16対王国戦3 裏切りと奥の手
視界の端を、紫電が走り抜けた。
魔物の魔法。
前に飛んで雷撃を躱せば、体を突き刺すように地面から土を圧縮した針が伸びる。
体を回転させて、迫る針を切り落とす。切り株のように伸びる円を足場に、跳躍。
迫っていた黒い霧が、足元を走り抜けていった。着弾した木が、急速に悪臭を放ちながら腐り落ちる。おそらくは腐敗の呪術。
魔物の魔法の雨を前に、ただ我武者羅に逃げるしかなかった。
わかっていた。王国との戦力差は絶望的で、それでも徹底抗戦を選んだ以上、そんな力と対抗しなければならない。
仕掛けておいた罠はもう八割ほど使ってしまっている。もっと長期戦を想定していたものの、敵の呪術師がかき集めた魔物の数が多すぎて、その対処に罠を浪費することになってしまった。本当は、人間相手にこそ威力を発揮する魔具だったのだが。
まあ、魔具を人相手に使うのは個人的に避けたいところだったからこれでよかったのかもしれない。
もう魔具を前提とした戦いはできない。とはいえ魔具のおかげで魔物の数はだいぶ減った。
近くにある魔具が尽きると同時に、これまで後方で僕たちが疲れるのを待っていたらしいより凶悪な魔物たちが、徒党を組んで襲い掛かってきた。
魔力を有して魔法を扱える特異な生物を魔物と一括りに呼んでいるが、目に見える形で魔法を行使する魔物というのは、実はそれほど多くない。たいていの魔物は骨髄に魔力を蓄積することによる身体能力の上昇に終始しており、あとは種族固有の魔法を有しているくらいだ。より知能が高く、より強くなっていくほどに、多彩な魔法を行使するようになる。例えばドラゴンでいえば、ブレスや鎌鼬、サイズ変換、狂化などの魔法を行使することが知られている。
つまり、現在僕たちを襲っている魔物は、それら強者に該当する魔物だという話だ。
「ディアン!」
「わかってるっすよ!」
人間以上の嗅覚や聴覚を持つ魔物相手に逃亡戦を続けるのは不可能に近い。つまり、背後に集う魔物たちを倒さなければ、逃げることもままならない。
阿吽の呼吸でこたえたディアンが、拳ほどのサイズの黒い球体に火をつけて、枝の上から魔物の集団へと放り投げる。
足を止める。目と耳をふさぐ。
背後で、強烈な閃光と爆音がほとばしった。瞼を通過して届くほどの光に、体表から伝わる音だけで鼓膜が破れそうなほどの振動。
感覚を頼りに、背後へと走る。わずかに白んでいた視界が戻っていく。そこには、怒り狂いながら暴れ、同士討ちをする魔物の姿があった。
魔具によって敵の五感を低下させた好機に、僕とディアンは全力で得物をふるった。幸いというべき、目の前にいる魔物はすべて交戦経験がある種類で、それらの魔物の弱点もまた一目でわかった。首、腹部、三つある頭の一番左、右腕の付け根、太もも。脳や心臓がある場所を的確に狙い打つ。
血が飛び散り、最後のあがきとばかりに暴れる魔物が無茶苦茶に腕を振り回し、フレンドリーファイアなど知ったことかとばかりに魔法をばらまく。
その一撃が左腕に当たった。ジュウと解けるような音がしたから、酸か腐敗か。鼻につく刺激臭と焼けるような痛みを感じながら、さらに強く剣を握って、目のまえにいる魔物の一つ目を貫いた。
あと、四体。
マリアンヌの呪術によって幻覚を見せられたらしい魔物の一体が、視力も聴覚も有していなかったために先ほどの妨害を食らわなかった魔物へと攻撃を仕掛ける。四つ腕の鬼と、岩石の体を持つゴーレムが組み合う。その後ろにいた巨大スライムは、ディアンがナイフを叩き込むことで、粘液中を高速で移動していた心臓である核が破壊されて絶命した。
残り三体。
ライオンの頭に山羊の胴体、尻尾が蛇となっているキマイラが、その尾の蛇で噛みつこうとしてくる。
剣を振って、蛇部分を切り落とす。
切断面から、毒々しい紫の霧があふれ出した。間違いなく毒。それを、キマイラは咆哮とともに魔法で風を起こし、こちらへと吹き飛ばす。
回避は間に合わない。だから前に、さらに前に。
