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紙飛行機は未来のあなたへ

作者: 今野ひなた

「お姫様を諦めなくてもいいよ」

 彼のその一行に私はどれだけ救われただろう。ずっと、ずっと心の中に沈んでいた重石が砕けた気がした。そのくらい、衝撃的で、初めて神に感謝した。

 クソッタレな人生でした。ですが神様、この人に、彼に出逢わせてくれてありがとうございます。私は貴方の事を恨むのを金輪際やめます。そう思った。少なくともその時は。

 それから三ヶ月後、彼が自殺していた事を知った。一年三ヶ月前の話だ。何の縁だろう、私が彼と出会ったのは、彼の一周忌だった。私が安心して世界に存在していたのは、僅か三ヶ月だけだったのだ。

 世界を呪った。どうして私を彼と出会わせてくれなかったのですか。どうして彼に最後まで小説を書かせなかったのですか。どうして、アンチには彼と接触させる権利を与えたくせに、私にはアンチに悩んでいた彼に何かを言ってあげる権利すら与えてくれなかったのですか。

 遺作を読んで、彼のブログを読んで、彼が考えていた次作の構想を知った。私はその時、倫理観を捨てた。盗作することにしたのだ。彼の本当の遺作は私が書き上げなければならない。私は珍しくやる気に満ち溢れていた。新人賞投稿歴無し。無謀な戦いだと言うのは分かっている。それでも、倫理が許さなくても、やらなければならないと思った。

 だが、うまくいかない。一ページ以上、筆が進まない。次の目当ての賞の締め切りまであと半月。私は追い込まれていた。

 そんな時だ、彼が家に来たのは。

「ぴぃ」

「え、これ何?」

「鳥。いらなくなったからあげる」

 そう言ったのは私の唯一の身内の姉であった。私が性的に問題を抱えているのであれば、彼女は人格的に問題がある。大方、ペットを飼ったものの、飽きたから押し付けてきたのだろう。

「いらなくなったからって……」

「一緒になる彼氏の家ペット不可なの。病気あるから多分長生きはしない。よろしく」

 そう言って彼女は私の家を出て行った。

「……俺、動物苦手なんだけど」

 だが仕方がない。引き取り先はネットからでも知り合いからでも探すとして、しばらくはこの鳥と暮らしていかなければいけなくなったわけだ。一緒に暮らしていくからには名前が必要だろう。

「名前……何がいいかな……」

「金沢未来」

「へ?」

「僕の名前だよ。ぴぃ」

 辺りを見渡す。勿論、私の部屋には私と鳥以外居ない。ペットの鳥が教えた言葉を話す、という事は聞いたことがあるが、こんな意思疎通まで出来るのだろうか? あまりの不思議体験にぽかんとしといると、鳥は籠を上手く自分で開けて、私の執筆途中の原稿用紙の上に止まった。

「きみは小説を書くのかい?」

「あっ!ちょ……、原稿汚れるっ!」

「奇遇だね。僕も小説を書いてたんだ」

 意思疎通が出来る上に自由に日本語を操る頭の良い鳥に、私は啄まれるのが怖くて触ることができなかった。自然とそのまま鳥の話を聞く形になってしまう。

「十代でデビューしたから有名だったんだ。アンチしかいなかったけどね。単行本一冊しか出してない。知らないか、本名そのまま、金沢未来と言う名前で書いていて」

「……書いてたのって『あべこべショウタイム』ってやつ?」

「そう! あぁ、畜生に生まれ変わって終わったって思ったけど、良いことあるね」

 金沢未来は、死んだ彼の名前だ。

 私を救って、会わずに死んだ憧れの人の名前。『あべこべショウタイム』は彼の著作だ。それをどうしてこの鳥が知っている?

 まさか、「これ」があの人だと言うのか?

 あの人の、生まれ変わりだとでも?

