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白百合の涙  作者: 雨足怜
放浪編

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30/96

30レイラと海

「初めまして。私はロクサナ。あなたのお父さん、ラスタのお姉さんで……つまり、あなたの伯母よ」

「……おばよ?」

「伯母。……お父さんのお姉さんよ」


 不思議そうに首を傾げる幼女の困惑も当然だ。だって彼女は、父親を知らないから。キルハに伝えたかつての私の話が事実であれば、弟は幼女がアマーリエの体に宿ったことも知らずに死んでいることになる。ただでさえ会ったこともない父の姉など、彼女にとっては赤の他人に等しい存在だ。それでも私は、弟が生きた証である彼女と繋がっていたかったから。追われる身でありながら、私は自分の立場を告げた。


「それで、お名前を聞いてもいい?」

「ん。レイラ」

「レイラ。きれいな名前ね」

「きれい?レイラきれい!」


 そうね、綺麗ね、とはしゃぐレイラを温かな思いで見つめる私の視界の端で、凍り付いたように動きを止めていたハンター見習いの少女が、パクパクと口を開閉させていた。

 思い出したように勢いよく息を吸った彼女は、それからレイラの肩を抱き、守るように警戒しながら私の方を睨んだ。

 そこににじむのは、警戒。見知らぬ人物が幼女を口車に乗せて誘拐しているともとられかねない現状をいぶかしんだのかもしれない。それも当然だと思う。彼女の立場からしてみれば、今目の前で繰り広げられているのは三文芝居にか思えないお題目だっただろう。

 ふらりと海に足を運んだ幼女を救った旅人は、その実幼女の伯母だった――そんな話をいきなり聞かされれば私とて目が点になるだろうし、実際マリアンヌはそんな顔をしている。アベルは――よくわからない。

 とはいえ、どんな偶然かわからないが、私と目の前の幼女は血の繋がりのある親戚だった。


「……本当、なんですか?」

「本当よ。ラスタは私の弟で、アマーリエは私の幼馴染よ。まあ、アマーリエにはもうずいぶんと会えていないのだけれどね」


 少女の警戒は、裏を返せばレイラを心から心配しているということ。見ず知らずの幼女であるレイラを守るために、クラーケンを斃した私たちに目に見える形で警戒を示す彼女の行為に、私は嬉しくなった。多分、彼女みたいな人たちのお陰で、片親ながらもレイラはすくすくと育ったのだと思う。

 だから。


「ありがとう。レイラを心配してくれて。あなたのような人がいてくれて、弟もうれしく思っていると思うわ」

「そうですよ!その、ラスタさん、でしたか?レイラちゃんのお父さんはどこにいるんですか⁉」


 こんな可愛い子から目を離して一人で海に行かせてしまうなんて信じられないと言葉の裏で語る彼女は、レイラの体をぎゅっと抱きしめて鋭い目で私を睨む。

 一瞬、口ごもる。私の視線は、少女の腕の中で人形のように抱きしめられているレイラへとむいていた。今この場で、父親のことを告げてレイラは悲しまないだろうか。見ず知らずの少女に、いきなり亡き父親のことを語る権利が、私にはあるのだろうか。レイラは、父親のことをどう思っているのだろう――


「おとうさん、いないよ?」

「……へ?」


 目が点になった少女が、私とレイラの間で視線を行き来させる。多分、私は相当苦い表情をしていたのだろう。私の顔を見るたびに、少女の顔色が悪くなっていき、やがて全身に満ちていた正義感はどこかへ消え去ってしまった。

 おそらく、ラスタがもうこの世にいないと理解したのだろう。そのことをレイラに言わせてしまった罪悪感からか、少女はレイラに向かって「ごめんなさい」と頭を下げた。

 不思議そうに首を傾げるレイラは、いい子いい子とでもいうように、目の前に突き出された少女の頭を、その小さな手で撫でた。

 くすぐったそうに笑う少女の顔には、もう自罰的な感情はうかがえなかった。それでいいと思う。少なくともレイラが傷ついていないのだから、レイラが信頼を寄せる少女にも、私は笑っていてほしいと思う。

