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幻想世界物語  作者: 森 日和
異世界史
5/35

雨の日

それはそれは、嫌な夢だった。

ある夏の、残暑が残る日

私はイラストレーターであり、漫画家として一世を風靡した。そんな私が、なぜかこの摩訶不思議な世界の中に存在している。あの世界ではなく、こっちの世界に……

夢とはいえ、そこは信じられないくらいに幻想的であった。

私には夢がある。それはここでいう夢ではない。

その内容とは、私の描いた大ヒット漫画…名前は忘れてしまったが、とにかくそれのアニメーション化が決定する。その暁には

「安東さんに音楽を作ってもらう」

という願いがあった。

安東さんは私の憧れの作曲家だ。

安東さんの曲は、決して上手な曲ではなかった。はっきり言ってしまえば、素人が作ったような曲ということだ。

しかし彼の曲には情熱があり、伝わってくるものがあった。

私はそんな彼の曲が大好きであり、私の描いた漫画の主人公の雰囲気が、彼の音楽にピッタリ合ったのだ。

しかし、元の世界に戻らなければ…私のその夢は変わらない。石造りの建物が上品な風情を感じさせるこの世界は、ビル群の建つあっちの世界とはまた違った、新鮮な印象である。

まて、ここは夢だ。そのうち、必然的に、何かの結末が起きる。

したかって、私はこの夢を楽しもうと考えた。


市場らしき広場に出た。

そこにいる人々皆の容姿が少しずつ違うことに、まず私は驚いた。

耳の長い者、肌が白い者、黒い者、髪が赤い者、青い者、黒い者、みんな容姿が違う、まさにそれこそ、人種の坩堝である。

私が驚かされたのは、人種が違っていても、みんなが笑いあっていたことである。なんだか胸が撫で下ろされるような気持ちになる。一言で言うならば「癒し」だ。


次に、雨が降ってきた……

傘もカッパも持たない私、逃げ込んだのは、いかにも雨の影響が少なそうな路地裏であった。私はまるでそちらへと吸い込まれていくかの如く路地裏の奥へ奥へと歩んだ。路地裏は進めば進むほどにその不気味さを増していく。

路地裏の最深部まで来た。私にとって、ここまで清潔で不気味な路地裏歩行記というのも、なかなか新鮮で楽しかった。路地裏の最深部…家一つほどの空き地があり、隅には雑草が生え、今までの路地裏通路と比べて大きく違うのは、広いことと、雨が降っていたことだ。

私はゴミ一つ無い路地裏を進むにつれて、詩的な感情も抱いた。

外では雨が降っていて、雨の音が大きく耳に届くのに、ここには雨が降っていない。

これも、夢だからだろうか?


一歩二歩と、路地裏を吟味しながら歩いていると、私は見つけてしまった。二階建ての建物から、三人の人影が門を出るのを。

雨でよく見えなかったが、どの大きさの影も、速かった。瞬く間に私の視界から三つの影が消えた。


あの建物には、誰かいるのだろうか?

正直、鬱蒼とする路地裏に長い時間居座るのにもうんざりしてきたところだ。私は脳内で考えを模索した。

「雨宿りなら…」

そうした淡く浅はかな気持ちでその門を叩いたのが、そもそも間違いだったのかもしれない。


「あの、すみません〜」

私は大きな声で呼びかけたつもりであったが、その声が雨霧のせいでが打ち消されていることも承知した。そもそも、この建物には誰もいないのかもしれない。しかし私は諦めなかった。これから起こる事件とは、そこでその承知に甘んじた、そしてあっさりと雨宿りの夢を諦めなかった、私の責任であったのだ。

私は扉を叩いた。

すると、待っていたかのように、扉が開かれた。

ゆっくりと…その扉の向こうは暗かった。かすかに見える人影、そして…向こうから迫って来る、光沢。

「え…」





「え、そんな変な奴もいるんですか?」

「ええ、そうよねおじ様」

「はい、現地人は皆“クロウム”と言っております」

「ほぉ…なるほど、信じられないや」

「まあね、私もこっちに来た当初、安東さんからその話を聞かされてもピンとこなかったわ。でもね、言っておく、クロウムには気をつけて」

「お、おう」


雨の日、私たち四人は雨で霧がかった、まさに夕食調達には絶好の日には、例え食料の貯蔵がまだ余っていたとしても強盗を働きに行く。もちろん、盗みやすいからだ。

しかし、雨の日の食料調達時はいつもとは違い、全員で行くことはない。

それはなぜか

先ほどの話は、黒い布を纏い仮面をつけたジェーンが、私に対してその理由を話していたところである。

クロウムという、雨の日だけ街に現れる獣に、食料が度々盗まれていた。奴らは鼻が効き、信じられないことに、例え雨の日であっても食料の匂いを逃さず、食料を求めて彷徨うという。なぜ雨の日の食料調達だけは特殊なのか。私に課せられた任とは、そういうことだ。


「じゃあ行ってくるからね、頼んだよ」

「はい」

「もし奴が来たら、それでぶっ刺してやればいいよ」

「分かりました…頑張ります!」

私は威勢良く答えて、皆を見送った。


さて、ここで私はこう考えた。

「少しは奉公しないと」

御恩奉公は生きていく上での原則である。そうしないと人徳すら得られなければ、私はいつまでたっても人として大成しない。御恩奉公の理に従って、そして、それこそ料理のように、決して余計なことはしないように何ができるかを考えた。

