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白百合の涙  作者: 雨足怜
アヴァンギャルド編
7/96

7呪術師

残酷描写があります。

特に食事前に読むことはお勧めしません。

 顔の半分だけが温かかった。

 幼いころ両親と川の字になって、父親に腕枕をしてもらって眠った時のように、頬に熱を感じた。さわさわと髪をなでるのは父の手だろうか?いいや、たぶん違う。父の手はもっとごつごつしていて、指は太くて、そしてなでる動きはもっとぎこちなかった。私は父になでられてぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えながら、いつもぶつくさ文句を言った。母はそんな私たちを見ながら、楽しそうに笑っていた。おなかをなでる動き……ああ、その時の母は弟を宿していた。


 そんな父と母は、もういないのだ。二人は、魔物に食われて死んだ。

 ありふれた死だった。

 この世界で人は、魔物に食われて死ぬか、盗賊などの悪人に襲われて死ぬか、病で死ぬか、多くはそのどれかだ。貴族の中には毒で死んだり、処刑されて死んだりという例外もいるが、それはさておき。人類生存圏外からふらりと現れた凶悪な魔物は、小さな村や街の一つくらい軽々と滅ぼし、そこにいたすべての人間を殺し、あるいは食らう。それが常識で。

 だから、私と弟、そして村を守るために魔物を引き付けて森に走った母親の選択は英断だった。


 私が暮らす村を含めた周囲一帯を統治する貴族様に税の農作物を届ける旅の帰り。弟は近所のお姉さんのもとで留守番。あの場に弟がいなかったことだけが、唯一の幸運だった。もし弟がいれば、私も弟も、皆が死んでいた気がする。


 村が目前に迫ったところで、無数の腕をはやした気持ちの悪い魔物が私たちの前に現れた。その存在からは、死のにおいが――体にこびりついた血のにおいがした。

 吐きそうだった。体は震え、呼吸がうまくできなくなった。圧倒的強者の存在を、私は初めて知った。私は、初めて魔物という脅威にさらされた。

 魔物が腕を振るって。攻撃対象となった私を守るべく、父はその軌道に割り込み、片腕を骨折した。あらぬように腕が曲がって、私の喉から悲鳴にもならなかった息が漏れた。目をつむることさえ、できなかった。

 目をつむれば死ぬ。動けば死ぬ。そう感じていた。

 無数の腕が、父の体をつかんだ。イソギンチャク、あるいはウニのように触手のような無数の腕が生えるその魔物は、体を縦に割るように大きな口を開いて、父の体を飲み込んだ。絶望に顔を染めながらも、逃げろと叫ぶ父の顔は……思い出せなかった。そして、父は魔物の口内に消えていった。伸ばした手が噛み千切られて大地に転がった。

 ぐちゃばきべきぶちゅ――咀嚼音は、私の耳にこびりついて今でも離れない。

 顔を真っ青にした母は、絶望に体を震わせながらも、それでも私たちの「母」だった。


 大好きよ――そう言って私たちの頭を撫でてくれた母親は、私たちを助けるために決死の行動を開始した。

 震えながらも、母は私たちの前に進み出て、食事に集中している魔物の横をぐるりと回って斜め後ろへと移動した。


『逃げて――早く!』


 そして、ややヒステリックに叫びながら、近くに落ちていた小石を魔物に投げた。

 カツン――魔物の体にぶつかった石が地面を転がった。

 まるで金縛りから解放されたように、私は動き出した。もつれそうになる足で、勢いよく走りだした。

 涙で視界がにじんだ。恐怖ですくむ体はいうことを聞かなくて、足が絡まった。

 体が地面を滑り、膝小僧がひどく痛んだ。たった十メートル少々走っただけなのに、ひどく呼吸が荒かった。

 恐怖がこれほど体の動きを悪くするということを、私は初めて経験した。この経験があったからこそ、私は弟とその恋人が危機的な状況にあるとき、二人を害そうとする強者たる男に我武者羅に向かっていくことができたのかもしれない。


