第44詩・アキレスの恋Ⅲ
アキレスとオデュッセウス、そしてアンリの三人はザッハークの全身が視界に入りきらないほどまで近づくと、赤い大きな瞳がそれを見つめた。
「――――何用だ」
アンリが右手をあげる。
「ザッハーク。こちらはトラキア大帝国からいらした皇帝のアキレス・A・アエテルヌス殿とその騎士、オデュッセウス殿だ。今日は君に確認したいことがあって足を運んでくれた、話を聞いてくれてもいいかな?」
その言葉にザッハークは瞳孔を細める。
合否を言う前に、アキレスが口を開いた。
「お前がドラゴンの王、ザッハークか」
「…………如何にも。それで? 皇帝ほどの者が私の前に姿を現すとは、勇気があるのか愚者なのか……民の復讐にでも来たか?」
「……ああ。最初はドラゴンの王を殺す目的で来たんだが――ここにきて事情が変わってな」
そう言うと、アキレスは二人の前に出てザッハークに手を差し伸ばす。
「アンリから話は聞いた。そして俺は見た。ならばあとは行動あるのみ。これは誰かの言葉だったか……いや、それはいい。竜王・ザッハークよ。よもやそなたがこれほどまでに美しいとは……!! 俺は大いに胸を打たれた!!」
「――――は?」
その困惑の声はザッハークからだけではない、その場にいるアンリとオデュッセウスもまた同じ言葉で瞳を丸くした。しかし、それも無理はない。
「あ、アキレス皇帝? 一体何を……」
「今は黙っていろオデュッセウス。この俺が今将来の妃を口説いているところなのだから」
「きさっ……!?!?」
半ば呆れた、信じられないようなものを見た声でザッハークは問いを投げる。
「私に何を要求するつもりだ」
「無論、決まっている。男が「美しい」と口にしたのだ。ならば一つしかあるまい! ザッハークよ、そなたを我が妃として迎え入れたい!!」
一瞬、その場の空気が凍る。
この人間は300m以上あるドラゴンを前に、自分の嫁になれと声高らかに宣言したのだ。それもつい先ほどまでドラゴンに憎い想いを募らせていた人間が、だ。あまりにも理解できない思考に流石のアンリも苦笑いを浮かべた。
アキレスは周りの引いた空気など気にも留めず、演説のように言葉を続けた。
「俺は皇帝だ。故にこれまで幾人と妃候補として美女を見てきた。しかし――その中に俺の心を奪うような相応しい候補はいなかった。だがザッハークよ、俺は! 今! その黒く美しい鱗に! その何人をも切り裂けるほどの鋭い爪に! その生物とかけ離れたような三つ首から見える6つの赤い瞳に!! その空を覆うような巨大な翼に!!! ドラゴンの王たる姿に相応しいお前に心を奪われてしまった!!!!」
「!? ……!!????」
「故に、ここまで歩く最中に決めたのだ! 俺はお前の夫として、生涯愛し続けることを誓おう! さぁ、共にトラキア大帝国まで来てくれ!!」
堂々と、自信満々に、暴挙ともいえる理論で真剣に告げられたその言葉。それは誰がどう聞いても――間違いなくプロポーズの言葉だった。
「…………」
あまりのことに、誰も何も言えない。
だが、ここでようやくオデュッセウスが我に返った。
「お待ちください皇帝! 正気とは思えない! 誤解があったとはいえ相手は憎きドラゴンの王! あんなにも怒りを巻き散らしていたのに……それなのに、し、心境の変化どころではありませぬ! ア、アンリ・ユーストゥス殿! ザッハークには何か魅了の魔法が……??」
言葉が纏まらないまま大慌てで話すオデュッセウスを横目に、アキレスは小さく溜め息をつく。
アンリはザッハークを小さく見上げた。察したザッハークは目を細める。
「まさか。私にそんなものはないし、この男だけにかける意味がわからない。よほど頭がおかしいのだろう、さっさと連れて帰り医者にでも診てもらうといい」
「なっ……!」
さらりと辛辣な言葉を吐いたザッハークと目の前の現実に、オデュッセウスは開いた口が塞がらない。
アキレスは眉を顰めると再びザッハークに言葉を投げた。
「俺の求愛への答えを頂きたい」
「……当然却下だ。私には夫婦など……人間の番など必要ない」
「成る程、今ではダメか……」
