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白百合の涙  作者: 雨足怜
放浪編

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38/96

38異常と、恐怖と

 突然の原因不明の死が訪れてから三日。私は恐怖に怯えて日々を送っていた。

 あの日以来、私は死ぬことはなかった。おそらく、でしかないけれど。誰かに攻撃されて死んだのか、あるいは体の中に目に見えないダメージが蓄積していた結果か、それが分からない以上、私はいつ再び死ぬかわからない状況で生きるしかなかった。私が死んでしまったかどうかは、魔法発動時に体から湧き出る膨大な魔力を感知してもらうしかなくて。

 だから私は、魔具の作製に集中するキルハを見ながら、彼の工房の隅で膝を抱えて丸まっていた。炉の中で炎が激しく燃えていた。真っ赤なそこに金属が入れられ、赤くなったところで金槌で叩かれ、成形されていく。

 途中、金属はドロリとした液体に浸けられながら形を変える。というか、今キルハが行っているのは鍛冶と何が違うのだろうか。魔法と同じ効果を道具によって生み出す魔具を作るのだから、もっと特殊な製法でもあるのかと思っていたら違うらしい。いや、あるいは私の目が節穴で、特殊なことをしているのに気づけなかっただけだろうか。

 額ににじむ汗を袖でぬぐって、キルハが金槌を振るう。カァン、カァンと澄んだ音が響き続ける。普段ならうるさいと思っていただろうその音色は、今の私にはひどく心安らぐものに聞こえた。絶えず響き続けるリズミカルなその音を聞いているということが、私が生きている証のように思えた。

 灼熱の炎に熱された金属は、そうして気づけば一振りの刃へと姿を変えていて、キルハはそれをじっと見つめていた。

 やがて満足が行く作品だと判断したのか、キルハはついにその刃を炉に入れるのをやめて、近くのテーブルに置いていた水筒を呷って水を一気飲みした。あまりにも勢いよく容器を傾けるものだから水が口の端から伝ってキルハの襟元を濡らした。

 上気した肌、汗で張り付いた前髪、熱を帯びた瞳――なんだかいけないものを見ている気分だった。


「……そういえば、セイントリリーだっけ、あれは使わないの?」


 以前魔具を作るために必要だと魔物が跋扈する森の奥へと採取に向かった淡く輝く花を思い出して、私は作業が一段落ついたらしく休憩に映ったキルハへと話しかけた。そこでようやくキルハは私が研究室にいることを思い出したらしく、驚きに瞠目してからガシガシと髪を掻いた。


「ああ、魔具には欠かせないけど、今回は作ってないよ」

「……?じゃあ、今のは純粋に剣を作っていたってこと?」


 もう三日も同じ剣を打ち続けていたのだからよほどの魔具を作っていたのだと思っていたが、どうやら違うらしい。ただの剣、なのだろうか。テーブルの上に無造作に乗せられた剣は床に座る私からは見えないけれど、少なくとも先ほどまで見ていた限りではただの剣にしか思えなかった。


「普通の剣でもないよ。そうだね……魔法具とでも呼ぶべきかな」


 魔法具。聞き覚えのない名称に、私は首をひねる。魔法というくらいだから、魔法のような現象を生み出すことができる剣ということだろうか。けれどそれは魔具と何が違うのだろうか。そもそも魔具はセイントリリーから作る薬液が必要で、今のキルハにその手持ちはないから魔具の製造の改良に終始していたのではなかったか――

 ぐるぐるとめぐる思考はこれという答えにたどり着けず、空転を続ける。けれど、それでよかった。他のことを考えている限り、私は死の恐怖から少しだけ解放されるから。

 とはいえすぐに恐怖から解放されていることに自分で気づいてしまって、再び体が震えてしまうのだけれど。


「あれだけいい手本を見せられたら研究者魂に火が付くってものだよ」

「手本?まさか王国が使っていた魔具のことじゃないよね?」


 私たちアヴァンギャルドに向けられた灼熱の炎を放つ魔具。森を焼き尽くした魔具のことを言っているのだろうかとキルハの人間性を疑う私に、キルハは慌てて首を横に振った。どうやら私の早とちりらしい。


