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白百合の涙  作者: 雨足怜
放浪編

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33/96

33拠点と、帰る場所

「これもなしね」


 不動産屋に足を運んだ私たちは、目についた建物をめぐっていた。

 バッサリと切り捨てたマリアンヌに店員が顔を引きつらせるが、私も同意だった。目の前にあるのは一体誰が住むのかと突っ込みたくなる、無駄に装飾が施された大豪邸だった。問題は、全体的におどろおどろしい雰囲気にあった。敷地を取り囲む石塀には蔦が絡みつき、その上に魔除けと思わしき石像が等間隔に並んでいた。その奥には、物語に出てきそうな、雷雨の中にぼんやりと浮かび上がる幽霊屋敷という単語がふさわしい、荒れた大きな屋敷があった。

 マリアンヌが告げていなければ私が購入を拒否しただろう。


 多分、私たちが大量の魔物を狩って来た金持ちだという情報をすでに手にしているのだろう。だから手に余る商品をここぞとばかりに売り払おうとする店員を軽くあしらって、マリアンヌは次の屋敷へと連れて行かせた。

 そう、屋敷だ。私たちが望む十分な鍛錬スペースに、キルハが望む魔具を作成するスペース、さらにはマリアンヌが望む大きな風呂のある建物など、元貴族屋敷か有力商人などが住む豪邸以外にはなかった。


 場違いに思えてならない建物をめぐる私たちはもはや完全にマリアンヌ任せだった。少しだけマリアンヌの過去が気になった。魔女たちの秘密結社「ワルプルギス」のリーダーであるシャクヤクに師事していたというマリアンヌが一体どのような生い立ちなのか。たぶん、貴族とか豪族とかそんな家の生まれではないかと思う。ともすれば尊大に受け取られかねない言葉遣いに、屋敷を見て気おくれすることのない様子からは、慣れが感じられた。昔もこんな大きな屋敷に住んでいたのではないだろうか――そう思いながら、私は一件の建物の内装をきょろきょろと観察する。


 まるで田舎から街にやって来たお上りさんね――そんなからかい交じりのマリアンヌの言葉に肩を竦めながら、私たちはやや緊張しながら屋敷を見て回った。


 意気揚々としたマリアンヌの足取りからは、相当にこの屋敷を気に入っていることがうかがえた。無駄な装飾の少ない、小ざっぱりとした屋敷。白い外見は、無駄をそぎ落とすことで逆に神聖さが出ているような気がした。その内装も落ち着くもので、少なくとも暮らしていけばそのうち慣れるのではないかと思える程度の高貴さだった。


 それから、マリアンヌは店員と値引き交渉を繰り返して、結局半額近く値段を下げて購入に至った。後から聞いたが、当初示された額はぼったくりに等しい法外な値段だったという。私たちが持っているお金に目がくらんでのことだったというが、それをマリアンヌは見抜いて、言葉巧みに当初以下の値段に落としたのだった。最も、今後も何かと利用することがあるかもしれないと最後に飴をチラ見せするあたり、一連の値引き交渉はただの様式美のようなものかもしれないと思ったりもする。


 こうして値引きをすることで私たち買い手はお値打ち感を感じながら購入できて、売り手は買い手にいい思いをさせることで今後の取引につなげる――不動産を今後利用することがあるとは思えなかったのだが。

 即金で買い取り契約を済ませて、ほくほくとした顔で店員は帰っていった。道中で金を盗まれたりしないのだろうか、少しだけ心配だった。


「さて、今日からここはわたくしたちのホームよ!」


 ホーム、家、帰る場所。それは、アヴァンギャルドにいては決して手に入らないものだった。たやすく魔物にすべてを壊されるあの場所には、帰る場所はなくて。そして魔女として、あるいは犯罪者として追われる身である私たちには、人間社会にも帰る場所はなかった――これまでは。

 ここは、そんな私たちの帰る場所になる。家に、なる。


 脳裏に、古びた一軒の建物の姿がよぎった。私が生まれ育ち、今では誰も使っていないさびれた家。物悲しくぽつんと立っているあの場所は、もう私の帰る場所ではない。


 なんだか無性にさみしくて、けれど温かくて、私はこみ上げるものをぐっと飲みこんで、手をつなぐレイラへと視線を向けた。

 さっさと部屋を決めて、私たちはそれぞれに行動を開始する。


 ついて行こうか――そう聞いてくれたキルハに礼だけ言ってから、私はレイラと二人で再び街へと出た。

 向かうのは、レイラの今の帰るべき場所。本当にこのままレイラを返すべきか――心の中にレイラと一緒に住みたいという思いがあるのを自覚しながら、私はレイラの小さな歩幅に合わせて街を進んだ。


 小さな指で指し示される方向に向かい、入り組んだ小道で迷子になり、馬車に撥ねられそうになって怒鳴られ、市場の人込みに酔いながらも、私たちはようやく目的地にたどり着いた。


 そこは、街を取り囲む外壁に近い、辺鄙な場所にあった。街の出入り口である門からも遠いそこ。崩れた石壁にかろうじて守られる土地には力強く生える雑草と、その奥にひっそりとたたずむ木造の陋屋。そこには、人の気配はなかった。


「……ここなの?」


 こくりと強くうなずくレイラは慣れた様子で崩れた石壁を乗り越えて敷地の奥へと入っていこうとする。その手に引かれるようにして、私は敷地の中へと一歩を踏み出した。

 レイラの視界を覆うほど高く生える草を前に、レイラの足が止まる。その体を担げば、安心したようにレイラは私の腕へと体重を預けてくる。いじらしい様子に頬を緩めながら、私はレイラの誘導に従って建物へと近づく。