「話を聞いていたか人間。必要ないと言ったのだ」
「必要かどうかは、大した問題ではない。ドラゴンの王、ザッハークよ。そなたを欲するのはこの俺だ。それに応えるか否かの選択権までは奪わぬ。だがその選択が迫られるのは今だけではない。俺は今後もそなたを欲しよう。その度に、応えても良いかどうか聞かせてくれ」
「……」
絶句。ザッハークはもはや言葉もでない。もうどうでもいいとでもいうように、視線を逸らし、頭を地面につける。
一方でアキレスは満足そうな笑みを浮かべては踵を返し、悠々と歩きだす。二人もまた、戸惑いながらもそれを追うように歩き出した。
「帰るぞオデュッセウス。次に来るときまでに相応の花を用意せねばな」
「アキレス皇帝、貴方って人は……」
「あ、あの」
二人の間にアンリが割って入る。
「話はいいのですか? ドラゴンについて確認したいことがあったのでは?」
ザッハークを背に、アキレスは数秒瞼を閉じてからアンリの疑問に答える。
「一先ずはお前の言葉を信じよう、アンリ・ユーストゥス。俺が殺すべきドラゴンの長はここにはいない。いなかった。国民にお前の話を真実として伝える。オデュッセウス、情報を纏めておけ」
それと、とアキレスは言葉を続けた。
「お前らアメリカ王国からも世界にこの事をきっちり発信しろよ。どんな手段でもいい、正しい情報がなきゃ誰も信用せぬし、無駄な争いと犠牲が生まれるだけだ。そこは頼むぞ」
「! はい、勿論! 僕は僕にできる事を頑張ります!」
「それでいい」
オデュッセウスは眉間に皺を寄せながら、普段より低い声でアキレスに訴えかける。
「あの、私は一向に良くないのですが。アキレス皇帝……私は民になんと説明すれば……」
「なんだオデュッセウス。俺がザッハークに剣を向けたほうが都合が良かったか?」
「そういったことを言うのはおやめください。ただ、貴方がザッハークに求婚した事だけでも民の怒りを買いかねないのに……仮にザッハークが妃として迎え入れられる気があったらとんでもないことになっていましたよ! 暗殺されても私は文句が出ません」
「文句は出せ。それともう少し俺を信頼しろ。俺とておかしな展開になっている自覚はある。求婚したことはすぐには言わぬし、そもあれほどのドラゴンを手中に収めたとすれば寧ろ誰も俺に逆らえぬであろう。寧ろ敬われるべきだ」
その言葉に、アンリは少し気が澱むような表情を見せる。
「……アキレス皇帝。ひとつ、確認しても?」
「なんだ?」
「ザッハークのこと、好きですか?」
「――――」
意外な問いかけに、オデュッセウスとアキレスは表情が一瞬固まる。
すると、アンリは足を止めて言葉を続けた。
「ザッハークは原初にて純粋なドラゴンです。貴方の言葉をどのように受け取ったかは人間の僕では想定できたものではありません、だけど――ザッハークが『欲しい』だけなら……」
「アンリ」
アキレスは歩を止めないままアンリへ語りかける。
「俺に恋と欲求の違いはわからぬ。だが心を打たれのは確かだ。そうでなくては、俺はとてもドラゴンに背など向けられぬ」
その言葉に、アンリは瞳を潤わせては、瞼を閉じて少し安堵した。
そうだ、彼は復讐者。
家族を、友を、民を、ドラゴンによって喪い、はるばる遠い国からここまでやってきた。
相手が老人だろうが若人だろうが関係なく、己の怒りをぶつけては剣を抜く皇帝だった。
三つ首のドラゴンを、恐ろしいよりも美しいと感じ取る人間だった。
「……失礼しました。僕も貴方の言葉を信じます」
「おう」
***
「――――と、こういうことがあったわけだ」
華麗に槍捌きを見せながらアキレスはそう語った。
時人とレヴィは呼吸を荒げて今にも地面に膝が付きそうな姿勢で、なんとか口を開く。
「…………っはあ、ダメだ、何か言いたいのに、何も突っ込めない……」
「そう……ね……とりあえず、皇帝がとんでもない人間ってことは……理解したわ……気持ちは、り、かい、できないけど……」
二人の反応にアキレスは眉間に皺を寄せては、「なんだ?」と意外そうな声を出す。
「今の話に不満点があったか? まあ、ざっくり話したからな……多少省いた点はあるが……」