「……鳥と意思疎通が出来ている時点で、俺は自分の正気を疑っているけど、金沢先生の生まれ変わりがキミだと言いたいの?」

 そう言うと、鳥はこくんと頷く。

「生まれ変わりなんて本当にあるんだって僕が一番実感しているよ」

「姉さんに話せる事ばらさなかったのは何故? あの人そんなこと知ったら可愛がると思うけど。キミだって男より可愛い女の方がいいでしょう?」

「残念ながら僕はゲイだ。きみのお姉さんには何も思わない。どちらかと言うとガテン系の彼氏さんの方が好みで、必死に求婚アピールしたな。鳥らしく」

 原稿用紙からトテトテと離れる。よかった、足跡は残らなかったらしい。そんなことは梅雨知らず、鳥は言う。

「『スキ!ケッコンシテ!』なーんて言ったらお姉さん引いた顔してたよ。僕を置いて行ったのはそれもあるかもね」

「……金沢先生もゲイだった」

「だから僕は金沢未来の生まれ変わりなんだって」

 だとしたら、本当に何という縁なのだろう。私はまた一瞬、神を少しだけ信じた。

「……本当に金沢先生なら証拠が欲しい」

「証拠?」

「……次作のオチは、なんなんですか?」

 ブログには、こんな話が書きたいと綴ってあった。中世ヨーロッパの様な世界に迷い込んでしまった記憶喪失の小学生が、いろんな人と出会って自分の目的がなんなのか探す話が書きたい、と。現在私が執筆しているのはその作品だ。だけども、作品の手がかりはそれだけ。登場人物の名前すらわからないのだから、オチなんかわかるわけがない。本当に彼が金沢未来なら、オチを、いやもう口述筆記で良い。続きを書いてもらおうと思った。が、彼の口から出たのは肩が落ちる様な言葉だった。

「そんなの、決まってるわけないじゃない」

 ケロリとした表情で彼は続ける。

「僕が自殺したのは構想すら曖昧な時だよ? 仮に決まってたとしても、鬱状態の時に考えた話だ。採用したくないね。それよか、その話はきみが引き継いでくれているんだろう? なら、きみにオチも任せたいな」

 コツコツと嘴で彼は原稿を突いた。——驚いた。あんな数行で自分の作品が元だとわかるのか。やはり、先生は天才だ。もしくは私が盗作だとすぐに分かってしまう様な文章を書いてしまっているのか。

「……怒らないんですか? 俺のやっていることは盗作ですよ」

 私は彼にそう聞いた。彼はキョトンと言う顔をした後、ぴぃぴぃと鳴いた。

「怒ったりはしないさ、だって金沢未来はもう死んでいる。正規の内容は飛び降り自殺した時に霧散した。それに筆者が違えば内容だってまるきり違う、それはきみの物語だよ」

 そうか、と納得すると共に絶望した。もう先生の物語は読めないのか。口述筆記は――……この調子だと無理だろう。彼はいつの間にか、楽しそうにパタパタと飛んでいるし文芸の世界には戻ってきてくれなさそうだ。

「む」

「どうしました、先生」

 彼はもう一度、机の上に降り立った。

「三点リーダーが、連続していない……?」

「え」

「キミ、もしかして小説を書くのは初めて」

「まあ、はい」

 彼はぴっ、と驚いたようにひとつ鳴く。

「小説を読まないのかい⁉」

「読むに決まってるじゃないですか」

「それなら賞に送る前に小説の基本を知った方がいい……」

 それから、彼は小説の基本のキを丁寧に教えてくれた。彼の話を聞く時間が長くなるほどに私は恥ずかしさを覚えた。私は基本すらできていなかったらしい。

「僕の後を継ぐならせめて一次審査は通ってくれよ」

「継ぐなんて。俺は先生の事が好きなだけです」

「好き?」

「ええ、先生に救われたんです」

 お姫様になりたかった。誰かに迎えにきてもらって、愛されて、幸せになりたかった。だけど私は男で、逆側で。小さな頃から絶望していた。幼稚園の時に将来の夢はお姫様と言ったら先生に怒られたのを覚えている。男の子はお姫様にはなれないのよ。それから父親と母親が離婚して、母親に引き取られて、二年前に母は自殺した。だから今は姉だけが身内だ。孫を見せなければいけないという責務は無くなって、ゲイの私は肩の荷が降りたような感じがしたけれど、それでも世間的には許されないよな、と恋人もつくらずに生きていた。そんな時だった。先生の本に出会ったのは。