 多分、ラスタもそれを望んでいる。

 空を見上げる。青い空。まばゆい太陽に隠されて見えない星々の一つとして、今日も弟はレイラを見守っているだろう。


「それで、レイラ。アマーリエは……お母さんはどうしたの?」

「おかあさんにあいにうみにきたんだよ?」


 少女から視線を外したレイラが、やっぱりきょとんとした顔でそんなことを告げた。一瞬、意味が分からなかった。けれど私よりも早く沈痛な面持ちになった少女が考えたことを予想して、私もその可能性に気づいた。

 私が忘れてしまった、幼馴染。アマーリエはもう――


「……レイラ。おうちはどこにあるの?」


 あっち、と無言で指さされた方向には、多分私たちが荷馬車を全力で走らせてきた街がある。子どもながらに優れた方向感覚に感心しつつ、私はどうしたものかと考える。このままレイラのことを街に送って、はいさようならと別れるのは嫌だった。けれど、レイラにとって私は他人に等しい。さらには、今のレイラには少なくともおうちと聞かれて答えるだけの、帰るべき場所があって、そして追われる身である私は幼いレイラの居場所にはなってあげられない。

 けれど、それは後で考えればいい。

 ざわざわと産毛が逆立っていた。気づけばマリアンヌたちは私とレイラの話を聞き流し、険しい表情で周囲を睨んでいた。

 魔物の気配がした。おそらくは、クラーケンが暴れたことによって周囲から遠ざかって様子見をしていた魔物たちが、このあたりに戻ってこようとしていた。あるいは、私たち人間を襲撃しようとしていた。


「……魔物が近づいていて危険だから、早く帰ろうか」


 手を伸ばす。その手は、勢いよくレイラに叩き落とされた。

 痛かった。手ではなく、心が。軋む心臓を抑えるように胸に手を当てつつ、どうしたの、と私はかがんで焦点を合わせながらレイラに尋ねた。


「まだ、うみにいってないの。まだ、おとうさんとおかあさんにあえてないの」


 つぅ、と静かに涙を流すレイラは、私を――私の背後にある海を、じっと見つめていた。彼女の眼に見えているのは、青い空と、海。そこには、さらにラスタとアマーリエの姿が映っているのだろうか。


「ロクサナ!」


 迷っている時間はなかった。決断を迫るように、アベルが叫ぶ。粉砕された岩の破片が点在する砂浜から、複数の魔物たちが姿を現した。同時に、海面からも魚と見紛う魔物が顔を覗かせる。

 逡巡は、一瞬。ここまで幼女の足では大冒険に等しい長い道のりを歩いてきたレイラの目的を叶えてあげたいと思った。


「キルハ!」

「いいよ。どうせある程度魔物の素材は欲しかったんだしね。これでしばらく生活には困らないよ」


 だから好きにやればいいよ――そんな思いを込めた言葉を聞いて、私は覚悟を決めた。仲間たちを危険にさらす覚悟を。そして、行く手を阻む魔物たちを滅ぼして、十メートルに満たない最後の道をレイラに進ませることを。


「後で覚えてなさいよ⁉」

「ふむ、嫌でなければ鞭で打ってくれてもいいぞ」

「嫌だからしないよ。……マリアンヌ、よろしく」


 すでに私がラスタの姉のロクサナであると明かした上に、少女には少なくともマリアンヌが呪術師だとばれている。他の者の目がない以上、この状態でマリアンヌが力をセーブする理由がなかった。

 後で一体何をされるのか。死地に共に足を踏み入れることを頼んだ見返りを恐ろしく思いながらも、私は二つ返事で無茶ぶりを受け入れてくれた仲間を頼もしく、そして誇りに思いながら三人に肩を並べるべく前へと進み出て。


「……ええと?」

「?あ、わたしの名前ですか。キッシェです」

「そう、キッシェ。レイラを頼むわね」

「了解です!この命に変えてもレイラちゃんのことを守って見せます」


 ビシ、と敬礼してみせるハンター見習い改めキッシェに苦笑を返しつつ、私は前方に待ち受ける当座の生活資金たちを狩るために剣を抜き放った。


「ああ、レイラの目を塞いでおいて。子どもにはあまり見せる光景じゃないからね」


 そうキッシェに頼んで、せめて無茶を要請した私が先陣を切るべきだと、先頭を行くキルハを抜かして、私は魔物一体に切りかかった。


 無数の魔物を斬りころして屍の山を作るのに、そう時間はかからなかった。理由は、見晴らしのいい場所で真価を発揮したマリアンヌの呪術が魔物たちを十把一絡げに吹き飛ばしていったから。

