創作の喜び
〝うう……ひどい目に遭った〟
あの後、残り少ない制限時間で1度は解いた問題を書き写したもの、結局、友博は赤点を免れなかった。
〝ううぅ……お尻が痛いよぉ……。それに脚もパンパンだ〟
魁義塾・名物『剣山空気椅子』は、その名のとおり剣山の針の餌食になりたくなければ空気椅子に耐えなければならないのだが、生まれてこのかた運動部に所属した経験がない運動神経ゼロの友博は赤点組の中でもまっさきに根をあげてしまった。
その、あまりの脱落の早さに赤ヒゲはたいへん怒り狂い、尻から血が滲んでいるにもかかわらず
「キサマのようなフヌケは我が魁義塾にいらぬわ! 死ねぃ!」と竹刀で激しく殴打したのであった。
第一、あれだけの騒ぎの後に、普段の授業では九九の6段以降が言えない初芝が100点を取ったのだから、赤ヒゲだって友博が被害者だということを察しているはずだ。それにもかかわらず初芝の100点が黙認され、友博だけ『しごき』を受ける羽目になったのは、この学園では利用される者が間抜けであり、弱者であることが悪なのだ
改めて、この学園の非常識さを思い知るのであった。
もちろん、極めて常識的な価値観を持ち合わせている友博は、何度この地獄のような学園から脱走しようと思ったか分からない。しかし、この魁義塾高校の校舎は絶海の孤島に存在しており、交通手段は日に何度か訪れる定期船のみなのだ。
〝こんな生活をあと3年間も続けなきゃいけないのか……〟
友博は重い足を引きずりながら、魁義塾高校・一号生寮へと向かう。ちなみにこの学園では通常の学校の一年生が一号生、三年生が三号生と呼ばれていて、学年ごとに専用寮が建てられているのだった。
そして、友博は寮に入り、大部屋へと向かう。
大部屋ではすでに帰寮している同じクラスの者、30名弱の人間の喧騒で耳が痛くなっている。だが、それも無理はない。昼間は教官たちから理不尽なしごきを受けている彼らにとっては、寮にいるこの時間が唯一の癒しなのだから。
しかし、大部屋の真ん中で大きく口を開けて笑い、品性のない騒ぎ声を出しているのはクラスの中でも腕っぷしの強いカースト上位の者だ。友博のような気の弱い者たちは大部屋の隅に追いやられている。
そして、友博は人目を避けるようにそそくさと壁際に向かう。
大部屋の端には3段ベッドが壁一面に設えられており、友博たちのクラス30名は全員でこの部屋で寝ているのだ。個室どころか刑務所以下のプライベートしかない共同生活。それが魁義塾の寮生活なのである。
友博はさっさと自分のベッドに向かい、旧日本軍が使用している雑嚢のような指定カバンから原稿用紙と万年筆を取り出すのだった。
そして、その原稿用紙に筆を滑らせ文章を書く。
そう、地獄のようなこの学園生活で友博が壊れずに正気を保っていられる理由……それは創作の喜びに他ならなかった。
気が弱く、自己主張のできない友博にとって学校は幼少時から楽しい場所ではなかった。放課後になると、外でドッジボールやサッカーをやっているクラスメイトを尻目にひとりで家や図書館に向かい、そこで小説などの創作物を読みふけっていた。
そして、その傾向は思春期を迎えると、さらに拍車がかかり、友博は学校にもほとんど行かずに自室に引きこもるようになってしまっていた(そのおかげで親に、行き場を失った生徒の吹き溜まりであるこの学園に入学させられてしまったのだが)。
しかし、小説への倒錯により地獄のような環境に送り込まれたにもかかわらず友博はその喜びを捨てる事ができなかった。いや、それどころかその情熱の炎はよりいっそう強さを増すばかりだった。
今、友博が書いている物語は大航海時代のヨーロッパが舞台の歴史小説だ。当初は財産目当てで貴族の令嬢に近づいた男が、次第に令嬢の心根のやさしさに惹かれて、数々の困難を乗り越えた後に本当の愛が芽生えるというストーリーだ。
クラスでは体力と喧嘩が強い事しか能のない不良にイジメられ、鬼のような教官から『しごき』に耐え忍ぶしかない友博でも、紙とペンさえあれば世界中のどこへ行くのも自由で未来や過去へも飛んでいける。それだけではなく、世界を救うスーパーヒーローにもなれるし、絶世の美女と恋に落ちることだってできるのだ。
〝ああ、我ながら凄いな、これは。絶対に面白いじゃん〟
〝今日は金曜日だから、土日にあいだに小説を描きまくるぞ~〟
そして、今日も友博は放課後から消灯までの自由時間をめいっぱい使い、唯一のプライベート空間であるベッドの上で創作の悦びを噛みしめているのだった。