「お姫様を諦めなくてもいいよ」

 諦めなくていいんだ、と涙が出た。私は、私でいいんだと肯定できた。「俺」じゃなくていいんだと。先生の本に出会わなかったらきっと絶望したまま人生を終えていた。

「いつか先生のように誰かの人生を変えるような話を書きたかったんです。まあ、まだ一作も書いてないんですけど」

「物書き冥利に尽きるね。それを早く言ってくれれば僕は死ななかったのに」

「それはすみません」

「……いや、どうかな。アンチの声の方が目立つからどちらにせよ変わらなかったかも。すまない」

 彼は小さな頭を僕に下げた。

「謝るなら俺に小説を教えてください」

私は笑ってそう答える。彼はその返答にホッとした顔をした。

「任せてくれ」

そうして、一作短編が出来た。先生の書いた一文から作った、先生曰く「私の」物語だ。

 原稿用紙の誤字脱字をチェックして、十分に推敲し、丁寧にクリップで留め、原稿用紙を封筒に入れて祈るようにポストに入れた。

(通りますように、通りますように……)

 郵便局から帰ってくると、先生がフルーツを食べながら待っていた。

「自信は?」

「書きたいものは書けたとは思います。先生が見てくれたし、そう思わないと失礼です」

「いい結果が出るといいね」

 それから数ヶ月が経って、結果はあまりにもあっけなく発表された。私の作品の名前は受賞作の欄には無かった。あともう一歩の作品の欄にも無かった。

 つまり、私は落ちた。

 サイトを確認した時、愕然とした。受からなかった。今回落ちるわけにはいかなかったのに。鳥籠から先生が元気を出せと声をかけてくれた。だけど私はその言葉を受け入れられなかった。

「先生の作品に泥を塗った!」

「きみがそんなに気に病む事はない。金沢未来は死んでいる。作品はもう出ない」

「でも、アレは先生と一緒に作った物です。俺だけの作品じゃないんです……!」

 確かに、もう先生は死んでいるし、次作は出ない。ペンネームだって私は「金沢未来」として出していない。だけど、先生と二人三脚で作ったものだった。だから、余計に落ちるわけにはいかなかった。

「……ごめんなさい」

 先生は皆に認められなければいけなかった。その言葉に彼は呆れたように答える。

「きみは勘違いをしているよ」

 ぴぃ、と彼は鳴いた。

「金沢未来の事を何も知らないのに勝手に神聖視しないでくれ」

「神聖視しますよ。神様なんです。だから俺は貴方の事ならなんでも調べました」

「例えば?」

「誕生日から好きな映画監督や出身地……、ブログも全部読みました! 雑誌のインタビューだって……。作家である先生の事は知らないことなんてありません!」

「で?」

「で、って……」

「それは作家である僕の話だろ? 一人の人間としての僕の事は何も知らないはずだ」

 一人の人間としての。

 確かにそうだ。私は彼の何を知っている? ブログは暗唱出来るほど読んだ。インタビューも雑誌がぼろぼろになるまで読んだ。それでも、作家でない彼のことは何も知らない。

「面白いものを見せてあげるよ」

 そうして後日、連れてこられたのは電車で一本の隣県、駅からタクシーで数分のマンションだった。鳥の身体ではなんて事ないお出かけも負担だったようで、彼は元気がない。

「僕の家。中学の頃の文芸部の後輩で、線香上げたいだとか言って入れてもらって」

「先生の家⁉」

「今なら親居るから」

 震える指で彼の言う通りインターホンを押す。すると直ぐに男性の声がした。

「はい」

「あの、金沢未来さんの知り合いなのですが、線香を上げさせていただきたく……」

「ああ、わかりました」

 扉を開けてくれたのは初老の男性だった。恐らく、この人がお父様なのだろう。

「鳥」

「ぴぃ」

 男性は彼を見て目を丸くした。そりゃそうだ、いきなり現れた男が鳥を持ってきたら何事だと思うだろう。どうしたものか、考えていると男性は朗らかに笑った。

「あの子は鳥が好きだったんです。見せにきてくれたんですね」

「え、ええ……」

「どうぞ」

 ありがたい勘違いに甘えて、そのまま上がらせてもらう。家の中はシンプルで、逆に言えば必要最低限以外の家具が何もなかった。

「仏壇はこっちです」

「は、はい!」

 通された仏間の写真に私は初めて彼の姿を見た。思っていたより幼い顔つきで、栗色のショートヘアを揺らし、制服を着て笑っている。隣に誰かいるようだが、遺影用に切り取られているようだ。どこからどう見ても美青年。この人が金沢先生なのか。

