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白百合の涙  作者: 雨足怜
アヴァンギャルド編

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17/96

17対王国戦4 灼天

「……ん?」


 呪術師と思しき男を切り殺してから近くに眠る魔力を有した者たちを殺していると、ふと体が軽くなった気がした。そして、気づいた。俺の体にのしかかっていた痛みが、快感が、消え失せていた。


「あの呪術師が死んだのか」


 軽く腕を振り、首を回す。限界を超えた痛みに体が何も感じなくなった、というわけではなさそうだった。解放を喜ぶ思いと、かつてない快感がもう二度と訪れないという絶望が心の中で暴れているのを感じながら、俺は王国が秘密裏に抱える呪術師たちの拠点を出た。


 広がる荒野の鼻先に、鬱蒼と生い茂る魔物の領域が見えた。その中では、今もロクサナやキルハ、ディアンが戦っているはずで。俺は懐から取り出した真っ黒な球体を、遠くの地面に向かって投げた。

 その球は、地面に落下すると同時に弾け、光の玉がひゅるひゅると空に昇って、弾けた。


「見えた、よな?」


 呪術師の死を知らせるためだとあらかじめキルハから渡されていた信号は、けれど予想を下回る性能だった。深い森の中で今の知らせを見ることができたかを気にかけながらも、俺は森に寝かせてきた、まだ本調子でないだろうマリアンヌの脱出を手伝うために森の方へと一歩を踏み出して。


 視界が、やけに明るくなった。まるで太陽が昇ったような光が、俺を照らした。


 慌てて振り返った先、広がる荒野の先にある見覚えのない要塞然とした建物の上に、太陽と見まがう灼熱の球体が浮かんでいた。これだけ離れていても感じるほどの莫大な熱が、肌に突き刺さった。わずかな快感を、けれど今はそれどころじゃないと押し込めた。ひどく、嫌な予感がした。まるで、自分たちが認識もできない巨人の手のひらで踊っていたのだと思わせるような悪寒がした。


 そして、その球体の一部が分裂して、放物線を描いて俺の頭上を飛んでいく。その球を、俺は呆然と見送った。向かう先には、魔物の領域――


「まさかッ」


 アヴァンギャルドを皆殺しにするための攻撃か――そう認識した瞬間、巨大な火球は魔物の領域たる森に着弾し、森の一角に激しい火柱が立ち上った。

 背後を振り返る。そこにはまだ、少しも小さくなった様子のない巨大な炎の塊があった。あれがすべて森に向けて放たれるとしたら、誰も助からないのではないか。


 考えるよりも早く、俺の足は森に向かっていた。共闘を約束した仲間を守るために、これまでの戦いを無駄にしないために、俺はがむしゃらに走った。








 影が、消えた。しばらく消えた場所をにらんでも、そこから再度人影が生れ落ちることはなくて。どうやら敵は呪術あるいは魔法を発動しえない状況になったらしかった。

 アベルがやってくれたのだと思い、私は戦いの終わりを感じながら小さく息を吐いた。クシュン、と小さくくしゃみをする。濡れたままの衣服が体に張り付いて、ひどく気持ち悪かった。


 マリアンヌが掛けられた呪術が解除されたかは気になるところだが、そもそもどこまで退避したかわからなくて。二人の現在位置が分からない以上、私がとるべきはこの場所で待機――なのだが。


「……キルハ?」


 遠くから、剣戟の音が聞こえた。その甲高い音に吸い寄せられるように、私は森の茂みの先へと走り出した。もし合流しようと向かってきてくれていたらアベルとマリアンヌに申し訳ないけれど、私は向こうに行かないといけない気がした。魂が引き寄せられるような感覚と、言いようのない不安と、近づく再会を予感しての歓喜。


 茂みの先に、人の気配を感じた。多分、キルハと――


「キル――」


 ――ハ、と続く言葉が喉で止まる。十メートルほど先、茂みの向こうにいるキルハは、戦いの中にあった。

 敵の呪術の影響か、その肌は植物のように木目調の筋が走っていた。けれど、ひょっとしたらキルハの奥の手だったかもしれない。まるでその力の使い方を知っているように、キルハが自分の正面へと、肌から生やした枝を広げていた。

