49西部戦線
ロクサナたちがいる東の土地からはるか離れた西の地。深夜、野営地で休息を取っていた騎士たちは大地の揺れを感じて慌てて行動を開始した。アヴァンギャルドの者たちを斃すために使った砦を改修して作った最前線の防衛拠点の中はにわかに騒がしくなり、あちこちで怒号が響き始めた。
下級騎士たちが慌ただしく砦の中を行き来する。王国の依頼を受けて食料などを運んできていた商人が顔を真っ青にさせて慌てて砦を出発する準備を始める。
あちこちで焚かれたかがり火が怪しく揺らいで、夜の世界に砦の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
山を走っている魔物たちの先頭、頂上に上った個体はその誘蛾灯のごとき光を見て、誘われるように足の先を砦に向けた。
「まだ、まだだ。まだ引き付けろ」
量産に至っているわけでもなく、使用のための魔力量にも限度がある魔具は、状況をひっくり返す奥の手。まだ数の少ない魔物たちの先頭に向けて使うつもりはなく、指揮官は自分に言い聞かせるように、あるいは魔具を管理する戦闘経験の浅い呪術師に向かって吠えた。フードで顔が見えない不気味な呪術師が指揮官に鋭い視線を向けた。
戦場において最も質の悪い存在が無能な味方であることを指揮官の男はよく知っていた。無能が足を引っ張れば、どれだけ勝てる戦いも勝敗が見えなくなる。戦場の緊張感に飲まれた呪術師が焦燥感に駆られて余計なことをしないように見張ることが、彼の最大の仕事だった。
鋭い目でにらみを利かせれば、被監視者である呪術師は不満そうな様子こそ隠さなかったものの、気が急いで魔具を勝手に起動させてしまうことはなかった。
じりじりと時間が流れる。はげ山となったかつての魔物の生息地に、おびただしいほどの影が存在した。燃えるものがほとんどないそこに放ったところでかつてのような威力を誇れないことが分かっているから、呪術師は唇を固く引き結んだ。
脳を、しびれるような快感がよぎった。かつて、魔具を起動させて人間を焼き殺した記憶。うざったい師匠の知識を盗んで人々を殺して回った記憶、王国に召し抱えられて、アヴァンギャルドとかいう掃き溜めのゴミたちを一掃した際のかつてない快感。それを思い出して体がぶるりと震えた。
それを緊張と見て取ったのか、騎士の男は呪術師をぎろりとにらんだ。肩を竦めながら、呪術師は唇を軽くなめ、その時を待った。
すでに砦の外壁では戦いが始まっていた。俊足の魔物たちを相手に、騎士たちが防衛線を繰り広げている。煌々と火を焚いているからか、幸いにも魔物は砦以外に向かうそぶりを見せなかった。人類を守るための最前線で魔物の侵攻を防ぐ部隊である以上、ただの一匹たりとも魔物に人間社会を土足で踏み荒らさせる気は、指揮官にはなかった。
ごくりと唾を飲み込んで喉を潤す。山肌を埋め尽くす魔物を攻撃する最適なタイミングが訪れようとしていた。
「放て!」
「は」の音が聞こえた時点で起動スイッチに指をかけ、「て」の声が終わると同時に魔具を起動させた。鳥肌が立つほどの膨大な魔力が魔具の中枢へと流れ込んでいく。効率の悪さに苛立つも、次の瞬間には呪術師の顔は喜色に染まった。
ゴウン、ゴウンと腹を揺らす駆動音が響き、魔具が動き出す。
空に太陽のごとくまばゆい灼熱の炎の塊が生まれる。彼の最高傑作。師匠など比ではない、力の化身ともいえる、呪術師の集大成が空に生み出された。
「ははははは!やっぱりオレは天才だ!キルハのゴミとは肩を並べるなんてことが間違っていたんだよ!オレこそが魔具の第一人者だ!オレこそが魔具を人類にもたらした天才だ!この力は、こういう風に圧倒的暴力として機能させるためにあるんだよ」
