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白百合の涙  作者: 雨足怜
アヴァンギャルド編

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15/96

15対王国戦2 影の呪術師

 戦闘音を頼りに、私は無我夢中で森を走った。キルハのところに、急いだ。

 すぐにキルハにたどり着けるとは思えなくて、焦燥感ばかりがつのった。


 先ほどまで響いていた爆発音はなりを潜め、夜の森ではかすかな戦いの音へと変化してしまっていた。時折響く硬質な音は、金属の得物同士がぶつかる音。誰かの声も響いていたような気がした。

 けれどそれらの音は、森の大地と木々の枝葉に吸収されて、ほとんど私の耳に届くことはなかった。


 相手に奇襲を仕掛けるために音を立てない――そんな考えは、増していく焦燥感に塗りつぶされて消えていた。

 がさがさと枝葉をかき分けながら、私は森を走った。


 小さな爆発音を聞いた。罠としてあちこちにセットした魔具が起動した音――そう判断して、私は音のした方へと進路を変えた。


「ああああああッ⁉」


 喉が割けるような悲鳴が聞こえた。女性のそれ。マリアンヌの声のような気がした。もしそうだとすれば、近くにキルハたちがいるはず。走り続けたせいですでに息は荒くなっていて、これ以上状態を悪化させれば即座に戦闘に移れないとわかっていて。それでも私はさらに速度を速めた。

 あと少し、もう少し。

 戦いの音が聞こえた。爆発の音、炎の光、言葉の応酬、そして、私はその戦場へと飛び出した。


 飛び出し様に、剣を振りぬいた。

 目の前にいた人影を切り裂いた――はずだった。その存在は、まるで影のように溶けて、姿を消した。

 周囲には、同じような影が六つほど。そして、顔の見えない黒ずくめのフード連中の奥に、満身創痍のマリアンヌと、彼女をかばうアベルの姿が見えた。


「離れなさいッ」


 強く踏み込み、剣を振り上げる。

 人影をまた一つ両断するも、切った感触はなかった。そして、私が切った影は、まるでスライムのごとく形を変える。空中で一本の投槍となって、私に襲い掛かった。

 剣を引き戻す。その刃の上を滑らせ、槍を斜め後方へとはじく。わずかに掠めた切っ先のせいで、頬をたらりと血が流れる感覚があった。


「来るな、ロクサナ!」


 アベルが何かを言っていた。けれど、それを気にする余裕は私にはなかった。

 残る四つの影が、一斉に私に向かって走り寄ってきた。人影の一つが、だらりと下げた手の中にまばゆい光を生み出す。

 魔法。そう認識した時には、その光は閃光弾のごとく私の目を焼いた。

 視界が白に染まった。敵の姿は見えない。そして、敵の身じろぎや衣擦れ、呼吸音も、匂いも、殺気すらも感じられなかった。

 気配のない亡霊のような影たちが、私に魔法を放った――のだと思う。

 私は死を経験して、そして意識を取り戻すとともに剣を振りぬいた。

 抱きつくような距離まで接近していた人影たちを切り捨てて、私はアベルとマリアンヌのそばまで駆け寄った。


「状況は⁉」

「マリアンヌが敵の呪術にかかったようで意識がもうろうとしている。ただ、術者はわからない。魔力反応も、そのタイミングでは感じられなかった」


 熱にうなされるマリアンヌは、頬が赤く、けれど頬を除いた肌は血の気が引いたように青白くなっていた。仮にマリアンヌが何らかの呪術に侵されているとして、それを治す方法は私たちの手中にない。唯一可能なのは、敵を殺すこと。私たちをアヴァンギャルドに縛る呪術のように、マリアンヌを侵す呪術もまた、術者が死ねば無効化されることに期待するしかなかった。

 呪術師は新たに現れた私を含めた三人を確実にこの場で仕留めようというのか、再び何もない空間に影を生み出して見せた。地面から伸びた黒い線がグネグネとねじ曲がり、人影を形成する。フードを被ったような、体格の等しい影たち。

 おそらくは呪術師の影であり、魔法の行使のみを可能とする分身の類だと思った。いや、これだけ多彩な魔法を使えるというのはおかしいかもしれない。


 私の知る呪術には一致する効果のものはなかったけれど、分身自体には多少の知見がある。おそらく、術者はそれほど遠くにはいない。


「アベル、マリアンヌを連れて退避して。そしてできれば、呪術師本人の捜索をお願い」


 一瞬逡巡を見せたアベルだが、ここでマリアンヌをかばいながら足止めを食らうほうが問題だと判断したようで、私に戦闘を託していく決断をした。


「気をつけろよ!」

「あなたたちは私が相手をするよ!」


 マリアンヌを背負ったアベルが、私に背中を向けて森の中へと走っていく。二人を追うそぶりを見せた影の一つを切り捨て、叫ぶ。影は私の声を聴いているのかいないのか、再び私に焦点を当てて、じりじりと円を描いて近寄ってきた。


