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白百合の涙  作者: 雨足怜
放浪編

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42/96

42マリアンヌの嫉妬

「朝は何をしていたのよ⁉」


 詰め寄るマリアンヌの両肩を押す。それほど筋力はついていないだろうに、一体どこからそんな力が出ているのかわからないほどの膂力をもって、マリアンヌは私の腕をつかんで体を前後に激しく揺さぶってきた。

 目が回る。マリアンヌの背後にいたレイラと目が合う。心配そうに私たちを見つめるレイラは「けんか?」と視線だけで質問してくる。それに視線で否定して、私はいまだに怒り心頭といった様子のマリアンヌをなだめにかかった。


「……このままだとアベルが来るかもしれないよ?」

「だからどうしたっていうのよ⁉」

「仲間に激昂する姿を見られたいの?般若みたいな今の姿を?」


 そう問えば、マリアンヌは突如として動きを止めて、ゆるゆるといった動きで私の腕から手を離した。万力のような力で掴まれていた腕がひどく痛んだ。明日にでも筋肉痛で腕がまともに動かなくなるかもしれない。そうなったらマリアンヌに食事を口まで運んでもらおうか。

 そんな益体もないことを考えながら、そわそわと髪を整えるマリアンヌを見つめて小さく息を吐いた。

 ちょいちょい、と手招きをすれば、小さな足で懸命に駆け寄ってきたレイラがどうしたのかと首をかしげる。

 「マリアンヌを連れてきて」と告げれば、レイラはこくりとうなずく。それから落ち着かないマリアンヌの手を取って、私の後を追い始めた。

 なるほど、私が手を握れば勢いよく叩かれただろうが、レイラに対してはマリアンヌも優しいらしい。小さな手に引っ張られながら、マリアンヌもまた私の後をついてきた。


「朝はお似合いだったね。それと、眠れなくて訓練場に行ったら偶然アベルがいただけだよ」


 たぶんこのことだろうと思いながら、私はうんざりだという様子を隠しもせずにマリアンヌに告げる。お似合いだったというのは、激しい訓練に励むアベルのもとへとやってきたマリアンヌが、タオルでその汗を献身的に拭き、持ってきていた水筒からかいがいしく水をよそってアベルに渡していた一連の行動に対する言葉だ。それを無言で受け取っていたアベルは、少しだけ気恥ずかしげに視線をさまよわせていた。甘い空気にへきえきとしていた私は早々に二人の逢瀬の現場を立ち去ったわけだが、マリアンヌは私とアベルが二人でいたというところが気に食わなかったのだと思われた。

 少々棘のある言葉が自分に対して放たれたのだと持ったのか、レイラがびくりと肩をはねさせる。


「大丈夫よ、レイラに言ったわけじゃないから」


 視線を合わせて頭をなでれば、怒られたみたいで怖かったと言いながらレイラは私の足にぽすんと抱き着いてきた。


「……そんな偶然があるわけないわよ!」


 照れ照れと顔を緩めていたマリアンヌが、ようやく私の後半の言葉を処理したらしく、怒りに肩を震わせながら私をキッとにらんできた。

 ひう、とレイラが私の足に一層強くしがみつく。マリアンヌに気を許しているレイラとはいえ、今の怒りの化身のようなマリアンヌは怖くて仕方ないらしい。正直、私も少し怖い。もとから釣り目がちな目は一層つりあがり、激しい怒気のせいか小刻みに震えていた。

 強く握られた拳からは血の気が引いていて、今にも殴りかかってきそうだった。

 まあ、もし殴りかかってこようものなら反撃するだけなのだけれど。後衛のマリアンヌにやられるほど私は弱くない。たぶんマリアンヌが呪術で自分の肉体を軽く強化しても私に軍配が上がると思う。

 最も、私に対して呪術を施されて能力を低下させられたらどうなるかわからないけれど。


「偶然よ。最近私が眠れていないことは知っているでしょ?」

「その隈を見ればわかるわよ」

「眠れずにベッドにいると余計な事ばかり考えてしまって不安だってのも、わかるでしょ?魔法がどうなるのかとか、また死ぬんじゃないかとか」


 くしゃりと顔をゆがめながら、マリアンヌはしぶしぶうなずく。死という単語に反応したレイラが勢いよく私を見上げる。


「ろくさな、しんじゃうの?」

「死なないよ。私は死なない。だから大丈夫だよ」


 ぽんぽんと頭を撫でれば、レイラは涙がにじんだ目元を私のズボンで拭った。朝から鍛錬後に着替えてまだそれほど時間が経っていないのだけれど、また着替えたほうがいいだろうか。


