61死と怪物
破壊音が響く街の一角。それから降り立ったブラックドラゴンが破壊活動を続けているその場所から必死で逃げる者たちの中、逆走する者、あるいは逃げずに目を見開いて観戦している人々の姿があった。
ある者は、ブラックドラゴンと拮抗する人類に希望を見出した。魔物は、その人物にとって脅威だった。けれど、同時に魔物はもはや人の敵ではないと、彼はそう理解した。
ある者は、恐ろしい戦闘を前に腰が抜けて、ただ戦いを見ていることしかできなかった。
またある者は、魔物と渡り合う人々に怯えた。特にその中の一人は、何度も致命傷らしきものを負って、下半身を失っても、気づけばすっかり回復して戦闘に参加していた。
どうしてそんな化け物のような存在が街にいて、ブラックドラゴンと戦っているのか、理解ができなかった。そして、おかしな化け物がいたからブラックドラゴンがこの街を襲撃したのだと、彼女は思った。
同様の考えを抱く者は多かった。
ロクサナという化け物じみた魔女を見て、その者たちはロクサナの姿に、英雄の背中ではなく魔物の姿を重ねた。
そして、その者たちは考えた。あの化け物を、排除しなければならないと。あんな化け物がいるから、この街は危険にさらされたのだと。
魔女は、排除しなければならない。魔女は自分たちに危機をもたらす癌だ。排除すべき敵だ――
敵を排除するために、その者たちは目を凝らして戦闘に参加する者たちを見つめ続けた。
けれど、どれだけ目を凝らしても、ロクサナをはじめとする者たちの姿を捉えることはできなかった。
それもそのはず、キルハが作り出した魔具が、ロクサナたち四人の認識を誤魔化していたから。見えているのに、脳内で像が輪郭を結ばない。マリアンヌの協力によって作り上げた魔具、四人がそれぞれ身に着けている外套には、他者から認識されにくくなるという効果があった。
だから、本当に排除すべき者の姿を、彼らは捉えることができなかった。
ただ一人、あるいはロクサナ以上に人々が危険視した者を除いて――
がばり、と下敷きにしていた者が起き上がって、マリアンヌは勢いよく地面に倒れこんだ。ガツンと頭部が大破した石畳にぶつかり、脳がぐらりと揺れた。
「痛ったぁぁぁぁ……」
血だまりに伏したマリアンヌの視界に影が落ちる。瞬間、マリアンヌは勢いよく首をひねって顔を上げた。
太陽を背負った大きな男の姿が、そこにあった。
地面に座り込んだその男には、片腕がなかった。全身が血だらけで、よく見れば顔はひどく青白くて。
「……アベル?」
「おう」
短く告げたアベルは、やはり限界が近いのか、ふらりと体を揺らして背中から地面に倒れこんだ。
アベルの名前を呼びながら慌ててマリアンヌが駆け寄る。
「死ぬんじゃないわよ!冗談じゃないわ!死なないでよ、ねぇ、アベル!」
強く肩を揺らす。焦点の合わない目が細められ、やがてすっと閉じた。
そのまま、アベルは眠るように意識を失って――
喪失感に呆然としているマリアンヌの背後から、キルハに肩を貸してもらったロクサナが近づいてきて、首を傾げた。
「……寝てる?」
「みたいだね。傷ももうふさがっているみたいだし、驚異の治癒力だよ。まあさすがに手が生えるというわけにはいかないみたいだけれど」
は、と口を大きく開いたまま、マリアンヌはロクサナたちとアベルの間で視線を行き来させる。それから慌ててアベルの胸元を見れば、呼吸に合わせて小さく上下していて。
「……はあぁぁぁぁぁ」
大きなため息をはいて、マリアンヌはがっくりと肩を落とした。それから、慌てて目じりに光る涙をぬぐった。
「……勝った、のよね?」
「少なくとも、どこかには行ったよね」
言いながら、キルハとマリアンヌがロクサナの方を向く。だが、ロクサナとてブラックドラゴンがどうして飛び去ったのかわかっていないのだ。だから、キルハの言葉に頷きを返して、じっとアベルの姿を見つめた。
傷だらけの体。ロクサナが提案した戦いによって、アベルは腕を失った。
自分のせいだ――自責の気配を感じて、キルハはロクサナの耳に息を吹きかけた。
「ひゃ⁉え……ええ?」
「まったく、ロクサナのせいじゃないんだよ。僕たちはみんな、自分たちで戦う決意をしたんだから」
「そうよ。あんたがわたくしたちの決断を否定するのは許さないわよ。……とりあえず、このタイミングで乳繰り合うのはやめてほしいのだけれど」
眉間にしわを刻んだマリアンヌの言葉を受けて、ロクサナは先ほど耳に吹きかけられたキルハの息を思い出して、顔を真っ赤に染めた。
照れたロクサナの姿を楽しそうに目じりを下げて見つめながら、キルハはちらりとマリアンヌの方を見る。
「……君だってここぞとばかりにアベルと手をつないでいるくせに」
言われて、マリアンヌはゆっくりと自分の片手へと視線を向ける。無事なアベルの左手を、マリアンヌは無意識のうちに握っていた。
そのことに気づいて、からかい混じりの視線を感じながら手を離そうとするも、まるで吸い付いたようにアベルの手のひらから手が離れなかった。
離したくないと、思った。アベルが確かに生きている証拠である、その熱を感じていたかった。
今だけは素直になろうと、マリアンヌは思った。
「……悪い?」
「いいや?」
からかいもなく静かに首を振られて、マリアンヌはきょとんと首を傾げた。
いつくしむようなキルハの視線に居心地の悪さを感じて、マリアンヌはふいと視線をそらした。
そして、遠くで動く人影を目に留めた。
「……早く動いた方がいいわね。いくら魔具で認識を誤魔化していても、近づかれすぎたらどうしようもないわね」
「だろうね。……ロクサナ、歩けるかな?」
「何とか、かな?」
少しだけ名残惜しそうにキルハの体から手を離したロクサナは、ふらつきながら一歩、二歩と歩き出す。
赤子のようなおぼつかない足を見て、おもむろにマリアンヌがその腕をとった。
「……え?」
「早くいくわよ。ここで呪術師だとばれて街を追われるなんて御免なのよ」
だからさっさと歩け――ぶっきらぼうに吐き捨てたマリアンヌの耳は、真っ赤に染まっていた。
そのサポートにお礼を言って、ロクサナはマリアンヌに支えられて爆心地のようになった街の一角を後にした。
その後ろには、血だらけのアベルを担いだキルハが続く。
マリアンヌが、ちらりと振り向いた先。静かに眠るアベルの涼しげな顔に微笑を浮かべ、その視線をさらに奥へと向ける。
荒れ果てた街がそこにあった。ブラックドラゴンとアベルやロクサナの血、ブレスによって焼け焦げた跡、山と積みあがったがれき。そこにはもう、シャクヤクとキッシェの姿はなかった。
「……レイラは無事だよね?」
どこかぼんやりとした目で向かう先を見つめながら、ロクサナが独り言のようにつぶやく。
大丈夫よ、とマリアンヌは根拠もなくそう答えながら、再び前を向いて歩き始めた。
その心の中で、ほんの少しの怯えと不安を感じながら。
果たして、レイラの姿は見つからなかった。
意識を失っていた、レイラの預け先の屋台の少女が目を覚ましたのは、それから一週間後のこと。
そこでロクサナたちは、レイラの死を聞かされた。