足元から攻撃。けれどそこには、殺意はない。
逡巡は一瞬。踏み出した足の下から出現したのは、間欠泉のように噴き出す水だった。
霧のように飛び散る水滴がキマイラの毒を飲み込み、排除する。それはおそらく、マリアンヌのサポート。
心の中で礼を言って、左右に開いた毒交じりの霧の間を潜り抜け、キマイラへと駆ける。
キマイラのライオンの口に、炎の揺らめきが見える。ドラゴンと同じブレス――ではない。それは、牙に炎をまとった噛みつき攻撃。
そんなものが今更脅威に思えるほど、僕の戦闘経験は浅くない。
キマイラが飛び掛かってくる。
地面すれすれを走り抜け、体をくるりと一回転させるとともに、上を行くキマイラの首へと剣を振りぬく。
首を切り裂く手ごたえ。
地面へと片手を突き、さらに前へと押し出すように体の向きを変える。キマイラの股下を潜り抜ける。
背後で倒れる音が三つ。キマイラと、ゴーレムに倒された四つ腕の魔物。
そしてディアンが、ゴーレムの足の下に滑り込ませていた布を引っ張り、その巨体を転倒させた音。
地面にたたきつけられたゴーレムの下半身を、ディアンが金属板を仕込んだ踵でけりつける。ドゴ、とおよそ蹴りの音とは思えない破壊音を響かせてゴーレムの岩の体が割れ、その奥にあった心臓部分が壊れて紫色の液が漏れた。
これで魔物は全て倒した――
それは、最も気が抜けるタイミングだった。魔物を倒し切って、一呼吸ついてしまうタイミング。敵にとって、もっとも奇襲を仕掛けやすい場面。
そして同時に、最も奇襲の可能性を考えやすい場面でもあった。
上方に、気配。枝を蹴って勢いよく飛び降りてくる敵の手には、何らかの液体がついたナイフ。
その攻撃に合わせるように、剣を軌道上へと持ってくる。
腕が痛んだ。先ほどの酸によるダメージのせいか、剣の位置がずれ、頭部へと続く道ができる。
襲撃者が手のスナップによってナイフを飛ばす。わずかに首をそらして回避。通り過ぎるナイフの毒は、たぶん即死毒の類。揮発性がなさそうだということが分かれば、それでよかった。
回避によってバランスを崩したところか、あるいはナイフを剣で弾いて生じた隙を狙うつもりだったと思しき敵は、両手に新たなナイフを握って目の前に迫っていた。
フードの奥にある顔が目に入る。アヴァンギャルドの一員として見かけたことのある女の顔だった。確か、ひどく目立つカラフルな服をいつも身にまとっていた人物。
このタイミングで襲撃してきたということは、彼女は王国側だ。それだけわかっていればよくて、そして、すでに賽は投げられている。
空中という回避困難な形で奇襲を仕掛けた彼女は、ここで終わりだ。
彼女の体が、空中で不自然にぶれる。それは、首にかかったワイヤーによって彼女の体が後方へと軽く引っ張られたから。女の目が、小さく見開かれる。逃れようと慌てて動き出すが、もう遅い。
こちらには、人の行動予測に長けたディアンがいるのだ。奇襲のタイミングさえわかっていた。その場所に誘導して敵を倒すことなど、彼には容易だ。この場所に張り巡らされている極細のワイヤーに気づかなかった時点で、彼女の敗北は確定したのだ。
重力に従って首に食い込むワイヤーが、肉を切り裂いて。
そのまま、女は死んだ。
これで、敵は一人落ちた。
敵戦力は未知数。けれど、こちらは小さな傷こそあるものの、まだ十分に戦える。
第一波を乗り越えたと、そう思って。
上方から、新たな殺気。
闇を切り裂いて、銀のナイフがこちらに迫っていた。心臓を狙うそのナイフを、剣で弾く。嫌な予感があった。まるで、視線を集めるように艶消しのされていない銀のナイフが飛んできたということは――
ずぶり、と肉に刃が分け入る感触があった。心臓を守るように移動させた左腕にナイフが突き刺さっていた。見覚えのあるそれは、おそらく先ほど女が投げた毒付きのナイフ。
傷口がひどく傷んだ。血とともに毒を排除してしまうべく、さっさとナイフを抜く――そんな余裕はなかった。
死角から、風を切る音。接近するナイフを予感して、バックステップ。