「……安請け合いしていいわけ?あんたの魔法は――」

「ああ、そういえば話していなかったっけ。アベル曰く、今の私の体には魔力がないらしいよ。だからたぶん、魔法は正常に機能するよ」

「そう、ならいいのよ」


 ふんとそっぽを向くマリアンヌに、私は苦笑しながら礼を言った。ややきつい口調だったとはいえ私を心配してくれたことは事実だから。

 次第に顔を紅潮させていくマリアンヌは、「ああもう」と叫んで微妙な空気を霧散させた。

 顔を見合わせた私とレイラは、お礼を言われて恥ずかしがるマリアンヌがおかしくて笑った。


「で、魔力がなくなって体に不調はないかを確認するという意味合いも込めて、組手をしようという話になったの」


 そう。あれからマリアンヌが訪れるまで、私はアベルに提案されるままに組手を行った。最初は型に合わせた動きだったけれど次第に白熱してきて、私は何度もアベルに投げられ、転ばされ、地面を転がることになった。

 そんなわけで私とアベルの間に甘い空気はなかったのだ。私の砂や土で汚れた服を思い出したらしく、虚空を見上げながら「そういえばそうだったわね」とどこか他人事のようにマリアンヌはつぶやいた。


「つまり、アベルと何かあったわけじゃないのよね?」

「……なかったよ」

「なんでそこで悩むのよ⁉」


 一瞬口ごもったのは、マリアンヌを意識していることを指摘されたアベルが照れた際のことを思い出したからだった。何もなかったとは、言えないかもしれなくて。けれどそれを尋問するように当時のことを話すように詰め寄るマリアンヌに告げるのは癪で、私は努めて何もなかったとマリアンヌに言い聞かせるのだった。

 ああ、夫婦喧嘩は犬も食わないというけれど、マリアンヌとアベルの関係にかかわるのもたまったものではないなと思った。一緒にいるだけでこれだけ詰問されるのは正直面倒だし、アベルが自分を見てくれているとマリアンヌが認識できるようになるまでしばらく距離をとるべきかもしれない。


 爪を軽くかんで何事かをぶつぶつと呟いているマリアンヌを放って、私とレイラはその部屋を後にした。


「……キルハ?」


 何かレイラと一緒にすることはないかと屋敷の中を巡っていると、珍しく居間にキルハの姿を見つけた。その手には古びた羊皮紙に包まれた贈り物らしき何かがあった。


「それなぁに?」

「ああ、シャクヤクからの届け物だよ。丁稚を使ってついさっき届けられたんだけどね」

「……呼び鈴が鳴ったの、まったく気づけなかったよ」

「ああ、仕方ないよ。マリアンヌがすごい声で叫んでいたからね」


 少しだけ応対するのが気恥ずかしかったよ、と背後からマリアンヌの怒号が聞こえる中で来客対応したことに精神的な疲れを感じているらしいキルハが苦笑しながら小さく息を吐いた。こんなことでキルハを疲れさせるなんて、マリアンヌはいい度胸をしている。あの天邪鬼をいつまでも放っておいてはキルハが疲れてしまってよくないだろう。ここは一発重い一撃を食らわせて静かにすべきではないだろうか――

 きゅ、と手が握られて、私は下を見る。そこには心配げに瞳を揺らすレイラの姿があって。大丈夫と答える代わりに、私はレイラをぎゅっと抱きしめた。

 そのまま抱きかかえて、私はキルハの対面のソファに座る。膝の上に乗せたレイラの髪をのなでながら、私たちの視線はキルハの手の中にある長方形の板のような形のものに向けられていた。

 私たちの期待の視線に苦笑したキルハが、糸をほどき、包みをゆっくりと開いていく。


「少し遅れたけれど拠点購入祝いだって言っていたよ。平民にとって家を買うというのは一大事だし、お祝い事なんだろうね」


 あまり平民の文化に親しみがないというような調子でキルハはそう告げる。そういえばキルハはどんな風に子ども時代を過ごしたのだろう。魔具を開発していたという話は聞いたけれど、それ以外の話をキルハの口から聞いた覚えがなかった。あるいは、私が忘れているだけか。

  一方的に私の過去の人間関係ばかり知られているようで、少しだけ嫌な気持ちになった。私の過去は知られているのに、キルハだけ過去を語らないというのは卑怯じゃないだろうか。もしかして話したら軽蔑されてしまうような幼年時代だったとかだろうか。……私はキルハのどんな過去だって受け入れられるのに、キルハは私を信用してくれないのだろうか。