 痛む体に鞭打って、私は立ち上がった。

 そして、振り返った。どうしてそんなことをしたのか、今でもわからない。すぐにでも再び走り出して逃げるべき状況で、私は背後の魔物と母の姿を視界に収めた。

 そこには、何度も魔物に石を投げながら、茂みのほうへと走っていく母の後ろ姿があった。攻撃のおかげか、体のサイズが理由か、魔物は母を追った。母の決死の行動は、無駄ではなかった。それでも、いつ母が魔物に追いつかれるかわからなかった。もし母が食べられてしまえば、今度は自分――そう考えれば、私はもう、まったく足が動かなかった。

 自分の死という恐怖に飲まれたからではない。これからの日常から父と母がいなくなるということに、心が耐えられなかったからだった。

 これは夢だと、私は自分に言い聞かせていた。質の悪い夢だ。私は今、眠っているんだ。目を覚ませば、母は「どうしたの?」と言いながら頭を優しくなでてくれる。抱き着いてきた私を、父はやっぱりなれない動きで髪を掻き交ぜるようになでてくれる。


 ああ、そんなはずがない。膝小僧の痛みも、苦しいほどに荒い息も、地面の感触も、母の叫び声も、すべてが、これが現実だと突き付けていた。


 立ち上がれない私の姿を目にした母が叫んだ。逃げて、走って、と。

 けれど私の体はやっぱり動かなかった。そして、私は母から目を離そうとも、思わなかった。

 母を見るのが、これで最後になるのではないかと思った。父のように、目の前から姿を消すのだろう――そう思えば、目からとめどなく涙があふれた。母を見失いたくないのに、あふれる涙は私の視界から母の姿を消してしまう。涙をぬぐうことだって、できなかった。

 そんな私を見て、母はたぶん、困ったように笑った。遠くにあるその顔は、体の輪郭さえも涙でにじんでよくわからなかったけれど、そんな雰囲気をしていた。


 そして母は、弟を頼むと、告げて、それから――

 幸せになってと、そう告げて。振り向くことなく茂みの奥へと飛び込んだ。

 弟――その単語が、呪いのように私のすべてを縛っていた鎖から、私を解き放った。


「いかないで!」


 震える口から言葉が飛び出した。

 目をこする。手を伸ばした。消えていく母を止めるべく、その手を必死に伸ばした。母はまだ、死んでいない。まるで時が止まったように、枝に消えようとする魔物の姿がある。

 ああ、これは夢だ。次第にぼやけていくすべての輪郭が、体の不思議な浮遊感が、私にそう告げる。

 今の私なら、母を襲うあの魔物――イビルイーターを容易く斃せるから。だから逃げなくていいと、私たちを守ろうと命を掛けなくていいからと、そう思って、私は地面に伸びる草をむしるように大地をつかみ、体を起こす。手を、さらに前へと伸ばすように、突き出す。

 けれどその手は、母に届くことはない。母はもう、過去の存在だから。


 誰も、その手をつかむことはないと思っていた。けれど、少しだけためらうように、伸ばした私の手に触れるものがあった。男の手。父とは違う、細くて長い指、私とは違う肉厚な手のひら。肌のかさつきが、不思議と胸にしみた。その手の状態は努力の証だ――父の言葉を思い出して、涙が流れた。


 父も母も、もういない。


 気づけば、私の頭を撫でる手の動きはなくなっていた。あれも、夢の世界の出来事だったのだろうか。

 うっすらと、目を開いた。涙でにじんだ視界で、まるで星屑のように、わずかな光が揺れていた。

 天へと伸ばした手とは反対の手で涙をぬぐう。


「あんまり大きく動くとマントが落ちるよ」


 体にかけられているマントのことだろうか。

 言葉とともにずり落ちかけていたマントの端を握って、その手の主はマントを私の肩まで持ち上げた。

 キルハの顔があった。後頭部に柔らかい感触。横になっている体。視界には、真っ暗な夜と、枝葉の先から覗く星明りと、揺れる焚火の光。ささやくように音を立てる葉擦れの音。そして、つながる二人の手。