踵に違和感。糸が引っ掛かったと、そう理解して。
救い上げるようにして引っ張られた糸によって、後ろ足が前へと滑る。体が後方へと傾く。
前方から迫ったナイフを、何とかそらすべく剣をふるった。熱で思考が溶けていく中、金属同士がぶつかり合い、火花が散るのが見えた気がした。
そして、そのわずかな明かりの先に、こちらへとナイフを投げたディアンの姿が見えた。
ナイフが後方へと飛んでいく。地面に落ちたナイフが、何かを切るような小さな音がした。
地面から、跳ねるように何本ものワイヤーが伸びる。それは、ナイフの柄に括りつけられていたらしいワイヤーと絡み合い、僕の体を縛り上げた。
少しでも動けば体がブツ切りになるために、動こうにも動けなかった。
「……どういうつもりだ?」
だから代わりに、ディアンに向かって叫んだ。何をしているのか、と。
正直、現状から予想はできていた。
ディアンこそが、僕たち五人の中に紛れ込んでいた裏切り者だと。この状況で攻撃してくる理由に、それ以外は考えられないから。
微笑の消えたディアンの顔には、何もなかった。あらゆる感情が削げ落ち、目には光がなく、ただまっすぐ、僕のほうを見ていた。普段の軽薄なディアンからはかけ離れた姿だった。
「……師匠のためかな?」
ディアンは答えない。けれど、わずかに呼吸が荒れた気がした。おそらくは正解だろう。
ディアンは、自分を盗賊として育てた師匠のもとへ帰るために僕たちに協力をすると話していた。その師匠は、今どこにいて、どんな状況にあるか。国につかまることなく自由に生きているか、捕まっているか。
少なくともアヴァンギャルドにディアンの師匠らしき人物はいなくて、そしてディアンがここで僕を攻撃したことを鑑みれば、ディアンの師匠が国に捕らえられていることなど、すぐにわかることだった。
ディアンの背後から、複数の足音が響く。揃いの銀のプレートアーマーを身に着けた集団が、ディアンの後ろに並ぶ。その切っ先は、ディアンの背中へと向いていた。
男の一人が、嘲るような笑みを浮かべて、告げた。
「ご苦労」
なるほど、都合よく利用されたディアンはここで排除されるらしい。僕は、どうなるのだろうか。ディアンが指一つ動かせば、たぶん僕は肉塊へと変貌を遂げる。通常の方法でワイヤーの網から逃れるすべはない。僕が死んでいないのは、国が僕を捕らえるようにディアンに命令したからだろうか。だとすれば、王国の望みは魔具か?……あるいは、ディアンの気まぐれか。
ディアンは、ただ無表情でそこに立ち尽くしていた。抵抗は、しなかった。
ディアンは、師匠の元へと帰るのではなかったのか。どうして、諦めて死を受け入れるようなことをしているのか。
わからないけれど、光のないディアンの眼が答えである気がした。
ゆっくりと動いていく世界の中で、騎士たちの握る剣の切っ先が、ゆっくりとディアンの背中に突き刺さっていく。よほど鋭い刃物であるのか、その刃はディアンが纏う高位の魔物の斬撃耐性のある革を破り、血を流し――気づいた。
その剣が、魔具の一種であることに。魔力がこもった剣は、その魔力によって斬撃性能を向上させているようで。そんな剣が、目のまえに五振り。
国が、魔具の量産体制を確立している。どうやってかはわからない。魔物の生息域の奥でしか取れない植物を必要とする魔具をそろえているということは、材料や製法を改良したのかもしれない。ひとまず重要なのは、王国が魔具という武力を手にしたこと。
そして、作り上げられた魔具の切っ先は今、魔物だけではなく人間へと向いた。
予感があった。国は、魔具という暴力を手に、平民を徹底的に支配するだろうと。今度こそ完全に魔女を社会から排除し、王国は魔物を殺戮してその領土を広げるだろうと。
人々が魔物におびえなくなる世界――それは僕が望んだ世界ではある。けれど、それは弱い人々が自ら魔物に抗えるようになる世界であって、王侯貴族という圧倒的強者が支配する王国という集団の中で、奴隷のように搾取されて平民が生きる世界ではない。
