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白百合の涙  作者: 雨足怜
ブラックドラゴン編

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46奇術師

 噂をすれば影が差す。

 アヴァンギャルドにおいては、自らの死を考え、おびえる者から死んでいくという意味でもあった。言霊というわけではないけれど、言葉は口にすれば頭の中で形を結ばぬぼんやりとした思考であったものから成長し、私たちを縛る目に見えぬ鎖となる。死を思えば、死が寄ってくる。生きたいと望めば、面前にひどく高い、人生の難関がやってきて、生きるという苦しみの世界を私たちにもたらす。

 一方で、生死に執着を見せないアヴァンギャルドの者たち――特に奇人の類はあまり死んでいくことはなく、絶望的な状況にあることも少なかった。ただ自分の興味の向くことだけに集中する彼らは、それゆえに魔物との戦いにも積極的ではなく、まるで非敵対者など興味はないとでもいうように、魔物たちは彼らを避けて私たち生を望む者に襲い掛かった。

 結局何が言いたいかといえば、シャクヤクのことを考え、名前を呼んでしまった時点で、彼との遭遇は必然となったのではないかということだ。


 屋台の女性と少年少女に別れを告げた私たちは、再び街の散策に戻った。近辺では比較的規模の大きいこの街は、その分物や人が集まる場所だった。そのため旅人と思しき人々の姿もそれなりに見られた。人や物の流通が多いということは、それだけ市場が活発であるということ。私が暮らした村からは考えられない喧噪がそこにはあった。

 その中、ひと際大きな歓声が上がる先にレイラの視線が吸い寄せられた。少しだけ、ためらうように私の手を引きながら、レイラが視線で私に尋ねる。行ってもいい?と。


「行こうか」

「うん!」


 私の許可を聞くなり駆けるように進みだしたレイラに手を引かれながら、私は人ごみのほうへと進んだ。歓声が渦となってとどろく。とてつもない熱気だった。

 人の列のせいで、ただでさえ背の低いレイラではその先をのぞき込むことができない。涙目になったレイラが私を見上げる。

 その両脇に手を差し込んで、持ち上げる。開いた足の間に頭をねじ込み、レイラを肩に乗せる。肩車なんて初めての経験だったけれど、すぐ近くでも父親と思しき人物が少年に同じことをしていたので、見よう見まねでやってみた。最も、その人物の場合は広い肩の一方に少年を座らせていて、私とは少し違ったけれど。

 見える、と聞くよりも早く、レイラは大きな歓声を上げ、きゅっと私の髪をつかみながら歓声を上げた。意外と痛い。もう少し髪をつかむ手を緩めてほしいけれど、楽しそうなところに水を差すのはためらわれた。

 私は髪を引っ張られるわずかな痛みを感じながら歓声の中心へと顔を向けて。


「……シャクヤク?」


 視線の先、ダークスーツに顔半分を隠す不思議な模様の仮面をしたシャクヤクの姿があった。高い身長、わずかに広い肩幅、すらりとした指、半分除く美しい顔。

 ワルプルギスという魔女たちの秘密結社のリーダーをしているという彼は、まったく人目をはばかることなくそこにいた。

 行っていることは奇術といわれるそれだろう。なんの仕掛けもなさそうな――とはいえ明らかにそれとわかる高級な外装でタネがありますと言わんばかりだったけれど――に、シャクヤクがさっそうと入っていく。助手が扉を閉め、その箱に向かって鋭い刃物を突き立てる。

 きゃあ、と悲鳴が上がった。頭の上、レイラが私の髪から手を放して目を隠した。

 多くの悲鳴は慌てた響きがなくて、多少見慣れた光景なのだと私は理解した。たぶん、時折このように街角で活動をしているのではないだろうか。

 次々と背の高い箱に剣が突き立てられていく。けれど、斜め上へと突き刺された剣の刃から血が垂れることはない。何しろ、その中にシャクヤクはいないのだから。

 箱の中に、シャクヤクの気配はない。たぶん、空間魔法と話していたあの力によって姿を消したのではないだろうか。魔力感知のセンスがない私には、シャクヤクの魔法発動の兆候はわからなかったけれど、たぶん魔法を使って脱出したのだ。