 キルハの手が私の手の中からするりと滑り落ちていく。手持無沙汰になった手を一度、ゆっくりと握る。そこに残っている熱を、確かめるように。

 なんとも言えない表情を浮かべているキルハの顔が、炎の揺らめきに照らされてぼんやりと闇の中に浮かび上がっていた。


 口を開く。嗄れた声が出た。


「私はどれくらい眠っていたの?」

「四時間くらいかな。今は日が落ちてから一時間ってところだね。体の方は大丈夫?痛むところがあったら言ってよ」


 そう言われて、私は名残惜しさを覚えながら、頭をキルハの太ももから持ち上げる。やっぱり膝枕だった。

 キルハは足がしびれてはいないだろうか。私の体は、重くなかっただろうか。どうして、膝枕なんてものをしていてくれたのだろうか。私は何か、変な寝言を言ってはいなかっただろうか。寝顔はおかしくなかっただろうか――ああ、でも、泣き顔は見られてしまった。慌てて目を手の甲でぬぐった。

 それに、どうしてキルハは私の手を握ってくれたのだろうか。手をつないでつなぎとめていないと、どこかへふらりと消えてしまうようにでも思われたのだろうか。頭に感じていた手の動きは、現実のものだったのだろうか。夢ではなく、キルハが私の頭を撫でてくれたいたのだろうか。


 無数の思考が泡沫のごとく浮かび上がっては消えて行く。それらの思いをかみしめながら、私は男物の長いマントで体を隠しながら立ちあがった。少しだけ体は重かったけれど、それだけ。手を握っては開く。違和感はない。全身に意識を向ける。

 痛みはなかった。当然だ。何度も死んで、私の状態は十五年前のあの日、魔女として覚醒した日に戻っているのだから。疲れ知らずの若い肉体は、程よい疲労の中にある程度で、特に激しい痛みはなかった。


 それから、私は周囲へと視線を向ける。揺らめく焚火を取り囲むのは、相変わらず場違いな、妖艶な踊りを披露する美女と、彼女の踊りに歓声を上げる男たち。その光景を、私はぼんやりとみていた。頭がうまく回らなかった。


 何かを言おうとして、のどに違和感を覚えた。

 ひどく喉が渇いていた。けれど、渇きを潤すより先に、聞かなければならなかった。


「何人、死んだの?」


 八人だよ――キルハが、感情のうかがえない声で答えた。

 八人。多すぎる。主力部隊八人が死ぬような事態など、私には想像もつかなかった。

 ……主力部隊以外にも被害があったのだろうか。ろくに戦闘能力を持たず、恐怖から戦うことも拒否して引きこもる者たちにも被害があったのだろうか。その死者を含めての、八人、だろうか。

 そんな私の疑問に気付いたからか、キルハが少しだけ顔をゆがめる。苦しげな、表情。私は、彼がそんな顔をするときに決まって考えていることを、知っている。私が記憶を失っていることに気づいたときの顔だ。それも、忘れてほしくないとキルハが思っているだろう記憶を、私が失ってしまった時の顔。


「……レミという名前に、心当たりは?」


 レミ、口の中でその名をつぶやけば、かすかに心が揺れた。水面に、小さな波紋が広がる程度の心の揺らぎ。多分、私はレミという人物と交流があったのだろう。けれど、忘れてしまっていた。私の中から、その人物に関する記憶が消えていた。

 波紋が、次の波紋を呼ぶ。喪失した記憶たちが、最後の声を上げていた。その声は、私には読み取れない。


 私は、静かに首を横に振るしかなかった。キルハの顔が引きつる。眼窩の中で揺れる瞳を、私はじっと見つめる。私に話すべきか――キルハの決断の結果を、無言で求め続けた。


 果たして、キルハは乱雑に髪を掻いた後、うめくようにレミのことを話し始めた。

 アヴァンギャルドにおいて畑作をしようとする変わり者であったこと。私もレミに協力して、魔物の骨髄を集めていたこと――骨髄を集めたこと自体は覚えていた。苦節三回の挑戦の果てに、レミは死が隣にあるこの場所でおいしい野菜を育てるに至ったという。なるほど、魔物の襲来が頻繁にあるこの森で、野菜を育てきるとは恐ろしい執念だと思う。


 そして今日、私はレミたちが作り上げた畑を守るための防衛任務に就いていたのだという。七人の、農作業に従事する者たちと畑を守るための任務。……七人?

