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白百合の涙  作者: 雨足怜
ブラックドラゴン編

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60/96

60逆転の一手

 いつもと同じ、蘇生の瞬間。

 目を見開いた私を襲ったのは、激しい熱だった。その熱は、私を襲うことなく、けれど確かにそこに存在していた。


 重傷を負ってもがき苦しむブラックドラゴンを視界に収めながら、私は自分の手足を見下ろして、気づいた。

 度重なるブラックドラゴンの攻撃によってボロボロになっていたはずの防具が、もとに戻っていた。否、もとに戻っていたわけではなかった。

 ドラゴンの皮からなる赤い防具は、ブラックドラゴンのそれのような真っ黒な色へと変貌を遂げていた。まるで成長するように、あるいは再生するように、失った手足部分の革を取り戻しながら。

 そして、そのレザーアーマーから、炎が出現していた。

 私の体を包み込むように立ち上る、赤黒い炎。それは、私が激闘を繰り広げたあのレッドドラゴンと、今目の前にいるブラックドラゴンの炎を掛け合わせたような色をしていた。


『ふむ?この俺を使うのがお前になるとは、おかしな運命もあったものだな?』

「……ははッ」


 思わずのどの奥から笑い声が零れ落ちた。

 声が、聞こえたのだ。そして、その声がレザーアーマーから放たれたものだと、私は直感的に理解していた。

 私は、狂ったのだろうか。別に、狂っていてもいい。構いはしない。その力で、キルハを守れるのならば、それでいい。


「力を貸して」

『いいとも。俺とてドラゴンという身から逸脱したアレを放っておくつもりなどない』


 その瞬間、周囲を渦巻いていた炎が急速に小さくなっていった。いや、炎が私の体の中に入っていっているようだった。炎が小さくなるほどに、私の体は激しい熱を帯びた。全身の血管が膨張し、血が激しく流れ、沸騰したように脳が熱くなった。

 視界から色があせ、代わりにすべての動きがゆっくりと流れて行っていた。


「……ははっ」


 もう一度、するりと喉から零れ落ちた笑い声を響かせて。

 私は万能感とともに一歩を踏みしめた。


 体が、軽かった。

 まるで翼を手に入れたように、私は重力の軛から解放されて、大地を疾走した。

 一瞬にして近づいたブラックドラゴン、鱗を失ったその体に、手刀を突き出した。肉の間に、私の手が突き刺さる。

 肉体の奥へとねじ込んだ手から、全身にある熱を放出する。

 炎が、ブラックドラゴンを体内から焼いていく。


 絶叫が響く。激しく地上で暴れ回るブラックドラゴンを確実に仕留めるべく、私は反対の手に握る剣を振り下ろし、ブラックドラゴンの肉体を切り裂いていく。

 血が飛び散る。全身が血に染まり、けれどその強烈なにおいはすぐに消えていく。

 わずかな光を捉えた。赤黒い、光。

 私が身に着ける鎧が、血を吸収しながら発光していた。黒い鎧は、うっすらと赤黒い光を放ちながら、私の体に熱を、力を送り込んでいた。


『はははははッ!ざまぁねぇな!人間の思いなんて酌むからそんなことになるんだよ!』


 声が聞こえた。おそらくは、私以外には聞こえていないだろう声。


 体内に激しい痛みを感じた。

 口から、血があふれた。

 私が今使っている力は、どんなものなのだろうか。この鎧は、一体何なのだろうか。聞こえてくる声は、何なのだろうか。


「あなたは、何なの?」

『俺か?俺はお前たちに殺されたレッドドラゴンの魂を宿した防具……より正確にはレッドドラゴンのアンデッドだな』

「アンデッド?」


 アンデッド。一度死んだ肉体を材料に生まれる魔物。おそらくは人間社会で普通に生きている者が最も見る可能性の高い魔物であり、最も馴染み深い魔物。死者を火葬するのも、火葬できないときに遺体の四肢の骨を砕くのも、アンデッドとして故人の肉体を利用させないためだった。

 そんなアンデッドは、基本的にこんな明確な意識を持たない。ただ「あー」だとか「うー」だとか、言葉にならないうめき声を漏らしながら、新たな肉体を獲得しようとでもいうように執拗に生者へと襲い掛かってその肉を食らおうとする魔物だった。


 ブラックドラゴンへと攻撃を続けながら、私は自分の身を包む鎧を一瞥する。この鎧が、アンデッド。アヴァンギャルドに殺された怒りによって、魂のようなものが防具にこびりついていたのだろうか。あるいは、ブラックドラゴンという怪物の血を浴び続けることによって、突然変異的にアンデッドになったのか。


「ねえ、どうしてあなたはアンデッドになったの?」

『あ?んなもん、死霊魔法の使い手にアンデッドとして作られたからに決まっているだろうが。正確にはリビングウェポンだな』


 リビングウェポン、動く装備、あるいは意思ある装備。そうして、作られた。誰に?決まっている、この防具を作った――


 そこまで思考が進んだところで、私は強烈な風に吹き飛ばされて宙を舞った。

 素早く意識を切り替え、周囲をさっと見回して体勢を整え、着地。

 睨む先、満身創痍のブラックドラゴンがそこにいた。

 全身に傷を負い、胴体から片方の前脚がえぐり取られたように消失しており、反対の前脚も腹部から続くマリアンヌの発火呪術によって吹き飛んでおり、皮一枚ほどでつながっている腕の先が、だらしなくぶら下がっていた。大きな翼は、片方が半ばで切り落とされており、もう一方も翼膜がズタズタに切り裂かれていて使い物にならない状態だった。