 魔法が発動されるたびに魔物たちが吹き飛び、隊列が乱れたそこに私とキルハが斬り込み、死体を生産した。アベルは一人で巨体を相手取り、相変わらず痛みに恍惚としながら魔物を素手で殴り斃していた。そうして気づけば私たちの視界の中から生きている魔物の姿が消えた。


「どう?」

「近くに魔力反応はないわよ……ってあんたもいい加減このくらいの魔力感知能力を身につけなさいよ」

「一応訓練はしているけれど、いくらやっても感覚がつかめないのよね」

「はぁ、本当に弩級の鈍感ね」


 鈍感という言葉に物申したいところだったけれど、私の魔力感知能力が魔女にあるまじき低レベルなのは事実で、私は反論を諦めるしかなかった。それでも私が言いたいことがあるということを察したマリアンヌは、両腕で腕を組んで見下ろすように顎を上げる。まるで、悔しかったらもっと努力してみなさいと言われているようだった。そう言われても微弱な魔力を全く感知できないのだからどうしようもない。だからせめて、鈍感ではなくセンスがないといった表現を使ってほしい。


「そんなことより、あの子どうするのよ?」

「とりあえず一緒に海に行く、かな」


 障害となる魔物を斃しきった以上、おかわりが来る前に目的を果たしてしまうべきだった。だから私はマリアンヌとの会話を切り上げてレイラの下へと近づいた。

 伸ばした手をきゅっとつかむ小さな手のひらの感触を感じながら、私とレイラは海に向かって一歩を踏み出す。

 足の裏で踏んだ砂がぎゅっと締まる。足跡を残しながら、私とレイラは引いては押し寄せる海と陸の間で立ち止まる。ひと際強く押し寄せた波が、私の足にかかる。冷たい海水は、巻き上げた砂を私の靴の中にいれながら再び先へと引いていく。動きを止めたレイラが、強く私の手を握る。その手のぬくもりさえあれば、中腰姿勢だって苦ではなかった。

 ふっと、風が消えた。

 空気が、変わった。静謐な、神とか教会とかを思わせるどこか神聖な空気が漂い始めたのを肌で感じた。周囲に満ちるその空気の発生源は、レイラだった。

 何を――そう言おうとした私の手を伝って、熱いものがレイラの体から流れ込んできた。その感覚には、覚えがあった。

 魔力の、流れ。そしてその魔力は当然、死の瞬間にしか生み出すことのできない私の魔力ではなかった。

 魔力は、レイラの体から溢れていた。驚きに目を瞠る私の視界で、凪いだ風のない状況にも関わらずふわりと髪を浮かせたレイラが、つないでいない片手を空中に向かって差し出す。そしてその手を握るように、半透明の霧のようなものが生まれ、奥に向かって広がっていく。

 その霧は、やがて腕の形を取り胴体を形作り、そして一人の男の顔へと変化を遂げた。

 そこには私の知る、かつて星が美しい夜空の下で見た弟の姿があった。レイラの手を握るように、歳をとっていないラスタが――ラスタの姿を模した霧が、そこにあった。まあ、目の前の存在が本物のラスタかどうかはともかく、魔法のせいで時間が巻き戻って歳をとらない私に外見の変化のなさを言及はされたくはないだろう。


 まるで私の心を見透かすように、霧のラスタが表情を動かす。困ったように苦笑を浮かべたラスタが、一方の手でレイラの頭をなでるような動きを見せながら、私に向かってパクパクと口を動かす。

 ああ、わかっている。これは、魔法だ。魔女であるレイラが発動した、おそらくは降霊魔法に該当する、死者の魂とやらを現世に降ろす技。それによって地上へと舞い戻ったラスタが、心残りを、あるいは願いを、私に告げる。


 アマーリエを捜して――そう告げてじっと私の目を見つめる。そこには強い懇願と、そして私に対する信頼の念がうかがえた。どれだけラスタが死後私のことを見ていたのかは知らないが、ラスタは私がアマーリエを見つけ出すと疑っていないようだった。