 視線をさまよわせる。レミという人物の姿も、私が全く見覚えのない者の姿もない。レミを除く六人の死者の記憶を、意識の中に探す。やっぱり、レミの時と同じく記憶は見つからない。

 レミは、レミたちは、どこにいるのだろう――ああ、いや、私が何度も死んで、記憶の欠けがほとんどないドラゴンとの戦いの中にレミに関する記憶がないのだから、予想はつく。


 彼女たちは、死んだのだろう。


 手が、震えた。まるで何かを求めるように、私の右手は指を動かしていた。

 その手が、何かをつかんだ気がした。熱を、思い出した。何の熱だろうか、何か、私の心を落ち着けるような、同時に私の心をひどく絶望させる熱が、その手の中に灯った気がした。


「……すごい人だね。この土地で農業なんて」

「うん。すごい人だったよ」


 レミたち七人が死んだと聞いて、私は悲しくならなった。キルハの話からして、かなり交流があったはずの者たちの死に、私は心揺さぶられることはなかった。

 もし、キルハが死んで。それから私がキルハのことを忘れてしまっていることを知っても、今と同じように何も感じることがないのだろうか。

 ――それは嫌で、そしてひどく恐ろしかった。


 心の中で暴れようとする思考を、首を振ってたたき出す。代わりに頭の中に浮かんだのは、死者の数について。

 八人が、死んだという。

 それは私とともにいた、レミたち畑部隊を含んだ死者の数……なわけがない。なぜなら、目の前で各々が好き勝手に活動しているアヴァンギャルドの精鋭たちは、明らかに数が減っていたから。私が守れなかったレミたち七人に、主力部隊八人が死んだ。覚えている八人の死が私の心を揺さぶる。会話をしたことのある相手も、死んだ者に含まれていた。もう二度と彼らと話せないことに絶望し、さらには同じように死んだレミに対して絶望できない自分が気持ち悪くて、私という人間がおぞましい怪物になり果ててしまっていると突き付けられた気がした。


 私は、化け物だ。


 胸の中で暴れる苦しみを抑えるように、ぎゅっと胸元の服を握りしめた。八人の死が、ぐるぐると頭の中で回る。そこに、レミたちの死を悼む思いは混じらない。


 もう一度、顔を上げる。少しだけ暗い雰囲気を放つ戦友たちを見回す。

 八人。

 平凡な村人たちが魔物の領域の奥深くまで行けば、全滅は必至だ。優秀なハンターたちであれば、半分ほどは死んでしまうかもしれない。けれど、アヴァンギャルドの精鋭たちが八人も死ぬというのが、やっぱり私には想像もできなかった。八人、八人だ。これまでこの森で平然と生きてきた、人間社会の爪弾き者にして、強者へと転じた超人たち。そんな者たちがもう少しで両手の指の数に届くかという死者を出したというのは、異常事態に他ならなかった。

 ぬるりとした湿った風が、私の頬を撫でて背後へと吹き抜けていった。大きな焚火の周りで歓声を上げる者たちの声も、今日はどこか空虚に聞こえた。無理矢理に、死を忘れるために、歓声を上げているのだろうか。

 だって、どれほど奇人変人で、この魔物の巣窟で戦い続けて精神をすり減らしたとしても、彼らもまたただの一人間に過ぎないのだから。死は、怖いのだ。仲間の死は、わずかとはいえ心の重しになるのだ。


 レミたちの死を悼むことのない、私とは違って。


「……何があったの?」

「呪術師の襲撃だよ」


 呪術師の、襲撃。名前を告げないということは、アヴァンギャルドの人物ではないということだろうか。いや、そうではない可能性もある。


「呪術師?まさか、新しくアヴァンギャルドに来るはずだった人がやらかしたの?」


 以前にも、最前線に送られたことが気に食わないと暴れた存在は多くいた。基本的に社会不適合者の集まりであるアヴァンギャルドは、構成員同士の交流が少ない。多少集団行動の形になっていても、結局のところ個人あるいは少数グループの集まりでしかない。偉大なる先人が作り上げた習慣がぎりぎりのところで集団の崩壊を防いでいるだけなのだ。


