12戦闘準備
キルハの要求は、主に二つ。
一つは、魔物が魔力を蓄えている骨髄をできるだけ多く確保すること。そしてもう一つは、骨髄から魔力を取り出すために必要な特殊な薬液、その素材の採取だった。
魔物の討伐には、ディアンとアベル、そしてマリアンヌが向かうことになった。ディアンが斥候兼回避タンク、アベルが物理攻撃、マリアンヌが遠距離からの呪術による攻撃。変態二人と行動を共にしてくれと頼まれたマリアンヌは、この世の終わりのような顔をしていた。
最も、結局反論することはなく肩を落として戦いに向かったが。
そして私とキルハは薬液に必要な素材集めに向かうことになった。
どうして私がキルハの同行者に選ばれたのか、正直よくわからなかった。だって、私はこの集団の中で最もとがった力を持っていない存在だから。ディアンのような観察眼や未来予知に匹敵する相手の行動予測も、アベルのような物理攻撃力や耐久性も、マリアンヌのような汎用性や魔力感知能力も、そしてキルハのような知能や剣術の腕も持っていない。
あるのはただ、死ねないという魔法だけ。私を縛る呪いは、私に力を与えることはない。ただ、死ねないだけ。
あるいは、心折れるまで抗い続けることができるという意味では、私もそれなりに戦力になるだろう。もしくは、少なくとも敵の意表を突くという意味では役に立てる。
肉を切らせて骨を断つ戦闘方法の有効性は、よくわかっている。
私とディアンは、夜の森を進む。虫の鳴き声に紛れて、遠くから激しい戦闘音が響いていた。魔物は、基本的に眠らない。というより、少なくとも私は眠っている魔物というものを見たことがなかった。魔物という存在は、魔法を使うという点で他の生物とは一線を画した存在である。異端で、異常で、異形なのだ。
だから、およそ生物には必要不可欠な睡眠だって魔物は必要としないかもしれなかった。
つまり、睡眠が必要な上に暗視能力のあまり高くない人間にとって、夜というのはひどく不利な戦地だった。
とはいえ、いつ王国が私たちを皆殺しにしようと襲ってくるかわからず、私たちは眠ることなく準備を進める必要性があった。最も、たとえ休むようにと言われても、私は眠れる気がしなかった。正直、初めて魔物と戦った日の夜以上に、私の意識は冴えていた。死を感じている脳は私に眠るなと叫ぶ。ドラゴンとの戦いの後に軽く眠ったおかげか、だるさもなかった。
これから、かつてない厳しさの戦いが始まる。人間との戦いだ。どちらかといえば短絡的で、作戦などほとんど立てることのない魔物相手とはまた違う、相手の手の内を読みあう、戦争と呼ぶべき戦い。両陣営の人死には避けられない。私も、この手を再び人間の血で汚すことになるだろう。
そうわかっていて。けれどそれでも、私は生き残りたいから。少なくとも、王国にとらえられて拷問のような半死半生の日々を送るのは御免だから。私は、あるいは私たちの中の誰もよりも、王国の魔の手から逃れるために抗わなければならない。
そんなことを考えながら、私は暗闇の中で枝葉を伸ばす、特徴的な植物へと手を伸ばした。
「これ?」
「そう。できるだけ葉を傷つけないように回収を頼むよ」
キルハの肯定を受けて、私はその葉を茎から丁寧にちぎり取り、渡されていた袋に入れていく。うす暗い場所でもわかるその植物は、まるで天に伸びる槍のような姿をしていた。高くても五十センチメートルかそこら。膝上に届くかどうかといった長さのそれには、茎に巻き付くように葉が伸びていた。昼間は、この葉は茎から剥がれて太陽の日差しを精一杯受け取り、夜には魔物によって葉を傷つけられないように、葉を茎に巻き付ける、らしい。
進みながら説明を受けた際にキルハが話していたうろ覚えの内容では、そんな植物だった。
それから、年中実を付けているという小さなベリーのような果実を取り、つる植物の根を採取し、木の皮をはいで繊維を取って私とキルハは山を進んだ。
不思議と、魔物が襲ってくることはなかった。まるでこの場所が安全な里山のようにも思えて、私は自分の警戒が緩んでいることに恐怖した。なぜ、警戒が緩んでいるのか、それを考えて、キルハの背中を見て、気づく。
私の記憶にある限り、キルハと二人きりで活動するのはこれが初めてのことだった。魔物の襲撃なく、ただ二人で採取をする。それはひょっとしたら、デートと呼んでもいいかもしれない。つまり、私は浮かれていた。
浮かれていて、それをキルハに悟られないように気を付けながら、私は森を進んだ。
