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白百合の涙  作者: 雨足怜
魔女編

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67チャロの依頼

 チャロに案内されたのは、落ち着いた雰囲気の応接室だった。その内装を見てキルハが言葉を失っていた。

 研究者として芸術には疎いキルハでも目を見張るような高級感あふれる家具、聞こえてくる呟き曰くどれほどの額があっても買えるかわからないヴィンテージもののアイテムがいくつも飾られていた。私にはただ何となく迫力を感じるかもしれない、という程度だったけれど。

 まあ気圧されていない人材がいるというのは重要だ。ワルプルギスの財力の理解はキルハに任せておけばいい。


「……ワルプルギスとは恐ろしい力を持った組織だね」

「わたしどもは同胞たる魔女を守り、人類を滅びから救うために存在しております。力がなければ大義はなせない。ここにあるのは、わたしどもの覚悟の一端だとお思いください」

「……そうだね、力がなければ何もなせない」


 噛みしめるように反芻するキルハの顔には、わずかな苦痛があった。何か、つらいことを思い出しているのだろうか。

 私の視線に気づいたキルハは静かにかぶりを振り、マリアンヌに続いて黒革のソファに腰を下ろした。

 魔法具で沸かされたお湯で素早く入れられた紅茶の芳醇な香りが応接室に広がる。その香りを楽しんでから、マリアンヌは改めて険しい顔でチャロを見た。


「それで、何か相談したいことでもあるんでしょう?」

「そうですね。けれどご足労いただいたことですし、まずはマリーの、ロクサナ様方の話からお聞きしましょう」

「わたくしの質問は一つよ。シャクヤクはどこ?」

「……盟主様がどちらにいらっしゃるかは、現状わたしにさえ情報が与えられておりません」


 昔馴染みとしての立場を捨て、チャロはワルプルギスの重鎮としてマリアンヌに答える。黄金の瞳の奥を探るも、その言葉に嘘は見えない。

 マリアンヌはソファに深くもたれながらシャクヤクへの罵倒を漏らす。

 幸い、マリアンヌの言葉はチャロの耳には届かなかった。


「場所がわからないということだけれど、機密になっているということかな?それとも、ワルプルギス側でもわからないのかな?」

「わたしでは推察のみになりますが、おそらくは上の者も何も知りません。かなりの慌てようですから」


 ワルプルギスのリーダーにして、最強の魔女。シャクヤクの存在はワルプルギスという組織において非常に大きかった。万が一のことがあってもシャクヤクがいれば大丈夫、そんな全幅の信頼を浴びるシャクヤクがいてこそ、ワルプルギスという組織はまとまりをもって強大な組織であり続けていた。それほどまでにシャクヤクはすごいのだと、憧憬と呆れをないまぜにマリアンヌが語っていたことを思い出した。

 そんなシャクヤクがブラックドラゴン襲撃に立ち会って以来行方が分からなくなっている。それは、組織に衝撃が走るには十分な状況だった。

 完全に手詰まりな状況に沈黙が落ちる。シャクヤクが無事かどうか、不安で肩を震わせるチャロの内心を思いながらも、空気を変えるべく私は口を開いた。


「……シャクヤクにレイラ……私たちが保護していた女の子の母親の捜索をお願いしていたのだけれど、それはどうなってる?」

「レイラ様のご母堂、アマーリエ様のことですね。現状、捜索は難航しております。彼女が囚われた建物を捜索しましたが、すでにその姿はありませんでした。ただ、その場所にて時折不審な馬車が出入りしていたという目撃情報があります」

「その馬車の行き先は?」

「王国王都、おそらくは禁忌監獄です」


 禁忌監獄。その言葉が、衝撃をもって私の心を震わせる。濃密な死と絶望が漂う、冷たい闇を思い出した。

 禁忌監獄とは、王国がとらえた魔女や呪術師を一時的に拘留しておくための王国最高強度の牢獄だ。地下にらせん状に掘り進められた禁忌監獄は天井部分の出入り口以外に脱出は不可能であり、地上部分には騎士精鋭が詰めていた。魔女や呪術師、凶悪犯罪者をとらえておく禁忌監獄は、私はもちろんキルハたちにも覚えがある場所だ。何しろ、アヴァンギャルドに所属していた者のほとんどは一度禁忌監獄に入れられていたから。

