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白百合の涙  作者: 雨足怜
ブラックドラゴン編

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44/96

44魔族

 支部長がブラックドラゴンの襲来について伝えに来てから数日。少なくとも私たちが暮らす街は平穏一色だった。まだブラックドラゴンは襲撃しておらず、私たちは少しだけ緊迫した空気の中に身を置きながらも、それで疲れてしまっては元も子もないため、できるだけ日常を謳歌していた。

 とはいえ特に外出する予定もなかった私は居間で本を読んでいて、そこに通りがかったマリアンヌが私の姿を目にとめて立ち止まり、首をひねった。


「あら、あんたは文字が読めたのね。てっきり学のない猿だと思っていたわ」

「猿ほど知性が低くはないよ。それと、ただの村人で文字を読める人なんてほとんどいないんだからね」

「だからどうしたのよ。アベルだって昔は文字を読めなかったけれど、今では読み書きは完璧よ。それなのに同じようにアヴァンギャルドに入ってから文字を学んだあんたは、つっかえながら読むうえに、書くほうに至っては壊滅的じゃない」


 痛いところをつかれた私は、ぐぅと唸りながら本から顔をあげてマリアンヌをにらんだ。そう、私は文字がほとんど書けない。というか、村人にとって文字を書く機会なんてまずないし、アヴァンギャルドでだって必要ではなかった以上、字を書くことは教わらなかった。それも当然のことだ。紙なんてものが衣服以上に希少だったアヴァンギャルドにおいて、わざわざ文字を書くことを学ぶ意味は小さい。読むことを学んだのは、当時アヴァンギャルドにいた本好きの老人が手持ちの本を読むことを私に強制したからだった。いつか自分が死んだときにこの本の価値がわかる者が一人でも多くいるようにしたい――そう話していた彼のその後を、私は知らない。

 それはともかく、私の読み書きの力は読む方に偏っていて、文字を書く能力は壊滅に等しかった。


「別に文字が書けなくても困らないじゃない。少なくともこうして本を読める以上、これで十分よ」

「あっそう。まあいいわよ。それより、その本は何なのよ?妙に豪華絢爛というか、無駄な装飾がついているけれど、芸術品というわけじゃないわよね。どこかで盗んできたのなら張り倒すわよ」

「盗むわけがないでしょ。……ああ、話していなかったっけ?これ、シャクヤクからの拠点購入祝いらしいよ。三冊送られてきて、一冊はアベルが一心不乱に読み込んでいて、もう一冊は絵本だったからレイラが取り込んでいて、残る一冊がこれ」


 最近何度も読み返していたため、ちらちらと視線には入っていたのだろう。ずっと気になっていたといわんばかりに勢いよくまくしたてるマリアンヌを見て、そもそも本が送られてきたことを伝えていなかったことを思い出した。

 そうしてシャクヤクの名前を出した途端、本に対するマリアンヌの関心が消滅した。


「あっそう。で、何をそんなに手間取っているのよ。ろくにページが進んでいないじゃない」


 それもそうだろう。何しろ、私は本の中のある一角ばかりを繰り返し読んでいるのだから。


「いくら私でもこんなに読書速度が遅くはないよ。ちょっと気になるところがあったから、そこを繰り返し読んでいるだけよ」


 そういいながら、私は『ワルプルギス王国史』の最初の方のページをマリアンヌの顔の前に突き出して見せる。すっと細められた目が素早く文字を追っていく。たぶん、知らない話だったのだろう。マリアンヌの眉間には次第に深いしわが刻まれていく。

 書かれている内容は、ワルプルギス王国がどのような国であるかという話だった。ワルプルギス王国を素晴らしい国だと考える後世の人が自分のルーツである国についてまとめた本らしい。そのせいか全体的にワルプルギス王国を称える賛美が激しい文章を簡潔にまとめれば、かつてここら一帯で大いに繁栄していたワルプルギス王国は、自らを魔法に愛された人類として「魔族」を名乗る貴族たちが国を治めていたのだという。そして、魔族たちは自らの王である魔王を崇拝し魔法を持たぬ平民を支配していたのだという。

 私が興味を持ったのは、その魔王についての内容。そこには、偉大なる不老不死の王についての記載があった。曰く、魔王は決して死なない。刺されても瞬時に傷が再生し、仮に一瞬で絶命するような死に襲われても、魔王は瞬時に生き返り、不届き者を殺したのだという。魔王の御業はまるで神の力のようで、世界に愛された彼は、死という普遍性を超越し、時間という法則を破った不滅の存在だった――そう、書かれていた。

 気になるのは、蘇るという部分と、時間という法則を破るという点。これらが意味する力は、私の魔法に酷似しているような気がした。死んでも自分の体の時間を巻き戻して回復する。

