第6詩・熾天使ベリアル
(2025/04/19追記)文章の情報量を追加しました。
光は噴水に直撃し、山を引き裂くような猛烈な爆発音と共に広場にいた人間は吹き飛ばされた。
地面はえぐれ、砂埃が舞い、辺りがどうなっているのか一目だけでは理解できる状況ではないが、悲痛な声が時人の頭に響くように聞こえてきては、数十秒の気絶を経て時人は目覚める。
(………………………………………………………………………………………………………………いってぇ……)
噴水が破壊された際の衝撃波と地面に打たれ、全身が悲鳴をあげている。幸い噴水の間近に居たわけではないが、噴水と彼の間に壁になるものはなく、なんにせよ時人の身体は一瞬でボロボロだ。そんな身体の痛みをなんとか抑えながら、状況の理解へ必死に思考を巡らす。
(……………………ばく、はつ…………? なんで………………リデレ。リデレは……!?)
先程まで目の前にいた男の子、リデレがいない。自分よりずっと軽い体の男の子だ。もしかしたらずっと遠くに飛ばされてしまった可能性がある。少年を捜そうと痛みに耐えながら体を起こした。
「……リデレ……リデレ、どこだ!?」
砂ぼこりが酷い周辺を、目を細めて見渡す。名前を呼びながら辺りを手で探ると、圧し殺すような子どもの泣き声がすぐ近くで聞こえた。どうやら時人が座っていたベンチにぶつかったようで、予想よりも遠くには飛ばされてはいなかった。
「……おに……ん……うっ!」
砂ぼこりを吸ってしまい、泣きながら大きく咳をする。時人は勢いのまま抱きしめようとする一歩手前で止まり、今度は優しく抱きかかえた。幸い、大きな怪我はないようだ。
「お兄ちゃんはここだよ。大丈夫か? 立てる?」
リデレは時人の服をぎゅうっと掴み、泣き声をあげながら首を横に振る。
(さすがに厳しいか。足を強く打ってる可能性もあるし…………これは爆発事故か? わけわかんない状況だけど、なんとか安全を確認して、どっかに避難しないと……レヴィは、大丈夫かな……)
周囲をもう一度見渡すがやはり砂ぼこりで見えたものではなかった。その代わりに遠くから悲鳴やリデレとは違う泣き声が聞こえてくるばかりだ。
(……まずいな)
この状況はリデレに多大な不安とストレスを与える。精神が不安定になればこの場から動くことも叶わなくなるかもしれない。元の体ならリデレにその気がなくても5歳の少年を抱きかかえて運ぶのに苦はなかったが、今の体ではどうかわからない。少なくとも何かあった時に勢いよく走れるほどの状態でもなかった。
「……リデレ。大丈夫だからな、お兄ちゃんが守るから、大丈夫。すぐ安全なところに行けるぞ」
大丈夫、と半ば自分にも言い聞かせるように、時人はリデレをあやしながら立ち上がった。その瞬間、先ほどまでとは違う自身の肉体の状態に変化があることに気が付いた。
(……なんか、痛みが引いてきてる……火事場の馬鹿力ってやつか? まあなんであれ好都合だ。これなら歩ける)
身体が思うように動く。だが問題はどちらへ進めばいいのか、あたりがどうなっているのかが全くわからないことだった。下手に動いて屋台や瓦礫に躓いてリデレを危険に冒すような真似はしたくない。その上、このアストラ広場の土地勘なんて微塵もない時人には、直感で動くこともできなかった。
それでもなんとかしようと、時人は思考を巡らせながら辺りを見渡し続ける。
(見えないな。周りが全然──見え、ない…………あっ)
そうだ、と時人は目が覚めた部屋での出来事を思い出す。
――あまり余計なものを視るものじゃない。
――今後、遠いモノを集中して視るのは控えろ。
どちらもザッハークの言葉だ。あの時は祭祀の服を着た大人達に言われて上に集中したら見知らぬ人物が見えた。それに対しザッハークは遠いモノを見るなと指摘したのであれば、あれは、遠い光景を見たものだったのではないか。同じことが出来れば、もしかすると周りが見えるのではないか。あの時確かに部屋の中から、瞼の裏で空は見えた。いや、空以上のもっととんでもないものを、きっと自分は見たのだと時人は確信する。
(ちょっと、ほんのちょっとだ……辺りを見るだけ、見るだけ、視る、だけ──)
じんわりと瞳に痛みがはしっていく。頭の奥がギシギシと音を鳴らすように痛むと、砂ぼこりを透過するかのように時人の視界に周囲の世界が広がった。喉の奥から吐き気が臭うと同時に視界は元に戻り、全身がバラバラになるのではないかと勘違いしてしまうような鼓動が全身に響き、酷く傷んだ。瞳から血が零れだす。先程と違い軽い量なのが救いだ。
