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白百合の涙  作者: 雨足怜
アヴァンギャルド編
5/96

5防衛と開拓と

 翌朝。

 私の目を覚まさせたのは、朝の森の冷気でも、近づいて来る仲間の足音でもなく、森を吹き抜ける風が運んで来たわずかな獣臭さだった。


 飛び起きた私は、わずかに霧がかった森の奥、風上の方を睨む。そこには当然、何の影もありはしなかった。鬱蒼と生い茂る枝葉が視界を遮る森は、十メートル先を見渡すこともできない。

 風向きを気にしていなさそうだというのは、魔物の知能の低さを意味する。あるいは、ある程度悪知恵を働かせることができ、かつ集団行動を好む、狼に近い魔物の可能性もあった。


 以前、パッチワークウルフという、選りすぐりの獲物の毛皮を体に張り付けて悦に浸る気持ちの悪い狼たちと戦ったことがある。彼らはわざと自分たちの存在を私たちに気づかせることで獲物の警戒心を煽り、三日ほど一切攻撃してくることなく遠のきにうろつくことで精神攻撃を仕掛けて来た。

 いつ襲われるかわからないという状況で集中力を保ち続けるなど、人間には不可能に近い。アヴァンギャルドの超人たちもそれは同じで、極限の集中など一時間ともたなかった。ただ、アヴァンギャルドの者たちが一般の者と違うのは、いつ魔物が襲撃してくるかわからないために警戒し続けるのではなく、敵がすぐに襲撃してくるはずがないとわかった時点で、皆思い思いに行動を始めた点である。

 そのため、パッチワークウルフの精神攻撃は、当時新米だった私や戦闘に従事していない少数の非戦闘員たちにしか効果がなかった。


 それから三日が経って、パッチワークウルフは一体が遠吠えをして自ら存在を示すことで囮となり、私たちの意識を引き付けにかかった。そして背後からただ一人を獲物と見定めて、全員でその存在に――つまりは当時戦場に立っていて最も弱そうに見えた私へと――襲い掛かった。


 肉に噛みつかれる痛みと、自分の体が徐々になくなっていく恐怖、獣臭い息は今でも忘れることができない。多分、例えその襲撃の記憶を失ってしまっても、再びパッチワークウルフと遭遇した際にはフラッシュバックのような形でトラウマとして記憶が呼び覚まされるか、あるいは体が恐怖を思い出してふるえるなんて反応を見せるのではないだろうか。


 臭い。

 その言葉が脳裏をよぎり、私は朝露の湿り気に混じって香る獣の匂いを嗅いだ。その臭いは、腐肉と勘違いしそうな、鼻の曲がりそうなパッチワークウルフのものではなかった。どちらかというと、己の力を自負している血濡れた強者の類のように思えた。なぜなら、香って来る獣の匂いには、わずかな、けれどたくさんの存在のものと思しき血の匂いが混じっていたから。

 ――犬や狼並みの嗅覚を身に着けることができてしまっている気がするのは、気のせいだろうか?多分勘違いだ。私はそんな超人ではないはずだ。


 百面相する私の思考を止める者は、この場にはいなかった。


 このまま一人で襲撃を待っているというのも無意味に思えて、私はアヴァンギャルドが集会場として使っている切り開いた広場へと足を運んだ。中央に昨日の巨大な焚火の残り滓である炭と灰の山がある広場では、数名の同胞たちが思い思いにだらけて時間を送っていた。

 つまり、いつも通りだった。

 珍しく襲撃前に自分の存在をこちらにばらす魔物が近づいてきているとはいえ、普段通り。何しろ、そもそも襲撃自体が珍しいことでもなかったから、気配を放っているからと言ってあえて普段以上に警戒する理由がほとんどなかった。むしろ、自分が強者であると勘違いしている魔物であれば殺しやすくていい、といったところだろうか。

 つまり、私を含めて誰もが通常運転。

 アヴァンギャルドは、今日もある意味で平和だった。


 広場をなんとなく見回した私は、ぺしゃんこの大きな革袋を担いでのっそりと現れた老婆へと目が吸い寄せられた。

 アヴァンギャルドという奇人変人のるつぼにおいて、ある意味で際立った異彩を放つ者こそが、まるで平凡な農家のごとく森で畑を耕す彼女、レミだった。

 深いしわの刻まれた顔から老いがうかがえる一方、シャンと伸びた背ですたすたと歩くレミの足取りからは体にガタが来ている様子は感じられない。アヴァンギャルド最年長であるはずのレミは、今日もマイペースに自分の作業を進めていた。