「未来とはどんな関係なんですか?」

「えっと……、中学時代の文芸部での後輩です。しばらく県外に居たんですが、この度こっちに帰ってきて人づてに、その、先輩が一年以上前に自殺したのを」

 彼に事前に言われた設定を口に出す。実際に仲のいい後輩は居たらしい。その男のフリをしろと言われていた。それが一番疑われないと。確かに先生は高校を中退して、大学にも行っていないからその通りなのだが。

「未来が死んでからもうそんなに……」

 線香をあげる横でお父様が呟いた。なんと言っていいか分からず、私は微妙な顔しかできなかった。ご愁傷様です、そう言おうとした時だった。

「もう見にくる人も居ないだろうし、片付けていいかな」

「——え?」

 一瞬、彼が言った事が分からなかった。

「再婚して引っ越す予定なんだ。仏壇も処分するよ。キミ、片見分けって事で何か欲しいものがあるなら持っていいからね」

「……は?」

「やっと色々終わったと思ったけど、死んでも大変なことはあるんだね」

 さあさ、と廊下の先にある部屋に通される。そこは可愛らしい装飾がされた部屋だった。ブログに載せていたから間違いない。金沢先生の部屋だ。

「死んでからそのままにしてるんだ。なんでも持っていっていいからね」

 そう言ってお父様は部屋を去った。先生はそれを見届けると、ふうとため息をつく。

「金沢未来はキミが思ってるようなすごい人じゃないんだよ。実際は実の親の期待にも応えられない出来損ないだ」

「……なんで」

「一人息子がゲイで不登校で自殺なんて親としては良い感情は持たないだろう」

「……そんなの、先生の勝手じゃ」

 本当にそうだろうか? 自分が何のしがらみもない立場にいるからそんなことが言えるんじゃないか? 私には親がいない。将来も、子供も、未来も期待されていない。そんな自分と、未来を期待されていた彼は同列に語れないのではないか?

「ま、父さんもああ言ってるんだ。欲しいものがあったらなんでも持っていってくれ」

「悲しくならないんですか、あんなこと言われて」

「死んでるからなあ。僕はあの人が幸せならなんでもいいよ」

 彼はそう言うと籠の中のブランコで遊び始めた。

「作家としての金沢未来は十代でデビューした立派な人間かもしれない。だけど実際の金沢未来個人はこんなもんだ。親の期待に満足に答えられずにアンチの声や人生の不安に負けて自殺した。父さんには迷惑かけたよ。だから、僕の事なんて嫌いになっちゃったのかもね」

「人生に不安なんてあるんですか、貴方が」

「そ、ゲイだったとかね」

 そんなに、「それ」はいけない事なのだろうか。私達は、そんなに許されない存在なんだろうか。

「俺は、先生の本に出会うまでちゃんと女の子が好きな普通の男の子であろうとしたんです。無理して。でも、先生の小説を読んで、自分を偽らなくていいんだって思えました。先生は許されなかったんですか」

「……僕は本の中でしか主張できなかったんだ。一人っ子の責任があったから」

 本棚に残された見本誌らしき本を取り出す。『あべこべショウタイム』身体は男で、心も男だけど、それでもお姫様の様に誰かに、王子様に愛されたかった男の子のお話。この本に最初に出会った時、どれだけ救われただろう。自分の心の内を代弁してくれた様で、やっと自分の気持ちがわかって。それでようやく、ゲイとして生きる覚悟が出来た。