リベレは様子のおかしい時人の顔を覗こうとしたが、時人の手にすぐ阻まれる。
「リベレ、頭を伏せておいてくれ。大丈夫だからな」
(視えたぞ。20mほど真っ直ぐ進めばすぐにこの煙から出られる……けど)
同時に周りにたくさんの人々が倒れているのも視えてしまっていた。自身の安全を最優先とするなら一刻も早く自分が走っていくべきだ。
しかしこの時、時人が走っていったのは逆方向だった。
「そこにいますよね、大丈夫ですか!」
時人は最も近い場所で動けなくなっていた二人の元へ走っていた。
「……はあっ……は、はい……」
30代前半くらいの恋人同士と思われる女性と男性だ。擦り傷といった怪我はしているが重症ではないようで、二人は抱き合って様子を伺っている。
「……歩けますか?」
「…………た、多分、大丈夫です。けほっ、あ、貴方のほうこそ、血が……」
「オレは大丈夫です。もう痛みもありませんから。それより、すみません、この子を預かって貰えませんか? 向こうへ進んでいけばすぐ煙の中から出られるはずなので! オレは他の人の救助も……」
「出るならキミも一緒に……!! ってあれ、キミ……どこかで…………」
時人の顔を見て、男性はピンとくる。煙たい中でも目の前にある顔くらいはようやく見えてきていた。
「はは、店の新聞で寝顔を載せられた男です。
……この子、リベレくんを頼みます」
「!!!!」
何かを確信した二人は、すぐにリベレを抱きかかえた。
「おに、いちゃん……!?」
「大丈夫、リベレはこの人達と逃げてくれ。オレはわかる内に動かないと」
時人は笑顔でそういうと颯爽と煙の中へ姿を消した。
(こっちに倒れていた人がいたはず……さっき視たとき、レヴィの姿は見えなかった。無事なのか? ……クソッ、瓦礫が、歩き辛ぇな……!!)
噴水側で倒れこむ人の方向に進んで行くと瓦礫と漏れた水で進み辛くなっていった。レヴィの安否もわからなず、苛立ってくる。
すると噴水のほうから声がした。
「そのまま進むと女神様が頭に落ちてきちゃうかもしれないねぇ」
聞き覚えのない男の声。それはどこか妖艶で、どこか不安を覚えさせた。誰だ、とその男の姿を捜す余裕もなく煙の中から眩い光の環が時人の足元に降りかかる。その光の環は地面を抉り、軽い衝撃波で時人を吹き飛ばした。瓦礫が転がる地面に叩きつけられ、流石に悲鳴をあげる。
けれどそんなことも気にしないかのような軽い声がその場に響いた。
「ほんとぉ~わあ~、会いにきちゃだめなんだけどぉ~、ダメって言われるとやりたくなるお年頃っていうかあ? まあそんな感じでさ……」
男の声は案外近い場所にいた。煙を払うように大きな翼を広げ、時人の前に姿を現す。
「な…………」
白にも見える透明な髪、薄い色の肌、見ているだけでも吸い込まれそうな空白の瞳。その人間のような姿形をした美しい顔立ちの青年には天使を想起させる白くどこかトゲのある環と六枚の翼があった。手には砕けた女神像の頭があたり、それを、ポイッ、と軽々しく投げ捨てる。
そんな青年は地上へとつま先から降り立つと、時人のほうへ歩を進めては左手を差し伸べた。その左手は顔の前で止まり、ふわっとした優しい風を吹かせると血に濡れた時人の顔を何も無かったかのように綺麗にする。怪我をする前の顔を確認するとベリアルは天使の微笑みを浮かべた。
「キミに会いに来たんだよ少・年、ボクの名前はベリアル。よろしくねぇ」
「……ベリ、アル……?」
この世界に来たばかりでの時人でもどこか聞き覚えのある名前だった。ベリアルは名を呼ばれると、ニコニコとしていた表情を一瞬閉じては、またニコッと微笑みかける。その一瞬は時人に敵意を感じさせるのには十分だった。
「ふぅん、あのお方によく似てるんだねぇ……顔も、声も。不思議だね」
「ぐっ!?」
ベリアルの左手は、ガッ、と時人の首を鷲掴みにした。勢いよく顔を近づけるベリアルの空白の瞳に黄色い好奇心の色がかかる。
「憎たらしいほど愛しい子だね。いったい奴等は何を想ってキミをここに堕としたのかなァ? しかも中にいるのはほとんど他人のようだし……ねぇ、キミのお名前は? どこから来たの? どうやってその器に入ったのぉ?」
(こ、このヒトは……コイツは……!!)