そして何より、そんな社会に、ロクサナたち魔女の居場所はない。ロクサナの帰る場所を、僕が生み出した魔具で奪う――そのことに、激しい怒りを覚えた。
手を動かす。皮膚にワイヤーが食い込んだが、構うものか。どうせ、そんな傷はすぐにどうでもよくなる。
手首をスナップ。長袖の下に隠し持っていた注射器を握る。それを、自分の首筋へと押し当てる。何をするつもりだ――ゆっくりと、なぶるように背中に剣を突き刺されつつあるディアンの暗い眼が、僕に問いかける。
「抗うんだよ、理不尽に」
そう言って、僕は注射器の中身を、体へと押し込んだ。
ドクンと心臓が跳ねた。膨大な熱が、魔力が、全身を駆け巡る。呪術効果によって肉体のあり方が歪められていく。これは、畜生が化け物へと落ちる薬。もう、後には引けない。どれだけの効果があるかも、肉体にどれほど影響があるかも不明なこんな薬に頼るしかないことが嫌だったけれど、背に腹は代えられない。
体が、ぐにゃりとたわむ。ディアンを殺そうとしていた騎士たちの動きが止まり、ヘルムの奥にある目が大きく見開かれていた。そこには、驚きと恐れがあった。
ああ、そうだろう。今の僕は、間違いなく人間には見えない。この身は、魔物と化しているだろう。
視界の端で、植物の蔓のようなものが揺れていた。緑の葉が茂るそれは、おそらくは僕の体から伸びている。
樹化呪術。肉体を樹木に変えてしまう植物魔物の呪いを薬液で抽出して改造した奥の手。自由に伸縮と成長を可能とする植物と化した体が、体を縛るワイヤーを断ち切っていく。
今すぐ殺せ――リーダー格と思しき男の命令によって、騎士たちが我に返ったように僕へと剣の切っ先を向ける。
だが、遅い。
突き出した腕は分裂しながら槍のように伸びて、鋭い先端で騎士たちの鎧を貫いた。どうやら防具のほうは魔具ではなかったらしく、さらには魔物素材でもなかったようで、あっけなく胸部を貫通された騎士たちは絶命した。だが、唯一リーダー格であった騎士だけは、剣で植物の槍を切り落とし、その身を守っていた。
腕を動かす。触手のようにうごめく腕の操作は難解で、けれどなんとか望むように曲がって、騎士の周囲全体から鋭い先端を向けて襲い掛かる。
騎士が剣をふるう。やはりただの植物に過ぎない強度の刺突では、魔具である剣でたやすく切り落とされてしまう。
けれど、それでよかった。今重要なのは、殺した騎士たちが持っていた剣を、彼に気づかれないように回収することだから。
呆然とこちらを見つめるディアンをちらりと見てから、地中を掘り進ませていた片腕で足元から騎士を襲った。震動のせいか、攻撃を仕掛ける直前に騎士に気づかれてしまったが、想定内。
バックステップで地中からの攻撃を回避した騎士へと、距離を詰める。
地面に伸びる腕を切り落とし、回収した魔具の剣を手元に運び、両手に握る。
「それは貴様ごときが触れていい剣ではないッ」
「それはこっちのセリフだよ!僕が生み出した魔具という光を、人殺しの道具になんてしてくれるなッ」
互いの思いを叩きつけながら、剣を振るった。ぶつかり合う金属同士が火花を散らす。
技量は互角。膂力は、樹化呪術によって肉体が魔物のそれへと変貌しているこちらの方が上。最も、肉体の制御に慣れていないため、騎士の方が最終的には上を行くが。
まるで踊るように互いの剣が舞う。気づけば雨は止んでいて、月の光を反射した銀の刃が暗い世界を走り抜ける。
騎士の剣が僕の片腕を切り落とした。
僕の剣が、騎士の胴体を浅く薙いだ。
腕を再生し、蔦のように伸ばした枝で剣を回収し、再び両手に剣を握る。
視界が広かった。まるで殻を破ったように、あるいは生まれ変わったような、そんな万能感があった。同時に、体に広がる熱が少しずつ減っているのを感じた。魔力が尽きたら、どうなるのだろうか。多分、肉体は元の状態に戻る。つまり、その時までに僕は人間の形に体を治しておかないといけない。でないと、異形の状態で人間の体に戻ることになる。
そうなれば待っているのは、死だ。