「先生、これ貰っていいですか?」

「見本誌? そんなのいくらでも持っていっていいよ」

「サインもください」

「……この身体で上手く書けるかな」

 先生は嘴にサインペンを挟んでガタガタの線のサインを書いてくれた。金沢未来という作家は決して売れていたわけではない。だからサイン会なんてものもなくて。

「もしかしてこれが初サインだったりします⁉」

 興奮混じりにそう聞くと先生は笑った。

「そうだね、一回目だ」

 私は件の本の見本誌だけ頂いて彼の実家から出ていった。お父様から「また来てね」は言われなかった。きっと数ヶ月後にはこの部屋は空き家になっている事だろう。

「幻滅したでしょ」

「何がですか?」

「憧れの作家が問題児だったとか」

「しませんよ。悲しいのは、なんで貴方にもっと早く出会えなかったのか、それだけ」

 きっと、もっと早く出会っていれば自殺を止められたのかもしれない。そう思うとやりきれない。

「変なの。皆、僕の本性知ったら引くか距離置くのに」

「なら、俺は貴方の言う通り先生を神聖視してるんでしょうね。信仰しているものを嫌いになるわけがない」

「現実の金沢未来を知っても?」

「貴方の文章は貴方の本心でしょう? なら、俺は貴方を嫌いになりませんよ。だって確かに、貴方の本心で俺は救われたんですから」

 辺りは暗く、私たちは会話を続けた。一人で話す男。傍から見れば基地外だ。

「それをもう少し早く聞きたかったな」

「……そうですね、俺ももっと早く出会いたかった」

「あはは、早まったなあ」

 まあ、金沢未来は死んだから、もう何もできない。そう、諦めた様に彼は言う。

「きみみたいに励ましてくれた人もいたんだ。でも僕はその声に耳を傾けなかった。アンチばかり気にして周りなんて見てもいなかった」

誰も信じられない、どのコメントも裏であざ笑ってると疑心暗鬼になってた、そう彼は後悔するように言い、「でも」と続けた。

「僕はきみと出会って満足したよ」

「満足?」

彼はブランコから飛び降りると真っ直ぐとした瞳で私を見る。

「世界に嫌われた人生だと思ってた。でも、僕を忘れずに、本当に愛していてくれた人がたった一人でもいたことが知れた」

「それだけで十分だ」彼はそう言うと目を瞑る。

「……少し疲れたようだ。僕は寝るよ」

「はい、おやすみなさい」

「おやすみ。……ありがとうね」

 それが最後だった。

「先生……?」

 帰宅した時、彼はベッドに横になっていた。声をかけても起きない。帰ってから何時間経っても起きてこなかった。不思議に思った私は、無理矢理彼に触れるために鳥用に吊るされたベッドに恐る恐る手を入れた。

「先生」

 大切な人を失うのは二回目だった。


 どうやら世界に必要な命を失っても日は登るらしい。これを知るのは二回目だ。だけども、実際に関わった前と後では気持ちが違う。あの人にはもう会えないのだと言うどうしようもない喪失感に気持ちが包まれる。それでも身体は自分の役割を果たそうとするようで。気がついたらペットの葬儀は終わっていた。残ったのは小さな骨だけ。

 どうして二回も私からあの人を奪ったんだ。そう神がいるなら問い詰めてやりたい。枕元に置いた骨壷の側。ベッドからは動く気力も無い。後を追うにしても動物と人間は行く場所は違うのだと聞いたことがある。もう彼とは本当にもう会えないのかもしれない。

 この数週間は夢だったのだと思おうとした。その方が楽だから。だけど、その妄想は骨壷と歪なサイン本が否定する。

「お姫様は迎えに来てくれた王子様の元で幸せに暮らしました」

 枕元に骨壷と一緒に置かれた本の一番最初の文章を読み上げる。なんだか笑えてきた。

「王子様なんて来ないじゃないですか」

 気がつけば、彼の自宅に来ていた。ここに来たって何も解決しないのに。多分、誰かとこの気持ちを共有したかったのかもしれない。彼のお父様しか、先生の話ができる人はいないから。