「見本ってのはあのカードのことだよ。ほら、ハンター協会の支部長が渡してきた」


 ああ、と思い出しながら私は腰に括り付けてあるポーチをあさった。いざという時にすぐに行動できるようにと最低限のものを詰めているポーチの中には、ひどく不味いけれど一粒で半日くらいは食いつなげる兵糧丸に排泄を抑制する薬、小さなナイフに紐などが入っていて、その中には黒い小さな板があった。

 ハンターカードによく似た、けれど明らかに違うそれは、黒地に紫の線で五芒星が描かれたカードだった。

 「これのこと?」と手渡せば、キルハは手の中でくるくると黒いカードを回しながら頷いた。


「魔具のようで魔具じゃない、興味深い道具なんだよ、これ」

「そもそも魔具にも見えないけど?」

「そこはほら、ロクサナの魔力感知能力だと、ね」


 ああ、今までさんざん魔力について鈍感だとマリアンヌに言われたけれど、気を使って表現を濁されるというのも意外と来るものがあった。少なくともキルハも私の魔力感知能力の低さを理解していて、その上でさらりと流して見せる紳士で。そんなキルハに気を使わせてしまったことが無性に申し訳なかった。


「それで、魔具と魔法具って何か違うの?」

「大違いだよ。まず、魔具は僕が開発した、魔法と同じような効果をもたらす道具のことで、魔具に込めた魔力を消費することで使う、道具化された魔法なんだよ」


 なるほど、爆発したり衝撃波をまき散らしたり異常な切れ味を持っていたり、魔具というのはとてつもない道具だけれど、道具化された魔法だという言葉を聞けばその異様さも当然のこととして受け入れられるから不思議だ。「魔法」という単語自体が、私の認識をゆがませる特殊な言葉――それこそ魔法のように思えてならなかった。


「じゃあ魔法具は?」

「魔法具は、それ単体では魔法のような効果は及ぼせないよ。普通の人にとってはただの置物、あるいはただの剣だよ。ただし、魔女が使うと話が変わって来る」

「魔女が使うと意味が変わる、魔法具……魔女が魔法をそこに封じ込めることができるとか?」

「中々興味深い発想だね。魔法を封じ込める、か。もしそんなことが可能になれば、魔女という存在は一気に国民に受け入れられることになるかもしれないね。何せ、封じ込められた魔法を使う形で、自分たちも魔法という恩恵を享受することができるようになるんだから。でも魔法を封じ込めるか……いや、不可能じゃないのかな。要は魔力に指向性を持たせて発動直前で待機させておくような形で――」

「キルハ?」


 深い思考に消えていったキルハはいくら呼びかけても反応がなく、ぶつぶつと何かをつぶやきながら羊皮紙に設計図らしきものを書いていた。私は重い腰を上げて、キルハが向かうテーブルへと歩み寄る。そこには、別言語に思えてくるような単語がずらりと並んでいた。

 別言語――そういえば、ワルプルギス創設の元となった古代王国が存在した時代には、今とは違ってもっと多くの国があったのだろうか。シャクヤクの話では現在魔物の領域となっているあのあたりも当時は人類の生存圏、というか古代王国があった場所だったという。今の王国の領土まで含めた巨大な王国が栄え、魔物と戦っていた頃には、今とは違う言語を操る別の国があったのではないだろうか。

 アヴァンギャルドにいた人物の一人が、その手の古代言語にのめり込んだ果てに、王城に忍び込んで禁書を閲覧した罪で捕まったのだと話していた。あのおじいさんはまだ生きているのだろうか。いつも気配無く森をふらついていた神出鬼没な彼ならば、王国の攻撃も魔物の襲撃も容易く回避して逃げることができているかもしれない。ひょっとすると、今もどこかで新たな古代の文献を読みふけっているのかもしれない。

