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白百合の涙  作者: 雨足怜
ブラックドラゴン編

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55/96

55襲来

誤字脱字の報告、ありがとうございます。大変助かります。

 刻一刻と、悪寒が強くなっていった。忘れて久しい、死の気配が漂い始めていた。鳥肌が立った肌を撫でながら、オレは小さく息を吐いた。

 カチャ、とカップがソーサーに置かれる涼し気な音が響く。

 書類から顔を上げた先、オレの執務室であるハンター協会支部長室に平然とした顔で居座っているシャクヤクと、少しだけ肩身が狭そうにソファにちょこんと座っているキッシェをにらむ。

 ぐしゃり――気づけば手の中にある書類はしわだらけになっていた。ああ、またやらかした。ぐっしょりとしめった手汗で濡れた書類は、完全に駄目になっていた。

 無意識のうちにため気が漏れる。もう、今日何度目だろうか。


「いやな予感がするな」

「そうねぇ。あの子たちだけでブラックドラゴンを倒すというのは無茶でしょうねぇ」

「……だろうな」


 ひどく他人事のように聞こえるシャクヤクの言葉に怒りを覚えたが、ここでつかみかかったところで何かが変わるわけでもない。腹にたまる怒りを抑え込んで、代わりに大きく息を吐く。

 びくり、とキッシェの肩が震える。うるさいわねぇ、とシャクヤクが眉間にしわを刻みながらぶつくさと文句を言う。


「戦いを手伝うという選択肢はなかったのかよ?」

「無理よ。あたしがブラックドラゴンの前に出たところで、一撃で消し飛ばされてそれで終わりよ」


 本当にそうだろうか。俺が知る限り、シャクヤクという存在は最も強い魔女だ。空間を渡るだけではなく、空間を切り裂き、あるいは空間ごとそこにいる存在を砕くという恐るべき破壊の力を有しているシャクヤクが、つわものぞろいなキルハたちに協力しても勝てないと宣言するほど、ブラックドラゴンは化け物だというのか。

 転移でブラックドラゴンの前に飛んで魔法を一発放ってそれで終わり――とはならないのだろうか。その戦法が通用するのではないかというオレの考えは、間違っているのか?オレが魔法や魔物について無知なだけか?


「……いくらブラックドラゴンだからって、そう簡単にお前を殺せるのかよ?」

「できるでしょうね。仇敵のにおいを放つあたしに気づけば、次の瞬間には持てる火力のすべてであたしを殺しに来るでしょうね」

「…………ちょっと待て」


 手のひらを突き出し、シャクヤクの言葉を遮る。

 考える。こいつ、今なんて言いやがった?そう、ブラックドラゴンにとって、自分が仇敵に関わる人間だというような発言をしたな?そして、ブラックドラゴンは確実に自分を殺しに来るはずだと。

 シャクヤクを、殺しに来る。ああ、なるほど?

 つまり、この街にブラックドラゴンが近づいてきているのは、この街にシャクヤクが滞在しているからか。

 思考が怒りに染まった。血の気が引くほどに強く握ったこぶしで執務机を叩いて、立ち上がる。ひらりと、数枚の書類が舞い上がり、床へと滑り落ちていった。


「お前――」

「違うわよ」


 怒声を叩きつけようと口を開いたオレの言葉は続かなかった。機先を制するように静かに言葉を紡いだシャクヤク。彼が浮かべている表情に、気配に、俺は飲まれた。

 そこには、組織をまとめ上げるプレッシャーに晒され続けた長の姿があった。遥か昔にほろんだ王国の系譜にある魔女たちの秘密結社ワルプルギスをまとめるシャクヤクは、感情を感じさせないガラス玉のような不思議な目でオレのことを見ていた。

 ああ、まただ。この目を見るたびに、オレはシャクヤクという存在が分からなくなる。かつて駆け出しのハンターだったオレを救ってくれた善人然とした側面とも、弟子などをからかう側面とも違う顔。

 その顔に、ひどく冷たい者を感じるのは、オレの見間違いだろうか。


「あたしがいようがいまいが、ここにはブラックドラゴンが襲撃してきたわよ」


 その言葉には、強い確信が込められていた。なぜだと、そう聞いても、シャクヤクは答えない。ただ無表情で、じっとオレを見つめていた。

 どうしてこの期に及んで話さないんだ。原因さえわかれば、それを排除して、この街が襲撃されることを防ぐことができるかもしれないっていうのに。

 そもそも、本当にブラックドラゴンはこの街を襲撃するのか?この、何もない平穏一色な……というのは少し大げさかもしれないが、大きな悲劇も魔物との争いからも遠いこの街を、本当にブラックドラゴンが襲うのか?