多分、キルハも少し普段とは違った。私の知る限り、キルハの歩幅はもっと早くて、けれど採取対象を探しながらとはいえ、キルハは私の歩みに合わせるように森を進んでいた。その気遣いが、やや憎らしくもあった。足手纏いになっていると言外に告げられているように思えて、私はきつく唇を噛んだ。
無言の時間が満ちる。居心地の悪い空気に、私はたまらず口を開いた。
「……本当に魔物が出ないね」
「多分、僕たちを襲った呪術師が、ここらに生息していた魔物を使役したんじゃないかな。それによって魔物の生息域に穴が開いたんだと思う」
なるほど、どれだけの魔物がキルハたちアヴァンギャルドの精鋭部隊を襲ったか私は知らないけれど、八人もの精鋭が亡くなるほどの襲撃の規模だったことを思えば、ここら一帯の魔物が姿を消しているのも納得できる話だった。あるいは、次なる襲撃の準備として、呪術師たちが周囲の魔物を軒並み使役してしまっているということも考えられた。
魔物の使役。どういうわけか、その力を使える呪術師たちは多い。たいていの魔女、あるいは呪術師は、基本的に一人一つの奇跡を行使する。
私の場合は自己蘇生の魔法。マリアンヌは……そういえば、マリアンヌは呪術師の中でもかなり異端だ。生物の体を燃やす呪術を行使することは知っているけれど、ほかにも自分の肉体を強化するなど、術の幅が広い。
まあ、私のように、基本的に魔女は一つの奇跡を行使するが、中でも魔物に関する呪術を使う者の割合は多いのだという。
魔物の使役、支配、洗脳――まるで、それが魔女の本来のあるべき形だというように、魔物を手足のように操る呪術師は多い、らしい。
風が吹く。聞こえてきていた戦闘の音は、聞こえなくなっていた。
キルハたちを襲った呪術師の活動によって、付近の魔物たちの数は激減していて、魔物同士の戦いの機会も減っているのだろう。
これは、嵐の前の静けさに包まれているということだろうか。私たちと王国との戦いを待つように、森は静まり返っていた。
それは、ある意味で私たちにとって好都合だった。時間がない状態で魔物との戦闘に時間を取られないというのは非常に重要だった。
キルハはまるで目的地を知っているように、迷いのない足取りで一直線に森を進んでいた。
やがて、私たちの視界の先に、うっすらと明かりが見え始めた。それは、月の光の届かない、うっそうと茂る森の枝葉の先にあった。
茂みの先から、純白の光が漏れていた。月の光とは違う、あたたかな、けれどどこか冷たい印象もある光。
光のもとへと、キルハはためらうことなく足を踏み入れる。
「着いたよ」
そこが、キルハが目指していた場所らしかった。私もキルハの後に続いて、枝をかき分けて光のほうへと進み出て、息をのんだ。
そこには、美しく咲き誇る花畑があった。淡い純白の光を放つは、真っ白な百合。気高くも甘い香りが、風に乗って漂い、私の鼻腔をくすぐった。広がる花畑は、その静謐な空気から、侵してはならない聖域のようにすら思えた。
「これは?」
「セイントリリーだね。魔力を糧に育つ、奇跡の花だよ」
いつくしむようにその花弁に触れながら、キルハがすっと目を細める。その目は、私の知らないものだった。何か、大切なものを思い出しているような目。その目を私に向けてほしい――心の奥底からせりあがった感情を、私は必死に抑え込んだ。喉までせりあがった言葉は、けれどキルハの小さなため息とともに、声にならない吐息となって私の口から零れ落ちた。
「これが骨髄から魔力を移すための薬液の、核となる成分を含んでいるんだよ。まあ、この花が希少なせいもあって、魔具の製造難易度が上がってしまっているんだけれどね」
「希少なの?」
「そうだよ。この花は、一定以上の魔力がある場所でないと咲かないんだ。そして、人間社会にそんな場所はない。つまり、この花は魔力を生み出す魔物たちが跋扈する森の奥にしか咲いていない、人間社会では本当に珍しい植物なんだよ」
言いながら、キルハは花弁の一つを摘む。その花は、やっぱりぼんやりと光りながら、キルハの手の中に納まった。
「そのうえ、貴重な成分のほとんどは一日もすれば光となって消えて行ってしまうんだよ。つまり、危険な森の中で成分を取り出す必要があるんだ。このあたりの知識と抽出技術がないと、魔具を作るのは無理なんだ。大量生産は……よほどのことがないと不可能かな」
よほどのこととは、例えば全人類が魔力を手にした世界の到来とかだろうか。
人類全員が魔力を生み出し、魔力を使うようになれば、魔法や呪術の際にうまく使えなかった余剰魔力が大気中に放出されて、人間社会における大気の魔力濃度も上昇するだろう。そうすれば、魔具は人類社会に浸透して、人々はついには魔物という脅威から解放される未来を手にするかもしれない。