 ノックをする。


「すみません!」


 呼びかけても、扉の先から声はしない。正直気配のなさで分かっていたけれど、ここにはもう人はいないらしい。しばらく悩んでから、私は扉の取っ手に手をかける。

 鍵はかかっていなかった。ひどく軋む扉が不快な音をたてながら開いていく。その奥の砂っぽい床を踏む。埃は舞わない。人がいなくなってからそれほど時間は経っていないのだろう、私のかつての生家に比べてはこの家はまだ「生きている」気がした。


 軋む廊下を進み、いくつもの部屋をのぞき込む。そこには、何もなかった。何も、ただの一つも、まともな形を残している物はなかった。こんな辺鄙な場所にあるからか、人がいなくなってからすぐに物取りにでも入られたようで家の中には価値のありそうなものは一切なかった。そういう意味では、この家はもう死んでいた。

 部屋を見て回っているうちに、それは私たちの前に現れた。ぽっかりと口をのぞかせる、床の穴。四角く切り取られたそこは、真っ暗な入り口を私たちに向けていた。

 ワインセラーとかだろうか。こんな厨房でも倉庫でもない部屋の中央の床に?


「レイラ、あの先に何があるか知ってる?」


 ふるふると首が横に振られる。ぽっかりと開いた不気味な穴、けれどその奥を見るべきだという私の直感がささやいた。

 万が一のためにレイラを置いていこうとかがめば「や!」と叫ぶとともに強い力で袖を握られた。おびえるように、その手が小さく震えていた。一人が怖いのだろうか。


「わかった。しっかり捕まっていてよ」


 そう告げれば、レイラは体から少し力を抜いて小さくうなずいて見せる。そうして私は暗い穴の奥へと続く石造りの階段を降り始めた。


 砂と埃、カビ、そして独特の悪臭がわずかに漂っていた。何かが腐ったようなにおい。

 地下は思った以上に暗くて、そして広かった。視界に映る光景を見て、私は反射的にレイラの目元を手で覆った。たとえ、レイラがこの暗闇の中で周囲が見えてない可能性が高くとも、目の前に広がる光景をレイラに見せるべきではないと思った。


 そこには、鉄格子に遮られたいくつもの部屋があった。埃っぽい床には、赤黒い跡が散見された。壁から伸びる太い金属鎖の先には、錆びた鉄の輪。壁や床には無数の細長い傷跡があった。何かで、石を削った後。そこにこびりつく赤黒い血の跡からは、嫌な想像しかできなかった。


 逃げたい――誰かの叫びが聞こえた気がした。

 嫌だ、痛い、苦しい、もうやめて、死にたい、怖い、また足音が近づいてくる、もう嫌だ、辛い、どうして私がこんな目に――無数の声が、怨念のような音が、私の耳を揺さぶった。悲鳴が、木霊する。顔から、血の気が引いた。多分、それはこの場に残された無数の怒りの声。無数の絶叫。おぞましい行為によってこの場所にこびりついた怨念たちの残り香。

 視線を、腕の中にいるレイラに向ける。異常は、感じられなかった。不自然な震えも、ひどい恐怖も、レイラは感じていないようだった。レイラには、この声が聞こえていない。


 レイラは、本当にここにいたのだろうか。ここで、どんな目にあっていたのだろうか。ここは、レイラが帰るべき家なのだろうか。

 ああ、いや、ここはすでにレイラの家ではない。レイラが帰るべき場所ではない。それだけ分ければ、もう十分だった。


『僕たちを救ってくれないの――』


 声が、頭の奥に直接響く。それに、答えている余裕はなかった。今すぐに、喉元までせりあがるものを吐き出してしまいたかった。その声に重なる景色が、音が、私の精神を強く揺さぶっていた。

 ここは、不法奴隷として捕らえた者を調教する場所だ。そして多分、そのことがばれて騎士たちに強襲され、閉鎖された。


「レイラ、帰ろう?」


 レイラを置いて、一人茂みの中で吐いた。頭の中でいまだに響き続ける声と一緒に、すべてを捨て去るように。暗闇が、私を呼んでいた。私を、求めていた。復讐してくれと、私たちの代わりに正義を成してくれと。

 けれど、私は静かに首を振る。私はもう、十分傷ついたはずだ。もう、十分すぎるほど戦ってきた。それに、罪を犯した私には誰かを裁く権利なんてない。

 だから、私はもう、私の望む未来以外のためには、戦わない。


 手をつなぎ、歩き出す。

 帰るべき場所へと、帰るのだ。私たちの、家へと。

 この手の中の小さな命と、愛するキルハ。私には、もう、守るべき存在がいる。正義なんて不確かな者に心とらわれて悪と戦うなんて、私にはできない。

 たった二人との幸せな未来をつかむことでさえ、私には果てなき苦難の道に思えるのだから。


 多分、私は死にそうな顔をしていたのだろう。何度も心配してくるキルハに何でもないと告げながら、私はアベルが作った料理に舌鼓を打った。旅の中で知ったことだが、アベルは非常に器用だった。何でも巧みにこなすアベルは料理だって得意で、その差に愕然としたほどだった。そんなアベルの料理を一生懸命に口に運ぶレイラは、私と違って暗い顔をしてはいなかった。だから、ひとまずはレイラを私が保護して、この家で住まわせるということに同意をもらうだけに留めて、私は会話を切り上げた。


 夜。私はレイラに導かれてたどり着いた場所で見聞きしたことを語ってすぐ、倒れるように眠りに落ちた。ひどく精神がすり減っていた。気の抜けない魔物の生息地での暮らしとは別種の精神の摩耗が、私を襲っていた。

 そうして私は倒れこむように外套の上に横たわり、レイラの体を抱きながら眠りに落ちた。


 明日はベッドを買おう――そんなことを思いながら。

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