 そして、そんな魔物じみた姿となったキルハと戦っているのは、ディアンだった。お調子者な空気は鳴りを潜め、研ぎ澄まされた刃のような冷徹さを持って、ディアンがナイフを振るっていた。キルハが生み出した枝が、勢いよく切り刻まれていく。ほんの少し大ぶりな動きは、まるでキルハの意識をそのナイフへと向けさせようとしているようで。


 側面から戦いを見守る私の視界の端、キルハの後方で何かが煌めいた。

 それがディアンのナイフだと気づいた瞬間には、私は考えるよりも早く走り出していた。

 月の光を反射するナイフに、キルハは気づいていなくて。

 回避するように叫ぼうにも、とっさの事態に思考が停止した私は思ったように口を動かせず、ただ荒い息だけが口から洩れた。


 私の声にならない叫びが届くわけもなく、キルハの後頭部にナイフが突き刺さって、その体が仰向けに倒れていった。


「キルハ!」


 キルハが、死んだ?嘘だ、キルハが死ぬなんて、そんなはずがない。だって、キルハだ。私よりも強いキルハが、死ぬはずがない。あれだよね、ディアンと計画をして、まるで仲間割れをしているように敵に見せているんだよね。多分、キルハかディアンのどちらかの親とか兄弟が人質に取られていて、本気で戦っていると見せないといけないとか、そんな理由だよね。ディアンなら、明らかに殺したと思えるようなパフォーマンスを見せることができるだろうから、ね。

 そうだよね、ディアン?


 ディアンは、何も答えない。ただじっと、倒れるキルハを見下ろしていた。顔にかかった髪を伝って、雨だか汗だかわからない雫が一つ、地面に落ちていった。

 頭部にナイフが突き刺さったキルハの傷口には、血は見えない。だから、大丈夫だよね、ねぇ、キルハ、大丈夫だよね、返事をしてよ、起きてよ、ドッキリでしたなんて言って、私に応えてよ。


「キルハッ」


 雨が降り始めた気がした。視界が一瞬でにじみ、背後へと流れて行く涙のせいで肩が冷えた。ディアンに、剣を振るう。彼は、半歩下がって私の攻撃を避ける。


 反撃はなかった。多分、もし反撃されていたら、私は回避も叶わずに攻撃を食らっただろう。下がったディアンのことはもう、私の意識の中からは消えていた。

 剣を放り出し、キルハの体を抱き上げる。悩んだ末に、頭部に刺さっていたナイフを引き抜いた。血は、流れなかった。ぽっかりと、頭部に開いた傷口が直視できなくて、私はその傷を手で包み隠すようにしながら、キルハの顔を自分の方に向けた。


 キルハを、ゆする。キルハの頬に、水滴が一つ、落ちて跳ねた。起きてよ、キルハ、ねえ、起きて、起きて――


「目を覚ましてよ、キルハ!」


 キルハの体は、ひどく冷たかった。まるでずいぶん前から死んでしまっていたように、その体は冷え、固まっていた。まるで樹木のような繊維質な肌は、私が抱いているのがただの木製の人形ではないかと錯覚させる。そんなはずが、ないのに。

 私の心が叫んでいた。彼は、私の腕の中にいるのは、キルハだと。

 だとすれば、キルハはもう――


 手のひらに、くすぐるような動きを感じた。キルハの後頭部を包み込んだ手の内側。髪が揺れているように思えた。けれどそれだけではない、まるで虫がのたうっているような感触を覚えて、私は思わずキルハから手を放した。