強く、こぶしを握る。その動きに合わせて、魔具が生み出した灼熱の炎の一部が飛び出し、弧を描いて空を飛ぶ。
灼天。アヴァンギャルドを森ごと焼き滅ぼしたその魔具は、キルハが生み出した魔具と同一の仕組みからなる道具だった。
山稜に灼天の焔が着弾し、その場にいた魔物たちを丸焼きにする。もだえ苦しむ魔物たちがうごめく様を見て、呪術師は歓喜に顔をゆがめる。指揮官の男は、たとえ敵であっても、炎の中でもだえ苦しむ存在の姿を見て小さく頬をひきつらせた。もし、この攻撃が人類に向かって、あの影が人々だとしたら――風に乗って香ってくる焦げ臭いにおいに強く顔をしかめた。ひどく吐き気がした。
「はははははははは!」
狂ったように呪術師が笑う。次々と放たれる炎の塊が魔物を焼き、空気を焼き、世界を炎に染めていく。怯えたせいか、山を下る魔物たちの速度が速まる。早くこの場を離脱し、すぐにでも不遜な人類の攻撃を阻止する――そんな強い思いを感じる動きだった。
天へと両手を突き出した呪術師のフードが落ちる。その先にあるのは、上下にまっすぐ深い傷を持つ顔。燃えたようなひきつりのある顔は、狂気的な笑みも相まって人類とは思えないおぞましい存在に見えた。
指揮官の顔が引きつる。その様子に、呪術師は気づかない。
ずきりと、頭部から上半身に深く刻まれた傷がうずいた。憎き存在にやられた傷。顔の傷を手でなでる。
回復魔法を使う聖女を使ってまで呪術師を生かした、呪術師曰く「見る目のある者たち」は呪術師の傷を完全に癒すことをよしとしなかった。行動を確実に把握すべく、目立つその傷を残された呪術師は、けれど逆に傷を残してもらってよかったと思っていた。
「ああ、お前にこの光景をもう見せられねぇのが残念でならねぇよ、キルハ。お前はちゃんと焼け死んでくれただろう?オレを否定したお前が、オレの炎で焼かれたんだ。せいぜいオレを殺し損ねたことを恨めばいいさ」
浅く笑った呪術師の顔を、放たれた最後の灼天の焔の光が照らし出す。薄闇の中、ギラギラとした瞳には、かつての燃え盛る森が映っていた。師匠であり共同開発者であった男を焼き殺した際の記憶。
あのエクスタシーを思えばこの程度は快感ですらないと、呪術師は小さく息を吐いた。その顔を、指揮官がぎろりとにらんだ。
「灼天の魔力供給はまだか⁉」
「人的資源の補給が足りてねぇんだよ!だから言っただろ。都市を丸ごと一つ落とすぐらいの覚悟が要るってなァ⁉」
未だ、魔物の数は衰える気配がなかった。多くの個体が炎に焼かれたとはいえ、山並みの向こうから後から後からやってくる魔物たちは途絶える気配を見せない。
「さっさと働け。殺されたいのか⁉」
「魔力の収集をケチったのはそっちだろ」
「……あのような非人道な手段を必要以上にとるわけにはいかん」
「はっ、笑わせてくれるんじゃねぇよ。その非人道的な手段をオレに教えたのはお前ら王国の人間だろうが。忘れたとは言わせねぇぞ」
呪術師の言葉を聞いて、男が強く顔をしかめる。怒りに赤くしながらも、呪術師の言葉も正しい以上否定することもできなくて。
口ごもるしかなかった指揮官をやり込めて、呪術師は満足げに鼻を鳴らした。
歯をきしませながら指揮官が呪術師をにらむ。肩を竦めた男が、魔具へと振り返る。ずんぐりむっくりとした球根のような外見の魔具。金属質な外装を軽くなでながら、映る自分の顔を見て呪術師は浅く笑う。
――オレを怒らせた屑は燃やしてしまわないとなァ?