 焚火の焼け跡に残った灰を革袋に入れるレミが、舞い上がった灰をわずかに吸ってしまって咳き込む。周囲の者は、そんなレミに一瞥をくれることなく、好き勝手に時間を過ごしていた。地面に寝そべったままぼんやりと空を見上げていたり、ボードゲーム対戦に興じていたり、一枚二枚と花弁をちぎって全身全霊を掛けて占いに臨んでいたりした。強ければ強いほど協調性がないというのが、一般的なアヴァンギャルドの構成員たちの特徴だった。

 ため息を一つ。

 歩み寄った私は、長い皮で口元を覆って灰を咳き込まないようにしながら、レミに向かって手を伸ばした。不思議そうに、レミが首を傾げる。

 すごく若々しい動作だな、と思った。最も、軽々しく年齢に対する発言をしたアベルが、ご褒美ですと歓喜するほどの痛みをレミから与えられていたことを思い出して、その言葉を口にすることはなかった。ぱちぱちと長いまつげを揺らしたレミは、それから私の行動を理解したようで何度か頷く。

 よくできました――そう言いたげに、レミの目尻がとろんと下がる。白髪よりやや黒みがかった灰色の目は、けれど全く笑っていなかった。

 やはり、レミもアヴァンギャルドの一員だと、私はその目に宿る油断ならない仄暗い光を見て思った。


「私がやるよ」

「あら、良いのかしら?これはワタシに与えられたお仕事なのよ?」

「別に、国からそうしろと命令されているわけでもないよね?私たちに求められているのは、人類生存圏を狭めようと襲い掛かって来る魔物たちを斃して、あわよくば逆に領土を広げること。森を農地に変えて人類圏を広げることに貢献しているレミを、むしろ私たちはもっと積極的に手伝うべきだと思うよ」


 手伝うべきだと言いながら私が普段レミの農作業に手を貸さないのは、それができないほど頻繁に魔物が襲撃を仕掛けてくるからだった。あるいは、襲撃によって安眠を妨害されないように、定期的に森の奥へと足を運んで周囲の魔物を討伐するためだ。空いた時間も、戦闘による心身の疲労の回復にあてているため、普段は手伝う余裕はなかった。

 今日は多少体が軽く、なおかつ強者の気配を放っている個体のせいか比較的雑魚に該当する魔物たちが断続的に襲撃してくることがないから手が空いているのだ。


 まあ、魔物の討伐は私たちに与えられた任務の核だから、それに終始して他事に手を伸ばせないのは仕方がない。


 人類が暮らす平野部を中心とする狭い世界は、現在も魔物の脅威にさらされていた。まるで親の仇のように、魔物たちは絶えることなく人類に襲い掛かって来る。

 かつては大陸中に広がっていたという人類社会も、今ではひどく狭い範囲に縮小していた――らしい。ただの村娘がそんな情報を知っているわけがない。一応耳に入れたことはあったが、子どもの頃に母から聞いた寝物語にどれほど信頼性があるか分かったものではないから、実質知っていなかったと表現してもいいだろう。


 現状、他の土地に人類が生き残っているのかも定かではない。国の偉い人は知っているのかもしれないけれど、私が知る限り人類は単一の国家からなり、さらには滅亡の瀬戸際にあった。

 魔物たちの力は人類に比べて圧倒的に協力で、なおかつ彼らは殺意高く人類に攻撃を仕掛けてきていた。対して人類はバラバラ。魔女という優秀な力を持った存在を排除するような社会だから、その残念具合は語らずともわかるというものだ。

 そして、そんな人類滅亡を食い止める名誉ある職務をいただいているのが、奴隷のような立場で死んで来いと命令されて魔物との戦いの最前線に放り込まれている私たちアヴァンギャルド。幸いというべきか、魔物は巨大な山脈がある西部を起点に人類の生存圏へと向かって来る傾向にある。つまり西を重点的に守っていれば人類は少しだけ永らえると思われた。

 だから私たちは、西の山脈の一角に拠点とは名ばかりの陣地を構えることになっている。


 つまり、アヴァンギャルドとして最低限求められるのは、人類の生存圏内に入って来て暴虐の限りを尽くすような魔物を排除すること。未開の土地を開拓するのは、余力があればしてほしい、という程度のものでしかなかった。

 まあ、断続的な魔物の襲撃に加えて、そもそも社会不適合者たちが集まるアヴァンギャルドにまともな開拓ができると国は思っていなかったのだろう。


 だが、そんな高望みを実現しつつあるのがレミという女性だった。

 自称「世界最高の農家」である彼女は、魔物はびこるこの土地で、木を切り倒し、木の根を引っこ抜き、大地を耕して、あろうことか農地を作ってしまった。


 魔物が好む森は、そうして少しだけ面積を狭めた。


 灰や炭がたくさん詰まった革袋を肩に担ぎながら、私はレミが広げる農地へと足を運んだ。そこは、アヴァンギャルドの中でも戦いの苦手な者たちがレミを絶対の主として築き上げた、人類のもう一つの小さな社会があった。