 もう一度、今度はすぐそばで呼びかける。それでもキルハは思考の海から帰ってこなくて、私は焦燥に駆られてキルハの体を強くゆすった。私を認識していてと、私が死なないか、意識していてと、自分勝手に思いながら。


「っ、ああ、ロクサナ。ごめん、ちょっと思考に飲まれてたよ」

「ううん、いいよ。それで、結局魔法具ってどういうものなの?」


 魔法具についての説明もそこそこにキルハが考えごとを始めてしまったせいで、まだ魔法具とはどんな物かを私は聞いていなかった。


「ああ、魔法具は魔法の効果を増幅したり魔法発動を補助したりする道具だよ。そのカードは、僕の予想が正しければ道をつなぐための魔法の補助具だね」

「魔法の補助……道をつなぐってどういうこと?」


 いい見本なんて表現していたのに無造作に放り投げるカードを慌てて受け取り、その表面をじっと見つめる。そこには、黒に飲まれながらも強く線を刻む紫の星があって。一瞬それが歪み、ぐるぐると回り出したような気がした。

 軽く目をこすってもう一度睨めば、そこにはただの星が変わらず鎮座していた。


「要は魔法の対象へと魔女の意識を導くための道具だよ。多分、そのカードを持っている相手と魔法で連絡を取れるようにしたりするアイテムなんじゃないかな」

「魔法で連絡……誰が?」

「誰がって、そりゃあワルプルギス、というかシャクヤクだろうね」


 ん、と私はカードとキルハの顔の間で視線を行ったり来たりさせながら首をひねる。キルハもまた、どうしたんだろうと言わんばかりに首をかしげていた。そして、何かに気づいたようにポンと手を打った。


「支部長と親しくて、遥か昔に反映した古代王国なんてロマンあふれる国の、消え去った文化や技術に精通していそうな存在で、魔法にも詳しくて。何より最初にピンポイントで応接室に姿を現した時点で直感はしていたよ。多分あの時、シャクヤクはそのカードの位置を頼りに僕たちの前に空間魔法を使って現れたんじゃないかな」

「……つまり、これを持っている限り私たちの全てが筒抜けってこと?」


いつでもシャクヤクが目の前に飛んでくることができるということは、見張られているということに等しい。位置を把握され続け、奇襲を仕掛けられる可能性もあって、そんなものを気にせず持ち歩かせていることが信じられなかった。少なくともキルハはその効果と危険性に気づいていたにも関わらず、だ。


「全てじゃないよ。位置くらいは把握されてしまうかもしれないけれど、声を聞かれているとか、姿を見られているとか、そんなことはないと思うよ」

「姿を……シャクヤクはいつでもこのカードがある場所に転移できるんだよね。例えば、私が風呂に入っているときに、脱いだ洋服のある場所に現れることもできるわけだ」

「…………そう、だね」


 私の入浴でも想像したのか、キルハの頬が赤く染まる。言っていて少し恥ずかしくなったけれど、これは重大な問題だった。いくらシャクヤクが心は女性とはいえ、その体は男性のそれだ。少なくとも私は、そんなシャクヤクに自分の裸体を晒す気はない。いつでも体を見られる可能性のあるカードなんて、私はもうこれ以上持っていたくはなかった。


「キルハが持っていてよ」

「うーん、多分魔女が持っていること前提だと思うんだけどなぁ」


 そう言いながらも、私が差し出したカードをキルハは受け取った。


「魔女専用ってこと?」

「専用とまではいかないかもしれないけれど、どうにもこのカードの中にある魔力が微量なんだよね。だからこそ害はないと思ってロクサナに預けられていたっていうのはあるんだけれど」

「つまり、その魔法具の中にある魔力が少なすぎるから、そのカードを持っている魔女の魔力を借りることでより強く効果を発揮するように設計されているってこと?だとすれば死の瞬間にしか魔力を持たない私が持っていたところでキルハと同じで無意味だと思うけど?」


 ん?とキルハが動きを止める。私の体は上から下までしげしげと眺めたから、そうか、と小さくつぶやいた。


「ロクサナ、いつからかはわからないけど、今のロクサナの体には微量とはいえ魔力が宿っているよ。だから多分、魔力感知をできる人はロクサナが魔女だってすぐに気づけてしまうかもしれないよ」


