【短編】主人公だけが忘れる死に戻り
噛み締める歯の奥から血を溢れ出しつつ、私を鋭く睨みつけて死んでいった。
物語の主人公のような男であった。将来にわたって語り継がれていくような、戦争で華々しい活躍をしていた。だが闇討ちによってあっけない最期を迎えた。そのはずだった。
次の日、依頼完遂を報告された依頼主が怒鳴り込む。殺したはずの男が生きているというのだ。
影武者だったのか。屋敷まで再度殺しに行く。昨日と同様の部屋、同じ姿で深い眠りについていた。
罠か。だが眠っていることは確かで、周囲には男以外気配はない。
影武者ではないかと起こして確かめていては、本人だった場合、私は返り討ちにされてしまう。仕方なく、一刺しに加えて他の急所を切り刻んでおく。
睨みつける暇なく絶命したのを確認し、また次の日を迎える。だが男は性懲りもなく生きていた。理由はその日には明らかになる。
一日が巻き戻っていたのだ。毎日同じような生活を送っていたものだから、直ぐには気付けなかった。
昨日殺したはずの家畜や、産んだはずの赤子が母体の腹に戻っている。人づてから聞いた話は荒唐無稽であるが、自分も同じような経験をしているので信じない訳にはいかない。
男が死なない理由は分かったが、その原因は解明されていない。私は目標の男を何度も殺すことになった。どこもかしこも議論ばっかりしているが、私にはその余裕はない。
明日のために高い金がいるのだ。私の母はもって数日の命だと医者に宣告されていた。高名な治療士がいれば魔法の奇跡によってたちまちよくなる病だが、そのためには相当な金を積まなければならない。
だから私は金と引き換えに、男を殺すのである。
二回目以降の殺しはうまくいかないと思ったものだが、毎度毎度男は死んでくれる。手を替える必要もなく、同じ手段でだ。
おかしい、と流石に考える。この男は間抜けではなく、逆に頭が回る方だ。初日には私によって殺されてたと知っているはずなのに、なぜ対策も何もしない。
私は繰り返される一日の男を見張ることにした。屋敷の警備上ずっと見ていられないが、その必要なく理由は直ぐに知れた。
男は記憶を失っている。繰り返される日の記憶を持たないのだ。
日がリセットされる時間は多少は解明され、まばらであることが分かっている。そして、そこから二十四時間分が巻き戻る。
だから私は日が戻って寝ている自分を、早く起きるよう精神に強く語りかけた。その甲斐あって起きたらまだ朝の光がなかったので、屋敷に忍び込み盗聴器を仕掛けておいたのである。それを知らぬ屋敷の者は、起きた男に第一声をかけた。
今日という日が繰り返されています。ただ皆が覚えているのに対し、貴方様だけがそれを忘れているのです、と。
「たいして面白くない冗談だな」
たいしてどころではなく、冗談でもない。
私は戦慄いた。原因を察してしまったのだ。
記憶がない男は唯一の例外である。唯一は特別だ。男は死んでしまったから、生き返らせるために特別に日が巻き戻ることになっている。
私は男を殺すのを止めた。母が治らぬ病によってずっと苦しむぐらいなら、そのまま死んだ方が楽だろうと思ったからだ。
意識がないながらに魘され続けていた。痩せ細った顔を青白くさせ、わなわなと唇が震えている。
私はその日を母の元で、夜を寝ずに過ごした。かつてのように日は高く昇っていった。無事に明日が来たのである。
喜びが世界を包む。私は悲しんだ。もって数日の命はただの一日だったことで、母が死んだためである。
それでもこれで良かったのだと自分に思い込ませる。
だが、半年が経って、またあの日がやって来た。私が何度も殺し、何度も男が死んだ前日である。母は生き返り、私はどうすればいいのだと嘆いた。
男が死に戻った。今度はそのことが大々的に知られることになった。男は民衆の目があるところで、私とは別の者に殺されたためである。
また母が死んで、私は部屋に籠る。暫く考え続けたら狂ってしまって自刃する。光を感じておそるおそる目を開けるとあの朝があった。ああ、男はまた死に戻ったのか。
今度こそ男は生きろ。周囲の者は全力で守って、そして、私を死なせてくれ。
もはや自分が苦しみから逃れることしか考えていなかった。手に慣れたナイフで首に目掛けて掻き切ろうとし、その前に部屋の扉が開け放たれる。突然のことに驚いてしまってナイフを落としてしまった。その隙に私は数人がかりで体を押さえられてしまう。
全力でもがく私に、とある者が言った。
あの男を、正しく物語の主人公であった男を守ってくれないか、と。
その報酬として母の病を治療するから、と。
私はいの一番にやると答えた。息を吸うよりも速かった。