 単独行動ばかり。あるいはそれは、一人や少数でもこの危険極まりない世界で生きていけるということを意味していて。けれど新人はそのことを理解していない。

 ある時、アヴァンギャルドに放り込まれる前は高名な貴族であって、ひそかに呪術を使って美女たちを都合よく操っていたという男が、アヴァンギャルドの者たちに喧嘩を売った。

 確かに、彼の呪術の腕はそれなりだった。だが、それは一般的な人間社会での話だ。魔法を使う魔物などざらにいて、彼らの呪術にいいようにもてあそばれないように耐性を獲得していたアヴァンギャルドの者たちには、男の呪術は効かなかった。アヴァンギャルドの美女は、男の呪術にかからなかった。そのことが、元貴族でもあった男の自尊心を完全に粉々にした。

 その果てに、呪術師の元貴族の男は魔物を使役してアヴァンギャルドへの復讐を試み、当時リーダー格であった女性にぼこぼこにされて、死体は森の奥へと捨てられた。


 今回はアヴァンギャルドすら翻弄する新入りが現れたのかと、私は戦々恐々としながらキルハに尋ねて。

 けれど彼は、静かに首を横に振った。


「じゃあ、キルハたちを襲った呪術師って誰なの?」


 そうつぶやいた私の声は、ひどくかすれていた。聞きたくないと、心が叫んでいた。まるで後戻りできない道に踏み込んでしまうような怖さがあった。

 嫌な予感がした。

 だって、こんな森の中にあえてやってくる呪術師なんて、しかもアヴァンギャルドに喧嘩を売って八人も精鋭を死なせる存在なんて、まともな存在のはずがなかったから。


 わずかにためらいを見せながらも、キルハは私の予感を肯定する最悪な可能性を告げた。


「敵は、王国が秘密裏に抱える呪術師の一人だよ。術者としての格や服装、そして国王陛下を敬愛するような言動から……まあ、徹底的に体に叩き込まれて覚えた口先だけの賛美だろうけれど……たぶん、それで確定だよ」

「どうして王国の呪術師なんて存在が出張ってくるの……?」


 国が秘密裏に、危険な呪術師や魔女を抱えている。そんな噂は、辺境の私の村にだってあった。最も、村では「王国が」ではなく「領主が」という話だったが。


 権力を持った存在が次に所有しようともくろむのは、自らの権力を守るための武力だ。だから、王国という巨大な組織がその体制を維持するために魔女を取り込むというのは、至極当然な話だった。国の防衛と統治に欠かせない魔女たちを排斥する姿勢を貫き続けながらの「魔女の所有」というあたりには、いささか疑問を禁じ得ないが。

 そして、魔女を所有していることがばれた場合には国家の崩壊すらありうる。そんな国お抱えの秘密集団である呪術師が、こんな辺鄙なところとはいえ人前に出張ってきているという事実は非常に問題だった。

 王国の維持のために欠かせず、そして存在が露呈してはいけない呪術師を送り込む。例えアヴァンギャルドの者たちが魔物の領域から動けないために秘匿情報がまず広まらないということを加味しても、国がそのような暴挙に出る理由がわからなかった。


 私たちが国が抱える魔女の存在を知ることで、魔法などで外部に噂をばらまく程度のことはできるかもしれないと、国は理解しているはずだ。恨みによって国を混乱に陥れるくらいのことは、アヴァンギャルドにいる多くの者が実行するはずだ。まるで餌をぶら下げるように秘匿していた国お抱えの魔女を見れば、特に、魔女だからという理由だけで捕らえられた者は国への復讐に腐心するに違いない。

 そして何より、アヴァンギャルドとは巨悪たる犯罪者たちを魔物との戦線に送り込んで、人類と魔物の境界を維持するための礎として役に立ってもらうための、処刑を兼ねた組織なのだ。そのうち魔物に殺されて死ぬだろうアヴァンギャルドの者を王国がわざわざ殺す理由はなく、さらには魔物と人の均衡をかろうじて保っている現状に大きく貢献しているアヴァンギャルドの弱体化あるいは壊滅は、人類の滅亡を引き起こしかねない最悪の行為だった。


