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吟遊詩人ウィッチのブラックバード

作者: 中禅寺暁月

「何でこんなに混んでるかなー」


  違う道を通るべきだったと心の中で後悔する。そもそもこの時間帯はラッシュアワーなのだ。もちろん帰宅する人が増えれば自然と注文も増える。こっちにとってはここからが商売時間なのだけれどもやはり渋滞は嫌である。しかしかといって抜け道に入ると途端に迷ってしまう。仕事に出て間もない僕には危険な賭けであった。


 渋滞しきったアスファルトの三車線道路を一台の原動付きバイクが車を掻き分けるように走っていく。誰もが一目見ただけでそれと分かるような店の社名が貼り付けてあるボックスの中身は熱々のチーズたっぷりトローリピザ。


  抜け道を決めた僕は左折して、感覚で目的地に向かっている、はずだった。元々方向音痴気質の人間にこういった勘は備わっているはずがないのは分かっているが、何とかなる! と思わせる自信が妙にあった。しかし――。


 人は自信とは裏腹に迷うもの、いやこの場合は僕の自信に疑問を持つべきだった。何で根拠のない自信に無駄に懐疑心がないんだ、僕。


 時間と焦りがますます道を迷わせる。ピザが冷めない内に注文したお客に無事送り届けるのが僕の仕事である、といってもアルバイトなのだが。これが中々大変な仕事。注文来てから、ピザを作り、送り届けるというサイクルは簡単に見えてかなりのチームワークと俊敏性、そして体力を要する。元々協調性のかけらもない人間で、体育の時間でほとんどの団体競技で足を引っ張る役である僕にはこのバイトは選択ミスであった。おまけに目的地までの道順は店の巨大な地図を見て数分で記憶しなければならない。記憶力の弱い僕にはますます


「あー、まじやっべー。迷った」


 である。


 急がば回れと言うが、回っても迷ったらお終いだ。回ってるのは僕の頭で、すでに堂々巡りの回転木馬という感じだ。訳分からない自己解釈している自分の思考回路も回ってるな。


  見慣れない町並みがサイドミラーを流れていく。ミラーの隅にはヘルメットの下に泣きそうな顔を浮かべている間抜けな自分の姿が映っていた。我ながらかなり情けないじゃん。こっちはこれでも必死、必死。で、必死になったところで、覚えてもない道を彷徨うことに拍車がかかるしかないわけで。


「店長に電話するか」


  自分で言っておいて、かけるのに躊躇した。店長が怖いわけではない、むしろスマイリーで爽やかな、若いスポーツ部活の顧問みたいな人である。ああ、その爽やかすぎる顔でがんばれと背中を叩かれる度に、僕をもっと徹底的に叱ってこき下ろしてくれればいいのにと思う。っていうかその反応って危ないじゃん、と一人つっこみをいれる。とにかく、怒らないことがむしろ重荷になるということは分かっていただけると思う。ああ、そうなのか、それがあの店長の狙いなのか、爽やかな顔にはしがないアルバイトにプレッシャーを与えてこき使う腹黒い裏の顔があるんだな、と。そこでまで考えて僕は嘆息した。


 ああ。

 僕ってつくづく根暗だなぁ。

 もう訳分からん。


 そんなこんなでくだらない思考をして逃避しているせいかますます道は入り組んできた。家と家の間隔に薄気味悪く生えている木や草が闇から現れ、ヘッドライトに照らされては再び闇に溶けていく。すでにもう宵闇の頃、大型道路を外れると、照明や光が極端に少なくなる。夜の道と昼の道は雰囲気がまるで違う。頼れるのは原付のバッテリーから送り出されるヘッドライトだけ。車と違って大した出力もないから暗くなると数メートル先しか見えない


 そういえば先輩が言ってたなぁ。

 出るって。


 何で今更思い出すのだろう。確か、届け先のマンションは出るらしいということをボソッと先輩が漏らしていたのを聞いた。いや、まだ着いてもない僕には関係ないのだが、思い出すと今にも出そうな気がしてくる。バイクは夜風が顔をすり抜けていくし、車で窓越しに見る風景とは違って、生で見える怖さがある。見えるって何が? ええ、あれですとも。