 この大勢の前で魔法を使い、何より魔法の存在を疑わせるような奇術を披露しているあたり、シャクヤクというのは相当な変人なのではないだろうか。


「久しぶりね?」


 ローブ姿の顔を隠した人物が、私の隣から声をかける。すでに気配で彼のことに気づいていたので、私は前を向いたまま反射的に「久しぶり」と返した。

 存在に気づいてはいた。箱の中から姿を消したシャクヤクが、すぐ近く、奇術用の道具が積まれたスペースから現れ、するりと人ごみに潜り込んで私たちに接近していたことに。けれど、心の準備ができていなかった。敵かもしれないシャクヤクとどう関わるべきか、私の中にはまだ結論が出ていなかった。

 今こうして話しかけられたことにも、私は疑いを持ってしまっている。ただ顔見知りが人ごみに見えたからこちらへ来たのかもしれない。けれど、奇術の真っ最中に来ることはないだろう。

 少しだけ、違和感を覚えた。それが何か、考えようとしたところで隣から視線を感じた。

 探るような視線を感じたのは、私の気のせいだろうか。ちらりと横目で確認するも、フードで隠された顔を見ることはかなわなかった。


「……マリアンヌは元気でやってるよ」

「それは何よりね。彼とも順調かしら」

「前よりは進展があったと思うよ。まあ、大きく変わったとまでは言えないけれど、アベルも意識しているかんじね」


 それは何よりね――そう呟きながら、シャクヤクは小さく笑った。吹き抜ける風がフードをはためかせる。わずかに覗いた顔、どこかここではない場所を見る無機質な瞳が、そこにあった。それはたぶん、かつてのマリアンヌを見る目。王国につかまってしまった弟子のマリアンヌに対して、シャクヤクはどう思ったのだろうか。戦おうと、思っただろうか。マリアンヌを取り戻すために、王国と一戦交えることくらいは考えたかもしれない。

 けれど、それは実行されなかった。たぶん、ワルプルギスを率いる長としての、苦渋の決断だったのではないだろうか。

 くしゃりと小さく笑みを浮かべたその顔には、多くの苦悩がうかがえた。

 ああ、こんな人を敵だと思っていた自分が恥ずかしい。


「それじゃあ、あたしはそろそろ行くわね」


 そう告げて、シャクヤクは人目を気にすることなくその場から姿を消す。それと同時に、私はようやく自分の中にあったわずかな違和感の正体に気づいた。誰も、私の頭上にいるレイラさえ、シャクヤクの存在に気づいていない様子だった。

 魔具、あるいは魔法具の効果だろうか。私以外の者に存在を認識させないような効果があったのかもしれない。

 一陣の風と共に消えたシャクヤクの気配が、剣でずたずたになった箱の中へと移る。気づけば奇術は佳境に入り、箱に突き刺さっていた何本もの剣は抜かれて地面に転がっていた。その刃は、血に濡れてはいない。だから分かっているけれど、観衆は誰もが固唾をのんでシャクヤクの無事を祈っていた。

 果たして五体満足で帰還したシャクヤクの姿を見て、人々は大いに歓声を上げた。


「どうして?どうしてだいじょうぶだったの?」


 興奮に髪を引っ張るレイラが上からのぞき込むように私の顔を見る。逆光で暗くなった顔の奥、好奇心に彩られた瞳があった。

 前方へ倒れこみそうなレイラの足をつかんで体を支えながら、私は「どうしてだろうねぇ」と尋ね返す。この場で魔法を使ったからなどといえるはずもなかったが、私にも奇術のタネがわからなかったという事実にレイラは一層興奮した様子で、小さなモミジのような手をぱちぱちと全力で叩いた。