「……本?」


 ぐるぐるとよくない思考が駆け巡る中、キルハが私たちに向けて突き出してきたのは、数冊の本だった。学術書のような分厚くて読むことを考えるだけで頭が痛くなりそうなものから、装飾過多な豪華絢爛とした装丁の本に、デフォルメされた人の絵が描かれた表紙の本――たぶん絵本、だろうか。


「本だね。まったく、こんな高価なものを送るなんてシャクヤクの価値観は常人離れしているよね」


 キルハだって魔具なんてものを発明できるあたりよっぽど常人離れしていると思うのは私だけだろうか。キルハとレイラの意識はすでに本に向いていて、話をする余裕さえなさそうだった。

 早速とばかりにキルハは学術書のようなそれ――私の読み方が正しければ魔法具に関する文書だと思う――を手に取ってページをめくり始めた。独特の香りが本から漂って私の鼻腔をくすぐった。


「ろくさな、ほんってなに?」

「ん?あー、本っていうのは、いろいろなお話とかお勉強の内容をまとめたもののことだね」

「おはなし?」

「そう。この本だと……ワルプルギス王国の繁栄?まさかこれ、シャクヤクが血を引いているっていう古代王国の……」


 手に取った豪華な装飾の施された本に書かれたタイトルを読んで、動きが止まった。ワルプルギス。それはシャクヤクが属する、古代王国から連綿と続く魔女たちの秘密結社と同じ名前だった。正直、これが本当に古代王国時代に書かれた本だというのなら、その価値は私には想像もつかないものなのだと思う。

 古代王国なんて存在を私はこれまで知らなかった。つまり、それだけ情報が今に伝わっていないということではないだろうか。

 まあこうしてひょいとあげてしまえるくらいだし、あるところにはまだ古代王国の存在を証明するものが転がっているのかもしれない。


「だろうね。その本、たぶんロクサナの勉強にもなるからレイラに読み聞かせしてあげたら?」

「どんな内容なのかもわからないのに?」

「だったらそっちの絵本を読んであげたら?」


 そう言われて、私はもう一つの絵本を手に取った。人と、それから魔物のような絵。デフォルメされてかわいらしいとはいえ、魔物と人が出てくるという時点であまりいい予感はしなかった。

 表紙の可愛い絵を見たせいか、レイラは目をキラキラさせて私のことを見上げていた。無言のおねだりに、私は折れるしかなかった。

 そして、表紙を見て。私ははっと目を見開いてタイトルを凝視した。


「『かがやく花畑と守護者たち』……?」


 輝く花畑――その単語から連想するのは、魔物の住む森の奥、ひっそりと咲き誇っていた美しく輝く花々が織りなす神秘的な光景だった。魔物たちに踏み荒らされることなく燦然と咲き誇るは、セイントリリー。神聖の名を関するその花は、淡い純白の光を放ちながら森の奥に群生地を織りなしていた。

 魔力濃度の濃い地域にのみ咲くことができる美しい花。その花が咲く条件を満たすのは、およそ魔物たちが跳梁跋扈するような場所しかない。それはあるいは、別側面から見れば魔物たちによってあの花々が守られているようにも見える。

 袖を引かれて視線をずらす。私の腕の中、見上げるようにこちらを向くレイラが、きらきらと目を輝かせて私を待っていた。


「おはなし、きかせてくれないの?」

「あ、うん。話すよ」


 そうして私はその本を開いた。


 その本の内容は、魔力を欠乏してしまって苦しむお姫様のために、魔物たちが守る清らかな花を取りに少年が旅をするという内容だった。

 魔力が不足することの何が問題なのか、ひどく古いその本が書かれた当時を知らない私にはよく理解できなかった。魔力不足に陥ると、死んでしまうようなことがあるのだろうか。そもそも魔力を持たないのが通常なのだから、魔力を失うというのはいいことのようにも思えた。

 ――この絵本が書かれたのがワルプルギス王国時代であるとするならば、総じて魔女たちで構成される王侯貴族社会で魔力を持たない姫には残酷な運命が待ち受けるということだろうか。姫との婚約を拒否する両親を説得するために少年は姫に魔力を与えるための旅に出た、とか?