 キルハの体が地面に落ちる。ガス、と鈍い音が響いた。

 いくら故人だといえこの扱いはないだろう――そう、思って慌ててしゃがみ込んで。


「かはッ⁉」


 キルハの口から、息がもれた。

 盛大に咳き込み、そして、止まっていた呼吸が再開した。

 肌の色が、植物のそれから人間の物へと変わっている。まるで、生まれ変わったようだと思った。

 その目が、ゆっくりと開いて。月のような黄金の輝きが、私の姿を捉えた。


 足から力が抜けて、倒れるように膝をついた。

 その手を、キルハへと伸ばす。

 私の手を、キルハが反射的に握る。


「キルハ?」

「……ロクサナ?」


 ゆっくりと起き上がりながら、ぼんやりした声で、けれど確かにキルハは私の名前を呼んだ。

 ああ、キルハは、生きていた。無事に、私の前にいる。

 心が張り裂けそうだった。キルハの無事を喜ぶ思いで、脳がぐわんぐわんと揺れていた。涙で視界はひどくぼやけ、その視界が、肌色に染まる。


 泣かないで、とそう告げながら、キルハの指が私の目元を拭う。手探りで、その手を握った。


「温かい……」

「そりゃあ、生きているからね」


 その手には、生者の熱があった。

 キルハが、生きている。ただただ涙をこぼしながら、私はキルハの手を強く握りしめ、その生を噛みしめた。


 ふわりと、風が吹いた。優しい、私たちを包み込むような風。

 それと同時に浮遊感を感じた。

 慌てて目元を拭えば、周囲に広がる無数のワイヤーが私とキルハの体を持ち上げていた。


「ディアン!」


 責めるような、あるいは焦るような響きの声で叫びながら、それでいてキルハはディアンに手を伸ばした。ディアンを、救おうとするように。

 その手は、まるで私たちを閉じ込めるように広がるワイヤーの檻に阻まれる。はじかれたキルハの手が軽く切り裂かれ、血がにじむ。


 ワイヤーの網の先で、ディアンは寂しそうに笑っていた。ピンと伸ばした手の指が空中で踊る。それに合わせて、ワイヤーが生きているように動き、たわみ、そして、私とキルハの体を、空高くへと投げ飛ばした。

 ディアンの頬を、涙が伝っていたような気がした。木々の枝葉を切り裂いて進むワイヤーの球体の先、ディアンの姿が、遠くなる。


 どうしてキルハと戦っていたのか、どうしてそんな顔をしているのか、私とキルハをどうするつもりなのか――いくつもの言葉を探して、けれどその全てはディアンに届くことはなく。

 ワイヤーの球体がほどけ、私とキルハの体が宙へと投げ出される。


 離れ離れにならないように互いの手を握る私たちは、ワイヤーの檻から解放されて、木々の上を飛翔して。


「……え?」


 世界は、異様に明るかった。

 まるで太陽が昇ったような錯覚を覚えた。体内時間では、まだ夜明けまでは時間があるはずで。光の方へと、慌てて視線を向けた。


 そこに、太陽のごとき巨大な熱源があった。かつてアヴァンギャルドにいた溶岩を生み出す魔女のことを思い出した。筋骨隆々な彼が操っていた溶岩の塊によく似た、けれどそれ以上にまばゆい光を持つ塊が、森の外延部の、さらに先。広がる荒野のただなかに存在する人工的な壁を有する建物の上空にあった。


 魔具――キルハが、つぶやいた気がした。その声は、吹きすさぶ風によってかき消されて、私の耳にかすかに届くかと言った音量だった。


 業火の球体の一部が切り離され、小さな――と言っても私たち二人を軽く飲み込めそうなほどの塊が分離して、飛翔する。私たちが居る、森の方へ。

 そして、綺麗な円弧を描いた灼熱の球体は、私たちが投げられた、そしてディアンがいるはずの場所へと、吸い込まれるように突き刺さった。

 肌を焼く熱波が、私とキルハを襲った。巨大な炎の柱が立ち上り、熱された空気が、あるいは気化した水蒸気が、荒れ狂う風となって私とキルハの体を吹き飛ばした。


 ぐるぐると視界が回り、一瞬にして平衡感覚がおかしくなった。私は反射的にキルハの体を抱き寄せ、そして、勢いよく森へと落ちていった。

 全身が揺さぶられるような衝撃と、骨が折れる音が頭蓋に響いた。痛みは、一瞬だった。私は死んで、そして記憶を取りこぼして、生き返った。


 腕の中のキルハは、私の体が緩衝材となったおかげが、大きな怪我はないようだった。せいぜい、枝によって体をわずかに切り裂かれた程度。


「大丈夫?」

「……ああ、それより、急ぐよ。多分、僕たちはもう呪術から解放されているはずだ」

「アベルがそう言っていたの?」

「いいや。でも今の攻撃は多分、王国側の奥の手だと思う。あんなものを導入して、ともすれば魔物たちを激怒させて侵攻させる一手を打ってきたということは、多分王国側は切羽詰まっているんだと思う」