 例外はアベルのように自ら望んでアヴァンギャルドに入った者くらいだと思う。


「……禁忌監獄。そこに入れられたのなら、彼女は魔女だったということかな?」

「……わからない。けれど魔女や呪術師の力は遺伝する傾向にあるって話だったよね。なら、レイラが魔女である以上、両親が魔女であった可能性は十分に考えられる……んだよね?」

「そうね。絶対に遺伝するとは言わないけれど、魔女としての才能は子どもに受け継がれやすいわ。まあ、魔女と知らずに生きている魔女がいないわけでもないけれど」


 とはいえ、監獄に収容されたという事実は最悪だった。禁忌監獄に入れられたものは人として扱われない。アヴァンギャルドに所属していた者のように魔物はびこる森でのサバイバルを強制されたり、薬などの実験体にさせられたり、あるいは鉱山など危険な場所で労働させられているかもしれない。

 生存は、もはや絶望的だった。けれどそれでも、私はあきらめない。あきらめるという選択肢を選べない。贖罪を胸に、何としてもアマーリエを見つけて見せると決意をにじませてこぶしを握る。


「……一人で突っ走らないでよ?いざというときは僕も協力するから」


 キルハの声に、肩が跳ねる。その声には、どこか責めるような響きがあった。一人で抱え込むのは許さないと。


「でも、王国に喧嘩を売ることになるよ?屈強な騎士たちを相手にするし、無駄死にに終わる可能性のほうがよっぽど高いのに、キルハが戦う理由は――」

「ロクサナが戦うのに、僕が戦わないわけがないよ。死なないといっても、痛みも苦痛もないわけじゃないんだ。僕はロクサナにそんな思いをしてほしくない。なるべく傷ついてほしくないんだよ」

「それでも、もしキルハは死んでも蘇らないでしょ。だから私だけで行うべきでしょ」

「僕に君を守らせてよ。僕は死なない。死なずにちゃんと、ロクサナと一緒に帰るから」


 柔らかな私の手を、キルハの武骨な手が包む。武人の手。私とは違う、時間の積み重ねがうかがえる手。その手が、凍っていた私の心に熱を移す。

 泣きそうになって、目に力を入れた。


「……いちゃつくのはよそでやってくれないかしら」

「いちゃついてない」

「はいはい。そう言いたいのならまずはその手を離しなさい」


 キルハに手を握られていたままだったことを思い出して慌てて手を引っ込める。チャロと、背後からのアベルの視線が痛くて肩を小さくするばかりだった。

 顔が熱い。


「監獄への襲撃を検討するのであれば、わたしどもにもお声掛けください。何か助力ができるかもしれません」

「その時はお願いします」


 やってはいけないことをやろうとしている自覚はある。この社会の秩序を守る王国に弓引く、常人なら決して考えない悪行だ。でも、私はそれをやる。やらないといけない。

 チャロの言う助力がどれほどのものになるかわからないけれど、たぶん期待半分で聞いておくのがいいだろう。

 再び沈黙がその場を満たす。マリアンヌのカップが、わずかな音を立ててソーサーに乗る。


「……そろそろチャロの話を聞かせてもらえるかしら。たぶん、わたくしたちへの協力要請なのでしょう?」


 前に乗り出したマリアンヌの鋭い視線を受け、チャロは目を閉じ、かみしめるように口を引き結ぶ。

 心臓の鼓動がやけに強く聞こえた。何か不吉なものを感じたのか、体が小さく震えた。


「……最近多発している、魔女が行方不明になる事件の調査をお願いしたいのです」


 告げられたその言葉は、水面下でうごめく何かの存在を示すものだった。

 それがアマーリエにつながるかどうか、まだわからない。けれど王国の影を感じずにはいられない依頼内容に、私は引き込まれるように身を乗り出して話を聞いた。


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