結論、何もしない。

そう、それこそが最もである。私はここで何もせず、ただ雨の日だけに現れるなんちゃらとかいう怪物を撃退すればいいだけなのだ。

「奴は一回槍で刺した位では死なないからね。五十回くらい刺しなさい」

と、ジェーンは言っていた。


私はシュミレーションを始めた

もしここでこうして襲ってきたら、体をこうしてこうしてここに一突き、もしこれならばここに……

私はシュミレーションに夢中になり、牀上施牀を繰り返した。

だけどおかげで、私は負ける気がしなかった。どこからでもかかってこい!と、私は心の中で、怪物と名のあるアンノウンを煽った。


「来た…」

来た、来た来た来た来た来た……

私の研ぎ澄まされた耳に微かに聞こえた物騒な物音、水溜りを踏んだ、ピチャッという音。

私は合唱本番の、大観衆に見守られながら舞台に立っている、まさにその時ばりに緊張している。合唱でもそうだが、練習してきたことを本番でやり遂げるのは、緊張する。

合唱…私ははっとした。

得体の知れない…いわばこの竹槍一本で宇宙人と戦うようなものである今の状況を、合唱に例えるとは…我ながら珍しいこともあるものだ。なぜだろうか…私の気持ちの高ぶりようが怖い。


扉の向こうに、何かいる。

雨に消された、しかしかろうじて聞こえる声。

可愛いらしい声であった。私の心が掌クルリとなるところを、理性が必死に止めた。

扉の向こうにいる奴は怪物だ、可愛い声でも、怪物は怪物である。

断固、安東さんやジェーン、おまけに谷山、三人との約束を果たさなければならない、いや果たしてこその奉公なのだ!行くぞ、もう腹はくくった、そちらも…覚悟はいいだろうか!


瞬きもさせず、神速、電光石火の如く。力はいらない、ただ瞬時に突き出されだけ、その槍の勢いは虎をも貫く。


かの加藤清正も、今からの私と同じく、槍一本で虎の脾腹を突いたのだろう。迷いなく突く槍は弾丸より速く、鋭く、強く、相手に襲いかかる。


扉を開き、猪突猛進の勢いで、瞬く間に私は槍を突いた。目の前の小さな人影は口から血を吐き出し、後ろに倒れる。私は倒れた人影の上で槍を構えて、数字を踏みだした。

「一、ニ、三、四、五……」



トンネル現象をご存知だろうか?

アスリートが極限の集中力まで達した時に発生する現象で、周りが見えず、ただトンネルのように、前にある光だけが見える現象だ。

その時アスリートは、極限の集中力によって人を超越した能力を手にする。おそらく火事場の馬鹿力であろう。


私は脾腹だけを見ていた。胸があり、腰があり、その間の…一点。内臓が集まり、大動脈が流れているであろう一点を、血みどろになり、狂い、禍々しい槍と穢れた心とが、次第に止まらなくなった。

加藤清正は、自身の槍に誇りと、そして武士の魂を持って、槍衾の極地へと辿り着いたのだろう。

私とは正反対だ。


五十まで数え終わった時、私は目の前に広がる惨状に、やっと、気付いた。

小さな体から発せられる可憐な雰囲気、ボブカットの髪型から発せられる子供らしさ、対して、凛々しい顔から発せられる大人びた感じ。

そして…血に塗れた姿と、鉄の匂い。



強烈なフラッシュバックが私を襲った。

前世の私は……私は……



雨に打たれる私は、目の前に事実に目をひん剥いていた。雨に打たれながら瞳孔を揺らす彼の姿は、まさに悪魔に取り憑かれ、望みも何もかもを失った善人の、狂った様子だった。


そんな最悪の雨の中、水溜りをピチャッと鳴らして、石像の如く呆然とする私の前に現れたのは……私の身長を遥かに凌駕する、大きな怪物だった。

「クロウム……」

クロウムは私を欲してはいなかったのだろう、私に判断の猶予を与えてくれた。

「俺はお前が目当てではない、俺は中の食料が目当てなんだ。今なら逃がしてやる」

クロウムは日本語で話してきた。それ自体が、私にとって驚きの事実のはずなのだ。しかし私はその時、何と言ったと思う?

「ころして、くれ。わたしに、いきるかちは、ない」

私はもはや放心状態にあった。私の精神は一生を賭けても治らないほど深々と、フォッサマグナなど比にならないほどの深い切り傷を負っていた。生死などどうでもよかった、ただこの苦しみから、私は解放されたかった。

「…そうか、出来れば無駄な殺しは避けたいのだが…」

「……ころせ」

私は涙を流しながら、消えかけのかすれた声で「ころせ」と連呼した。


クロウムは恐ろしい獣と言われていたが、決してそんなことはなかった。彼らは慈悲に溢れており、兄貴肌で、そして…賢かったのだ。

私の中には罪悪感もあった。

一つは安東さん達へ、二つはこの綺麗な女性へ、そして三つは、この怪物…賢者達へ。

「それがお前の望みか?」

「……うん」

「そうか…では安らかにな……」

クロウムは大きな、大きな手で私の頭を掴むと、そのまま…握り潰した。

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