つぶやかれたその声は、指揮官の男には届かなかった。
偶然か、その声は悲鳴を上げるように軋んだ音にかき消された。砦を囲う外壁の一部が倒壊する。外壁の上で防衛に徹していた騎士たちが空中に放り出される。
絶望の悲鳴が指揮官の耳に聞こえてきた。
その先、大破したがれきをつかむ太い指が視界に映る。まるでクッキーを割るように軽い動きで壊れかけた外壁の一部をへし折った指が、握るがれきを振り上げ、無事な外壁に打ち付ける。ガァン、ドオォン、と激しい音が連続して響き続け、外壁が大破していく。崩れた壁の先、金の一つ目がぎょろりとうごめく。サイクロプスという緑の肌をした巨躯の鬼がそこにいた。よく見ればその体は恐ろしいほどに筋肉が隆起しており、頭頂部にはまるで王冠のようにとがった異様な頭蓋骨の先端がうかがえた。
サイクロプスたちの王――サイクロプスキングと名付けられた暴虐の王が、砦の中へと一歩を踏み出す。
「ッ、総員、出撃準備!」
もはや砦の中にこもって防衛に徹することはできないと、指揮官は防衛から攻勢に転じる判断をした。それと同時に、騎士たちの精鋭が風のように走り、サイクロプスの足首を切り裂いた。バランスを崩して膝をついたサイクロプスの足を蹴って、二人の騎士が飛び上がる。一人の騎士が迫るサイクロプスの手を切り裂き、道を切り開く。飛び散る血の中を進んだ女性騎士が、剣を振りかぶる。
振り下ろされた魔具の剣は、恐るべき切れ味をもってサイクロプスの首の半分ほどを切り裂いた。
悲鳴を上げるサイクロプスが無事な片手を無理やりに振りぬく。その掌によって女性騎士は勢いよく吹き飛ばされて地面を転がった。
同時に、足にもう一撃が放たれる。反対の足首を深く切り裂かれたサイクロプスの体が倒れこむ。
倒れこむサイクロプスの、つながった首、そこに先ほどサイクロプスの腕を切り落とした騎士が剣を振るい、太い首を今度こそ断ち切った。
「……無事か?」
「ええ、問題ないわ」
軽く擦りむいたものの大きな怪我のない女性騎士が同僚にこたえる。
外壁から砦の中へとなだれ込む魔物たちは多い。一匹でも多くの魔物を早く殺すべく騎士たちはその場を走ろうとして。
激しい振動が体勢を崩す。
「がああああああッ」
「なぁ⁉」
背後から吹き付ける強風にたたらを踏んだところで、すぐ真横に巨大な緑の足が踏み下ろされた。その下敷きになった騎士が悲鳴を上げる。
見上げる先には、先ほど確かに殺したはずのサイクロプスの姿があった。見上げた首元は確かに切られた跡があり、今も紫色の汚い血が流れ落ちていた。けれどその傷はグネグネと動く肉がつながることで消失した。
「くそッ」
振り下ろされた掌による押しつぶしを躱す。大地が激しく揺れる。
『オオオオオオオオッ』
サイクロプスが雄たけびを上げる。
まだ戦闘経験が浅く、何より西の奥に生息するサイクロプスとの交戦経験がなかった彼らは、サイクロプスという種族が有する固有魔法の性能を見くびっていた。驚異的な再生魔法を有するということは知っていたものの、まさか首を切り落としても死なないとは想定していなかった。
切り落とされた首がすぐ近くにあったというのもサイクロプスが再生できた理由だが、そんな不運は何の慰めにもなりはしなくて。
どれほど強くても肉体の強度は一般人とほとんど変わらない騎士は、サイクロプスの巨躯によって下半身をつぶされ、口から血を吐きながら絶命した。力なく倒れた騎士の手が地面に落ち、じゃらりと鎖がなった。今回の戦いで騎士たちに身に着けるように告げられていた不気味な赤黒い鎖が、飛び散った騎士の血を吸うように怪しく輝いていた。
精鋭騎士の二人は、そうしてサイクロプスキング一体に足止めを食らうこととなった。
戦況は次第に絶望的なものになっていく。