まあ、皆が魔法を使えるようになった時点で、魔具などなくとも魔物はそれほど脅威ではないかもしれない。
キルハが生み出したという魔具が、もっと多くの人の手に広がり、さらには武器としてではなく、生活をより便利に、快適にするような道具になればいいのにと思った。
魔具の専門家でもなんでもない私は、恥ずかしくてそんなことをキルハに言うことはできなかったけれど。
そうして、私は美しい光景を傷つけることにためらいながら、咲き誇るセイントリリーを採取していった。花弁を摘むたびに、甘い香りが漂った。まるで星をつかんでいるようで、私は楽しくなって袋がはちきれそうになるまで採取を続けた。
それだけ取っても白い星の海のような花畑はほとんど面積を狭めることなくそこにあり続けていた。
森の一角に、区切られたように踏み荒らされることなく咲き誇る花々。魔物たちも、この花畑をいつくしみ、傷つけないようにしているのだろうか。
「それそろ十分だよ」
さらに花を摘もうとしていた私に制止の声を投げかけて、キルハが腰を上げる。ずっと中腰を続けていたせいで凝り固まった腰を伸ばしてから、私は袋を担いでキルハの方へと駆け寄った。
「他の材料は足りているの?」
「だいたいはね。とはいえ多いに越したことはないから、帰りの道でも頼むよ」
キルハに言われていた採取物の情報を思い返しながら、私は強くうなずいた。
ふと、足を止める。まるで私のことを呼ぶように、背後から強い風が吹いて、むせかえるような甘い匂いが私に降り注いだ。
振り向いた先。相変わらず淡く光り輝く花々は、何を語るというわけでもなく、ただそこに咲いていた。
「……また、見れたらいいね」
「……そうだね。いつか、また」
そんな、おそらくは叶わないだろう約束をして、私とキルハは美しい花園を後にした。
後ろ髪をひかれる思いを振り切って、私は近づく戦いを思いながら決意を固めた。
約束を、約束のままで終わらせないために。キルハともう一度、美しい花畑を見るために。
約束を確認するように、胸にあてた手をぎゅっと握った。その手の中には、不思議な温かさがあった。
私とキルハは魔具の素材採取中心で行動していたが、活動はそれだけにとどまらなかった。第二の目的は、食料採取。今後戦いが続く中でまともな食事を手に入れることができるかわからない以上、戦い続けられるだけの十分な食料と、そして水分を手に入れることは急務だった。
魔物が一度も襲ってこなかったということもあり、時間に余裕があった私とキルハは、少しだけ遠回りをしてとある樹木の下に来ていた。
命の樹。誰が名付けたか知らないが、森に生きる者にとってはまさしく救いの樹であるそれは、年中無数の木の実が生っている植物である。命の実と呼ばれる赤い実は、とても固い殻に覆われているが、中には質量を無視するほどの大量の水が含まれている。「水の実」ともいわれるその果実は、殻の中に守られている腐りにくい果肉が水を多量に含んでおり、果肉を食べることによって水分補給を可能とする、森の水筒のような存在だった。果肉はただの水に等しい味のなさだが、それでも殻によって大気に触れずにある水は腐りにくく、なおかつ容易に持ち運べるという点で、アヴァンギャルドにおいても大層重宝されている。
そんな果実をやっぱり袋いっぱいに採取して、私とキルハはアヴァンギャルドの拠点周辺に戻った。
うっすらと視界が白みだしていた。虫の鳴き声をかき消すように、鳥たちが朝を告げる。遥か遠く、西の大地では魔物の戦闘音や咆哮が響いていたが、近くの森は実に穏やかだった。
枝葉の切れ間から差し込む光が、目に飛び込んできた。
「もう朝だね」
「ああ。直ぐにでも作製に取り掛かるよ。ここからは専門的な作業ばかりだから、ロクサナは戦いのために休んでいてくれていいよ」
そういわれては、私も手伝うとは言いにくかった。手伝ってもそれほど役に立てないどころか邪魔になりかねない以上、役割分担が必要だった。アベルたちはまだ帰還しておらず、キルハはアベルが滝行をしていた近くの川辺で早速採取してきた採取物を洗い始めた。
私は近くの木陰に移動して、幹にもたれてぼんやりとキルハの背中を眺めた。
昔のことを、思い出した。熱でうなされる中、摘んできた薬草の根の泥を洗い流し、せっせとすりおろす父の背中が、キルハの後ろ姿に重なった。
私は、キルハに父性を求めているのだろうか。
そう思うと何となく心が落ち着いて、私は徹夜の疲労もあってすぐに目を閉じて浅い眠りについた。