 人呼んで農地、あるいはレミの城。あくせくと働く農民風の装いをした者たちが世話をするのは、鈴なりの野菜たち。

 真っ赤な色が美しいトマトや、鬱蒼と生い茂る赤紫蘇、金時草、丸々と太ったナス、コールラビ、トレビス、赤オクラ、紫キャベツ、同じく紫のダイコンやカリフラワー。

 なんというか、ひどく毒々しい色合いの畑が広がっていた。

 目を疑って、腕でこする。けれどやっぱり、そこには紫を基調に緑や赤が混じった、物語に出てくる悪い魔女の畑という表現がふさわしい光景が広がっていた。その風景は、以前目にした時とは大違いだった。前はまだほとんどが緑で、あるいはまだ背が低いものばかりだったためか、大地の色も見えていた。

 その変わり様を呆然と見ている間に、レミは私の手から灰を詰めた革袋を受け取り、代わりに斧を手渡してきた。魔物の骨を削って作った、斧。それを渡されたことが意味するところは、開拓だった。

 なんというか、流石は一癖も二癖もあるアヴァンギャルドの構成員。したたかで、かつ有無を言わせぬ動きだった。


 手の中にある斧を見下ろして、私は内心でため息を吐いた。今日も手にマメができてじんじんと痛むだろう。

 何度死んでも、痛みになれることはなかった。


「……まだ畑の面積が足りないの?」

「まだまだねぇ。いつか、世界の皆がお腹いっぱいにご飯を食べられるようになるまで、ワタシは畑を広げ続けるわよ」


 それよりも先にお迎えが来そうだけれどねぇ――そう言いながら、レミは指で新たに切り開く予定の場所を指し示してから、灰入りの袋を担いで畑の端へと歩いて行った。


 冷たい骨の斧の柄を握る。不気味な白さを持つそれは、けれど不思議と頼りなさを感じることはなかった。

 それから私は、レミに指定された一角の木々を切り倒すために、レミとは反対側、森の端へと向かった。


 木を切り倒していくこと、約二時間。近づいてきていたはずの魔物のことを私が思い出した頃には、ツインヘッドベアなる頭を二つ持つ熊の姿をした魔物は討伐された後だった。話に聞いたところ、なんでも瀕死になると胴体が縦にぱっくりと割れて巨大な口が開き、それで周囲の木々をバクバクと食らって回復をする厄介な魔物だったという。

 たかが木を食らうだけの十分な栄養があるとは呼び難い食事によって失った頭を一つ増やすほどの回復能力を持っていたツインヘッドベアだったが、マリアンヌの呪術によってこんがりと焼かれてその日の夕食になった。

 マリアンヌが夕食の当番で、これ幸いと戦場で熊肉を焼いたことはもはやいうまでもなかった。体内の脂肪を発火させる呪術だというそれが自分に向かって放たれるところを想像して背筋に寒気を感じながら、私はなぜか睨んでくるマリアンヌの視線を忘れるために生焼けかつ一部炭化した肉に噛みついた。


 ちなみに、レミの畑で収穫された野菜のスープはとても美味しかった。特にトマトの酸味が、常に塩分が不足気味な体に染み込むようだった。

 塩分が足りないことなんてわかりきったことだったけれど、皆が無我夢中でトマトを貪っていた様からは、どれほど塩分不足だったのかがわかる気がした。体に十分な塩気が広がっていったためか、頭の靄が少し晴れたような気がした。


 そうして、私たちはまっとうな食事を手に入れることに成功した。私たちをこの場所に放り込んだ王国の人達は、アヴァンギャルドでこんな食事をとることができているなんて予想すらしていないだろう。

 何せ、私がかつて村で食べていた食事よりも豪華なのだから。

 まあ、ろくに肉が手に入らない村人と、周りにいくらでも肉が――毒入りかどうかはさておき――転がっているアヴァンギャルドでの食事を比べるだけ馬鹿らしいというものだが。


 そうして、レミ親衛隊はさらに信仰心を高め、他者に対してほとんど関心を示さない一部の変人奇人たち――食事すら勝手にとっている関わりのないもの以外の多く――がレミに一目置いたように思う。

 レミの努力が認められて嬉しかった。

 まあ、私がそれを喜ぶのはお門違いな気もするが。

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