だが、王国はこの程度の苦戦は想定済みだった。だからこそ、いざというときには確実に魔物の襲撃を阻めるようにと、騎士たちを犠牲にする計画を練っていた。
「行けるな?」
「もちろんでっせ。円環は正しく機能しますぜ」
魔具に手を当てながら戦況を眺めていた呪術師の男が振り向く。その後ろには、油でべとべとした肌をした呪術師の姿があった。貴族の三男として生まれ育ったという彼は、いやらしい笑みを浮かべながらボスと呼ぶ男に強く頷いてみせる。
にやりと、白い歯を浮かべて男が笑う。右の袖をめくり、空に向かって手を突き出す。
「さぁ、オレら呪術師を一方的に蔑称の視線で見つめる騎士たちの最期の輝きを見せてくれよッ」
砦のあちこちから絶叫が響いた。耳に心地よいその声を聴きながら、狂気の呪術師たちは笑う。
膨大な魔力が荒れ狂い、天へと手を掲げる男へと集まってくる。その魔力は、男の体に施された入れ墨タイプの魔具に吸い込まれて、体表の回路を伝って灼天の魔具へと流れ込んでいく。
キィーン、と魔具が甲高い音を鳴らしながら光り輝く。そして、かつてないサイズの灼熱の炎が生み出された。それは山一つを丸々飲み込むほどのサイズから、さらに大きくなっていく。
「ふぐぅぅぅぅぅ!」
「頑張ってくれよ?お前が失敗すればオレらともども消し炭だからな?」
脂汗をにじませる男が必死に呪術を発動していた。氷結呪術というあらゆる対象を凍らせる、証拠の残らない暗殺向きのその力で、彼は必死になって周囲の空気を冷却していた。生み出された灼天の炎によって、自分たちが焼け死なないように。そしてそれこそが、王国に灼天の魔具をもたらした男が、内心で無能な豚と嘲笑っている呪術師を侍らせている理由だった。
「さぁ、ショウタイムだ!」
両手を広げて恍惚とした声で男が告げるとともに、灼天の焔が弾け、無数の火球が雨のように降って魔物を、騎士を、周囲に存在するすべての者を襲った。
ただ二人、灼天の魔具のすぐそばにいる呪術師の二人を除いて。
その日。西から襲来した魔物たちは灼天の魔具の攻撃の元に消滅した。そして、防衛のために砦に詰めていたすべての騎士が、死体一つ残らずに焼け死んだ。
遥か遠くから見えた荒野の太陽を見て、起きていた人々は恐れを抱き、時を忘れた太陽に祈りをささげたという。
「……不遜ナ人間メ。待ッテイロ、魔王。貴様ハ必ズ俺様ガ殺シテヤル」
灼天が発動された場所から北。遠くの空に昇るまばゆい炎を見ながら、一体のドラゴンが牙をむき出しにして唸った。
雲に追われた夜の空の色を塗りたくったような真っ黒な鱗に包まれた、ずんぐりとした体のドラゴン。
漆黒の翼をはためかせるドラゴンの憎しみに染まった金色の目は、はるか西の大地を見据えていた。
高速で飛翔を続けていたドラゴンが飛行速度を落とし、ホバリングする。その目は、すぐ目の前の何もない空間をにらんでいた。
鋭い針が生える尻尾を振り上げ、何もない空間に叩きつける。
キィィィン、と硬質な音が響く。尻尾の一撃は、何かにぶつかったように空間のある一点で食い止められていた。淡い緑の光が明滅し、光の波紋が周囲へと広がっていく。
ゆっくりと弱まりながら遠くへと浸透していく波紋は、よく見ればわずかに弧を描いていた。それはまるで、王国がある人類の領土を守るように空間を隔てる壁だった。
「矮小ナル人間ニスギヌ魔王ガッ」
ドラゴンの口の中に、紫の光が混じる漆黒の炎があふれる。あらゆるものを焼き滅ぼすブラックドラゴンのブレスが、道を隔てる透明な壁へと叩きつけられる。
漆黒の光と、新緑の光、拮抗するそれは、けれど緑の明滅とともにガラスが砕けるような音が響き、大地に向かって突き進んだブレスが遠くの地面を深くえぐった。
ふんと鼻を鳴らしたブラックドラゴンが、割れた壁――すでに語られなくなって等しい人類を守る結界を乗り越えて、人類の生存圏へと飛び込んだ。