 だから、国が私たちを攻撃するはずがないと、そう思いたいのに。キルハの強い目は、王国が私たちを殺そうとしているかもしれないという事実から私の心を逃してはくれなかった。


「……国は、アヴァンギャルドに変わる戦力の確保に成功したのかな?あるいは、この国の外、魔物の領域の先にある大国にでもつなぎをつけることができたの?そんな国があるのかは知らないけれど……」


 アヴァンギャルドを襲撃して崩壊させる――自らの首を絞めて人類を滅亡に向かわせるような行動に国が出る理由としては、そのくらいしか浮かばなかった。要は、本来は処刑するはずのアヴァンギャルドの者たちがいらなくなる状況にあるのではないか。

 そう、思いたかった。けれど、キルハは私の言葉を肯定することはなかった。無表情で肩を竦めたキルハは、私ではなく、どことも知れない虚空を見つめていた。

 黄金の瞳は、まるで感情のかけらもなく、のっぺりとした輝きを帯びていた。月のような、心ない光をたたえた目が、ゆっくりと私の方へと向く。

 その目でわずかに揺れたのは、焚火の光か、あるいは。吹き抜ける風が運ぶ葉が一瞬私の視界からキルハの姿を隠した。


 再び顔が見えたキルハは、やっぱり静かな目で私を見ているだけだった。瞳には、強い輝きなんてない。


「何も、確証はないよ。でも、今この国に、ゆっくりと滅びに向かう現状を覆すような力はないと思うんだ。ロクサナ、君に呪術を施して、魔物の領域から脱走できなくした呪術師は覚えてる?」

「国が利用していると公言している唯一の呪術師だよね?もちろん覚えているよ」


 脳裏によぎるのは、鉤鼻の、絵本に出てくる悪い魔女そのものの外見をした老婆だった。白髪交じりの髪にはつやがなく、貴族重鎮の前だというのに目深にかぶったままのフードの影が落ちて、その顔はひどく不気味だった。痛々しいほどの真っ赤なルージュが彩る唇が、青白い顔の中で不気味に浮かび上がっていて。動くたびに、首につけられた痛々しい金属の首輪と、そこから伸びる鎖がじゃらりと音を立てて揺れた。

 しわがれた声で、彼女は歓喜するように打ち震えながら、国王をたたえて呪術を使っていた。そうして、私たちアヴァンギャルドの者たちはその身に契約を刻まれ、魔物の領域から脱走を図ると死すら生ぬるい激痛にさいなまれるようになる。


 あの呪術師だけは、国が存在を公言している人物だった。最高審判とやらに登場し、罪人を縛って償いをさせる魔女。

 彼女が国王を心からたたえている様子だった理由が、私には今でもわからない。


「で、あの老婆がどうしたの?」

「そこだよ。僕が知る限り、彼女はもう相当な歳だ。僕の見立てでは、彼女はそれほど永くなかったよ」


 永くない――その言葉を口の中で転がして、私は首をかしげる。あの老婆が死んだから、何だというのだろうか?彼女の跡を争うために、国が抱える呪術師たちが功績を得ようと勝手な行動を繰り返している、というのだろうか。基本的に排斥され、まっとうに生きることの許されていない魔女、あるいは呪術師にとって、魔女として大手を振って生きることができる老婆の地位はひどく魅力的なのかもしれない。