 小さくうなずけば、憑き物が落ちたように笑みをこぼし、ラスタはその視線をレイラの方へと向ける。寂しそうな視線は、死者たるその手が娘であるレイラに触れられないからか、あるいは苦難の道を歩むことになる魔女にレイラが覚醒してしまっているからか。

 ぐりぐりと押し付けるように頭を突き出していたレイラが、ふと思いついたように視線を彷徨わせる。それから、その瞳に涙をにじませる。


「おかあさんは?」


 ハッと息をのんで、私は周囲を見回す。そこには、空と境界線のあやふやな、どこまでも広がる海があるばかりで。ラスタという亡霊以外の姿はなかった。

 ラスタの言葉を、思い出す。アマーリエを探して――その言葉が意味するところは、ラスタの恋人でありレイラの母親であるアマーリエはまだ生きているということで。

 だから、降霊魔法によってアマーリエは姿を現さないのだろう。


「アマーリエは、レイラのお母さんは、まだどこかで生きているんだよ」


 涙を瞳いっぱいに湛えるレイラの頭を、ラスタの実体なき手に重ねるように撫でながら告げる。動きを止めたレイラの目から、一雫の涙が伝う。


「おかあさん、わたしいらないこ?」

「違うわよ。アマーリエは、多分何かの事情があって……ああもう。いつか必ず、アマーリエはレイラの元へと帰って来るから。だから、大丈夫」


 何が大丈夫なのか、自分で言っていてわからなかった。レイラは多分、アマーリエに捨てられたのではないかと思っているのだと思う。それは、行方をくらませたアマーリエのことを悪く言う誰かの心無い言葉のせいかもしれない。母親の裏切りを否定したい一心で、レイラは一人で海にまで足を運んだのではないだろうか。でも、だとすればレイラに告げるべき言葉は、アマーリエがレイラのことを愛していることを示すような言葉であるべきで。けれどそんな言葉を、私はレイラに告げることはできなかった。それは私がアマーリエのことを忘れてしまっているから――だけでなく、アマーリエが姿をくらませた理由を計りかねているからだった。

 アマーリエのことを探してくれと頼む、どこか焦燥のにじむラスタ。その表情の理由は、アマーリエが置かれている状況の悪さか、あるいはこのままではレイラが一生アマーリエに会えないと――レイラが捨てられたという意味で――考えているからか。

 嫌な想像ばかりが、私の脳内を侵食していく。

 何より、今この場で「私がアマーリエを見つけるから」と宣言できないあたり、アマーリエが置かれている状況の悪さを私は予見できていたのに。もう手遅れではないかと、レイラがアマーリエに真っ当に再会できることは不可能だと考えているのに、大丈夫だと言う私が、私は理解できなかった。

 そんな私の内心が伝わったのか、レイラが心配そうに瞳を揺らす。

 大丈夫、大丈夫――自分に言い聞かせるように、私はレイラへとそう繰り返す。

 ラスタの輪郭がぼやけていく。魔法が、終わろうとしていた。

 パクパクと口を動かすラスタの言葉は、もはや読み取らなくても分かった。

 レイラを頼む――そう言い残して、ラスタの輪郭は海の波の白に紛れて消えていった。それと同時にふっとレイラの体から力が抜けて、私は慌ててその小さな体を抱きかかえた。

 呼吸に問題はなし。心拍数もおそらくは正常。多分、魔法発動における集中のし過ぎか、魔力を一度に大量に――魔力感知のセンスのない私が感じ取れるほどの量を消費したことで疲れが出たのか、レイラは立ったまま眠ってしまったらしかった。


 私は、ひどく軽いレイラの体を抱きながら、再び強く押し寄せた海水に足を濡らしながら海に背を向けた。

 そこで今も見守っているかもしれないラスタの視線を感じながら、私は言いようのない感情に頭を悩ませるばかりだった。


 腕の中、未だに赤子のように柔らかな肌をしたレイラを見つめながら、この小さな命を守りたいと思った。

 不幸にも魔女になってしまったレイラに、せめて人並みの幸せが訪れますように――叶うはずがないとわかっていながら、私は誰にともなくそう祈った。

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