知っている。このベリアルという男は時人という別の存在が体の中にいることを見通していた。
「お前、いったい……」
「ンン?」
「その手を、放しなさい!!」
興奮気味で周りが見えていなかったベリアルの左脇腹へ、今度は聞き覚えのある声と共に小さな黄金色の頭が突進する。
「レヴィ!?」
どこから来たのか、レヴィは迷いなくベリアルへ突進した。当然、少女の力で突き飛ばされる熾天使では──
「おっと……っ!?」
──ないが、彼女・レヴィでは話が別だ。
予想以上の力に押されたベリアルは咄嗟に時人から手を放し、10m近くも突き飛ばされてしまった。
「ッ……馬鹿力だなァ……このボクに体当たりなんて…………」
ベリアルから解放された時人は力のない咳をしては、すぐに立ち上がりレヴィのほうへ身を寄せた。
「レヴィ、なんて無茶を……」
「貴方は早く逃げて! アタシは竜騎士が来るまで時間を稼ぐから!」
「え!? 何言って……ダメだ! 逃げるなら一緒に逃げよう!」
この男が何者なのか時人には理解しきれていない、けれど戦っていい相手ではないことは身の毛がよだつほど感じていた。
そして地面を抉った謎の光の環。あれを見た後で人が何人も集まっても勝てる相手ではないことはあの一瞬の出来事だけで理解していた。しかし彼は知らずにいる。目の前にいる背の低い少女がベリアルを突き飛ばせた理由も、つい先程視えなかった範囲外からすぐにここへ駆けつくことが出来た理由も、この男が天使であることを承知してここに来た理由も知らずにいたのだ。
なぜなら彼女は、人間の姿をしていたから。
「本当はあんまり見せたくないんだけど……仕方ないわね!」
人体解除。幼気な少女の姿は光を帯びる。
────そこには、生前見た桜の木を思わせるほどの美しい黄金竜がいた。その大きなドラゴンはベリアルと同等の美しさと神秘を少年に見せる。黄金のドラゴンに、翼はない。時人にとってはドラゴンというより龍と表現されるべき姿だった。
「まさか……レヴィ……?」
黄金のドラゴンは時人に微笑みかけるように優しい瞳で見つめ返した。その瞳には見覚えがある。自分が目覚めて一番最初に見た、透き通る蒼い綺麗な瞳だ。
レヴィは時人を庇うように前へ出てはベリアルを睨みつける。一方ベリアルのほうは思わずこぼれたように笑い出した。
「あ————はははははははは!! ドラゴン! 神に忌み嫌われ世から追放されたドラゴンの末裔が!! 人間ごっこですかァ?? 人を守るとか、それの先祖に殺された自分のご先祖様に申し訳ないとか思わないわけぇ!?」
ああ、思う頭もないか。とベリアルは煽り、笑い続ける。レヴィはただただそれに声を冷たくして言葉を返した。
「いつまでも過去を引きずるほうがバカみたいじゃないかしら? これだから老害は嫌なのよね」
一瞬だった。鼻で笑うようなその態度と言葉にベリアルの表情からは一切の笑いが消え去り、小さな世界に静寂が訪れる。
「老害、過去を引きずる、ねぇ……」
青年の脳裏にある光景が浮かぶ。
望まれぬ生誕。望まれぬ祝福。望まれぬ存在。──望まれなかった。生まれる前も、産まれた後も、親からも、兄からも、その他大勢の凡俗も、大昔に自身を従えたかの王でさえ、誰も愛してはくれなかった。
そんな過去をもったまま、そんな昔を思い返さずに生きていけるだろうか。答えは否だ。ベリアルにとって過去は何よりも大事なもので、それがはるか大昔の出来事になってしまっただけのこと。過去はいつまでも変わらない。だから未来を変えるために『ボク』はここにいるんだ、と。
ベリアルの色に、暴力的な赤が宿る。
「クソ餓鬼竜が、粋がるなよ」
誰よりも子どもらしい真っ赤な癇癪を抱えたベリアルの姿は、何よりも悪魔に相応しい姿に変貌した。




