1開拓戦線
新作始めます。
この作品は不定期更新です。できるだけ間隔を開けずに更新を続けます。
アヴァンギャルド。
それは移動小隊として未開の土地に進出する前衛部隊であり、人類の生存圏を広げるための開拓者集団――というのが、表向きに飾った説明。
その実態は、未知の凶悪な魔物――魔力という神秘の力を操る怪物――が跋扈する危険地帯の最前線に犯罪者たちを送り込んで人類に貢献させる、人的資源の有効利用と犯罪者の処分という一石二鳥な組織だ。
アヴァンギャルドに投下される人員のほとんどは、社会不適合者たちだ。二桁どころか三桁に上りそうなほど殺戮を繰り返した男、人体実験の果てに複数の人間をパッチワークのように繋げあげて阿修羅のような怪物を作り出した狂気の医者、横領と散財を繰り返して領を破滅させた貴族、自分よりも美しいものが気に食わないからと美女に酸を浴びせて回った女。
そして、人の身でありながら魔法という奇跡の力を操れる怪物である「魔女」たち。
私は、そんな魔女の一人として捕らえられてアヴァンギャルドに所属させられることとなった。魔力とは、大気中に微弱に存在し、魔物という特異な生物たちが体内に有するエネルギーである。肉体に宿った魔力は、宿主に特異な力を与える。それは魔女によってさまざまで、私は中でも狂気の魔女として死を求められる魔法を有していた。
魔女として私が司る力は、遡行。私が魔力という異常な力を手にしてしまったその瞬間に肉体の時間が巻き戻り、副作用として記憶の一部を失うというもの。
つまり、私は死ねなかった。正確には、死ぬと自分の時間が戻るのだ。私が魔力を手にした、魔女としての覚醒の瞬間に。
私は半分ほど不老であり、不死身であり、化け物だった。人類という枠組みから足を踏み外した私には、もはやアヴァンギャルド以外の居場所はなかった。
最も、魔物と激しい戦いを繰り広げることになる厳しいこの場所から逃げようにも逃げることはできないが。国王に忠誠を誓った魔女――その中でも呪術師と呼ばれる、他者に直接魔法で影響を及ぼす魔女。人相手に「契約」という奇跡を行使する者に、アヴァンギャルドの構成員は術を掛けられている。
もし逃亡しようとしたら、死すら生ぬるい地獄の痛みが襲いかかるという。
私は怖くて試したことがない。アヴァンギャルドの一員である痛みを好む男はかつてない快感を覚える激痛だと評していたから、絶対に経験したくない。
そんな痛みに縛られ、死ぬこともできず、私は今日もアヴァンギャルドという組織の中で魔物と戦い続けていた。
「おーい、ロクサナ。そっちは終わったか?」
噂をすれば、痛みを好む男であるアベルが私を呼ぶ声が聞こえた。むせ返るような生臭さの中、頬にこびりついていた体液を拭う。足元でうごめいていた植物型魔物を仕留めながら私は声のほうへと振り返った。
深緑の茂みの先から現れたのは、山賊と見紛うひげ面の男。くすんだ金髪は、かつては黄金のようなきらめきを放っていたらしいが、今では見る影もない。危険な人類生存圏外だというにも関わらず、アベルの両手には武器の一つもない。そして当然のことのように、その身は防具で守られているわけでもなく、魔物の爪痕と思しき三本の裂傷がアベルの胸元の服を切り裂いていた。
そこに、血は見えない。これもいつものことだった。最も、破れた衣服の奥には、無数の古傷がのぞいていたけれど。
痛みをこよなく愛するアベルは、いつも防具なしで魔物に突撃して行っていた。そんなおかしな活動を続け、そして奇跡的に生き残って来たアベルは、気づけば大半の魔物の攻撃で傷を負うことのない化け物へと至っていた。
アヴァンギャルドで一か月も生き抜けば、大抵の者は化け物へと至る。多分、私もそうだ。多少の痛みでは気が逸れることもなくなり、剣の腕も上達した。何より、死への恐怖心が薄れたことによって、肉を切らせて骨を断つような攻撃が可能になり、その一手が、異形の怪物とは言え生命体として死に恐怖する感情がある魔物との戦いの中、相手より先に自分の攻撃を届かせる武器となった。
私は、強くなった。強くなって、そしてあるいは、弱くなった。
戦う意味を見いだせず、人類の生存圏拡大のために戦うという理由もわからず、その体の内で煮えくり返っていた怒りといった感情をそぎ落とされてしまった私は、多分人間として欠落した存在になった。
守るべきものを持たず、目指すべき未来を失って、私の剣は少しずつ鈍っている。
――私も、あと少しで先達たちのように魔物に食われて死ぬのだろうか。
