36マリアンヌと美
今日は屋敷に来客があり、私は訪ねてきたシャクヤクとマリアンヌとともに茶会に興じていた。座り方ひとつ、紅茶の飲み方ひとつをとっても美しい動作を披露する二人とテーブルを囲むのはひどく気が引けた。正直、師弟でテーブルを囲んでいればいいと思うのだ。けれど犬猿の仲――というよりは一方的にマリアンヌが敵意をむきだしにしている奇妙な関係の二人だけでお茶をたしなむというのをマリアンヌが拒否して、さらにシャクヤクが私をご指名だったから仕方なく私はこの場にいることになっていた。
「貴女、最近きれいになったわね」
それはともかく、他愛もない世間話をしばらく続けた後、急に真剣な顔をしてシャクヤクが告げたのはそんな言葉で。
ぽかんと口を開いて首を傾げたマリアンヌは、自分の肌に軽く手を触れながら首をかしげた。
「そうかしら?」
「絶対にそうよ。まったく、今度は一体どんな化粧品を手に入れたのよ。相変わらずの嗅覚ね」
「化粧品……ああ、化粧品ね……」
どこかぼんやりとした様子で虚空を見上げたマリアンヌが、やっぱり理解できないと首をひねる。私はじっとマリアンヌの横顔を見つめてみたけれど、きれいになっているかどうかよくわからなかった。とはいえ最近のマリアンヌには、若々しい熱量のようなものが満ちている気がする。まるで、そう、初恋に燃える少女のような。
「化粧はいつものままよ。というか、そんなにいい化粧品がそうそう出回るわけがないじゃない」
「そうよねぇ。市販品は外れも多いし、中には最悪な成分が入っていることもあるものね。結局あたしたちは自分で化粧品を作ったほうが早い始末なのよねぇ……そういえば、ロクサナちゃんは化粧をしてないのね?」
「私は興味がなかったので。元村人ならこんなものですよ」
「そうでもないわよ?村人でも色気づいた女性はたいてい肌や髪の手入れに余念がなくなるものよ。まあそのせいで父親なんかと戦うことになるのだけれどね。こんな無駄なことに時間と労力、そして金を使うな……ってね」
それが普通なのだろうか。想像してみた父娘の対立はどこか別世界の話のようで、けれど不思議とあこがれるものがあった。それは、父親との口論という一点に集約される。
私のことを愛してくれた父は、魔物に食われて死んだ。母も、私を救うために姿を消した。二人が死なず、私が魔女になるその時までずっと一緒にいてくれたら、何かが変わっただろうか。
少なくとも、そんな風に父親と口論をするようなことがあったかもしれない。
そう思うと、小さく心臓が痛んだ。
「……私はなかったわね。色気のない子どもだったよ」
「そうねぇ……でも、今はずいぶんと色気づいているように見えるけれど?」
「そう?」
私は色気づいているのだろうか。まあキルハとの関係を思えばそう捉えられても不思議ではない。
「ええ。こうしている今も、あの男前が現れないかってそわそわしているでしょう?」
「そんなことは――」
「あるわよ。まったく、いつも隣でせわしない気配をまき散らされるこっちの身にもなりなさいっていうのよ」
キルハのことを考えるだけで心が温まる。けれど同時に、キルハともっと話したい、もっとキルハと一緒にいたいという感情が私の中にあって。そういった感情が体から飛び出してマリアンヌに伝わってしまっているのだろうか。
だとすればそれは少し恥ずかしいかもしれない。
「あら、マリアンヌだってそんな気配をまき散らしているでしょう。早くあたしとの会話を切り上げて彼のもとに向かいたいってね」
わずかに頬に赤みを帯びさせたマリアンヌが、「そんなことないわよ」といいながらカップを手に取って顔を隠す。「熱っ」と小さく悲鳴が上がる。白磁のティーカップの先からあらわになったマリアンヌは、火傷したであろう舌を突き出して空気にさらしていた。
「いひゃい……」
同性の私でもぐっとくるものがあった。色気というか色香というか、女性らしい魅力が満ち満ちていた。最近のマリアンヌはだいぶ丸くなったものだと思う。こうして些細な言動の端々から、庇護欲をそそるマリアンヌの素顔らしきものが見えることが増えていた。
最も、アベルの前では恥ずかしいのか、あるいは自分をさらけ出すのが怖いのか、たいていうまく取り繕ってしまうのだけれど。
気を抜くことができているということだろうか。この場所と、今の関係が、マリアンヌにとって心休める場所になっているということかもしれない。
私と同じように。
「いい関係ねぇ」
生暖かい目で私たちのことを見ていたシャクヤクの言葉に、私とマリアンヌは顔を見合わせて首をかしげる。いい関係、言葉の少なすぎるそれが何を意味しているのか、それぞれ考えていることは違うようだった。マリアンヌは自分とアベルのこと、私は私自身とキルハのこと。あるいは、シャクヤクが言ったのは私とマリアンヌ、あるいは私たち全員の関係かもしれない。
アヴァンギャルドから生きて脱出するための一時的な協力体制だったとはいえ、今ではマリアンヌたち三人と一緒にいるのが私の中で当たり前になりつつあった。それは当初を思えば考えられないことで。
過ぎ去った時間の長さを感じて、私は少しだけ寂しくなった。
紅茶を一飲みしてほうと吐息を漏らしたシャクヤクが、花を愛でるような目でマリアンヌのことを見つめていた。居心地が悪そうにマリアンヌが少しだけ身じろぎする。