 それが証明できるのであれば、今すぐにも警報を出すのだが、シャクヤクは答えを言わない。


 どうして、話さない?根拠のない確信だからか?いや、シャクヤクの口ぶりからすると、ブラックドラゴンの襲撃の原因となる何かが、この街にあるのだ。

 じゃあ、なぜ、話さない?話さないことでシャクヤクに利などないはずだ。

 いや、利があるのか?何か、壮大な計画があるというのだろうか。この街一つを滅ぼしてあまりあるような何かが、ブラックドラゴンに、ブラックドラゴンが狙う何かに、あるいはブラックドラゴンが街を襲うという行為そのものに――


 どれだけ考えても、答えは出ない。当然だ。俺はシャクヤクという存在の心の中を、何一つ知らないといっていい。恩人であり、魔女の集団のリーダーであるシャクヤクは、俺にとって足を踏み込んではならない闇であり光だった。

 俺は、シャクヤクのことを知らなすぎる。だから、緊急時の今、とるべき行動が浮かばない。


「……あいつらが街を出てから、三日か」


 シャクヤクによるブラックドラゴンの進路予測が正しければ、昨日の夜にでもキルハたちはブラックドラゴンと交戦状態に入っているはずだった。だが、ブラックドラゴンの姿が消えたという情報はまだ入っていない。どれだけ早馬を飛ばしたところで、ブラックドラゴンより早く情報がこの街にたどり着くとは思えないから、早馬が来た時点でそれは彼らがブラックドラゴンを倒したという証明になる。

 もう、戦いは終わっているだろうか。あいつらは、勝利したのだろうか。まさか、なすすべもなく殺されてしまったのだろうか。

 どうか、どうか、奇跡が起こってくれ。あいつらが、ブラックドラゴンを倒していてくれ。


 どれだけ願っても、戦場を思わせる嫌な空気は消えない。それどこか、ますます死の気配が濃くなっていく。


「……来たわよ。あの子たちは失敗ね」


 目を瞑ってソファに背中を預けていたシャクヤクがポツリとつぶやいた。


「くそッ!おい、今どのあたりだ⁉」

「ここから北に二時間ほど歩いたところからしらね。後十分ほどで到着するんじゃないかしら」


 殴りつけるように執務机の上の呼び鈴を叩く。不快な金属音を聞いて、問題児の受付嬢が部屋に飛び込んできた。暗に緊急事態があるかもしれないと伝えておいたせいか、彼女はひどく焦燥がにじむ顔をしていた。

 オレの姿を目にとめ、彼女は頬を大きくひきつらせた。

 一度、息を吸う。くそったれが――心の中で毒づいて、オレはなすべきことをするために腹に力を入れて声を張り上げる。


「緊急事態だ!鐘を鳴らせ!市民を一人でも多く街の外へ――」

「地下の下水の一角に避難させなさい。空を飛ぶあれに姿を晒させるのはただの自殺行為よ」

「ッ、地下だ。地下に人を誘導しろ」

「……何が、来ているんですか」


 青ざめた顔の彼女に叩きつけるように、オレは叫んだ。


「ブラックドラゴンだ!いいから急げ!」


 足をもつれさせ、転がるように扉の先に出ていった彼女が、使いを呼ぶ声が響いた。

 肩を弾ませながら、オレはシャクヤクとキッシェをにらんだ。


「……協力してもらうぞ」


 地獄の底から――地獄なんてものがあるのならばだが――漏れ出すような声で告げれば、涼やかな声でシャクヤクは肯定して見せた。どうやら、街の住人の命をいたずらに失わせようとしているわけではないらしい。

 果たして、シャクヤクは敵か味方か――疑心に陥ったオレは、キッシェの恐怖に震える返事を聞きながら、なすべきことをするために動き出した。

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