47決意
私たち五人が集まる時間というのは少ない。基本的にキルハは時間があれば研究室にこもっていて夕食の場にだって顔を出さないことが多いし、アベルも訓練や実践の勘を取り戻すために街を出て森に向かったり、マリアンヌは化粧品の開発に余念がなかったりと、それぞれに好き勝手な活動をしている。最近の私は鬱状態で活動もままならなかった。
そんな私たちも、けれど基本的に朝食の席には全員が集まる。共有すべき情報などはその場で告げられることとなる。
そして今日、私は一つの決断を皆に告げることにした。
「……一つ、提案があるんだけど聞いてもらえる?」
食事の手を止めた四人が、私の方を見る。いぶかしげな視線に晒されながら、私は大きく息を吸う。そして、覚悟の言葉を告げた。
「私の魔法がきちんと機能しているかを、できるだけ早く知っておきたいの」
ブラックドラゴンの襲撃が予見されてから早四日。今のところ問題が起きたという情報は得ていないけれど、万が一戦いに出る可能性がある以上、できるだけ自分の現状を把握しておきたかった。
すなわち、異常を見せていた魔法が正常に機能するか、それを確かめておきたかった。
突然の死、発動を感じられなかった魔法、私の体に残った魔力、夢の中での声と体内の魔力の消失。それ以来一度も死んでいない現状、私は早急に魔法が正常になっていることを確かめる必要があると考えていた。
顔を真っ青にさせたキルハが、勢いよく立ち上がる。テーブルにぶつけた足のせいで、鈍い音が響き、スープの水面が大きく揺れた。
「危険だよ!もし魔法が機能しなかったら、ロクサナは死んでしまうんだよ⁉自ら死に行くようなことを許可できるはずないよ」
キルハの言う通りだ。もし私の魔法が機能しなければ、私は死ぬ。蘇生できずに、そこで終わり。その可能性もある確認なのだ。私がつかんだすべてが、今の平穏があっけなく手のひらから零れ落ちかねないと思うと、怖くて体が震える。
本当の死が、目の前にあって。けれど、そのことでひるんでいる場合ではないと私は心の中で自分に活を入れる。
「わかっているよ。でも、魔法がちゃんと機能すると分かっているかどうかで、いざという時にとれる行動が大きく変わってくるでしょ」
「わかってない!ロクサナは何もわかっていない!」
ドン、とテーブルを叩いたキルハが身を乗り出して私をにらむ。その目ににじむ涙を見て、私は息をのんだ。涙をにじませるキルハの姿がきれいだと、場違いにもそう思った。
「おかーさん、しんじゃうの?」
「……死なないよ。私は大丈夫」
隣に座るレイラが椅子から降り、私の膝にきゅっと抱き着いてくる。その柔らかな髪を手ですきながら、私は再びキルハの方を見た。
「魔法に頼れないなら、魔法を使わない戦いをすればいいんだよ。そもそも、魔法を使う場面というのは死を経験するときだってわかっているんだよね?あれだけ死にたくないって、死んで記憶を失いたくないって言っていたのに」
「わかっているよ」
「いいや、わかってなんていないよ。だから無茶な手段のための準備をしようなんて発想になるんだよ。大体、想定される戦いの場は街の近くだよ。どこに人の目があるかわからない場所で死んで蘇りましたなんてものを見せるわけにはいかないってわかっているよね?死ぬよりもおぞましい未来が待っているかもしれないんだよ?不死に対する権力者の熱狂は異常だよ。たとえ噂であろうと、不死の人物が、死を超越した人物がいたなんて情報が耳に入れば、王侯貴族はこぞってロクサナを狙うんだよ」
ああ、そのことだってわかっている。不死という甘美な響きに反応しない者はいないだろう。不死とは言い難い私の魔法が、どれだけ苦しいものかを知りもせずに。
多くの者が、私に魔の手を伸ばすだろう。捕えられれば、私を待っているのは戦場よりもおぞましい行為だろう。不死のためならばどれだけの残虐な行為だって彼らの中では正当化されるはず。私は何度も殺されるだろう。不死の肉を食らって不死を得るなんてことを考えて、私の体を食われるかもしれない。私の血で風呂を作るなんて狂った行為が行われるかもしれない。不死の子孫を産もうと、犯されるかもしれない。