 その首に、重い首輪がついていようとも。


「彼女の立場を手に入れたい魔女たちが動き出したの?」

「まさか。確かに魔女や呪術師たちにとって彼女の地位は魅力的かもしれないけれど、国の思惑に反する行動をとれば、直ちに排除されてなんの意味もないよ」

「じゃあどういうわけなの?」


 マント一枚のせいか、あるいは言いしれない恐怖のせいか、ふるりと体が震えた。

 くしゃみを一つ。今の震えは肌寒さのせいだと、私は自分に言い聞かせた。この身に広がっていく得体のしれない恐怖は、気のせいだと思いたかった。


 戦いの音が聞こえた気がした。血の匂いが、鼻腔をくすぐる。首を振って、それらを追い払う。

 戦いなんて、それも人との戦いなんて嫌だ。

 そんな私の内心を見透かすように私の顔をじっと見つめていたキルハが、小さなため息と共に決定的な言葉を紡いだ。


「彼女が死ぬことで、アヴァンギャルドが機能しなくなることに国がようやく気づいたからだよ」

「アヴァンギャルドが……機能しなくなる。あの呪術師が死ぬことで?どうして?」


 キルハは、答えなかった。正確には、答えようとしたところでその言葉を奪われた。


「そんなの、彼女がわたくしたちにかけた呪術が、意味を失うからに決まっているわ」


 突如背後から投げかけられた声に、びくりと肩を震わせる。振り向いた先には、やれやれと肩を竦めるマリアンヌの姿があった。キルハといいマリアンヌといい、そのジェスチャーはとても様になっていた。知性の象徴だろうか。小ばかにするような動きなのに、美しさすら感じるのだ。……私は、自分が知性の足りない獣だと思っているということだろうか?いや、私は普通の元村娘だ。ただ、呪いのような魔法を手にして、歪んでしまったただの元村人だ。


 顎を上げ、マリアンヌは馬鹿にするように私を見てくる。だが、私はそんなマリアンヌに構っている余裕はなかった。余計な思考を追い払いながら、彼女の言葉を、必死に頭の中でこねくり回した。

 呪術師の女が、死ぬ。そして、呪術が意味を失い、アヴァンギャルドが機能しなくなる。そのことを理解した国が、アヴァンギャルドに属する者たちを、消そうとしている。

 ――つまり。


「彼女の呪術は、彼女が生きている間しか機能しない?」


 そうよ、とようやくその結論に達した私の察しの悪さをあざ笑うように、マリアンヌが鼻を鳴らす。赤毛が揺れて、露出した豊満な胸元に毛先がかかる。白い肌が一層白く見えて、マリアンヌの妖艶さが引き立っていた。

 無意識のうちに、私は自分の胸に手を当てていた。柔らかくなんてない。何故か、無性に泣きたかった。すでに体の余分な水分は尽きてしまっていると思っていたけれど、涙腺が緩んでいるからか、目に涙がにじんだ。

 あくびをするふりをした。それから、あくびで涙がにじんだのだというように目元をぬぐいながら、思考を巡らせた。


 アヴァンギャルドという組織は、呪術師の契約あるいは支配によって成立していた。

 本来は決して制御することなどできない異常者たちを契約という呪術で縛って戦場送りにして、そこから逃げ出すことを許さない。放り込まれた凶悪犯罪者たちは、生き抜くために襲ってくる魔物たちと仕方なく戦うことになり、人類の防波堤としての役割を果たす。


 ただ殺すだけの死刑囚たちを有効利用するそのシステムは、犯罪者たちを魔物の領域にとどめておく鎖がなくなれば、崩壊する。


 呪術師が死んで、アヴァンギャルドの構成員たちを縛る呪術がなくなり、魔物との戦いの中で超人へと至った者たちが社会に放たれる。契約というくびきから解き放たれた犯罪者たちが、あるいは王国への怒りに燃える無実の者たちが、国に牙をむくのだ。


 ああ、それこそ終末のような世界だと、そう思った。間違いなく、アヴァンギャルドのほとんどの者たちは、捕らえられる前までのように、自分たちの欲求に忠実に生きていく。魔女だから捕らえられた者たちは、一部は平穏を求めて姿を消すだろうが、いくらかの者は国に復讐するだろう。


 魔物との戦いの中で成長した彼らは、これまで以上の能力を発揮してやりたい放題するだろうと思われた。


 特に、大量殺人を行った者などが解放されれば、計り知れない惨状を生むことになる。

 たとえアヴァンギャルドという組織が消滅することによって防衛がままならなくなって人類の生存圏がさらに小さくなるとしても、アヴァンギャルドの者たちが生み出しかねない惨劇を防ぐという意味では、国の方針には納得すらできた。

 一度捕らえた者たちに逃げられたせいで悲劇が起きましたなど、民衆にとっては格好の攻撃対象だ。


 魔物と、アヴァンギャルドから解き放たれた者たちという二重苦に責められることを避けたい国の行動は間違っていないのかもしれない。けれどそれに巻き込まれる側としてはたまったものではなかった。