「はぁ。やっぱり恋する女の子はかわいいわねぇ」
「わたくしはもう女の子って歳じゃないわよ」
「あら、あたしの中ではまだまだ女の子よ?昔はこんなにちっちゃかったのにねぇ」
そう言いながらシャクヤクはテーブルよりさらに下へと手を伸ばし、水平方向に手刀を切る。
「二人はそんなに前からの関係だったの?」
「そうねぇ、マリアンヌとは……もう十五年ほどになるかしら」
「……そうね。そう考えるとあんたはもう三十越えね」
三十歳。目を見開いてシャクヤクの方を向く。女性かと見まがう美貌を持つシャクヤクは、どう見たってせいぜい二十歳かそこらにしか見えない。若作りどころではなかった。
私の周囲にいる魔女の女性というのはどうしてこうも美女ぞろいなのだろうか。マリアンヌもシャクヤクも、少しはその美しさを私に分けてくれてもいいと思うのだ。もしキルハが目移りしたらと思うと気が気でないから。
ああ、だからこそ女性は美を磨くのだろうか。愛してほしいと願う相手が、自分だけを見続けていてくれるように。歳を経るごとに美貌は衰えていく。それでも一瞬の開花を美しく彩るように、女性たちは美を磨く。
私も、化粧に手を伸ばすべきだろうか。
「オカマがいきなり弟子にするなんて話してきたときはぎょっとしたわよ。あまり知りもしない相手によく『魔女としての弟子にならないか』なんて言えたものよね」
「そうねぇ。当時はあたしも若かったのよ。だから魔法のセンスがありそうな子を見つけてつい声をかけちゃったのよねぇ」
「近くにいたあの男に聞こえやしないかとひやひやしたわよ。あんたが魔女だとばれたら芋づる式にわたくしまで魔女だとばれかねない状況だったんだから」
「結局マリアンヌの失敗でバレちゃったわけじゃない?あたいしは最後まで完璧に正体を隠しきったわよ」
昔を懐かしみながら、当時のやるせなさが心の奥から浮かび上がってきたらしい。刺々しい口調でシャクヤクに文句を告げるマリアンヌはテーブルに並べられた菓子を貪り食う。
ああ、いつものマリアンヌだと思う。美しさにこだわるマリアンヌだが、食欲には忠実だった。まあ、アヴァンギャルドでは食べた分だけエネルギーを消費して、とにかくひたすら食べないと死ぬという状況だったのだからそれも当然のことかもしれない。
そして、まるで鏡写しのようにシャクヤクもまた勢いよくクッキーを口に運ぶ。やっぱり二人はそっくりな師弟だった。
この場合はマリアンヌが師匠であるシャクヤクに似たということだろうか。
「二人とも、そっくりね」
「冗談じゃないわよ!こんなオカマとわたくしがそっくりなんて、その目は節穴ね?」
「あらぁ、嬉しいことを言ってくれるじゃない。そうよ、あたしたちはそっくりなの。昔からマリアンヌはあたしにあこがれてあたしの真似をするきらいがあってねぇ」
「ちょっと、誤解を生むようなことを言わないでよ」
「ちょこちょことあたしの後をついてきながら、魔法も、ふるまいも、化粧も、あたしの行動を見様見真似で覚えていったのよ」
「そんなわけないじゃない!」
ダン、と強くテーブルに手をついてマリアンヌが立ち上がる。何よ、とシャクヤクが床に落ちそうになった菓子をキャッチして口に運んだ。わずかに顔に滲む怒気は、たぶん甘味をダメにしかけたことに対するもの。ドスの聞いた声で怒るシャクヤクに、けれどマリアンヌは一歩も引かない。
「あんたがわたくしの真似をしたんでしょう⁉化粧をしていたら面白そうだなんて言って!」
「あら、初めに会った時にはすでにあたしは化粧をしていたでしょう?ナチュラルメイクで、自然に女性に見せるような高度なテクニックだったのよ。それを教えてあげたでしょうに」
「教えたって一度きりじゃない」
「あら、それ以外にも何度だって見せたでしょう。それを見て覚えたんだから、あたしがマリアンヌに化粧を教えたということよ。一生懸命に私をちらちら見ながら真似をしていたあの小さい子がこんな女性になるなんて想像がつかなかったわよ」
「それはこっちのセリフよ。背の高い女性だと思っていたあんたがまさか男だったなんて、最初は全く思っていなかったのよ」
……ん?幼いマリアンヌはシャクヤクのことを女性だと思って接していたということか。
ちらりと見た先、「ん?」と首をかしげるシャクヤクは声を除けばそのすべてが女性らしさにあふれていた。よくよく見れば若干肩幅が広かったり女性にしては背が高かったりはするけれど、一目でその性別を見抜くのは、少なくとも私には難しかった。特徴が現れそうな肩や足はローブで隠され、首は黒のチョーカーをして首を細く見せるとともに喉仏を隠していた。
もしまだ声変わりしてないシャクヤクと出会っていたら、私はシャクヤクが男だと見抜けなかっただろう。だから幼いマリアンヌが誤解をしたままだったというのは、ただのほほえましい話でしかなくて。
「何よ、文句あるの⁉」
顔を赤くして唾を飛ばす勢いで叫ぶマリアンヌに私は小さく首を振った。
「あたしから学んだ完璧な女に化けるための術は今も健在なのよね。いつアベルくんに対して化けの皮を剝がすのかしら」
「散々変態だって罵っていたんだから、今更よく見られようとする必要はないと思うんだけど?」
「うるっさいわよ。外野は引っ込んでなさい」
ガシャン、と勢いよくソーサーにカップを置いたマリアンヌは、来客であるシャクヤクを放ってバタバタと足音を立てて部屋を後にした。