 私の体に魔力がある。多分話の流れから察するに、支部長にカードを渡された時点ではすでに私の体には魔力が存在したということだろう。つまり、魔法発動の感覚がなくなっていたように私の魔法の機能がおかしくなっているのだとすれば、異常はその時点ですでに発生していたということになる。

 私がつい先日蘇生時に魔法の発動を感じ取れなかったのはこのせいだろうか。――とはいえ体に存在するという魔力は私には認識できない程度で。だから蘇生時の魔力の濁流が、私が感じられない程度に弱まっていたとは考えにくい。何しろ、私が認識できない程度の魔力では、時間を巻き戻すなんて異常な効果をもたらす魔法は発動できないはずだから。

 とはいえもともと存在しなかった、私の体に宿っている魔力。それは最後の蘇生時に、あるいはその後に何らかの異常が起きたためとしか考えられない。

 その「異常」は何で、どんな影響を私にもたらすのか。


「……私は、死ぬのかな?」

「どうして?」


 私の思考の流れを理解できていないらしく、キルハはきょとんと首をかしげる。


「これまで私の体に魔力が宿っているなんてなかったから。それはつまり、魔法に何らかの問題が生じているってことじゃないの?」

「ああ、蘇生ができないかもしれないってことだね?」


 こくり、と頷いて、震えながらも私は気づく。

 私は、気づけば生きることを望んでいた。蘇生という、呪わしい力を欲していた。それはなぜだろう、と考える。

 原因不明の死を経験して、そしていつ死ぬかわからないと怯えているから?確かにその通りだ。けれど、かつての私はただひたすらに死を求めていた。呪わしい魔法から解放されて、死ぬことを目指していた。

 それなのに気づけば、私は生きるために王国と戦って、アヴァンギャルドを脱出して今ここにいて。

 私が、生きたいと思った理由――

 目の前にあるキルハの顔に、手を伸ばす。ぬくもりがその手を温める。キルハの、熱。不思議そうに首をかしげるキルハの顔を、私のすべてを見透かすようなキルハの目を、じっと見つめる。

 次第に手の中が一層熱を帯びていく。頬を赤らめたキルハが、視線をさまよわせる。

 ああ、なんだかキスをじらしているみたいだ。そう思ったら途端に気恥ずかしくなって、私は勢いよくキルハから手を放して背後へと飛び退こうとして。

 ガシ、とその手が強く掴まれる。どこまでも真剣な顔をしたキルハが、まっすぐに私を見ていた。


「大丈夫、ロクサナは死なないよ。大丈夫、必ず僕が守るから」


 そんな誓いの言葉とともに、キルハの顔が私に近づく。

 目を、閉じる。瞼の裏には、たくさんのキルハの顔が浮かぶ。私を生かす、私が生きる理由。

 接吻を一つ。

 心に広がる温かな思いが、恐怖に冷え切っていた私の体を氷解させていく。

 大丈夫だ、キルハが守ってくれる。

 正体不明な死から、守ってくれる。機能するかどうかもわからない、あてにしてはいけない魔法の代わりに、キルハが私を守ってくれる――


「私も、キルハを守るよ。キルハと並んで、一緒に戦うよ」


 そう告げた私の目には、どこか寂しげに視線を揺らすキルハの姿が映った。

 大丈夫、私はもう死なない。キルハのことを忘れたりなんかしない。私を守ってくれるのはうれしいけれど、私だってキルハを守りたいのだ。

 キルハはもっと知るべきだ。どれだけ私が、キルハのことを思っているかを。そしてキルハがいなくなれば、多分私は生きるのを諦めてしまうということを。


 飛び掛かるようにキルハに抱きつき、その体を強く抱きしめながら、この胸いっぱいの思いがすべて、言葉にせずともキルハに伝わればいいのにと思った。

 愛おしさも、苦しみも、焦燥感も、恐怖も、全部、キルハと共有してしまいたかった。

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