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弱肉強食

〝この学園は狂っている〟


 授業中、中井友博(なかいともひろ)は教室の机に座り、ガタガタと体を震わせていた。


〝普通、喧嘩って両成敗だろ。なんで負けたほうだけが一方的に罰せられるんだ? おかしいだろ〟


 不登校の生徒や手が付けられない不良の受け皿となっている全寮制の私立男子高――これは、世間的にまかり通っているこの学校の評価だが、それは耳障りがいい言葉を並べているだけで、まったくの的外れだ。この学校の実態は、理不尽な体罰を始めとする時代錯誤的なスパルタ教育が蔓延っている狂宴の園だ。


 思えば入学式の時からこの学園はおかしかった。


 いきなり新入生全員を一列に並べてズボンを脱ぐように命じたのだ。後のことは思い出したくもない。教師たちは住職が座禅の時に使う警策のような形をした棒を片手に、新入生の臀部を一斉に叩きつけてきたのだ。あっというまに薄皮がやぶれ、尻から血が滲み出しているにもかかわらず、手を緩める気配どころか泣き叫んで許しを請う友博を「ふぬけ」呼ばわりして、よりいっそうチカラを込めて殴打する教師たち。おかげで友博はそのあと1週間以上もまともにイスに座ることができなかったのだから。


 もちろん、何回この学園を脱走しようと思ったかは分からない。しかし、この学園は波の高い海域の孤島に存在しており、完全に外部とは遮断された閉鎖空間。しかも入学式の直後にスマホを始めとする外部との連絡をとるための通信手段を没収されているので、断念せざるをえなかったのだった。


 そして、入学してから約1か月が経過した今も友博はどうすることもできずに、この魁義塾高校で学生生活を送っているのだった。


「よし! それでは島田(しまだ)、次の数学問題はキサマが解いてみろ!」


 パァン、と勢いよく竹刀で黒板を叩く男性教師。彼は友博たちのクラスを受け持つ担任教師で、口元に蓄えたヒゲに加え、怒ると赤鬼のように顔を真っ赤にさせることから生徒たちからは陰では「赤ヒゲ」呼ばわりされている。


「押忍! 教官殿、それでは自分が代表して問題を解かせて頂きます」


 指名された島田という塾生はその場で直立し敬礼、物々しい口調で返答をするのだった。


 真の日本男児を育成するという理念を掲げている魁義塾では、旧時代の軍国主義的教育がまかり通っており、基本的に教師のことは「教官殿」。そして教官の前での返答は「押忍」。一人称は「自分」でなければならない。


 こういった時代錯誤な体育会系気質も、中学時代は完全に文化系でインドア派だった友博にはなじめない理由だった。


「インイチがイチ! インニがニ! インサンがサン! インシがシ……」


 そして、教室中に響く大声で九九を唱和していく島田。さらに島田は1の段だけではなく2の段、3の段だけではなく、最も難しい7の段も淀みなく進めていくのだった。


九九(くく)八十一(はちじゅういち)!」


 もちろん「九九(くく)八十八(はちじゅうはち)」などと間違えることなく、すべての段を完璧に唱和する島田。


「おう、さすがにいつ聞いても見事なもんじゃのぅ、島田の九九は」


「奴はこのクラスで1番の秀才だからな。なんでも奴は九九だけでもはなく、すでに分数のかけ算と割り算もマスターしているとの噂だぞ」


「うーむ。にわかに信じがたいが、もしかして島田ならありえるかもしれん……」


 それを聞いていたクラスの者たちは次々と島田を褒めたたえる。その称賛を聞いていた友博は心の底から「こいつら、アホや」と思うのだが、かれらの反応は仕方がない事だった。なにせ、いま九九を唱和した島田という生徒はクラスでナンバー1の秀才。友博以外で7の段を詰まらず言えることができる「唯一」の生徒なのだから。