 楽しそうに観客に笑いかけるシャクヤクの顔を、じっと見つめる。その顔に、陰はない。シャクヤクが私を殺したというのは、やはり考えすぎだろうか。


 それから私たちは様々な奇術を――その多くが空間魔法とやらで実行可能なものに思われた――を鑑賞し、興奮し続けて疲れて眠ってしまったレイラを背負って家に帰った。


「……ふぅん、奇術ねぇ?」


 食事の場でシャクヤクのことを話題に挙げれば、マリアンヌはフォークを止めて宙を見上げて首をひねった。隠れ潜むべきシャクヤクが堂々と公衆の面前で魔法を使っていたという点か、あるいはシャクヤクが魔法を見世物にしているという点か、たぶんそのあたりにマリアンヌは引っ掛かりを覚えたのではないだろうか。

 古代ワルプルギス王国において、魔法とは貴族の象徴であったという。そんなワルプルギス王族の血統に連なり、ワルプルギスのリーダーに収まっているシャクヤクは自らの血を誇りに思っている印象だった。であれば、自分の魔法を見世物のようにすることをシャクヤクが好むことはないだろうと、帰りの道で私は考えていた。


「シャクヤクって実はあまりワルプルギス王国への思いが強くなかったりする?」

「そんなわけないじゃない。あれはもはや狂信の類よ。自分の血統と魔法へ異常な愛があるのよ。だからこそ、理解できないのだけれどね」


 魔女の秘密結社である現ワルプルギスも、マリアンヌによるとワルプルギス王国の貴族の血を受け継ぐ者たちが幹部として魔女たちを統治する組織らしい。彼らの言によれば、魔女に至った在野の者たちは自分たちと同じ尊い魔女の血を引く者であり、それ以外の覚醒せぬ者たちは下民である――だそうだ。魔法が発現した時点で卑しき民から統治側に成り上がるらしい。魔女を排斥して平民以下の存在に貶める現在の風潮とは真っ向から対抗する考えだと思う。

 いつか、ワルプルギスを構成する者たちは現状への怒りを爆発させて、王国と戦う――なんてことが起きるかもしれない。だからこそ、ガス抜きのように社会に魔法が受け入れられる下地を作ろうというのが、先ほどのシャクヤクの行動の理由なのではないだろうか。

 奇術という不思議を受け入れた市民は、そのうちに魔法についても寛容になっていくのではないだろうか。さらに、ハンター協会の支部長のように魔女に命を救われた者が増えていけば、いつか市民は魔女を受け入れる側に回るかもしれない。

 その道のりは間違いなく険しく、現行政権と戦いになるのは必至だろう。

 できれば、戦いなんて起きなければいい。魔物との戦い以上に、人間同士の戦いほどこたえるものはないだろうと私は思う。人を殺した、あの虚無感。心がすり減っていくあの感覚が、戦いの間中積み重なっていき、最後には心壊れた人形のように、目の前に立ちはだかる敵対者を物のように淡々と壊していく存在となるのだろう。

 そんな戦いを想像して、強烈な吐き気に襲われた。目をきゅっと閉じて、吐き気をこらえる。余計な思考を追い払う。

 カラン、と震える手の中から零れ落ちたカトラリーが皿に落ちて澄んだ音を立てた。


 マナーがなっていないわよ――そう言いたげなマリアンヌの視線を感じながらも、注意されることはなかった。たぶん、私の顔色の悪さのせい。

 深呼吸を一つ。私の方を凝視していたレイラに何でもないと笑みを返し、私は再び食事を開始した。


 言いようのない予感が、胸の内に広がっていた。最悪のシナリオが、水面下で進んでいるような感覚。私の知らないところで、何かが蠢いている――そんな予感。


 アベル特製のスープは温かいはずなのに、いくら飲んでも私の体の芯は冷え切ったままだった。

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