「……あれ、キミは鳥の」

 声をかけられる。振り向くとそこにはお父様が買い物のビニール袋を持って私を見ていた。ドアの目の前に居たのだから邪魔だっただろう。

「す、すみませんっ! 邪魔ですね!」

「いや、いいんだよ。そうだ、お茶でもどうだい?」

 促されるままに中に入る。まだあれから数日しか経っていないのだ。引っ越す予定だとは言っても何も中は変わっていない。

「来週ここを引っ越すんだ。薄情な親だと思うだろう? 一人息子を置いていくなんて」

リビングに通され珈琲を出される。そういえばインタビューで先生も珈琲が好きだったなと頭の隅で思い出した。

「後輩のキミも知っているだろうけど、あの子は高校でいじめられててね」

 え、と声が出そうになった。そんなのは知らない。お父様は話を続ける。

「それで耐えられなくてひきこもりに。運よくそのまま作家先生になったわけだけど、そこでも誹謗中傷に耐えられなかったみたいで。心の弱い子だったんだ」

 彼の作品は賛否両論あった。私にとっては全ての文字が宝物の様に輝いて見えたけども、中にはそうではない人もいるわけで。通販サイトのレビューは星は平均値レベルだった。

「毎日もう嫌だと泣いていたよ。辞めてやるってずっと荒れていて。でも、待っててくれる人はいるからって書き続けて」

お父様はそう言って紙袋を取り出した。

「最後には頭が狂ってしまってね、それでゲイなのを私に知られたのがトドメになって次の日に窓から飛び降りてしまった」

「後悔しているよ」とお父様は言った。もっと寄り添ってあげればよかったと。自殺を止められるようなことを言えばよかったと。私は聞いた。じゃあどうしてあの人を置いていくんですか?

「遺書に書いてあったんだ。自分の事は最初から無かったことにして生きてくれと。本はいずれ絶版になるだろうし、一冊本を出した程度の作家を覚えてくれる読者なんてきっといない。父さんが忘れてくれれば自分なんてなかったのと同じになるから、と」

「……いますよ」

 喉から出てきた声は震えていた。

「あの人に救われた人は確かにいます。忘れられるわけない、最初からいなかったなんて言わせません。誰にも、あの人にも!」

「だったら」

 彼はテーブルの紙袋を持ち上げ、机上に中身をひっくり返す。中身は何通かの手紙だった。自分が送った見覚えのある便箋もある。そうして彼は小さく絞り出す様に言った。

「頼みがある。文芸部ならキミも本を書くんだろう? もし可能なら、キミがあの子の生きていた事実を、証明してほしい。小説として、誰もあの子の事を忘れないように」

 一度、それは失敗した。かすりもしなかった結果に泣いて、やっぱり先生の代わりにはなれないと思った。だけど、それは劣化版「金沢未来」になろうとしたからだ。

「わかりました」

 絶対に世界に先生を忘れさせるものか。私を救ってくれた、ただ一人を無かったことになどさせるものか。世界があの人を忘れようとするなら、抗って見せる。金沢未来の模倣ではなく、私だけの物語で。

「金沢未来を、俺は絶対に守ります」

 それからは早かった。一心不乱に原稿用紙と向き合って。彼の小説と同じ題材で別の、自分だけの物語を描いた。誰かを肯定する物語を、誰も傷つけない優しい物語を、あの日、飛び降りたあの人を救える物語を!

 それでも現実はクソで、結果は散々だった。それでも書き続けた。それが私の責任だと思ったから。

 全ての事柄に意味があるのなら、先生に出会えたのもきっと意味があるのだろう。それが今の覚悟に繋がるのであれば、絶対諦めない。才能が無くても、あの人が私達マイノリティの人間の為に作品を書いてくれたのなら、私もあの人を救う物語を書くべきだ。

落ちたものはネットに投稿して、新作を書く。そんな生活を続けていた時だった。

「ん? メッセージ? 珍しいな……」

 投稿サイトに誰かからメッセージが来たらしい。紙飛行機のアイコンが主張する。

 感想なんて今まで来たことがない。私は恐る恐るそれをクリックした。そして、ああ、そういうことだったのか。と納得した。

『救われました、明日も頑張れそうです』

 お父様から見せられたファンレターの数々を思い出す。

 先生は、辞めたくても辞められなかったのだ。たった何人かでも、どこかの誰かに自分の声が届いているとわかっていたから。自分の心の声には耳を塞いで、ファンの声を糧に執筆していた。同じ場所に立ってわかる。だったら。

「俺も、頑張らないとな」

 現実はクソッタレで、うまくいかない。もしかしたら一生小説家志望のまま人生を終えるかもしれないし、夢には届かないかもしれない。でも、私は書き続けなければいけない。幸せを待つだけのお姫様では無く、希望を届ける誰かの王子様になれる様に。

 いつか、先生がまた生まれ変わったらでもいい、私の作品を読んでもらって、彼に聞いてみたい。

――俺は、貴方を救えましたか? 貴方の王子様には、なれそうですか?

 評価されるのは、私が死んでからでもいい。物語が残り続ければ、きっと私達は物語越しにまた出会える。書いた一作、一作が空に届いて、原稿用紙で出来た紙飛行機がいつか虹がかかる空か、生まれ変わった彼に届きますように。そう願いながら、私はいつかの未来に向けて物語を描こう。抱えきれないほどの沢山の物語を。

                   了


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