「つまり、呪術師が死んだからとにかく私たちを皆殺しにしてしまおうということ?」


 やや言いにくそうに顔を歪めたキルハが、頷いた。

 呪術師が死んで、王国側は多数の凶悪犯罪者を含む私たちを確実に殺すべく、魔物の怒りを買うのを覚悟して森に火を放ったと、そういうことらしい。

 それは、確かに納得できる話だった。色々と事情はあり、凶悪犯罪者とは程遠い人物も多数在籍しているとはいえ、一人野放しになれば数百、下手をすれば数千の人々が殺されてしまうようなシリアルキラーやサイコパスの類も、アヴァンギャルドに属していたから。

 私だって、彼らが解放されるのを良いことだとは思えなかった。自分もまた犯罪者の一人なのに。

 とはいえ、多大な犠牲覚悟の焼き討ちに巻き込まれる身としては、本当にたまったものではなかった。


 アベルは、すでに呪術師の死に気付いているだろうか。キルハが渡していた連絡用の魔具の明かりを見た覚えはなかった。というか、音もなくわずかに空で光るものなど、枝葉に遮られるので私には認識できたか怪しい。特に戦闘中であれば気づけるとは思えなかった。


 そんなことを考えているうちに、遠くで二度目の火柱が立ち上った。遠くにいてもわかるほどの熱は、空に立ち昇った炎のせいか、吹き荒れる爆風のせいか、あるいは燃え始めた森が広げる熱のせいか。


 服の砂埃を払って立ち上がったキルハが伸ばした手を取って、私も起き上がる。

 一瞬の逡巡の末、私とキルハは森の外延部に沿うように、炎から遠ざかる方向へと走り始めた。


 気づけば、私とキルハの周りには、同じように必死に走る森の動物たちの姿があった。その中には、狼の背中に乗って疾走するアベルと、肩に担がれた青い顔のマリアンヌの姿もあった。……時々アベルという人物のことが理解できなくなるが、その光景は私の思考を一瞬止めた。

 アベルが、誰かを探すように視線を彷徨わせた。キルハが、顔を伏せて首を振る。

 そうか、と小さくつぶやいて。それ以上聞くことなく、アベルは森の奥へと向かおうとする狼の背から飛び降りて、マリアンヌを担ぎなおして私たちに並走する。


 背中に熱を感じた。火災が迫っていた。口の中が渇いた。

 キルハが腰に巻いたポーチに入れていた水の実をくれた。本来はナイフなどで殻を割って果肉を食べるそれを無理やり歯で噛み砕き、飲み込んだ。殻の破片が刺さったのか、わずかに血の味がした。





「……行ったか」


 王国が抱える呪術師の一人であり、魔物を使役していた男。その成れの果てを足蹴にしながら、一人の男が遠くを見てつぶやいた。頬に蜘蛛の刺青のある彼は、アヴァンギャルドの一員。

 アベルに殺された影を操る呪術師の男は、隠密行動中のアヴァンギャルドの者に気づくこともできていなかった。それだけアヴァンギャルドの者たちは人類とは一線を画した戦闘能力を有しており、男を含めた精鋭たちが発見されなかったのはある意味で当然だった。


 彼は、単独行動を好むアヴァンギャルドの一匹狼の一人であり、そしてかつて雨ごいの生贄にされかけていた子どもを救うために村の住人を皆殺しにしたハンターでもあった。凶悪犯罪者として捕らえられてアヴァンギャルドという組織に放り込まれた彼は、ただ淡々と魔物を斃しながら日々を生きていた。


 そんな生活も、もう終わり。

 男を縛っていた鎖はもうない。心壊れた彼でさえ自我が消滅するほどの激痛を与える呪術が機能しなくなっていることを、男は肌で感じていた。


 遠くで、まばゆい炎の柱が立ち上る。

 それを見つめながら、男は少しだけ悩んで、それから森の奥へと踵を返す。

 正義の下に大量殺人を働いた彼は、アヴァンギャルドでの生活を経て、人間社会に価値を見出せなくなっていた。


 森には、彼と同じように人間社会から背を向けて、魔物の領域の更に奥へと歩いていく人影の姿があった。彼ら彼女らの多くは、人間社会によすがとするものを持たず、さらには復讐心の類を感じる心もとうに擦り切れてしまった者たちだった。

 ――あるいは、元から心壊れていた奇人の類。





「ほっほっほ、王国も随分と切羽詰まっておるのう」

「そうねぇ。わたしとしてはうれしいことだわぁ。わたしたちをひどい目に合わせた王国なんて、滅びてしまえばいいのよ~?」


 遠く離れた岩山の上。燃え始めた山を眺める二人の人物が言葉を交わす。大きな袋に肘をつく妙齢の女性は、アヴァンギャルドで服飾関連に従事していた人物だった。ロクサナが服を譲り受けていた彼女は、背中を反らして背後に立つ男へと視線を向ける。