悍ましい未来に吐き気を覚えて口を閉ざす。ようやく理解したみたいだね、とキルハが安堵の吐息を漏らし、席に着こうとして。
「……それでも、私は行くよ」
「なんで……なんで、死に急ぐようなことを言うんだよ⁉どうして、自分の命をそんなに軽く扱おうとするんだよ⁉ねぇ、どうして!」
「命に代えてでも、やりたいことができたからよ」
私に引っ付くレイラの耳を両手でふさぎ、アベルを、マリアンヌを見て。そして、対面で顔を怒りに染めるキルハを見据えて、乾いた口を開く。
「アマーリエを、見つけたい。レイラを、幸せにしたい」
「見つけられるよ。ロクサナなら、魔法を使わなくなってできる。その目的のために、死ぬ必要はないじゃないか」
「……アマーリエが、王国に捕らわれているのに?」
キルハが口を閉ざす。うつむく視線は、テーブルの上に並ぶ料理の方を向く。
そう、アマーリエが騎士に捕らわれたという目撃情報が事実であれば、アマーリエを救うためには王国の拠点に侵入するか、あるいは王国を相手取って戦う必要があるだろう。
そして、その戦いを思えば、私は自分の戦力を正確に把握しておく必要があった。いざ実行して蘇生できませんでした、巻き込んでしまってレイラが国に捕らえられて殺されました、なんてことになれば、私は死んでも死にきれない。
魔女であるレイラと、捕らわれのアマーリエを救うために、私には力がいる。
「……だったら、僕が協力、いいや、僕がアマーリエさんを救うよ。僕がロクサナの代わりに戦う。だから――」
「だから、私は戦わなくていいって?それ、本気で言っているわけじゃないよね?」
キルハの言葉が、私の心の深いところをえぐった。それは、愛するキルハの言葉であっても許せない者だった。
私は戦わなくていい?キルハが代わりに戦う?キルハが傷つき、見ず知らずの者のために身を犠牲にして戦うのを、見ていろというの?
「ふざけないで。私が、私が戦わないといけないの。守れなかった弟のために。魔女と交友関係があったというレッテルを貼ってしまったアマーリエのために。アマーリエの記憶を失ってしまった、思いやりのかけらもない私が、アマーリエからレイラの母という立場を奪ってしまっている私が、戦わないといけないの。これは、私の戦いだから。……だから、キルハは戦わなくていい」
私だって、無意味に死ぬつもりはない。王国と戦いになったって、捕らえられるつもりも、死ぬつもりもない。私が望むのは、アマーリエの開放。レイラが母を取り戻し、私は心から平穏で愛すべきキルハとの日常を享受する。罪悪感にも、後ろめたさにもさいなまれない、美しい幸せな日々を過ごすのだ。
そのためなら、一度は逃げ出した戦場に再び足を向けることだって、魔法の効果を確かめるために死ぬことだって厭わない。
死を、拒否してはいけない。私は、魔法によって生き返る私だけは、死を受け入れ、死を食らって生きるべきだ。それが、私が有する力であり、他の誰もが持っていない武器だから。
「キルハは、レイラを守ってあげて。私が戦いに向かったその時、万が一レイラが狙われても大丈夫なように、レイラのそばにいて。そして、私が帰ってくる場所を守って」
もう、キルハは何も言わなかった。肯定も否定も、告げなかった。ただ、強く下唇をかみしめてうつむいていた。その体は、ひどく遠かった。手を伸ばしても、ぎりぎり触れられない距離。キルハが、遠く離れて行ってしまったようで、心細さが胸の奥で膨れ上がる。
自分で突き放すようなことを言っておいて、私は何を感じているんだろうか。相変わらず自分本位な自分が嫌になる。
優先順位は、アマーリエとレイラだ。死にぞこないの魔女にできる、かつて取りこぼしてしまった彼女たちの平穏を取り戻すこと。
それが、私が心に決めたこと。
私は、二人と死んでしまった弟のためにできる償いをするだけなのだ。




