうなと。
いつまで待っても、魔女の少女は建物から出てこなかった。そのうちに焦れたわたくしは、わずかな逡巡の後にその酒場へと足を踏み入れることにした。
Closeの看板がかかっていようが気にすることなく、そっと扉を開く。カギはかかっていなかった。
うす暗い店内には、人影はなかった。ただその奥、カウンターの向こうにぽっかりと開いた壁が存在した。そこから、小さな声が聞こえていた。黒々としたその扉は、まるで地獄の入り口の先のように思えた。
酒臭い店内を、足音を立てないように進む。非現実さを感じさせるスニーキングに気分が高揚していた。
扉の先へと、滑り込む。狭い店裏の通路を歩き、部屋を歩き、地下へと続く扉を見つけた。まるで、わたくしを誘うように、その扉は開かれていた。
ここにきて、わずかに違和感を覚えた。あるいは、これ以上踏み込むべきではないと心が叫んでいた。
けれどわたくしは、好奇心のままに、その奥へと踏み込んだ。
踏み込んで、しまった。
その先には、わたくしと同じ、貴族社会に潜む魔女の姿があった。けれど、見る影もなかった。
美しい貴族の少女であったはずの彼女は、拘束されたうえで壁に貼り付けられ、男たちに暴行を受けていた。全身あちこちに打撲痕が見えた。青あざを作り、口の中が切れたのか唇の端から血を流す彼女は、ただ濁った眼で男たちを見ていた。
暴行は続く。熱狂する男たちの罵声がわたくしの心を震わせた。小さな、歓声にかき消されて聞こえるかどうかといった苦悶の息が少女の口から洩れる。
何度も、何度も、拳が、爪先が、棒切れが、彼女を襲った。繰り返し、繰り返し。
男たちの言葉から、これが何の集まりであるかをわたくしは理解した。
これは、少女の処分だった。悪行を積み重ねていた貴族を殺させた魔女を、足がつかないように闇に葬る。けれどただ処分しては面白くないと、彼女を抱えていた貴族は、彼女を他家の貴族の次男三男という、自分の現状に不満を持っている若い貴族たちに売った。
そうして、憎き魔女への暴行会が幕を開けたのだ。
わたくしはただ、見ていることしかできなかった。傷を負う彼女は、助けを求めることをしない。しても意味がないと察していたのかもしれない。ただ、彼女は耐えていた。それしか、魔女には許されていなかったから。
悲鳴が上がらないことに不満を持ったのか、男たちの暴行はさらに苛烈なものとなった。女性としての尊厳を、人間としての尊厳を踏みにじった。
わたくしは、本当にただ、見ていることしかできなかったのだ。恐怖で体が震えた。こみ上げる吐しゃ物を必死に飲み込んだ。動けなかった。けれど目をそらすこともできなかった。
ぐるぐると、胸の中で何かが渦巻いていた。黒々としたその感情が、激しい熱となってわたくしの手足に、脳に浸透していった。
怒りが恐怖を超えて、わたくしはその部屋へと殴り込んだ。
怒りのままに呪術をふるった。ばれるかもしれないとう後悔は、恐怖はなかった。呪術師とばれれば目の前の少女と同じ目に合うかもしれないとわかっていたけれど、それよりも今動くことが重要だった。
ここで逃げれば、わたくしは呪術師にも貴族にもなれない。貴族が清廉潔白な存在であるとは思っていない。呪術師として生きることが素晴らしいとも思っていない。
けれど、魔女を踏み台にして平穏を享受する人間と同じになることが、あるいは状況を知りながら見て見ぬふりをする畜生にだけはなりたくなかった。
呪術を発動し、貴族子息を焼き殺す。
その悲鳴は、ひどく心地よかった。
貴族令息の数名がわたくしの背後の扉から逃げて行ったけれど、追うことはしなかった。それよりもすべきことがあった。
壁につながれた彼女のもとへと歩み寄った。そうして、彼女に触れて。
わたくしは、己の失態を悟った。
苦悶に顔をゆがませる彼女は、もう息をしていなかった。
布で包んだ少女の遺体を横抱きに抱いて、わたくしは外へ向かって歩き出した。わたくしを誘うように開かれていた扉を通って、地上へと歩む。
まばゆい日差しに目を細める。その先に、無数の人影があった。
まだ光量の調節ができていない視界の中、けれど多数ある影の中に見覚えのある人影を見た。
「……君はその道を選んだのか」
どこか冷たい、けれど煮えたぎるような激情をはらんだ声で、彼は告げた。わたくしの、婚約者だった男。
彼が号令するとともに、背後に控えていた騎士たちがわたくしを取り囲んだ。
呪術によって抵抗する気はなかった。ただ、腕の中にいる少女を眠らせてあげたかった。
「……墓に行くわ。連れていくならそれからにしなさい」
一歩踏み出すと同時に炎を生み出す。途端に、どこか懐疑的だった騎士たちの顔に憎悪が宿る。ああ、やっぱり、呪術師だと判明した途端にこれだ。これまでの努力も功績も、魔女であるという一言ですべてが無に帰す。
この国の在り方はイカレている。けれど、どうでもいい。
騎士たちに取り囲まれながら、わたくしは墓地に向かった。その外れ、準備中だったのかぽっかりと空いた穴に少女の遺体を横たえる。
疲労感で重い腕に鞭打って、彼女の体へと手を伸ばす。炎を、生み出す。
呪術師の炎で悪いけれど、どうか天に昇って安らかに眠りなさい――そう祈ってから、わたくしは抵抗せずに捕らえられた。