 ふと、気づく。もし本当に呪術の縛りがなくなれば、私はどこにでも行けることが可能になるのだと。

 つまり、もう二度と帰れないと思っていた故郷に向かうこともできるのだ。


「……呪術の重ね掛け、あるいは更新はできないの?あの呪術師の後継者が私たちに呪術をかけなおせばそれで終わりの気がするのだけれど?」

「そんなのありえないわね。契約の呪いなんて、これまで発現した人はほとんどいないもの。新たな契約でわたくしたちを縛ることができない以上、国は全身全霊でわたくしたちを殺しに来るわよ。まあ、わたくしは殺されてなんてやらないけれどね」


 真っ赤な唇の間から白い歯をむき出しにして凄むマリアンヌを見て、キルハを見て、私は考える。彼らと、私は違う。私は死ねない。記憶を失いながらも、私は殺されても生き返る。それはつまり、私という存在は国にだって処分することができないということで。私を殺せない国が何を考えるか想像して、私は凍り付いた。


 以前、私は自分が死ぬ方法を考えていた。あるいはそれは、自分が生き返らない方法であり、自分が活動不能になる方法でもあった。

 死んで、生き返る。ほとんど不死に近い異様な魔法も、万能とは言い難い。例えば、両足に重りを括りつけられて海にでも沈められたとしたら、私は溺死と復活を、海の中で繰り返すことになる。たとえ肉体の時間が溺死前に巻き戻っても、そこは海の中。私はそうして生と死をひたすら繰り返すことになる。

 あるいは、土砂崩れにでも巻き込まれた場合。私の肉体は土の重量でつぶされ、そして復活の際、私の体が存在できるスペースはそこにない。海の場合と同じように空気がなくて窒息する以前に、私は自分が認識できないうちに再び土砂に押しつぶされ、復活するのを繰り返すだろう。

 前者の悪辣さはともかく、生死を感じないだろう後者の方法は、私に限りなく死に近い状態を与えるだろう。痛みも苦しみも感じる間もなく、私は死と復活を繰り返す。私は、そうして眠りにつける。けれど、永遠に死んでいられるとは思わない。

 私の周囲の土砂が、復活を繰り返す私の体で少しずつ押し広げられて、窒息死を認識できるようになってしまうかもしれない。いつか大地が動いたりすることで、私は世界に解放されるかもしれない。そして、私の知らない人しかいない社会で生きていくのだろうか。あるいは人類が滅びた世界で、ただ一人生き残った人間として生きていく――その孤独を想像して、当時の私はあわてて思考を切り捨てた。


 そんな悪魔めいた方法で国が私を殺すことがあるかもしれないと、そう思った。あるいは、私が脱出できない地下牢に捕えておくという形でも、私という癌を排除することができる。食事も与えられず、餓死と蘇生を繰り返すことになり、やっぱり御免被る形だけれど。

 つまり、私には死という逃げ道がない。私は、もう二度と国につかまるわけにはいかなかった。何より、不老不死に限りなく近い私は、権力者にとって渇望してやまない夢を叶えるための被検体だろう。その先の未来には、絶望しかない。


 ではどうするか――戦うのだ。国と、国が送り込んでくるだろう魔女や呪術師、兵士たちと戦い、私たちの行動を制限する呪術師の老婆の死まで耐え抜き、逃走するのだ。

 そして、私はもう一度、幸せな日々を送っている弟夫婦の姿を遠くから見たいと思った。


 マリアンヌを見て、キルハを見て、私は覚悟を決めた。


「私も、生きたい。魔女だからなんて理由で国にいいように操られるのも、行動を縛られるのも、もう御免だから。国に捕らわれた先の未来なんて、想像もしたくない。……だから、協力しよう。生き残るために、呪術からの解放の時のために」


 しばらく悩んでから、キルハはゆっくりと頷いた。ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたマリアンヌも、私の提案を拒否することはなかった。


 こうして私はキルハとマリアンヌという共闘者を手に入れて、国の暴虐から身を守るために戦うことにした。

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