 そう考えれば少し絵本の内容がしっくり来たような気がした。

 少年は旅の道中で頼もしい仲間を手に入れていって、魔物の住処の奥地に突撃。度重なる襲撃で傷つきながらも、森の奥で一面に咲き誇る淡い星の海を見つけるのだった。

 絵の中には、ふわりと空中に飛んでいきそうにはかない光る花々が描かれていた。その絵は、見覚えのある姿をしていた。

 少年はその花を手折り、姫のもとへと帰還する。そうして姫は魔力を取り戻した――


「……おしまい?」

「うん、これで終わりだね」


 閉じられた絵本の裏表紙を凝視しながら、レイラが首をかしげる。どうもレイラにとっては少々とっつきにくい内容だったらしい。それはそうだろう。私だって魔力不足な姫の状態がよくわからずに戸惑ったくらいだ。セイントリリーについて知らないレイラには話の大筋がつかめているかも定かではなかった。

 シャクヤクはどうしてこんな絵本を贈ったのだろう。おそらくはレイラ用だと思う絵本をレイラに手渡しながら私は首をひねった。


「キルハはどう思う?」

「ん?話の感想?そうだね……魔具を示唆するような内容だった、かな?」


 魔具?そんな単語はこの本には一言も出てこなかったはずだ。セイントリリーからの連想ゲームだろうか。

 私の疑問を察したキルハが本から顔を上げて、レイラの手の中にある絵本を見つめる。レイラは話の内容はそっちのけで絵に夢中になっていた。


「魔力を失ったお姫様に魔力を取り戻させる。そのために必要だったのがセイントリリー。……僕が穿った見方をしているのかもしれないけれど、お姫様は本当に魔力を取り戻したと思う?」

「セイントリリーは魔力を取り込む薬になるんだよね?魔具を作るとき、その薬によって魔物の骨髄とかから魔力を吸い取って魔具に移すって」

「そう。僕が知る限り、セイントリリーはそういう風に使うものだ。間違っても人が摂取するようなものじゃないし、摂取したところで人が魔力を手にするようには思えないんだよね。魔力欠乏症とでも言おうか、その症状のことがよくわからないから何とも言えないんだけどさ……お姫様は魔力を取り戻したんじゃなくて、魔具を手にしたことによって魔法を使っているように周りの人間に錯覚させたってことじゃないかと思うんだよ」


 なるほど。例えば私が先ほど考えた少年が姫と結婚するために姫の魔力を取り戻そうとしていたのだとしたら、周りの人間に姫の魔力が戻ったと誤解させればいいのだ。だから魔具によって姫が魔法を発動して見せれば、魔具を知らない者たちの目から見れば、姫は立派な魔女となる。最も、そんなことで昔の魔女である王侯貴族をだますことができたとは到底思えないけれど。


「もしこの物語の裏がそんな話なのだとしたら、シャクヤクはまるでキルハのことを知っていてこの絵本を渡したみたいだよね」

「……というか、本当に僕のことを知っていて本を渡したのかもしれないね」


 キルハが魔具の開発者だと知っていて、シャクヤクは私たちにこの本を贈った。それはなぜ?魔具はかつて存在したものであってキルハが開発したものではないと言いたかったとか?あるいは、魔具は姫の直系の者が秘匿する大切なものだから研究することさえ不敬にあたるため、これ以上研究をするなと言いたいのだろうか。


「脅迫?」

「さあ?僕たちはシャクヤクのことをあまりにも知らなさすぎるからね。何とも言えないよ。ワルプルギス王国とやらについても、今の秘密結社ワルプルギスについても、僕たちは何も知らない。まあ、こんな遠回しな脅しはないんじゃないかな」


 そう言いながらキルハは再び手元の分厚い本へと視線を戻す。そのページはすでに三分の一ほどまで進んでいた。読むのがはやすぎないだろうか。絵本の読み聞かせすらも時々つっかえる私としては、一度キルハの頭の中を覗いてみたかった。ついでに、キルハが私をどう思っているのか、本心を知りたかった。キルハの過去も、もっと知りたかった。

 キルハはあまり、私に何かを求めることがないし、私に自分のことを話してくれない。

 その多くを秘めた姿は、シャクヤクに共通するところがあった。


 シャクヤクと、キルハ。どこか似た二人は今後、肩を並べて歩いていくことがあるのだろうか。

 それとも、二人の関係はどうしようもなく決裂してしまうのだろうか。


 レイラの手元にある本が途端に不吉なものに思えてきて、私は眉間をもみほぐした。

このお話で今章ラストになります。

次章開始まで少々お待ちください。

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