63復活の日
ロクサナたちがいる街から、遥か北に行った先。一人の人物が、廃墟となった街の中を漂っていた。
戦火の傷跡が残るその場所は、かつてワルプルギスという魔女たちの秘密結社の本拠地があった街であり、ブラックドラゴンの襲撃によって壊滅した都市のなれの果てだった。
凶悪な呪いの雨によって、この街にはもう人ひとりいなかった。ブラックドラゴンに襲われた土地に好んで足を運ぶ者もいなくて、さらには滅びた街はいくつもあるために、王国がこの街に調査員を送ることもなかった。
だから、この街にいるのはその人物ただ一人。魔法によって浮遊を続けるその美しい人物はシャクヤク。マリアンヌの師匠でもある彼は、その腕に布で包んだ大きなものを抱きながら、ふわりふわりと浮遊を続けていた。
黒々とした液体がところどころに残る。灰色の家屋のなれの果てが積み重なり、ブレスによって生じた道をシャクヤクは進んでいた。
やがてブレス跡は途切れ、それからすぐに街の中央広場に到達した。
滅びた街の中でシャクヤクが感慨にふけることはなかった。彼の顔は、あろうことか隠し切れない歓喜に包まれていた。
「ようやく、ようやくね」
歌うように告げたシャクヤクの腕の中、吹き抜けた風が布をさらっていって、その奥から一人の少女の姿があらわになった。
それは、レイラの遺体だった。遠く離れた街で死に、遺体の行方すらわからなくなったレイラは、シャクヤクによって街の憩いの象徴であった枯れた噴水の中央へと横たえられる。
だらりと垂れ下がった腕には、当然力は入っていない。呼吸もなく、鼓動もなく、レイラは、確かに死んでいた。
ただ、その体には血はもちろん、傷の一つもなかった。色の抜けた青白い肌を覆うのは、純白の衣。死装束のようなそれが、風にあおられて揺れた。
シャクヤクは、レイラの腕をとり、胸の前で組ませる。
「無事に生きているといいのだけれど……大丈夫そうね」
噴水の台座に手を伸ばしたシャクヤクは、おもむろにそこへと魔力を注ぎ込む。
瞬間、シャクヤクの手を起点にして、台座に淡い光のラインが広がった。それは、台座が魔具である証拠だった。
ここはワルプルギスの本拠地。人知れず街の設備に魔具を混ぜることなどたやすいことだった。何より、王都から遥か離れたこの街には、王国の監視の目はなくて、だからワルプルギスはかなり好き勝手にこの場所を改造していた。
それはすべて、今日、この時のためだった。
魔具の設置しすぎで魔力反応が大きくなってドラゴンに狙われたとしても、それによって多くの仲間が死んだとしても、シャクヤクにとってはどうでもいいことだった。
なぜなら、遥かな過去にほろんだワルプルギス王国の正当なる王族であるシャクヤクには、使命があったから。その使命のためであれば、シャクヤクはその手を血で染めることにだってためらいはなかった。そして、手を汚す以上の、悪魔的行為をはたらいても、シャクヤクは使命が達成できることを誇りに思うばかりだった。
「……さぁて、始めましょうか」
言いながら、シャクヤクは久しぶりに両足で地面を踏みしめる。組んだ手を額に押し当て、祈りをささげる。
風が吹き、廃墟の砂を巻き上げる。その砂に、雪が混じる。
北のこの地に、早くも冬が訪れようとしていた。
凍えるような風の中、シャクヤクは微動だにすることなく、今日まで受け継がれてきた歌を紡いでいた。
それは、祈りの歌であり、ただ一人の王を称える歌。古に生きた魔王の復活を、願う歌。
シャクヤクの体から、膨大な魔力があふれ出す。それはレイラが寝かされた噴水の台座へと吸い込まれる。台座を包んでいた金色の光は、赤に染まり、やがて血のように暗い赤の奔流がほとばしる。
その赤は、まるで腕のように分裂して、虚空にある何かをつかんでいった。
瞬間、その赤に捕まれることで、何もなかったはずのそこに影のような存在が現れる。人型をした、霧のようなもの。
それが実体化した魂であると、シャクヤクは知っている。
ここは儀式場。崇高なる魔王に捧げる供物を集めた、死者の魂の牢獄。街のあちこちに設置された魔具と、魔具である外壁によって設計された魂をとどめておく結界が張られた場所だった。
復活の対価であり、術の燃料として捧げられるにいたった死者たちの魂が、シャクヤクに向かって憎悪の手を伸ばす。ぽっかりと開いた真っ黒な口が呪詛を叫ぶも、それは音となることはない。
まるで脈打つように亡霊たちをとらえる赤い線が光り、レイラの遺体が横たわる台へと膨大な魔力が集まってくる。
無数の亡霊が、手を伸ばす。魂が、人の形から歪んでいく。
手足が異常に伸び、あるいは体の一部が細くなったり膨張したりして、魂によっては無数の腕が生えたりしていた。
そんな阿鼻叫喚の状態に目をくれることもなく、シャクヤクは熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。
「さぁ、再び現世に降臨して下さい。偉大なる我らが王よ!」
瞬間、魔力を絞られていた亡霊たちが一斉に悲鳴を上げた。声にならない呪詛は、それでも干渉に干渉を重ねて、衝撃波という物理現象となってシャクヤクを襲った。
脳が揺れ、口から血を吐きながらも、シャクヤクは笑っていた。
計画のパーツはそろっていた。
生贄とする魂。術を補助する儀式台。そして死者との親和性が非常に高く、なおかつ魔王の力の残滓を、現在魔王の力を持つ者のすぐそばで浴びてきた人物。
レイラは、シャクヤクがずっと探し求めていた最後のパーツとなった。
そして、無数の亡霊たちは、その体を末端から砂のような微粒子へと変化させて消えて行って。
赤い光が、渦を巻いてレイラの体を覆った。
それは、まるで繭だった。
ドクン、ドクンと脈打つ赤い光を前に、シャクヤクは無言で涙を流していた。
そして、繭が開いて。
中から、真っ白な掌が世界へと突き出された。
繭を構成していた糸が動き、現れた存在の体へとまとわりついて衣服となる。
「少女の体というのは少々いただけないが、まあいい。大儀であったな、我が子孫よ」
レイラの姿をした、レイラではないその存在を前に、シャクヤクはただ深く首を垂れた。
その日、王国によって意図的に歴史を消されていた、古代ワルプルギス王国の王――魔王が復活を果たした。
空を流れた凶星に気づいた者は、王国にはただの一人もいなかった。