焦りが、剣に出た。
円を描くように回された騎士の刃が、僕の握る二振りの剣を弾き飛ばした。
胴体に隙が生まれた。
両手に握った剣を、騎士が上段から振り下ろす。
体から無数の枝を生やし、男の剣速を遅らせる。
壁のような枝が、勢いよく切り裂かれ、砕け、飛び散っていく。
正義の剣が、振り下ろされて。
体が、切り裂かれた。
致命傷――のはずだった。少なくとも僕がまっとうな人間であれば動くことのできないだろう傷を受けて、それでもまだ、僕は行動可能な状態にあった。
切られた切断面を伸ばし、つなげる。傷は、すぐにふさがった。
「化け物め」
そう、騎士が毒づいた。その足は、僕が地中からはやした木の根に縫い留められている。
ああ、そうかも知れない。確かに、今の僕は化け物だ。けれど――
「化け物はそっちもだろう?」
僕の背後数十メートルに至る斬撃の跡を生み出して見せた彼の恐るべき剣技を称賛しながら、僕は片手に持った剣で男の首を刎ねた。
ゆっくりと、体の形をもとに戻す。いつ人間に戻ってもいいように、丁寧に、肉体の形を整えていく。
そして、僕はディアンと向かい合った。呆然と僕を見つめる彼は、相変わらずの無表情で、けれどどこか泣きそうな顔をしているように思えた。
「得物を握りなよ、ディアン」
ゆっくりと、ディアンは腰に差していたナイフを握る。
僕もまた、騎士たちから奪った魔具の切っ先をディアンに突きつける。
風が吹いた。湿り気を帯びた、涼しい夜の風。
舞い散る木の葉が視界を遮る。その一瞬で、ディアンは僕の懐まで入り込んでいた。
剣をひっこめる――間に合わない。
僕は半身をひねってナイフを躱す。体勢が、崩れた。
側方へと倒れていく僕へと、振りぬかれる途中で軌道が折れるように九十度変わったナイフの切っ先が迫る。その動きは、予想通りだった。ディアンであれば、そのくらいのことはしてくると思っていた。
逆手に握った剣身をぎりぎりのところで軌道に差し込む。ギィン、と硬質な音が響き、小さな火花が夜の森に散った。
ナイフごとディアンを切り裂くつもりだった剣は、あっけなくディアンの手から吹き飛んだ。
かがんだディアンの頭上を、僕が振りぬいた剣が通り過ぎていく。
「ッ⁉」
ナイフが、まるで滑るように顔へと向かってきていた。はじかれる軌道を計算されつくした切っ先が、僕の眼窩へと迫る。
首をひねる。頬を浅く薙いで、ナイフは夜の森へと消えていく。
ディアンの得物はない――はずだった。
いつ拾ったのか、ディアンは騎士が使っていた、そして僕が現在使っている魔具をその手に握っていた。ディアンが剣を使うところは見たことがない。どれだけの技量なのか、こと対人戦におけるディアンの能力を知っているがゆえに、僕に油断はなかった。
そう、僕はこの上なくディアンの能力を評価していて、ディアンを警戒していた。それは、ディアンにとってはつけ入る隙に他ならなかった。
腰に柄尻を押し当てるように掴んでの、愚直なまでの突進。虚を突かれた僕の行動が遅れる。
それでも、樹化の呪術によって手にした肉体は、ディアンの攻撃に防御を間に合わせて――ディアンの手が、剣から離れる。
地面を強く踏む動き。落ちていたナイフの柄が踏まれ、てこの要領で勢いよく跳ね上がってディアンの手に収まった。
僕は防御のために剣を引き戻した状態。ディアンのナイフを止めるのに、剣は間に合わない。
枝を伸ばす。前方に生み出した無数の枝でディアンの姿が隠れる。そのわずかな隙間で、銀の光がきらめくのが見えた。枝を切る音。防御のために体から生やした枝は、確かに僕の身を守っていた。攻守交代だと、そう思って。
次の瞬間、僕の頭部に衝撃が走った。思考が、途切れた。体が勝手に前へと倒れていく。
何が起きたのか、わからなかった。
「キルハ!」
名前を呼ぶ声が聞こえた。ロクサナの声。
ああ、無事だった――倒れていく僕の視界に映った焦燥をにじませるロクサナの顔を見て安堵を覚えて、僕の意識は闇の中に落ちていった。