 だからこそ魔王は不老不死で、魔物たちとの戦いの最前線に立ちながらも死ぬことなく――正確には死んでも復活して――戦い続けたのだという。そんな魔王は人類の旗頭となり、英雄となり、人類の尊敬を一手に集めて王に至ったのだという。


「……魔王、ねぇ」


 ちらりと私を見たマリアンヌが鼻で笑う。私は別に、魔王の王道に心揺さぶられて自分も王になろうとか、そんなことを考えているわけではない。ただ、もし私が魔王と同じ魔法の力を持っていたらと考えたのだ。あるいは、私は魔王から魔法の力を授けられたのではないかと、そう仮説を立ててみた。

 以前、夢の中で聞いた声の主は魔王で、私は魔王によって魔力を与えられ、魔法の異常を直され、今ここにいるのだとしたら。そして、その事実を知ってシャクヤクがこの本を私に渡して来たのだとしたら――

 シャクヤクは、何がしたいのだろうか。私たちのことを見透かすような本選び。もし私の力が魔王の魔法と同じだとシャクヤクが判断していたら、彼はどうするだろうか。私を魔王の後継者として認める?たぶんそれはない。私は魔王じゃない。魔王の、それもおそらくは力の一端しか持っていないぽっと出の私が魔王の子孫や後継者と認められるとは思えないし、私だってそんな立場に置かれるのは御免だ。そう、この本に書かれている魔王は、時間を巻き戻すことによる蘇生と、もう一つ、瞬時に肉体を回復させる力を持っている。後のページには、陽光をすかす葉のような鮮やかな緑の光に包まれた魔王の姿が描かれていた。だから、私が魔王から渡された力はごく一部に過ぎないのではないだろうか。

 だから、私は魔王とは違う存在で、だとすればいまだにワルプルギスの名を受け継ぐシャクヤクたちは、私とどうするか。

 そこまで考えて、私はある仮説に至った。

 ――偉大な、彼らが使えるべき不老不死の存在から力を奪ったことになるわたしを殺す?

 私を、殺す。まずは、私が魔王の力を持つ可能性を考慮して、何らかの方法で殺害する。例えば、先日私が正体不明の死に襲われたのは、シャクヤクの手によるものではないだろうか。呪術か、魔法か毒か。古代王国の知恵を引き継いでいそうなシャクヤクであれば、人一人を自然死のように殺すのはたやすいのではないだろうか。その後私が生き返ったら、魔王の力を持っていることはほぼ確定。シャクヤクは私から魔王の力を単離することを望むけれど私は魔王の力によって死なず、私から魔法の力は簡単には解き放たれない。だとすれば、シャクヤクは確実に私を殺す方法を練っている――なんて、そんなはずがない。

 もしそんなことを考えていたのだとすれば、自分が殺されようとしているかもしれないという考えに至りうるような本を私が読むように送ることはないだろう。けれど、私が不審死をしてから、シャクヤクは顔を見せていない。本は人を送って届けさせ、ブラックドラゴン襲来の緊急報告だって、ハンター協会の支部長を使い走りにするありさまだ。


 違う、はずだ。シャクヤクが、人が、私の殺害を計画しているなんて、そんなはずがない。私は、そんな、人に殺意を持たれるような人間ではない、はずだ。


「いきなりどうしたのよ?」


 たぶん、死にそうな顔をしていたのだろう。顔を蒼白に染める私を見て、マリアンヌが顔をゆがめながら私の額に手を当てた。熱はないはずだ。あるいは、血の気が引いてるせいで体温が低く感じられることもあるかもしれない。

 ひとしきり首を傾げたマリアンヌは、レイラと一緒に街にでも行ってきなさいと、私の手から本をひったくり、さっそうと部屋を後にした。

 たぶん、気を使われたのだろう。あの本を手に持った状態では、たぶん私はまたしてもぐるぐると余計なことを考えてしまう。だから気分転換をして来いと、マリアンヌは本を取り上げてレイラを遣わしたのだろう。


 るんるんと鼻歌が聞こえてきそうな足取りで部屋に入ってきたレイラが私に手を伸ばす。その手を取って、私はぎこちない笑みを浮かべながら街へと繰り出すために一歩を踏み出した。


 考えるべきことは山ほどあった。ブラックドラゴン対策も、戦闘準備も、勘を取り戻すための訓練も、私の魔法の現状に対する検証も、棚上げしているアマーリエの捜索も、強制依頼の際にレイラをどうするかも、何一つ進んでいない。

 けれど、今だけはそんなことを忘れて楽しもうと、私はスキップを踏むように進むレイラの後頭部を見下ろしながらにぎわう街を進んだ。

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