 だらだらと血を流すブラックドラゴンが、黒曜石のような鋭い目で私をにらむ。けれど、その焦点はすでにあっていないように感じた。あるいは、私を見ながら、私の奥にある何かを、誰かを見ているように感じた。


 それはきっと、私の体に宿る魔法であり、過去に存在したという魔王の姿。


「……グルァ」


 呻くように一鳴きしたブラックドラゴンが、体を撓ませる。まるで空を飛ぶための動作に見えた。けれど、ブラックドラゴンにはもう、飛ぶような力はないはずで。


 その瞬間、ブラックドラゴンの体が、どろりと溶けるようにその輪郭を失った。溶け落ちた黒々とした粘性のある液体の奥から、漆黒の結晶のような硬質なものが姿を現した。その結晶からは、恐るべき魔力の波動を感じた。

 おそらくは、魔核。シャクヤクが話していた、魔物たちが持っているはずの魔力を蓄えておくための結晶であり、魔物たちの第二の命。

 その魔核を砕くために、私は前へと一歩踏み出そうとして。


 これまで一度しか見たことのなかった魔核と思しきそれが、突如として膨大な魔力を放出した。

 波紋のように広がる魔力に呼応して、地面へと流れて行ったブラックドラゴンの体を構成する黒々とした液体が動き始めた。

 その液体が魔核を覆い隠し、そして一瞬にしてブラックドラゴンが復活を遂げた。

 復活、というと少し違うかもしれない。そのブラックドラゴンには、一切の傷がなかった。ちゃんと四肢が生えそろっていて、翼膜に傷はなく、全身にあった傷はすべて消えてしまっていた。

 ただ、その体は一回りほど小さくなっていた。まるで、失った部位を全身から補給したようだった。


 漆黒の目が、私を捉えた。憤怒のこもった目。

 激しい悪寒が、私を襲った。

 漆黒の――否、白混じりのまだら模様のブレスがその口に生まれた。

 小さくなった、それでも巨体というに値するブラックドラゴンが飛び上がる。


 直ぐに止めなければ――そう思った私の予想を裏切るように、ブラックドラゴンはふいと首を動かし、その目に私ではないものを捉えた。


 その先に、キルハの姿があった。

 にやりと、ブラックドラゴンが笑った気がした。


「駄目ぇぇぇぇぇぇッ」


 走った。

 リビングウェポンを自称する鎧から奪うように魔力を受け取り、私の肉体性能では耐えきれない魔力の奔流によって体が壊れながらも、私は走った。

 血が、口の端から零れ落ちた。

 体内にあるレッドドラゴンの力が私の体を破壊し、視界が闇に落ちた。

 死んだ。

 焦燥感にかられながら、私は無限に等しい闇の世界で蘇生の瞬間を待ち続けた。

 視界に、光が戻った。

 ブラックドラゴンの口が開く。


 ブレスが放たれる。


 その軌道に、割り込んで。


 呆然と目を見開くキルハに背を向けて、私はブレスの前に立ちはだかった。


 まだら模様のエネルギーの奔流が、私を襲った。

 私の体を包み込む炎が、ブレスに拮抗する。

 強烈な圧に、体が押される。足が地面を滑る。


 キルハが叫ぶ声が、爆風に混じって聞こえた気がした。

 大丈夫、私がキルハを守るから。


 肉体が自壊を続ける。レッドドラゴンの魔力は相当私の肉体に害があるらしい。

 全身が激しく痛んで、死と蘇生を繰り返し、それでも自分を焼く炎を弱めることなく、私は抗い続けた。


 ふっと、圧が消えて。

 私の体はもう指一本動かすことはできなくて、そのまま背後へと倒れこんだ。

 赤黒い炎が、視界から消えていく。その先に、荒く呼吸を繰り返すブラックドラゴンの姿が見えた。

 漆黒の瞳が、じっと私を見ていた。私の見間違いでなければ、その目からは殺意の色が消えていた。


 ああ、私たちの負けか――そう、考えたところで。


 ブラックドラゴンは勢いよく上空へと飛び立った。吹き荒れる風に体を押されて、背後へと体が吹き飛んで。


「ロクサナ!」


 温もりを背中に感じるとともに、私はそっと体を支えられた。誰かと思えば、それはキルハだった。

 キルハの腕の中で、私はぼんやりと飛び去って行くブラックドラゴンを眺め続けていた。


「……勝った、のかな?」

「あ、ああ。勝ったよ。勝ったんだよ!」


 怒りを必死に心の奥に封じるようにくしゃりと顔をゆがめながら、キルハは勝ったのだと、私に言い聞かせるように繰り返していた。充血して赤くなった金の瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。

 瞬間、私の体はキルハの腕に強く抱きしめられた。


「もう、あんな無茶はしないでくれ……」


 しない、とは言えなかった。私はまた、キルハが危険にさらされたら今と同じようなことをするだろう。

 私は、震える腕を何とか持ち上げて、あやすようにキルハの背中を撫で続けた。


 どうか、私の困惑にキルハが気づきませんように――

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