その日の内に私は護衛対象と引きあわされる。男は訝しげな表情に、不満もつけ加えてきた。
「今日からよろしく頼む」
過去に幾度となく殺してきたことに対し、謝罪はしない。手を血で染めて金を手に入れることが私の生き様だった。いちいち謝っていては切りがないし、そうしたい気持ちは欠片も持ち合わせていない。
それからも男は何度も死んだ。ただ母は生きたから、私は男を守り続けていた。
敵が手ごわい。世界は明日を欲しがるが、男を疎ましく思う一部が敵として殺しにかかってくる。
男が死んでも明日が来る方法はないかと、武器や場所などを変えて試してきた。やけくそ気味で来るな、と私は必死に刃を振るう。
私以外にも男を守る者がいるが、敵は果敢にそれを乗り越えてくる。国を挙げて守っているのに、男自身も強いのにだ。
そして一番厄介なのが、私を庇って男が死ぬことである。
庇う理由がさっぱりと分からなかった。私の死より男の死の方が測り知れない程に大事であるのに。
男は毎度その理由を答える前に死んでしまう。もっと気概を出して欲しい。改善できないではないか。
私と男は別段親しくはない。護衛する以上共にいる時間は長いが、話は必要以外にしない。私が無口で、男は疲れているからだ。
周囲の死ぬなという圧や護衛の人口密度が嫌らしい。私が夜の護衛の担当していると、あっさりとぐうぐう寝入っている。
それでも男は私に気があるからではないか、と味方内から意見が出る。ならば次は私の存在を知らせないでみるかとなった。つまり、私はそこら辺のありふれた護衛の一人として男を守ることになる。
だがその甲斐なく、どのみち男は私の護衛の経緯を知った。
「お前が俺の死に戻りの起点か」
男は何度だって私に殺された前夜にまで死に戻る。だから私は目をつけられ、護衛の役割を与えられた。因果があるに違いないと、男への関わりをもたせた。
また私が護衛につけば、男の生存期間が伸びる理由もある。男を単独で殺してみせたことのある私のような技量をもつ人材が、味方内にはいなかった。
そして今回も死に戻る。方法を変えようとなって、私の存在を知らせない上で男の手が届かない遠くへやられた。
なんだか迷走してはいないかと思ったが、変わらず母を治療してくれるので言われた通りにする。
私のような戦力は放っておくのは勿体ないとのことで、守りから攻めの駒となった。敵の勢力は明らかになっているので殺しに向かうことになる。私はそれが性に合っていたことから、ざくざくと敵を削っていく。
あらかた片付けたところで暇になったから、指示が下るまで地方を練り歩く。そんなときに男とは再会した。男にとっては初対面である。
だが男は私のことを見知った様子で、眉間に皺を寄せる。
「私のどこがそんなに気に食わない」
男は毎度私の顔を見ていい表情を浮かべない。暗殺者のような汚れ役が嫌いなのかと考えたが違うようで、ずっと疑問を抱いていた。
男はそんなことはないと首を振って口にする。
「一目惚れをした。どうか俺が覚えていなくとも離れないでずっと側にいてくれないか」
男は私に対する感情を誰にも打ち明けたことはなかった。私自身も例外ではなく、初めての告白である。
私を好く部分がどこにあるのか。顔だと率直に言われ、私は黙り込む。
一目惚れなど嘘っぱちに決まっている。それらしい表情なんかしていないではないか。
「――お前のような女が人殺しで生計を立てるしかないことが。明日のために全身を血で汚すことになることが。俺を守るために武器をとることが。ずっと無表情でいることが。俺はお前ではなく、そのような世界が気に食わなかっただけだ」
「私はお前を殺している」
「そのときも俺は一目惚れしていただろうさ」
話に付き合いきれない。私は地方を練り歩くことを再開すると、男は勝手についてきた。
何を言ってもやめてくれないだろうから無言を貫く。男は時々愛してると言った。襲撃してきたり、そんな指示を下されたりした敵を、男は私がやる前に討たんとする。
男と私は名前をつけることのできない関係だった。
仕方なく護衛のために同じ部屋で寝泊まりし、後は男が私の周りをうろちょろする。男は料理ができないものだから、私が仕方なく作ってやり、たまに不味い飯を振る舞われることもあった。
「ありがとう。きっと、かつてないほど幸せな人生だった」
皺がある顔は安らかな笑みを浮かべていた。
妻にならぬ女をずっと飽きずに離れないでいた。なんてささやかな願いだったのだろう。
「物好きな男だ」
夜の帳が下り、朝日が差す。新しい明日が来たことを確認してから愛しさを覚え、額に口付けた。
最近では遠のいていた死の感触は、懐かしくてうら悲しいものだった。