〝ヤバすぎるだろ。この高校の学力〟


 友博は思い出す。なにせ、入学してから初めての英語の授業が黒板いっぱいに書かれた大文字のアルファベットに節をつけて歌うというもので、小文字の存在を教えてもらうのはそこからさらに2週間かかったのだから。


「よし。それではこれから小テストをおこなう!」


 そして、教官が威勢よく宣言して問題用紙が配られる。


「制限時間は30分。ちなみに赤点を取った者は魁義塾名物『剣山空気椅子』で気合を入れ直すから覚悟せい! それでは始めい!」


 教官のその言葉で教室中の空気が一気に凍りつく。


 魁義塾名物『剣山空気椅子』とは、馬鹿でっかい剣山尾を尻の下に置いて空気椅子をしながら、魁義塾の三訓である「ひとつ、塾生は忠節を尽くすべし。ひとつ、塾生は武勇を尊ぶべし。ひとつ、塾生は質素を旨とすべし」を唱和しなければならない、この学園名物のしごきである。もちろん疲れて座りこもうものなら臀部は血まみれ、ただ下半身の筋トレをしたいのならばスクワットでもすればいいなのに、このようなしごきが平然とおこなわれているところが、魁義塾高校の狂気っぷりを表しているのだった。


 小テストなどと言ってはいるが、問題の大部分はどれも四則演算ができれば解けるようなものばかり。


 中学生時代、それほど勉強ができなかった友博でも楽勝で100点を取るのは余裕だった。制限時間の30分を半分以上残して、友博はシャーペンを置く。しかし、制限時間終了間際のその時、友博の机が揺れて、答案用紙が床に落ちてしまう。


 どうやら前に座っている生徒が急に椅子を引いたために友博の机に当たったようだ。


 友博は急いで答案用紙を拾いあげる。


 しかし、その答案用紙を驚く。名前を書く欄のところに友博のフルネームが書かれているだけで、後はまったくの白紙なのだ。


「あの、初芝(はつしば)くん……」


 友博は恐る恐る前の座席の生徒の名を呼ぶ。


「これ、ボクの答案用紙じゃないよね?」


 友博はまちがいなく答案用紙にすべての問題の答えを書き込んだ.。それにもかかわらず、解答用紙が白紙なのは、あらかじめ友博の名前を書き込んだ答案用紙を前の座席の生徒――初芝がすり替えたからだ。


「その……できればボクの答案用紙を返してほしいな」


「ああん?」


 しかし、初芝は狂犬のような血走った眼光で、友博の訴えを封殺するのだった。


「テメー、なに言ってんだ?」


「いや、その、だから、いま初芝くんが持っているボクの答案用紙を返してよ。それ、ボクの答案用紙だよね?」


「ああっ? それじゃあ俺がオマエの答案用紙とすり替えたって言うのかよ! ふざけんよ!」


 大型犬が吠えるような口調で威嚇しながら、友博の机を盛大に蹴り上げる初芝。


「テメーが初めから名前以外なにも書いてないだけじゃねーのかよ」


「ボクはちゃんとぜんぶの問題を解いていたよ……」


「だったら、俺がすり替えたっていう証拠があんのかよ? ああ?」


「な、ないけど……」


「だったら、人を疑ってんじゃねえよ! つーか、テスト中に話しかけてくんじゃねえよ! 教官にカンニングを疑われて、ふたり揃って『しごき』を受けるような目に遭ったら、テメーが責任とれんのか?」


 もちろんテスト中にこんな大声を張りあげている注目を浴びないわけがない。教官の赤ヒゲだけではなくクラス中の視線が初芝と友博に注がれているのだった。


「もう……いいよ……」


 もちろん、ここで引いてしまったら、テストは〇点。後で恐ろしい魁義塾の『しごき』が待っているのだが、友博はプレッシャーに耐えきれずに自らの要求を引っ込めてしまうのだった。


 弱肉強食のこの学園。


 気の弱い友博はどこまでも利用されるだけの弱者であった。




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