 長い白髭を蓄えた、枯れ木のようにやせ細った生気のない男。彼は握る杖で岩を軽く突く。


「……弟子たちにお別れの言葉は必要なかったかしらぁ?」

「そんなものはとっくの昔に済ませたであろう?今さらどういう顔をして姿を現せばいいというのだ」

「あの子たちに力がばれることくらいは気にしないけれどねぇ?」


 ひらひらと手を振る女性は、再び燃え盛る森へと視線を向けた。

 心にあるわずかな感情は、長くとどまった場所が失われた哀愁か、王国へのあきれか、必死に未来を生きる若者への応援の気持ちか。

 トン、トン、と杖を突くことが響く。


「まあ、あの子には力作をあげたことだしぃ、死にはしないんじゃないかしらぁ。だから、そのうるさい音をやめてくれないかしらぁ?」

「む、これはすまんな。いやはや、なかなか思うところがあってのう」

「そう?……なんでもいいのだけれど、とりあえずこれを運んでくれないかしら。意外と重かったわぁ」

「おぬしが自分の目に見えるところにないと気が済まんと言ったのではなかったか?」


 あきれを含んだ老人の言葉に、女性は肩をすくめながらポンポンと大きな荷物を叩く。


「はぁ、老いさらばえた男の扱いとしてどうかと思うのだがのう」

「いいでしょう?二度目の人生だと思えば」


 ため息を一つ。折れた老人は杖で一度地面を突き、それと同時に空間に丸い穴が開く。

 その穴に向かって、女性が適当な動きで大きな荷物を放り込む。荷物は、空間に開いた穴に吸い込まれて消えた。そして、金属がこすれるような音と、袋の口が開いて物が雪崩れるような音が穴の先から聞こえた。


「……後で片づけはしてもらうぞ?」

「あー、はいはい。まったく、ご主人様の扱いがなっていないのはどちらかしらねぇ」

「ぬかせ。この老いぼれを容易に扱えると思うなよ?」


 鋭い目でにらみあった二人は、どちらからともなく凶悪な笑みを浮かべ、燃え上がる森に背を向けて歩き始めた。






 王国が危惧した凶悪犯罪者たちは、奥の手である大規模破壊用の魔具の攻撃を食らうことはなく、そして再び人間社会に舞い戻ることなく、未知の世界へと姿を消した。

 一方、王国の警戒をすり抜けて人間社会に舞い戻った元アヴァンギャルドの者たちも確かに存在した。

 森を燃やした魔具「灼天」の威力に鼻高々だった王国は、帰還したアヴァンギャルドの者たちの存在に気づくことはなかった。


 彼らがその可能性に至るのは、森の炎が沈静化し、大移動した魔物たちが森を燃やされた怒りから人間たちへと襲い掛かった厄災の日から一週間後。姿を見せない魔女たちを捜索した結果、何者かに殺された彼らの死体を確認したことがきっかけだった。


 動物たちに食い荒らされていたとはいえ、アヴァンギャルドの者たちを殺すため、あるいは森の一角に留めておくための人員であった魔女たちが詰め所で全員死んでいたことは、戦いの最中に殺された可能性を示唆していて。

 その事実は、呪術の痛みを乗り越えて人間社会に帰還した怪物がいる可能性を示唆していた。


 アヴァンギャルドの脱走者がいる可能性があって。


 さらに、従順な魔女や呪術師たちを失った王国には、小さな、けれど決して無視できない動揺が走った。

 アヴァンギャルド無き後の防衛力として期待されていた呪術師たちの死と共に、一つの可能性が浮上した。それは、王国の中に作戦を無視して魔女たちを狙った裏切り者がいるかもしれないということ。魔女たちのリーダー格であった呪術師の男が、任務開始前に魔女の捕縛について漏らしていたという情報が入ったのだった。


 これまでの、互いを魔女ではないかと探るものに加えて、貴族たちの間には新たに裏切り者を探す視線が加わった。


 政治は遅れ、それによってロクサナたちは脱走の証拠を見つけられることなく逃げることに成功した。

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