死ねない私の夢想には何の意味もなかった。
遠くから魔物の遠吠えが聞こえた。あるいはそれは、魔物たちの断末魔だったかもしれない。今日は誰も欠けることなく一日が終わるだろうか。多分、そんなことはないだろう。
途切れることなく補給要員という名目の追放者が入って来るアヴァンギャルドの構成員の中には、戦闘経験皆無な者や、アヴァンギャルドに入れられた「犯罪者」たちを殺すことに価値を見出す狂気の者もいる。人間か、魔物か。どちらかの毒牙にかかることなく全員が翌日を迎えることなど、奇跡に等しかった。
発展のない世界、戦争はなく、けれど魔物という目に見える脅威に怯える、精神的な安らぎのない日常。狂った人間は数え切れず、凶悪な犯罪者が、あるいは不安のはけ口として魔女だと疎まれて排斥される者がいなくなることはない。
魔女として囚われ、戦地に放り込まれた私のように。
「こっちは終わったよ、アベル。また前みたいに痛みを感じるためだとか言って、小さな魔物の踊り食いとかしてないよね?いくらあなたでも内臓は鍛えられないよ?」
アベルは、私とは違って――というよりはアヴァンギャルドのおよそ全ての者とは違って、自ら志願してこの危険極まりない人類最前線にやって来た人間だという。本来は受けなくてもいい呪術師の力をわざわざその身に受け、自ら望んで魔物との激闘に踏み込んで来た人間が、アベルという特異な存在だった。アベルのような例外として他にいるのは、人類の進歩に夢見て、初戦で死人になる現実を見ることのできない正義という名の蛮勇を持つ若者くらいだった。そんな者は、大抵初戦で死ぬ。痛みにやられて、絶望的な現実を知って、心折れて死ぬのだ。威勢のいい彼らが死んだ翌日は空気がわずかに重くなって嫌いだった。
アベルは自分のことを自分で決めて、わき目もふらずに走っていく。
自分の性癖にどこまでも一直線なアベルが、ほんの少しだけうらやましく思えて。けれど私はアベルのように変態じゃないと、そう言い聞かせるように首を強く横に振った。きょとんと不思議そうに首をひねったアベルは、流石に懲りたって、と腹をさすりながらぼやいた。
どうやら今日は魔物を食らって体内を蹂躙される気はないらしかった。
思い出すのは、深夜に突然響き渡ったアベルの悲鳴。最初、絹をつんざくようなその声が誰のものか、アヴァンギャルドの全員が分からなかった。姿の見えない者が誰かを確認して、地面の上でのたうち回って苦しむアベルの姿を見つけて、ようやく私たちは悲鳴の主がアベルであると理解した。理解して、そして。ほぼ全員が得物から手を離し、白けたとばかりに目をこすったりあくびをしたりしながら眠りに戻っていった。どうせしょうもないことをしでかしたのだろうというのが、奇人変人の坩堝の中では比較的常識人な者たちの考えだった。
うめくアベルの元に残ったのは、私ともう一人、違法な薬の研究を果てに多くの患者を臨床試験で殺した狂気の薬屋である女性だけだった。多分アベルに気があった彼女は、アベルの背中をさすりながらどうしたのかと尋ね続けた。
そして、「魔物を食ってみた」と告げたアベルを見て動きを止めたのだ。盛大なため息を一つ、その女性は吐き出した。アベルの背中をさすっていた手の動きは止まっていた。
どうしてあたしはこんな奴を心配したんだろうね――そうぼやきながら、彼女は虫下しの薬をアベルの口にねじ込んだ。
脂汗を浮かべていたアベルは、それからしばらくして勢いよく立ち上がって、痛みとは別種の焦りをにじませて茂みの方へと消えて、十分ほどたってからつやつやした顔で戻って来た。
意外と悪くない痛みだった。中毒になりそうだ――そうこぼしたアベルを、彼女はひっぱたいた。
感情的にアベルに叫びながら涙を流していた彼女の顔が、思い浮かんだ。その顔は、すぐに血まみれの、焦点の合わない顔へと移り変わる。彼女の最期を看取ったのは、私だった。
アベルがこっそり行っていた魔物の踊り食いをしなくなったのも、彼女が死んでからだった。
感傷が心を満たしていく――ことはなかった。穴の開いたガラスに水がたまることはない。それと同じように、心が壊れた私たちは、正常な感情を抱き続けることも、誰かの死を強く悼むこともできない。
私たちは感情をそぎ落とし、あるいは余計な感情を切り離すことで生き抜いて来た、壊れた人間たちだから。
そんな化け物の代表である私とアベルは、食べられそうな魔物を見極めながら、死体を担いで拠点へと向かった。