「い、いや、そういう問題ではなく……」
時人は剣で身体を支え、肩で息をしながら頭を上げた。
「もっとこう、母さんに対する超恋愛的なエピソードを期待していたんですけど、凄く重い話から始まった上に横暴な求婚で終わったのでどう反応したらいいのかわからなくて……」
「あ、もう一つわかった点があったわ。オデュッセウスって人が可哀想だった……」
「確かに。まともな登場人物だった……」
「登場人物言うな。オデュッセウスにはあのくらいの態度で良いのだ」
不満気なアキレスの声を聞き流しながら、時人は額に流れる汗を拭った。
(話も凄かったけど――)
――アキレス皇帝、やっぱり強い。
先程から何度も立ち向かってはいるものの、アキレスは過去話をしながら軽々とそれに対応し、レヴィの水魔法すら雷魔法と槍で切り裂いてみせた。未だ、アキレスは余裕の表情を見せる。
「どうした、もう来ないのか? 俺が来るのを待っているというのなら、もっと守りの姿勢になった方が良い。でないと……」
バチッ、と激しい光と共にアキレスはいつの間にか時人の左側から槍を振ってきていた。
「最悪骨が逝く……――ッ!!!!」
しかし、その槍が時人の骨を砕くことはない。
見えない水の壁ごと時人を吹っ飛ばすが、時人へのダメージはかなり抑えられていた。
「がっ!! ……ッ! ありがとう、レヴィ!」
「ええ、任せて! 私は見えてるから!」
ふむ、とその様子をみてアキレスは口角を上げた。
「お前達、やっぱりなかなかいいコンビだ」
「えっ?」
(レヴィはともかく……)
「俺、やられてばっかりですけど……」
「それはそうだ。俺のことをそう簡単に追い詰められるわけないだろう。だが、レヴィの水の障壁は俺の槍を完全に防げてはいない。証拠にお前の身体はボロボロだ。だがお前は持ち前の回復力でその分を補え、すぐに立ちあがる事が可能だ。故に俺の槍がレヴィに届くことがない」
「……!! ……でも、このままじゃ……」
「ああ、ダメだ」
え? と情けない声が響く。
レヴィが「どういうこと?」と首を傾げた。
「今いいコンビだって……」
「だからだ。過去話をする上で二人を組ませる必要があるとは思ったが……ちと相性が良すぎる。これじゃデケム戦への訓練にならぬであろう」
「あっ!」
そういえば、と時人はレヴィの方を見た。
(今日を含めてあと6日……デケムさんと戦う時にはレヴィはいないんだ……俺を護る壁はない。だから……)
「一人でも戦えるようにしないと……」
「時人……」
「よく己から言った、流石我が息子だ。デケムは強敵だろうが図体のでかい男だ。俺と違ってスピードではなくパワー全振り型。とはいえ一歩がでかいからな。お前は距離を置いて動き方をよく見て攻撃を受け流せ」
その言葉に今度は時人が首を傾げる。
「受け流す、ですか?」
「ああ。仮にもデケムは十二臣将。躱せたとしてもその後に攻撃させる暇なんぞ与えるはずがない。お前のような初心者ならば尚更だ」
「で、でも、受け流せるもんなんですか? 俺なんかでも……デケムさん、相当大きいと聞いてますが……」
「力の差なら問題ない。問題をなくすのが受け流すという技術だ。今からお前にはレヴィとの連携を中断し……いや、寧ろレヴィには敵になってもらうか」
「え!? あ、アタシにトキトを攻撃させる気!?」
「そうだ。俺がいなくなった後でも二人で訓練できるようにな。あまり竜王に頼りきりでも心身共に疲れるであろう? レヴィも立派なドラゴンだしな。パワーなら人間よりある、十分訓練相手にはなるさ」
「それは……そうかもしれないけど……」
レヴィは時人と目を合わせる。時人は少し考え事をして、強く頷いた。
「俺は大丈夫。寧ろ、レヴィは大丈夫?」
「あっ、アタシは勿論! 体力も回復してきたし、トキトに負ける事もないわ!」
「ははは!! よしよし、よく言った。俺が指導するから、その通りに動けよ。
それじゃ――――訓練開始だ」
そう言ってアキレスは指を鳴らした。
デケムとの闘いまであと6日――否、5日。
短くも確かな訓練は、時人の身体を少しずつ成長させていった――――。




