エピソード6 手離すこと
暗夜 : 私は、捨てることが、出来ないのです。手離す力さえ、残されていません。掌や身体全体や私の心が、離れることを拒んでいるのです。
良心 : そうでしょうか…。今あなたは、なにかを手離したことに、気が付いて下さい。なにを手離したのでしょうか…。あなたは、今、捨てないことを選び、捨てることを手離していることに、改めて自覚して下さい。このことに気付くことにより、あなたは、すでに、たくさんの事柄を手離してきていることに、思いあたることでしょう。何かを選ぶということは、同時に、その何か以外を全て、手離しているのです。捨てているとも言えることが出来ます。捨てて、手離すと同時に、新たな何かを手に入れているのです。たとえ、手に持っているものが以前と、変わらなくても、そのものから受けとるニュアンスが変われば、それは、手離したことになり、それは、何かを手に入れたことになります。神は、いつも手離し続けている存在であることを知りなさい。手離すことで、自他を支える力が増し、尚のこと、継続力を与えていることに、気が付きなさい。
神は愛と光であり、愛と光が神です。愛と光とは自由であり、自由とは平和であり、平和とは喜びであり、喜びとは生命の本質であります。このようなことを修得する為に、人生の起こる出来事として、一人一人が体験させて頂いております。出来事こそが、神からの恵みであり、私達の魂が親であられる神への帰還への道のりであり、聖なる帰途なのです。私達人類は、地球学校で共に学んでいる生徒であり、共に歩んでいる同胞であり、日々の出来事や体験こそが教材であり、レッスンなのです。「体験に勝る教師はありません」という諺がありますが、体験や出来事という教材や恵みを与えるのが愛と光の神です。愛と光とは「ある」ことなのです。「ある」ということを実現させ続けるには、神のように、手離し続けなさい。手離し続けた先には、神の子である魂と神との婚姻である、合一が待っていることでしょう。あのイエス・キリストのように、神と共に、愛と光のまことの幹であり、架け橋へと、私達一人一人の魂も成熟していくことでしょう。これこそが本当の実りということです。
暗夜 : 手離している自身がいるという事実が、畏れ多く、怖くて怖くて仕方がありません。神の御業の一部となることが、申し訳なくて、仕方ありません。
良心 : 安心しなさい。それを手離し初めたので初期衝動として、畏れが起き、敬う心が目覚め、神の権威と御力に触れることが叶ったのです。手放すとは、実は、委ね続けることでもあるのです。ベッドに横たわるように、安心して委ね続けなさい。神の柔らかく、優しい愛の翼である羽毛に包まれて下さい。そのとき、恐れや不安が入ってこれなくなります。生命の本質である、喜びに立ち還るからです。愛する愛する我が子をたおやかに抱擁するとき、神や天の国では、涙が流れるほど喜びが湧き起こることを感じて下さい。その度に、この全世界は輝き、祝福の鐘の福音がとこしえからとこしえに響き渡ります。親である神の元に、愛する愛する我が子が還ってくる以上の、喜びはありません。何事も、どんな人とも相互的でありなさい。互いに愛し合うとき、この神の喜びの涙を想起することでしょう。