 幽霊。


 どうして奴らは人の恐怖心につけ込むのか不思議だ。そもそも人は死ぬのが自然だろう? 人がいちいち死んで幽霊になるんだったら、もうこの世は幽霊だらけじゃないか、いや、そのセオリーで行くなら、未来は幽霊様々、幽霊人口が爆発的に増える。おまけに食物連鎖の枠の外、生殖もしないし、歯止めがかからない。やばい、この地球が天国になりかねないんじゃないか。それはそれで楽しいかも。え、違うと思うって? だってそうでも思わないとこの状況はまずいですよ。


 ますますびびってきた。はい、すいません。出ないでください、幽霊さん。

 出たー。


 あわててブレーキをかけるが、間に合わずぶつかった。

 ぶつかった。

 ぶつかった?

 つまり幽霊ではない、と。

 いや、違う。

 違うんだ違うんだ、僕。

 こりゃ大変だ。

 人身事故だ。

 どうしよう。

 僕確実にクビだよ。

 ど、ど、ど、ど、ど、どうしよう。

「だ、大丈夫ですかぁっ?」


 暗くてよく見えないが、黒い服を着た人が道路の真ん中で倒れている。

すぐさまバイクから駆け下り、俯せになっている人に駆け寄った。


「救急車呼びますかっ?どこか痛いところありますかっ?」


 いや、流石に救急車呼びますかって聞くのは間抜けだ。倒れていて無事なわけがないし、事故の場合必ず救急車と警察を呼べと免許とったときに言われた気がする。


 っていうか返事ないよ。まさか打ち所が悪くて死んだ?まさか、これってギョウムジョウカシツチシってやつですか。あのニュースでよく流れて、酔っぱらい運転が人を轢いて裁判にかけられて、裁判長がお前には酌量の余地も生きる資格もないっって言われて刑務所、死刑台に立たされてノーミュージック、ノーライフって叫んで一生を終えるあれですかぁぁっ。


「し、死んだらだめですよっ。この辺は幽霊が出るかもしれないし、きっと浮かばれないですよっ」


 慌てて掴んだ倒れている人の服の触感に不思議な感覚を覚えた。生き物のように蠢いている、そんな感覚。気味が悪くて、すぐさま手を離した。


 どこかおかしい。


 ヘッドライトに照らされた光を頼りによく見ると、普通の人が着るようなファッションではない。まるで中世から現れた魔女のような格好。黒い服に黒くて長い髪、白い肌、微かに不思議な香りがした。


 こんなところでコスプレしてる人も珍しいなぁ。


  僕はコスプレの女性を殺してしまったのだ。きっと、漫画界の偉い人やお宅な人々に大バッシングを受けるに違いない。そして、ノーコミックノーライフと叫んで一生を終えるに違いない。間違いない。


「うう……」

「あ」

生きているっ。

「バンザイミュージック!」

「晩飯ミュージック……? あー、ごめん、キミ。何かボクに食べるものを恵んでくれないか?」

「は?」

「それ食べ物じゃないの?」


 その魔女っこさんは倒れていた体を起こして、物欲しそうに僕を見た。少々涎が垂れているのは見なかったことにしても、結構綺麗な人だ。どちらかというと清楚な感じの美人にも見える。声も高いのに、男のようなしゃべり方が気になる。


「え、ええ、そうですけど、体は大丈夫なんですか?」


「うん、丁度倒れただけ。そこに運良く食べ物が運ばれてきた。これも物語の運命かもしれない」


「はあ。頭打ちすぎましたか?」


 これはまずい。僕はやばい人に関わっているのか、もしかしたらこの人は幽霊なのかもしれない。それにしてはリアルな幽霊だ。それにこんなに綺麗な幽霊なら祟られてもいいかもしれない。


「いやなに、少々体力を消耗しただけだ」


 魔女っこさんはバイクの追突されたダメージも意に介さずといった体で起きあがり僕の乗っていたバイクのボックスを開けた。


「あ、美味しそ……」

「……あ、勝手に食べたらだめですよっ。それは届け物で」

「うん、届け物か。これはボクへの届け物だと思うよ」

「ち、違いますよっ。あ、勝手に開けないでください、泥棒ですか、あなたはっ」

「聞き捨てならないよ。偉大なる詩人に対して泥棒だって?」

「ひぃっ、ごめんなさい。でもあなたがシジンとは知らず」

でも、シジンって何……。

「分かればいいんだ」

「で、でも、後で警察呼びますからねっ」

「それどころじゃなくなると思うよ」

「え? どういういことですか?そんなこと言って言い逃れようなんて駄目ですよ」

「少し黙っててくれる? ボクは食べたいんだ」


  そういって泥棒兼魔女っこさんはあぐらをかいてむしゃむしゃとピザを食べ始めた。見た目とは想像もつかないほどの大食いだ。ピザの一切れを三回噛んだと思ったらもう喉を通りすぎている。

