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白百合の涙  作者: 雨足怜
魔女編

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70選択

 地面に投げ出された。見覚えのある場所。やみくもに走っていたように見えたキルハが私を運んできたのは、ワルプルギスの拠点へと続く道があった場所だった。

 無機質な瞳を向けるキルハにつかみかかる。マリアンヌのことなど路傍の石にしか思っていなさそうなその顔に、拳を叩きつけてやりたかった。


「どうして……どうして逃げたの!?私は戦えた!私たちが戦っていれば、マリアンヌもアベルも今ここにいたはずなのにっ」

「無理だよ」

「無理じゃない!」

「無理だよ!想定外だ!騎士たちの戦力が多すぎる。何より、こちらは袋のネズミだった。あの場所には、あちこちに騎士がいた。あのまま戦っていたら、僕もロクサナも殺されていた!何より、君が魔女だとばれることが最悪だった。死んでもよみがえる魔法なんてものがばれたら、君は凄惨な実験体にされる。それだけは、それだけは御免だッ」


 キルハの指が私の肩に食い込む。痛くて、けれどそれ以上に、キルハの頬を伝う涙に意識が吸い寄せられた。


「……それでも、戦うべきだった」

「いいや、逃げるしかなかったよ。騎士たちは数も武装も上だった。あのままじゃ勝てなかった。それに、僕の予想ならマリアンヌは、それとアベルは、まだ殺されない」

「…………どうして、そんな楽観的なことが言えるの?」

「失踪事件と、アマーリエさんのことだよ。多分、王国は最近、魔女を集めている。殺すんじゃなくて、魔女をとらえて何かをしようとしている。それは、僕の予想が正しければ、魔具に関係しているはずだ」


 ワルプルギスの魔女の失踪と、アマーリエの行方不明。それがもしつながるのだとすれば、行方が分からない者たちは皆が禁忌監獄に運ばれている。キルハは、そう考えたわけだ。

 でも、違うかもしれない。そのまま殺されるだけかもしれない。特にアベルは魔女じゃない。殺される可能性のほうがずっと高い。それに、殺されないとしても、殺されたほうがましだっていう目にあうかもしれない。


「そうだよ!でも、こうするしかなかった!僕にとって最も大事なのはロクサナだ!ロクサナを勝てない戦いに参加させるつもりはない。本当は、ロクサナにこれ以上戦ってほしくないんだ。でも君が戦うというのなら、せめて少しでも勝率を高くする。それが僕の覚悟だよ。ロクサナ、君は覚悟してるんだね?」


 覚悟、覚悟?そんなものが覚悟?私はもっと覚悟している。死を覚悟している。その私の覚悟を侮辱するようなことをしたキルハが、覚悟を問うの?


「覚悟くらい、とうにできているよ」

「本当に?戦いで、僕が死ぬとしても?」

「ッ!」


 わかっていた。その可能性だって、考えていた。キルハは死んだらそれで終わり。マリアンヌも、アベルもそうだ。あそこで私たちが戦っていたとしたら、マリアンヌは捕らえられるまでもなく殺されていたかもしれない。アベルも、キルハも。

 でも、私は、私、は――


「ここでこうして言い合いをしていても何にもならないよ。まずは戦力だ。手が足りない。だから、ワルプルギスに協力を求めるんだ」

「……でも、私は魔力を操作できない」


 ここには確かに、ワルプルギスへと続く道がある。でも、私は魔力を操作できない。うまく認識すらできない。

 でも、そんなことはキルハはわかっていて。キルハは、私から視線をそらして、おもむろに壁に描かれた五芒星へと手を付ける。


「魔力がないキルハがやっても――ッ!?」


 手が、壁から離れる。その先、描かれた模様は、淡く光っていた。


「……嘘」

「嘘じゃないよ。見ての通り」

「なんで……まさか、キルハも魔女になったの?」

「いいや、多分後遺症だね」


 後遺症?どういうこと?何かあったの?何があったら魔力が体に宿るの?


「そんなことはどうでもいいよ。ほら、行くよ」


 そういったキルハが私から目をそらして、壁のほうへと向いて――


「行くって、どこに?」


 返事はない。そこには、進むべき道はなかった。先日、案内されたときに出入りしたワルプルギスの拠点への入り口は開くことはなかった。


「どうしてだ?魔力が足りないからか?」


 もう一度、キルハが壁に手を付ける。多分、魔力を壁に流した。紋章は光る。先ほどよりその光は強い。多分、マリアンヌが注いだ時と同じくらいだ。

 でも、壁に穴が出現することはなかった。そこには相変わらず、灰色の石の壁があった。暗い、底なしの闇みたいな穴はない。


「……ああ、そうか。ワルプルギスは、キッシェの処刑に対して何もしないことを選択したんだ。キッシェを見捨てて、闇に潜ったんだ」

「どう、いうこと?」

「はは、ワルプルギスへの助力を求めることはできないってことだよ。僕たちにはもう、彼女たちとの接触方法が存在しない」


 乾いた笑い声が空虚に響く。光を失った瞳は、私を見るようで見ていない。


「……まだ、まだある。ハンター協会の支部長ならワルプルギスと連絡が取れるかもしれない」

「無理だよ。ハンター協会は、魔女を登録した件で現在騎士の監視下にある。協会の役員は全員軟禁されているよ」

「……忍び込んで接触する?」

「戦いの前に戦力を浪費するの?今の僕たちにとってのアドバンテージは、敵が僕たちの存在を知らないかもしれないというただ一点に限られるんだ。その利点を失ってまで、連絡手段を持っているかどうかもわからない相手への接触なんて愚策だよ」


 じゃあ、どうすればいい。もう剣戟の音は聞こえない。アベルとマリアンヌが、こうしている今も傷つけられて、死んでしまうかもしれない。


「……選択の時だね。マリアンヌたちを見捨ててのうのうと暮らすか、二人で決死隊を組むか」


 投げやりなキルハだけれど、その目が告げている。僕はそんなことは許さないと。ロクサナが――私が騎士につかまるなんて許さないと。

 でも、私の思いはとうに決まっている。私の、私たちの日常には、マリアンヌとアベルの存在がないといけない。二人のいない日々で、きっと私はくるってしまう。後悔に、罪悪感に、押しつぶされる。


「……私は行くよ。キルハは残ってくれていい」

「マリアンヌとアベルを助けに行くために?」

「違うよ。マリアンヌとアベルと……アマーリエを、助けに行くためだよ。そして、レイラへの贖罪のためでもあるかな」


 目を見開いたキルハが、何かを言おうとして。けれど言葉にならない息だけが半開きの口からもれた。

 仕方ない。私一人でも、助けに行く。不安だ。前とは違って、私は一人で騎士たちに立ち向かう。

 キルハもマリアンヌもアベルも、ディアンも、誰もいなくても、私は行かないといけない。


「それじゃあ、私は行くね」


 立ち尽くしたキルハに背を向けて歩き出そうとして。肩がつかまれる。


「…………いい?絶対に無茶はしないこと」


 キルハが一緒にいる。それだけでなんでもできる気がした。わかってる、これがただの現実逃避だって。


「――それは、約束できないかな」


 キルハの目を見ないようにして告げて、私は顔を見られないように足早に歩きだした。

 禁忌の監獄――王都にある、魔女たちの収容所に向かって。


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