 剣を握る手に汗がにじんだ。一度目は、私が生き返るということを知らなっただろうこともあり、敵の隙をついて影たちを切ることができた。けれど二度目は怪しい。私の力の最大の欠点の一つは、蘇生中に無防備になるということだ。つまり、無数の影たちによって波状攻撃をされては、私は蘇ったそばから再び死ぬことになる。

 つまり、一度死んだら私は無力化される。

 相手の数のことを考えれば、一度も死なずに戦いを乗り切るというのは無茶にもほどがあった。

 加えてマリアンヌを侵す敵の呪術の詳細もわからない。


 状況は中々に絶望的だった。


 喉がひりつく。全身の毛が逆立つような感覚があった。空間に広がる悪意が、チクチクと私の肌を刺した。そんな空気を吹き飛ばすように叫んで、私はひとまず包囲網を脱出すべく、一体の影へと走り寄った。






「おいおい、蘇生かよ。こりゃまたレアな魔法持ちがいやがるな」


 正直、今回の命令は気乗りしなかった。俺のような優れた人間が、何を好き好んで掃きだめの掃除をしに行かなければならないのか、理解できなかった。貴族の生まれにして、呪術を手にした俺は、親父によって秘密裏に育てられ、人を殺して、のし上がった。その果てに親父は王国に俺という呪術師の所有がばれて殺され、けれど俺はその術の腕と愛国心を買われて国に仕えることになった。


 実にばかげてやがる。俺の演技に騙されて、首輪もつけずに愛国心の塊と評価して俺にある程度の自由を与えている国も、あっさりと死んじまった親父も、魔物にいいようにされている人類も、魔女を憎む風潮も、すべてが馬鹿げていた。

 そして何より、高貴な血を引く俺がこんな任務に就かなければならないことが理解できなかった。


 アヴァンギャルドという掃きだめを束縛する呪術師が病に伏せたのは、今から半年前のこと。元々高齢で、後継者がいない契約の呪術師。彼女が死んでからアヴァンギャルドをどうするか、荒れていた国は結局アヴァンギャルドの廃棄を決めた。国のゴミを有効利用するための組織から万一脱走者でも出ようものなら、大きな責任問題になるからだ。

 国は、アヴァンギャルドの解体を決め、魔物を操る呪術師を派遣した。けれど、雑魚が集めた大量の魔物は、犠牲者を出しながらもアヴァンギャルドによって皆殺しにされた。

 ああ、雑魚はアヴァンギャルドの奴らか?


 この結果を受けて、王国は若干の方針変更を考えた。つまり、アヴァンギャルドに属する有用かつ管理可能な呪術師や魔術師を捕らえてもう一度有効利用しようというものだった。ゴミ溜めに放り込んだゴミの再利用を考えるほど、国の戦力は足りていないらしいが、まあどうでもいい。大事なのは、俺がその人間狩りに参加しているということだった。


 正直、戦いが始まった当初はやっぱり全くやる気が出なかった。一口に危険人物を集めたアヴァンギャルドといっても、その能力はまちまちだったからだ。俺の力を見せつけるような戦いもなく、ただ逃げ惑う弱者ばかり。あるいはしょうもない魔法を行使するブスだった。

 高貴な俺のお眼鏡にかなうような奴はいないと半ば諦めていた時に、そいつを見つけた。腐敗した大地で美しく咲き誇る一輪の花。そいつの仲間によればマリアンヌという女性を見て、俺は不覚にも興奮した。


 そいつは、美しかった。アヴァンギャルドのような掃きだめにいてはおかしいような美貌を有した、美魔女とでも呼ぶべき女に、俺は一目で魅了された。

 何としても彼女を捕らえたい。そしてあわよくば俺の物にしてやりたい――そう思って、俺は彼女を捕らえるために配下の呪術師を使うことにした。


 俺の呪術は、影を取りつかせた相手の能力を模倣した分身を作り出すこと。影をつけられた存在は、影が離れるまで眠りに落ち、俺の忠実な配下を作るための礎として眠り続ける。実体のない影たちは基本的に、物理攻撃のできない脅かし要因の無能だった。ただ、魔女や呪術師たちに影を憑依させた場合には話が変わってくる。魔女に影を取りつかせれば、影は憑依対象の魔力を使って魔法を使い、呪術師の場合もまた呪術を使う。影が使う魔法や呪術は、それらが魔力というおかしな力を根源としているからか、影が発動しても現実に影響を及ぼすことができた。


 俺は呪術師と魔女を死なせることなく、復活を繰り返す魔女や呪術師の影を戦いに送り込ませることができる。

 そして影は、闇であれば距離にかかわらず送り込むことができる。それもまた、俺の強みの一つだった。最も、影に命令を送ることができるのはある程度の距離に限るから、実質的に命令可能な範囲が俺の呪術の効果範囲ということだが。