 でも、嬉しいな。

 どうしてだろう。

 この人に会えてなんとなく、ほっとした気がする。

 どうしてだろう。

 僕がこの人のことをちょっぴり好きだから?

 違う。

 シジンって何だろう。


「キミの名前は?」

「僕のなまえ?」

「うん」

「え……、ナマエって何ですか?」

「そうか……、キミは――」

 その言葉を人から聞かされたのは初めてだった。

 違う。

 その言葉を待っていた気がする。

 僕には名前がない。

 生まれた時から。

 これからも。

 すべて悟った。

 この人は僕の倒すべき相手であり。

 この人は僕を倒すべき相手だった。

 でも、嬉しい。

 これが僕の物語の役割だったからだ。

「名無しか……」

 彼女は食べていた寄生虫の残り滓を握りつぶし、こちらに冷たく蒼い双眸を向けた。

 名前。

「僕の……僕の名前を……呼んで」

 だが、彼女の顔に刹那の翳りもなく。

「名無し。キミを消去しなければならない」

「何で……何で……名前がないんですか?」

「ないから」

 そう冷たく言い放った。

「僕は……悪なんですか? 名前がないだけで」

「物語に悪は必要。でも、ボクの前で悪になる必要はない。ボクは物語に干渉しない詩人だから」

 悪でないなら、何なんだ、僕は。

「そうなんですか……でも、どうして僕が名無しだと気づいたんですか?」

「感じるから」

「僕と普通の人とはどう違うんですか?」

「キミはそもそも生まれていない、名がないから。誰も呼ぶ人はいない、孤独だから。覚醒が遅いようだから早めに教えておくね。キミはそのバイクでピザの宅配してるつもりだったんだろうけど、ボクがさっき消化したモノをばらまいていた」


 ピザの上には沢山の虫が蠢いていた。

 知らなかったのではなくて。

 知っていながら、運んでいたんだと思う。

 それが当たり前だと思った。

 これは僕の罪に対する罰だろうか。


「なら早く僕を消してください。シジンさん」

「ううん、その前にキミはまだ選択の権利がある」

「選択?」


  彼女が右指を鳴らし七色の大きな鳥のような帽子が現れ、左指を鳴らすと紙オルガンが現れた。帽子を被り、オルガンの取っ手を回し始めると、歌いはじめた。綺麗な歌声だった。どんな詩を歌っているのかは僕にはもう聞こえない。僕は多分、もう人間じゃないからだ。


 ヘッドライトに照らされて、大きな陰が僕の足下から伸びわたっている。短足だがとても大きな胴体をしていて、いつの間にか彼女を上から見下ろすような形になっていた。


 彼女は最後のレクイエムを歌ったのだろう。

 名前のない僕のために。

 歌い終えて静かに言った。


「ボクの右手には名前、左手には完全な無がある」

「ら、ら、ら、」


  声を絞り出してみたけどもう言葉は喋れない、どうしたらあんな風に歌えるんだろう。彼女の両手から言葉が溢れ出てきた、それは言葉を数珠繋ぎにした鎖だった。彼女の鎖は僕を縛り付けた。

「どっちがキミのものか?」

「ららら」

 僕は鎖を振り払い、彼女の首元に噛みつこうとした。

「キミは望んでボクの前に現れた。少しでも求め、そして詩人を愛した。望めばキミの願いを叶える」

「ららら」


  鎖が四肢に食い込んで、彼女の細い首まで数センチ届かない。苦しみもがいて彼女の目を見た。そこに映っていたのは大きな瞳の一つ目、裂けた口をした真っ黒な怪物だった。


「ららら」

アスファルトの上にちょっぴり多めの滴が落ちる。誰が零したのだろう。

「ぼ……く……は」

 その言葉が最後の声だった。


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