 俺は影をつけて眠りにつけさせている呪術師の一人に近づく。

 俺の取っておきのそいつが可能とする呪術は、相手を魔物に問わない完全なる隷属。アヴァンギャルドの奴らの行動を縛っている婆の呪術には遠く及ばない、常にただ一人だけを身も心も支配することが可能な力だった。影を介してその呪術を使えば、対象は俺に隷属する。そうして俺は、隷属の呪術をマリアンヌという女に施すことに成功した。


 想定外は、マリアンヌが一時的とはいえ隷属の呪術に抵抗していることと、マリアンヌを騎士たちに運ばせようにも、彼女の仲間が邪魔をしてくることだった。派遣した騎士は全員あの男に殴り殺された。だからまずは男を殺すべく影を送って、いいところまで行っているはずだったのに、影がすべて破壊された。魔力を消費して影を生み出せばすぐに戦力は補充できるとはいえ、俺の完璧な術を容易く突破して見せた女に怒りを覚える――ことはなかった。


 それよりも、俺は激しい興奮を覚えていた。

 新たに戦いの場に現れた女は、驚くことに蘇生の魔法を使う魔女だった。残念ながら影によって半ば不死の兵隊を作れる俺にとっては無価値だが、不老不死にあこがれる国の豚どもはこぞって彼女を望むだろう。つまり、こいつを捕らえて国に連れ帰れば、俺の将来も安泰ということだ。ひょっとしたら、呪術師でありながら大臣にでもなれるかもしれない。


「クソ、さっさと倒れやがれッ」


 すぐに捕らえて未来を盤石なものにしよう――そう、思っているのに。

 蘇生魔法を使う女は、魔女とは思えない剣技で俺の影たちを翻弄した。気絶でもさせればそれで終了だろうに、女――ロクサナといったか?――は背後に目があるように動いて、俺の影たちの攻撃を躱す。


 さっさと捕まればいいのに、どうしてそうも足掻くのか、理解できなかった。いや、アヴァンギャルドという処刑地に放り込まれてなお生きてきた頭のおかしい奴だから、今もこうして負けを認めずに戦っているのだろう。さっさと倒れればいいのに、潔く負けを認めればいいのに、ロクサナは倒れない。


 強くこぶしを握って、同期した影の視界を共有しながら命令を下す。さっさとそいつを殺して、復活したところを縛り上げてしまえと。

 思うようにいかなくて、苛立ち交じりに膝を叩いて。


「さっさと死ねやッ」

「お前がな」


 聞こえるはずのない声が、聞こえた。今この場には、俺のほかには影をつけられて眠っている魔女たちしかいない。そのはずなのに、俺の耳は確かに一人の男の声を聞いた。そして、俺は男の声に聞き覚えがあった。

 慌てて背後を振り返って、俺は驚愕と動揺から椅子から転げ落ちた。くそ、無様な姿をさらす羽目になった。この男は極刑だ。


 膝が笑っているのを自覚しながら、たたきつけられる殺気にあらがうように俺はその人物を睨んだ。

 そこには、この場にいるはずのない男の姿があった。先ほどまで影を通して見ていた、マリアンヌの仲間であり、馴れ馴れしくもマリアンヌに触れる、滅ぼすべき対象。

 さえないひげ面の男がここにいる理由が、俺には理解できなかった。


 だって、ここは森の外なのだ。アヴァンギャルドの奴らは決して来ることのできない、魔物の領域の外、人間の世界だ。

 アヴァンギャルドの奴らを縛っている呪術師の婆が死んだという情報は、まだ入ってきていない。アヴァンギャルドの奴らを一刻も早く殺せという命令とともに来るはずの、あいつの死の知らせ。最重要事項である連絡が遅れるということは考えにくかった。


 いぶかしみながら観察をした。覇気のない、どこにでもいるようなおっさん。こんな奴が俺の物に触りやがったのかと思えば全身を憎悪が包み、恐怖はどこかに消えていった。

 影をこの場に呼び出すために影との魔力のパイプを強くつなぎながら、俺は時が来るのを待った。


 ふと、気づいた。よく見れば、その額には脂汗がにじんでいた。上気する頬と荒い息は、彼が想像を絶する痛みのただ中にあることを予感させた。それはつまり、あの婆がこいつらに施しているはずの、魂を切り裂くような廃人一直線の呪術の痛み。それを感じながら、こいつは俺の前に立っていて、言葉を発したということで。


「死ねッ」


 影を呼び出す。手持ちの中の最高の魔法を有する影が、あらかじめ発動直前までもっていっていた魔法を、発動しようとして――その頭部から縦に刃が通り抜けていく。


 ああ、本当にアヴァンギャルドは頭のおかしい奴らばかりだ――

 そう思いながら、俺は男が振りぬいた剣の美しい軌道を眺めた。その剣は、影を切り裂きながら俺の頭部に迫って。


 視界が、暗転した。

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